詩篇 56篇
大きな集まりをしている会場には畑があり、おいしそうなズッキーニなどが収穫を待っていました。食卓の野菜は、ここで収穫されるものとのことでした。
本篇も、その表題からサムエル記第一に記されている出来事が背景になっていることがわかります。
サムエル記第一21章10−15節です。サウルから逃れてダビデはペリシテ人の地ガテの王アキシュのところに行きました。すると家来たちが「サウルが千を討ち、ダビデは万を討った」と歌っていたあのダビデではないかと言ったので、ガテの王を恐れ、自分がおかしくなったかのようにふるまい、……ひげによだれを垂らしたりしたと、あります。
この詩篇では「神にあって(主にあって) 私はみことばをほめたたえます」ということばが繰り返し用いられています。踏みつけられ虐げられる中で恐れるダビデ。しかしそのような時でも、いや、そのような時こそ彼は神に信頼するのです。
神に信頼するとは、具体的には神が自分に与えられたみことば、約束のことばを信頼するのです。神のことばには力があることを彼はどんなときも疑いません。
さらにダビデは、神は自分のさすらいを記録し、自分の涙をあなたの皮袋に蓄える、つまりあなたが書き留めくださっていると言います。
きょうの私の一日の歩みを、神はどのように記してくださっているのだろうかと考えてみました。そしてそれは自分が自分の一日を記す内容と同じなのか、それとも違う内容なのでしょうか。