みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

求めるな

2015年11月16日 | エレミヤ書

エレミヤ書 45章

 金曜日夜にパリに起こった惨事。犠牲となった方々のために、どれほど多くの家族や友が悲しみの淵に投げ込まれ、混乱と恐れの中にあることだろうか、と思いつつ過ごしています。そして、今だからこそ恐れずひるまずに神を礼拝すると決意しました。

 バルクはエレミヤが語る預言の口述筆記者でした。「ユダの王エホヤキムの第四年」とは、エレミヤが預言をしバルクが筆記した巻物が王によって火で焼かれた事件が起こった年です(⇒36、37章)。せっかく記した神のことばが火で焼かれるという体験は、「ああ、哀れなこの私。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、いこいもない」と、バルクを嘆かせるのに充分でした。

 エレミヤはそんなバルクに言います。4節はたとい火で焼かれたとしても神のことばは決してなくなることはないとの励ましであり、5節は「みことばの光」が書くように、自分のために大きなことを求めるのではなくて、主のための管となるにすぎないことを自覚せよとの促しです。「ああ、哀れなこの私」と嘆くようなことを体験したエレミヤならではのアドバイスだと思うのです。

 心に留めたのは「求めるな」との一言。自分は何を求めているのかとの問いかけを受けるようです。求めてはならないものを求めていないか? 求めるべきことを求めていないのではないかと…。


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