霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

習慣は第二の天性

2007-06-30 19:15:38 | 生活
昨日は一日雨だった。
一時激しく降ったりしたので、外での作業はすべて中止し、軒下へのニンニクかけや出荷用の精米をし、午後は「新鮮館おおまち」の野菜作り勉強会に二人で出かけた。

除草機押しが二週間も続き完全に習慣化してしまったのか、肉体労働が無いのが何か「拍子抜け」したような感じの一日となってしまった。
お陰で疲労は随分回復したが、喉の渇きも空腹感もない寂しい夕食を迎えることになった。
「楽をすれば幸せ」とは言えないことを改めて実感した。

著名な哲学者安岡正篤は「習慣は第二の天性」と看破していた。
悪い習慣を身に付け生活習慣病になるか、良い習慣を身に付け健康で充実した人生を送るか、どちらを選ぶべきかは火を見るよりも明らか。

特に、第一の天性に恵まれなかった者としては「第二」で頑張るしかない。
明日も習慣となった早起きで「篤農家」でも目指すとするか。



今年は暑い日が続いているためか、山頂付近の雪融けが早いようだといつも眺めている栗駒山。
仙台のNさんこと二瓶さんが23日に登山をした際の写真をメールで送ってくれた。



ニッコウキスゲも花盛りだったようだ。
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「思いやり」の伝統

2007-06-29 19:20:44 | 家族
我が家のジイチャンは、見事なまでに「ソトヅラ重視」の人生を歩んでいる。
特に「いい人振る」のは半端ではない。
屋敷内に入った泥棒の現行犯を捕まえても、盗んだ物をそのまま持たせて無罪放免する徹底振りで、家族を唖然とさせた。

長年のその努力が功を奏して、「お宅のオジイサンはとてもいい人ですね」と見知らぬ人に声をかけられることも多い。
性格も温厚で人と争そうことを嫌い、まさに「聖人君子」ような立派な人柄であると自認している。

しかし、家族への「思いやり」という面で見ると四年前に亡くなった祖父とは比較にならないぐらい見劣りがする。
96歳という高齢で亡くなった祖父は、最期まで周囲に対する「思いやり」を忘れない素晴らしい人だった。
「その人を見るなら晩年を見よ」といわれるが、家族に愛され、家族に惜しまれながら天寿を全うした立派な人生だった。

その「思いやり」の伝統を引き継いでいるのがバアチャン。
「農家の嫁」として何十年も鍛えた人は「格が違う」と唸らせるところがある。
区長等を長年務めたジイチャンと全く農業と家事にのみ専念してきたバアチャンとで「雲泥の差」があるのは、役職経験と人間性とに相関関係が無いことの証明かもしれない。

祖父から引き継いだバアチャンの「思いやり人生」をオジサンは無理としても何とかオバサンには引き継いでもらいたいものと願っている。



田んぼの用水池として利用している堤に、今はヒツジグサが花を咲かせている。
大概は白い花だが、ここでは赤い花も付けていた。

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親バカ

2007-06-28 18:50:51 | 家族
下の娘が大学生の頃、ほっぺがふっくらして目尻が吊り上っていた。
その顔が若い頃の吉永小百合に似ていると娘に話しことがあった。
本人は親からの嬉しい話しを友人に話したようだった。
話しを聞いた友人は、「今の話しはここだけにして置いた方がいいよ」とやさしくアドバイスしてくれたという。
友達とは有り難いものである。

今働いている職場では、「笑った顔が紀子様に似ている」と言われることがあるらしい。
これも嬉しい話しではあるが、あまり他人には話さないようにした方が無難なようだ。

その娘が、自分が担当して放送された初めての番組をDVDに録画して送って来た。
九州で放送されただけなので、東北では見ることができなかった。
医師と母の両立を目指す若い女性を取り扱ったドキュメンタリー番組だった。
内容の良し悪しは分からなかったが、番組の最後にディレクターとして娘の名前が表示されているのを見て「カッコイイ!」と感じた。

番組の本筋でないところで感動するのも「親バカ」の為せるわざと言えよう。



荒地に蒔いたアズキが芽を出した。
今年、ニ箇所約10aぐらいの面積に試行的にアズキを蒔いている。
収穫量はあまり期待できないかも知れないが、獲れたアズキで美味しいアンコ餅を作ってみたいと思っている。
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夏到来

2007-06-27 20:46:20 | 
日差しがまぶしく気温31℃を超え既に完全な夏。
林の中に点在する栗の花もその色を一段と濃くしている。

炎天下での除草機押しは避けるようにしていたが、早く終わらせたいという焦りがややあった。
四時ぐらいから始める予定を三時前に早めた意気込みは良かったが、一時間ぐらで気持ちが悪くなって中断せざるを得なかった。
涼しい風の通り道となっている家の二階で昼寝をしているのとは条件が違い過ぎた。

