霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

「桃源記」

2006-08-31 21:48:51 | 生活
先日、このブログのニックネームを変更したが、ニツクネームというにはあまりにも長過ぎるので、再度変更することとした。
新しいニックネームは「桃源記」。
日々暮している古里を桃源郷のような理想郷にし、そこから日々の記録やメッセージを発信したいという願いを込めた。

「桃源郷」の言葉は陶淵明の「桃花源記」から生まれたもの。
陶淵明は官職を捨て田舎で「晴耕雨読」の日々を送った田園詩人。
オジサンは脱サラする時に、この高名な詩人を若干意識した。

「帰りなん いざ 田園将にあれなんとす」 
有名な「帰去来の辞」の一節。
1400年前の中国も今の日本とあまり変わりなかったようだ。

オバサンとオジサンは詩人の資質は無いが、住んでいる地域を桃源郷のようにしたいとの熱意は十分にある。そのための努力も惜しまないつもりでいる。
そんな努力のプロセスも含めて、幸せ一杯のメッセージを数多く発信できるようにしたい。

「霜後のオバサン&オジサン」改め「桃源記」を引き続きよろしくお願い致します。



一関市街から霜後地区に入るには三つの道がある。どれも一旦坂を昇つてから下る経路を辿る。その一つに萩荘の上大桑から厳美に抜ける道がある。坂道を昇り終え下り坂になると間もなく霜後地区が一望できる。正面が北で、遠く焼石岳が見え、西には栗駒山が眺められるが、特別眺めが良いという訳ではなく、普通の片田舎の景色だ。
晩秋になると我が家の屋根が右前方に見えるが、今は木の葉に隠れている。 
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ミズヒキ

2006-08-30 19:26:16 | 
夏野菜が終わりつつあり、産直への出荷量も減ってきた。その穴埋めとして野の花等で凌ぎたいがそう簡単ではない。
 
屋敷林にあるこの赤いミズヒキは店頭に並べたらすぐ売れたのだが、残念ながらあまり数が無い。「水引」にみたててその名がついたといわれるこの花は花屋さんでも簡単には手に入らない希少価値のあるもの。
周辺の野山を探せばもっとあるのかも知れないが、探して歩くには時間がかかり過ぎる。



畑を整理するため刈り取ったアスターは、個性があったので直ぐに売れた。

どうも我が家の花の値付けは一般的に安過ぎる傾向にある。
お客様は魅力のある花であれば、野菜ほど価格には拘らないようだ。

お盆にはまだ咲いていなかったサワギキョウも、例によって熊の出没する山まで行って採って来たが、あまり人気がなく売り切るまでに時間がかかった。

次に花が沢山売れるのはお彼岸の時期だが、お墓参りの花として欠かせないミソハギが堤の土手等にまだ咲いている。お盆に引き続きお彼岸にも活躍してもらえると有り難い。
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里芋の試し掘り

2006-08-29 20:16:07 | 野菜
 これまでも何回か紹介しているが、春まで原野だったところをトラクターで何度も掘り起こし、石を拾い竹の根を取り除いて里芋を栽培している畑がある。
出来具合を確認するため一株掘ってみたら、写真のように見事な芋の子が育っていた。
今年は雨不足のため従来の畑で栽培した里芋は出来がイマイチだったが、ここは日照りが続いた時に一度大量に水を供給している。その後、幹や葉に躍動感が現れたが、それが土の中の芋にもそのまま反映されたようだ。
一個の種芋からこんなに沢山の芋の子が育つなんて本当に驚異的だ。



当然無農薬栽培なので除草剤は使わない。原野だったので雑草が心配されたが、ビニールマルチと土寄せ二回のみで心配された除草の手間は殆んど不要だった。

早速夕食に味噌汁に入れ味見をしてみたら、トロトロ感があり涙が出るような美味しさだった。
「EM米糠ボカシを使った初年度の田畑は、特別美味しい作物ができる」ことをこれまで何度も経験しているが、今回も例外ではなかった。
オジサンにとっては処女作ともいえるこの里芋作り。何もかも上手く行って怖いぐらいだ。
これが「ビギナーラック」というやつか。
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酸素カプセル

2006-08-28 20:44:39 | 
夏の甲子園を制した早稲田実業の斎藤投手が今「時の人」となっている。ハンカチと並んで注目されているのが、再試合の前夜使用した「酸素カプセル」だ。毎日新聞の記者は「これが勝敗を分けた」とまで断言している。今、メーカーには全国から問い合わせが殺到しているという。

先日のパパさんバレー大会の前夜、メンバーが何人か集まって練習をした。
センター攻撃の要として活躍しているAさんは、48歳という年齢を感じさせないアタックを打つ。優勝を狙っていたこともあり、試合前夜にしてはかなりハードな練習となってしまった。
練習後、Aさんに「今夜は酸素カプセルに入って寝ないと、明日決勝まで体力が持たないよ」と冗談を言ったら、「ドライアイスの入ったカプセルなら沢山持っている。酸素カプセルというより二酸化炭素カプセルなので逆に疲れるかも知れない」との答え。
葬儀屋さんの専務をしているAさんならではの見事な切り返しだった。

ある会社のバレー気違いの専務が「バレーばかりやって、サッパリ仕事をセンムだ」と社員から陰口をたたかれていたが、Aさんは仕事も真面目にこなしている立派な専務さんだ。



今年三回目となる畦道の草刈りが始まった。今回は田んぼを乾かす狙いもある。
水はけの悪い田んぼは、再度溝きり機を使って水が流れるようにするつもりだ。


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パパさんバレー大会

2006-08-27 21:45:30 | 趣味
一関市内の地区対抗のパパさん、ママさんバレーボール大会が開催された。
ママさんだけではなくパパさんも仲間に入れたところがこの大会のユニークなところ。
ママさんは26歳以上、パパさんは36歳以上が参加有資格者で、混合ではなく男女別に試合を行う。
以前はオパサンも参加していたが、若い頃のように動けなくなったこともあり、最近は農業に専念し興味を示さなくなった。例によってスポキチのオジサンは、年齢も省みず毎年参加している。
しかし、先般の右肩負傷のため、今回はベンチで監督として采配を振るう立場となった。
厳美地区は、新たに有力な選手が有資格者となったこともあり、久しぶりに優勝を狙ったのだが、残念ながら準決勝で敗退してしまった。

終わった後は、例によって反省会と称する呑み会がある。
試合を振り返りながらも、お互いの近況や巷の色々な情報交換が出来るのが楽しい。
最後はいつも「来年は優勝できるようなメンバーを揃え、練習もしよう」という意気込みを示して解散となるが、その意気込みを酔いの醒める翌朝まで覚えているメンバーは殆んどいない。



オジサンは肩を負傷したが、病院に行かず自然治癒を目指している。下手に病院に行ってギブスなどをはめられたら、農作業に支障を来たすだけでなく、使わない筋力が退化することを心配している。
右腕が肩から上にあがらないが農作業する分にはあまり支障がない。しかし、スポーツできる状態にはない。
それでも木曜日にバドミントン、土曜日にはバレーの練習に参加した。勿論右腕は動かせないので、左腕のみでプレーする変則となったが、コートの中に入ることにより心身ともに活性化し回復も早くなるのでは、という期待があった。

練習前の入念なウォーミングアップとストレッチが効いたのか、実際にボールに触れた練習が効いたのかは分からないが、右腕も大分上がるようになり、就寝中に痛くて目が覚めるというのも無くなった。
完治までには未だ時間がかかりそうだが、好きなことをやっていると病気や怪我も早期に撃退できるような気がしている。
コメント (2)
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