エレミヤ書 48章26−47節
久しぶりに町の中心部に出ました。町の中の公園で見つけたもの…。数え切れないほどの銀杏。「こちらの人は臭いので誰も採らない」と聞いてはいたのですが、そのとおりでした。そこで、拾えるだけ拾ってきました。思ってもみない大収穫に大喜びでした。でも、どうやって実を取り出したらよいのか…。明日をお楽しみに!
モアブへのさばきの宣告の後半。ここにはモアブの何が問題だったかが明らかにされています。それは「高ぶり」。特に、隣国イスラエルが弱くなり滅ぼされた時、モアブはイスラエルを物笑いの種にしたのです。
隣国との関係は、昔も今もとかく緊張が生じやすいもの。また、国同士、国民同士もライバル心を燃やします。何千キロも離れた国で起こったことには平気でいられるのに、たとえば日本でいえば韓国や中国での出来事には、強く反応することが多いのではないでしょうか。特に隣国の弱体化、また敗北に対して、「ほら見ろ」とか「だめな国だ」などという思いを抱きやすいのです。
ここでは、イスラエルを物笑いにするモアブとは対照的に、モアブがバビロンによって踏みにじられる様子を見て、エレミヤが「私は泣きわめく」と嘆いている姿に教えられます。隣国が弱くなるのは、自国にとってはうれしいことだと多くの人は考えます。けれども、エレミヤはそのようには見ないのです。このエレミヤの姿に、イエス・キリストが重なります。