安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係
サラリーマン時代は、いつも焦燥感や不安感が付きまとっていた。
就農後は、それが消え満足感、幸福感、充実感の方が優っていた。
一体全体それは「何処から来ているのか?」と常々疑問に思いつつ、明確な根拠を見い出せないままと
なっていた。
「農業は生命の産業」だから、或いは「農業の魅力はお金では計算できない」等では、ややピント外れの
ような気がしていたし、「いつも家族と一緒だから」もやや限定的過ぎる解釈に思えた。
今のところ、先日紹介したデンマーク語の「ヒュッゲ」が一番近いような気がしている。
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今日も雪原から赤カブを収穫した。
夫婦一緒なら、これもヒュッゲの範疇かと思われるが、午前中は晴天だったにも関わらず、午後の畑は雪が
チラつき風も冷たかった。
歳を考えたら、こんなヒュッゲは避けるべきかもしれない。
昨日の告別式で、弔辞の奉読者は私も含めて四人だった。
最初の「女性教職者退職者の会」の弔辞が長かったが、先生の人柄や歴任した学校等々を初めて知ることが
出来て有益だった。
「教育熱心な先生」と周囲から評されていたとのこと。
小学校時代、百々孝子先生以外の先生の印象が薄かったのは「偶然では無かった」と得心が行った。
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祭壇に飾られた遺影を見つめながら弔辞を聞いている内に、「60年前を思い起こし」感傷的に
なっていた。
先生は子供達を可愛がり、子供達はみんな「先生が大好き」だった。
自分の番が来て弔辞を読み始めたら、途中から涙が溢れて来て文字が霞み、声も詰まってしまい、
「河内桃子さんの朗読」のように読むことは出来なかった。
一昨日、「新鮮舘おおまち」で出荷を終えて帰る際、どの道を通って帰るか、やや躊躇した後、
何故か普段あまり通らない道を選択した。
そして、街中にあるセレモニーホールの前を通り過ぎる際、掲出されていた葬儀の案内板を何気なく
見て通り過ぎた。
しかし、50mほど先に進んでから、案内板に記載されていた「百々」という珍しい姓の意味に気付き
衝撃が走った。
慌てて戻り詳細を確認したところ、案の定、小学校時代の恩師、百々孝子先生の葬儀の案内だった。
明確な根拠も無く普段通らない道を選択させたのは「恩師の意思」だったようだ。
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(恩師の「旅立ちの日」、久し振りに青空が広がった)
「弔 辞」
赤荻小学校時代の教え子を代表して、百々孝子先生のご霊前に、謹んでお別れのご挨拶を申し上げます。
先生には一年生、二年生、そして四年生のクラス担任として、三年間もご指導頂きました。
古びた木造校舎の教壇に立つ、若く美しい先生の姿は、子供心にも眩しく感じられ、皆の憧れの的でした。
当時の田舎は、何処も貧しく、学校に通うにも野山で遊ぶにも履物はゴム製の短靴が普通の時代でした。
戦後の「産めよ増やせよ」の団塊の世代だった私達を、三年生の担任だった男性教諭は、後年「お前逹は、
何をしでかすか分からないエネルギーを秘めていた」と評していましたが、「単なる悪ガキの集りだった」
というのが本音ではなかったかと思われます。
そんな、子供達に対し、途中で金森先生から百々先生に変わられた孝子先生は、叱ることも無く本当に
やさしく接してくれました。
放課後、オルガンを弾いている先生の周りに子供達が集まった時、当時は滅多に口にすることが出来なかった
キャラメルを御馳走になったこともありました。
個人的にも、先生との思い出は少なくありません。
自転車で下校途中の先生と道路ですれ違う際、自分の自転車のハンドル操作を誤って先生の自転車に衝突して
倒してしまったことがありました。また、作文の宿題の提出期限に困って、当時、弘前大学病院に居た母から
貰った手紙を丸写しして提出したことも思い起こされます。
そんな中で一番の思い出は、四年生の時に学校の廊下ですれ違う際、「良輝君は算数の天才だね」とニッコリ
笑って声を掛けてくれたことでした。
愚かな私は、その「励ましの言葉」を「誉め言葉」と勘違いし、ますます「勉強しない子になる」という過ちを
犯してしまいました。
しかし、社会人になって「先生の真意」を理解できるようになってからは、安易な形で周囲に迎合せず、信念を
持って臨む「心の支え」となりました。
そんな大恩有る先生に対し、同級会でお会いした際に「感謝の気持ち」を伝えたかったのですが、それを果たせ
ないまま今日を迎えてしまったことが残念でなりません。
当時の仲間の同級会は、これまで何度か開催して来ましたが、先生が出席出来なくなってからは参加者も少なく
なり、今は、市内在住者だけで「年に一度」集まるようにしております。
今年は、急きょ予定を変更し、「百々孝子先生に感謝する集い」と題して集まることにしました。
既に彼岸に旅立ち「自由な身」となりました先生にも、是非出席して頂き、改めて六十年前のご恩に感謝したい
と思っております。
会場は、山目小学校の近くに有る小沢食堂で、2月9日(金)6時開始となっております。
先生のお越しを心からお待ち申し上げます。
平成30年1月29日
赤荻小学校時代の教え子を代表して
熊 谷 良 輝
今、話題のヒュッゲを日本語で表現するのは簡単ではない。
今朝の毎日新聞の余録では「人と人とのふれ合いから生まれる、温かな居心地のよい雰囲気」という
解釈を紹介していた。
そして最後は以下のように結んだ。
「国連が12年に始めた幸福度調査でデンマークは4度1位、常連だ。日本は50番以下にいる。物質的な
豊かさは追わないが、ひと手間や時間は惜しまない。何より人とのつながりを重んじる。ヒュッゲにはそん
なヒントがありそうだ。」
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/ea/08cd7c0f6f6cfb7ab9760c0fe3c55a3e.jpg)
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最高気温が0℃の一日。
川向の雪原状態の畑で赤カブを収獲した。
売上額や利益を考えたら間尺に合わない仕事。
しかし、これも夫婦でやるとヒュッゲになるのかもしれない。
先日も書いたが、TVや新聞紙上での藻谷浩介氏の主張には共感出来る点が多かった。
それを今回の講演会でも確認出来たので、早速、氏の著書を読んで勉強することにした。
講演会の翌日(24日)にネットで注文したら、三冊とも今日届いた。
早速、一番興味のある「里山資本主義」から読んでみたい。
ちなみに、その本の背表紙には以下の「ウリ文句」が記載されていた。
「マネー資本主義の限界を何となく感じている日本人。 その不安と不満を解消し、
新たな豊かさを追求する、生き方の常識を変える”里山資本主義”!!」