みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

それでも待ち望む

2013年12月28日 | 詩篇
詩篇38篇


 きのう午後、24日に洗礼を受けた方を訪ねました。
 利根川を渡ると赤城山がぐんぐんと近づいてきます。やがて畑の中にドーンと赤城山が! どこを見ても山が見える土地で育ったせいか、山が近くに見えるというだけでホッとします。1時間足らずでこんな場所に来れるのだと知ると、これまでがもったいないような気分になりました。でも、家に戻ってもホッとするのです。「ホッ」を分析するとおもしろいかもしれないなどと、どうでもよいことを考えながら帰路につきました。

 38篇は重く暗い詩です。「記念のためのダビデの賛歌」とありますが、カルヴァンは「ダビデは彼が蒙(こうむ)った懲罰を、あまりに速やかに忘れ果ててしまうことを恐れて、彼自身のためにも、他の人々のためにも、この詩篇をいわば記念として執筆した」と書いています。
 「サムエル記」によるダビデの生涯のいろいろな出来事の中で、この詩篇と結びつくのはあのバテ・シェバ事件でしょうか。51篇が罪赦された喜びを歌い上げたものだとしたら、38篇は罪を犯したダビデの苦しみを垣間見せてくれるものだといえるでしょう。

 「身から出た錆」とは言っても、「みことばの光」がまとめているように、このときダビデは三重苦ともいえる苦しみの中にありました。しかし、彼はそのような中でも主を待ち望みます。主の答えを必死に願っています。
 ここに、信仰者の望みの真髄があるように思います。よいときも悪いときも、義のために迫害されているときも人を苦しめ傷つけたときも、「私の力は私を見捨て」るようなときも、人から見放されたときも、「主を待ち望みます」と祈るさいわいは、イエス・キリストの十字架によって賜ったものです。

 これが真の「ホッ」なのです。
    


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