それでも夕方再チャレンジし大きな一枚を終わらせることができた。
残るはあと二枚。



いかにも暑そうな夏の日差しを浴びているヤマボウシ。
子供の頃、学校に通う途中でこの木の実を良く食べたものだったが、薄甘い味は自分の好みではなかった。

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人は何のために生きるのか

2007-06-26 18:38:41 | 思い出
PCに古い原稿が残っているのを見つけた。
三年前、社内紙みたいなものに掲載するため書いたものだった。
改めて読んでみて、この時の心境がそのまま一年後の農業への転身につながったように思えるので、少し長いが紹介してみたい。  

           「人間性を高めるために」  
                 
最近ある人に薦められて「稲盛和夫の哲学~人は何のために生きるのか」(PHP文庫)を読み大変感銘を受けた。
著者は、現役を既に引退しているが、仏門に帰依しながら京都の若手経営者を育成するなど現在も精力的に活躍している。
本書の中で感銘を受けた幾つかを紹介してみたい。
『人間は自由だから欲望をいくらでも追求していける。しかし、足るを知って、欲望の肥大化を抑えるべきである。これが叡智である。過剰な自己愛は自らの破滅を招く。』
「過剰な自己愛は自らの破滅を招く」については武富士会長の盗聴事件の例を挙げるまでもなく枚挙にいとまが無い。また、自分の生活を見ても、手段たるお金がいつの間にか目的になったり、趣味が高じて趣味に振り回されたり、酒を呑むつもりで酒に呑まれたりと、限りない欲望にいつも翻弄され、自己嫌悪に陥る毎日である。
今の私に必要なのは「欲望を満たすこと」ではなく「欲望の肥大化を抑える叡智」なのだ。

『自分が自由を謳歌すると他人が不自由になる。自分が自由を謳歌すると影として「悪」が生じる。』
「自分の自由は他人の不自由」 短い言葉でこれほど自由の本質を鋭く突いた言葉を私は知らない。過度の自由の強調が戦後教育の欠陥とも言われるが、その教育をまともに受けた私の自由の謳歌で、どれだけ周囲に迷惑をかけて来ただろうか。 特に、最も身近な「他人」である妻には数えきれない「悪」の限りをつくして来たに違いない。残された人生でその借りをどこまで返せるかが大きな課題である。

『死によって肉体は滅びるが意識体は存在し続ける。現世での実績や財産は何も意味をなさない。価値として残るのは、現世で作り上げた人格、人間性、魂、意識体である。人間性を高めるために我々は現世で生きている。』
『人間性を高めるためには、自分よりも相手に良かれという「利他の心」を持って生きること。また、働くことの目的は生きる糧を得ることに止まらない。働くことを通じて人格を磨くことが大切。
死ぬまでにどれだけ人格、品性を高めたか、それが人生の勲章であり、誰でも目指せる目標である。』
 人生の節目を迎え、何を目標に生きるのか漠然としていた私にとって、まさに目から鱗が落ちる思いがした。これで結果を気にせずに何事にも挑戦できる。たとえその挑戦が失敗に終わっても若しくは志し半ばで挫折したとしても全く構わない。大切なのはそのプロセスなのだ。
 また「働くことは生きる糧を得ることに止まらない」も有難い言葉で、店で一本数百円で買える長芋を、畑で大汗をかきながら半日がかりで掘り起こすことの意義もこれで見出せた気がする。
「利他の心を持って生きる」これは多分一番難しいことだろうと思われる。頭では理解しても体が思うように動かず、直ぐに大きな壁にぶつかりそうだ。自分中心の行動パターンが完全に染み付いてしまっているのだ。
 でもご安心あれ、稲盛さんでさえもエゴに走る自分を戒めるため、仏教の本をいつも携え、日に三回は見るようにしているとのこと。私のような器の小さい人間が即実行に移せるはずがないのである。

読み終えた今「エゴを無くし利他の心を持ち人間性を高める」という大きな目標に向かって歩き始めようする素直な気持ちの自分が居た。

ところで、この本を貸してくれたのは他ならぬH社長である。日頃の私のお粗末な人間性を見て、この本を通じてそっとアドバイスしてくれたものと心から感謝している。



「美味しい蕪ができた」とオバサンは喜んでいた。
ところが「道の駅」では全く売れなかった。
大根が豊富に出回っている時期と重なったのが災いしたのかもしれない。

この原稿、職場の仲間から好評だったので得意になってオバサンにも見せた。
ところが、「口では何とでも言える。これからの行動を見てから判断しましょう」と冷たく言い放ってポイと捨てられしまった。

その後のオジサンの「行動」をオバサンがどう評価をしているかは、恐くて確認できないでいる。



コメント (5)
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