霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

葛藤

2011-11-30 20:13:37 | 趣味
昨夜のバド練習では、それでなくとも下手クソで困っているのに身体が思うように動かないためワンサイドゲーム
が多くガッカリしてしまった。
「絶望は愚か者の結論」と言うらしいが、サッサッと引退するのが「世のため人のためではないか」とも思えた。

若い頃なら練習を重ねるごとにテクニックも上達し体力も強化される感じがしたものだったが、今は体力強化
どころか「身体が擦り切れていく」ような気さえしている。

老化の進展と共に「新しい発見が一杯ある」と何かに書いてあったが、もしかすると「今まで出来たことが出来
なくなることの発見」を意味しているのかもしれない。


(緑色が貴重な季節を迎え、五号ハウスのツボミナやナバナがまぶしく見える)

身体の節々の痛みもあって昨夜は熟睡できなかった。
しかし、幸い今日は一日中トラクターで畑の耕耘だったので、肉体的負担が軽かったこともあり
「絶望の淵」から這い出す元気が少し出て来たようだ。

体力の衰えと共に遊びだけでなく農作業でもこんな「葛藤」を何度も繰り返しながら年を重ねて行く
ような予感もする。


コメント (3)
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きな粉 その二

2011-11-29 22:08:55 | 穀物
飼料用米の粉砕機が製粉機に化けた話しは先日紹介した。
その製粉機を使った「きな粉」が「香りも良く色合いも鮮やか」と評判になっている。
「瓢箪から駒」とはこのことで、もしかするとこの冬の我が家の目玉商品になるかも
しれない。

原料となるアオバタ豆はそのまま「大豆」としても販売しているが、粉に加工すること
により価値が高まり売行きも好調とあれば軸足を「きな粉」にシフトすべきかもしれない。
しかし、「大豆」は年間通じて売れるが「きな粉」は冬場限りかもしれないし、余分に手も
かかるので「もう少し様子を見たい」と思っている。

アオバタ豆の「きな粉」の売れ行きに気を良くして、茶豆の「きな粉」の販売も始めた。
アオバタ豆に較べると色合いは劣るものの甘味は数段上回るので認知度が高まれば
人気が出て来るものと期待している。



ジイチャンとバアチャンは一号ハウスの中で大豆の選別作業に余念がない。
選別を終えて左右に並べられた大豆が冬場の貴重な収入源になりそうだ。

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堆肥撒き

2011-11-28 20:22:54 | 野菜
結局三日がかりとなったが堆肥撒きがようやく終わった。
軽トラが直接畑に入れると効率的なのだが、乾燥期を過ぎた今の畑では
ややゴリ押し気味となってしまった。
無理を承知で強行し動けなくなることが何度もあった。

トラクターで直ぐ救出できはしたものの、無理をせず運搬車に積み替えて
進めた方が結果的に早かったのかもしれない。
「急がば回れ」とはこのことか。


(庭のウメモドキ)

軽トラで一関ミートさんの養豚場を何度も往復したが、通算でなんと21回にも
なったという。
毎度のことで着衣や頭髪にも臭いが付く大変な作業だが、車で五分もかから
ない所で大量に堆肥を入手できる「地の利」に感謝しなければならない。

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朝仕事

2011-11-27 20:37:04 | 景色
早朝、後山の畑に野宿しているトラクターのガラスは霜で真っ白に覆われて
周囲が全く見えない状態となっていた。
そんなことから朝の仕事始めはガラスの霜落としから始まった。

今日も堆肥運搬が続くので、昨日堆肥を撒いた畑は「朝の内に梳き込んで
置くべし」と「婦」が唱えれば「夫」は寒さに耐えながら黙って随うしかない。
でもそのお蔭で仕事は片付くし、朝の美しい青空を拝むこともできた。



昔の人が「早起きは三文の得」と言った中にはきっと「美しい景色を眺めら
れる得」も含まれていたに違いない。

もっとも、夕方眺めた雲一つない西の空で演じられた美しい眉月と宵の明星
のランデブーもなかなかなものだったが・・・。
コメント (2)
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上ノ山荘

2011-11-26 19:49:00 | 仲間
山形の上ノ山荘で開催された「経済フォーラム2011」に仙台経由で所用をこなしてから向かった
のが良くなかった。
本来は宴会前に部屋行われる「予行演習」が互いの近況等を交換し合えるゴールデンタイムと
なるのに、それに間に合わなかったばかりか宴会開始にも遅れる始末。

年に一度の貴重なチャンスを逸して大いに悔いが残った。
「この轍は二度と踏まない」と心に固く決意した次第。


「日本美女紀行」上ノ山編。

山形時代から10年来のお付き合いとなっていた「上ノ山荘」フロントのOさんが目出度く「寿退社」と
のことだったので最後のツーショットとなった。
宿泊者数を誤って予約し迷惑をかけたりしたこともあったが、いつも微笑みを絶やすことなく対応し
てくれた素敵な人だった。

コメント (2)
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