未だにバドミントンを続けていることでも分かるように「スポーツ大好き
人間」だが、若い頃は、「お金のかかるスポーツ」はしない主義だった。
会社の同僚等に誘われても断り続けていたが、仙台時代に親交のあった地域
の人達との関係を「絶やしたくない」との思いでゴルフを始めたのは30代
半ばの時だった。
止まっているボールを打つなんて「簡単なこと」と思っていたが、意外に
奥が深く、始めて間も無く100を切るようになったものの、それ以上は
なかなか上達しなかった。
一関CCのメンバーになって月例に参加し、バックティ・ノータッチの大会
で、83で回りCクラス優勝となりHC15に認定されたのが最高で、その後
は「鳴かず飛ばず」で90~100の間をさ迷っていた。
ある時、銀行員だった兄に誘われて一緒に回った時、私と同じようなセンス
の無いスイングを見て、上達しないのはDNAが大きく影響していることに気が
付いた。
それまで野球やバレーボールでチームの中心として活躍出来ていたので
「運動神経はいい方の部類に入る」と自負していたが、兄のプレーを見てか
ら、その考えを改めざるを得なかった。
就農してからは「草刈り」が忙しく、芝刈り(ゴルフ)とは疎遠になってしま
ったが、時々ダフリやチョロをする夢を見て冷や汗をかいている。