みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

どうして助かることができるだろうか

2024年10月03日 | イザヤ書

イザヤ書 20章

 9日間のトルコ旅も最終日。昨日は地中海沿いのアランヤからシデに立ち寄り、アンタルヤに戻って来ました。シデの遺跡にはたくさんの土産物屋が並び、多くの観光客が訪れる「観光都市」のようでした。今日の午前には帰宅できるので、トルコとドイツは近いです。

 イザヤ書20章は19章の記述を受けていると思います。イザヤ書の時代的な背景は、南王国ユダの貼るか東のアッシリアが勢力を広げようとしていました。一方では、ユダの南西に位置するエジプトはもう一つの当時の超大国として互いに対峙していたのです。

 ここはペリシテへの神の宣告です。アッシリアの大きな脅威に、アシュドデはエジプトに頼りました。しかし、19章にあるように南のクシュ、そしてエジプトはアッシリアの侵略を自分たちも受けることになり、ペリシテにとって全く頼りにならなかったのです。6節の「われわれの拠り所がこの始末だ」ということばが、それを表しています。 

 ここを読み、自分の拠り所が何か、誰かということを考える人も少なくないでしょう、拠り所としているものが、いざという時に本当に頼りになるのだろうか、ということです。

 2−4節に目が留まります。預言者は神から授かったことばを、預言者自身の生活、ふるまいを通しても伝えるのです。それにしても三年間裸になり、裸足で歩くとは驚くべき命令です。それはイザヤ自身を辱めるような行動です。しかし、そこに主なる神のメッセージがあったのです。生活を通して主を伝えるとはどのようなことかを、考える箇所でもあります。

写真:シデのアポロン神殿跡


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