みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

私を訴えなさい

2024年06月28日 | サムエル記第一

サムエル記第一 12章

 二週に一度の聖書の会。昨日は気温が高くわが家はしかも最上階。こちらの家は外気温がどんなに暑くても下の階はひんやりとしているのですが、最上階はそうは行きません。天窓のスクリーンも内側なので、熱がガラスを伝わって入ってきます。二時間近く何となく蒸し暑い…という部屋の中で、水分補給を怠らずに、熱く聖書を読みました。

 この章で年老いた預言者サムエルは、これまで自分が主の前に潔白であり続けたということを弁明しています。サムエルの師であった祭司エリも二人の息子が神の怒りを買い、サムエルの息子たちも、イスラエルのさばきつかさ、つまりイスラエルを導く者として任命されながら、「父の道に歩まず、利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げていた」のです(8章3節)。

 このことは、父親であるサムエルにとっては心の痛みの一つだったと思うのですが、だからといってサムエルに責められるべき何かがあったなどと安易に結びつけてはならないと、私は思います。それではなぜ、サムエルは「私を訴えなさい」と自分の潔白を証明しているのかというと、民が王を求める大きな理由の一つが、息子たちの不祥事だったからです。

 それもサムエルと息子たちとの間、また民との間では何らかの解決があったことが3節のことばから想像することができます。

 サムエルは、これまでのイスラエルの歴史を振り返って、主ご自身が自分たちを守り導いてくださったと語っています。それは、王を持つことになった彼らが、主に従うことをやめてしまわないように、王たる者は率先して主に従う者であるようにと、渾身の力を振り絞って語っています。

 「私を訴えなさい」と問いかけることのできるのは幸いなこと。プライドや経験がその問いかけの妨げにならないようにと、願うことです。


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