霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

苗箱への土入れ

2006-03-31 18:57:31 | 
水稲の苗箱への床土入れは小さなベルトコンベヤー付きの機械を使ってやるが、人手も必要とする。機械に苗箱を入れる人、機械に土を入れる人、土の入った苗箱を機械から取り出して重ねる人、と最低でも三人が必要だ。それが一連の流れ作業となっているので、皆の呼吸を合わせて進める必要がある。当然一人でもコケルと作業がストップしてしまう。また、作業をしながら、土の量が適切か、土の塊や異物が混入していなか等のチェックもするので結構忙しい時間となる。
終わったものは写真のように重ねて置き、種蒔き機械に入れる時に取り出し易いようにしているのだ。
一度に全部はできないので、二回に分けて作業を進めているが、前半分の準備が完了した。

10日ほど水に浸していた種もみも、芽出し促進のため今朝育苗機に入れて保温している。
順調に行けば、明後日には種蒔きとなる。



オジサンがサラリーマンを辞めて三ヶ月が経過した。
この三ヶ月間は、振り返ってみると随分長かったような気がする。それぐらい中身が充実していたということか?(何事も都合よく解釈するのが特技)
「明日から新年度」などと思う気持ちがサラリーマン根性が抜けていない証拠だが、百姓一年生としては改めて新鮮な気持ちで、先輩(オバサン)の指導を受けることとしよう。

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水分神社の水

2006-03-30 19:03:32 | 生活
花巻に住んでいた七年前から、盛岡より少し南に位置する紫波町の「水分神社」のファンとなった。ふんだんに流れ落ちる水を3~4カ月周期で汲みに行っている。
2?~2.7?のペットボトル約50本に入れて持ち帰った後、必要の都度500m?のボトルに入れ替え、スポーツに行く時は勿論、仕事場、車、居間、寝室等でいつでも飲めるようにしている。朝、昼、晩と小まめに水を飲むようにしてから、人間ドックでの数値が大幅に改善され、「恵みの雨」ならぬ「恵みの水」となった。担当した医師が「あなたの年代でアラームが一つも無いのは珍しい」とコメントしたぐらだ。
この水は、美味しいのは勿論だが、ペットボトルに入れて空気に触れないようにして置くと一年ぐらいは保存がきくスグレモノなので、安心して飲むことができる。
「熊に注意」の立て看板がある薄暗い林の中に水分神社の社がある。その社の前に三箇所の取水口が用意されている。評判を聞いて遠くから訪れる人も多く、人の切れることが無い人気スポットとなっている。
ただ、急な坂道が300mぐらい続くので、冬場は車で行けないのが玉にキズだ。



昨日、「やはり娘の希望を叶えてやろう」との親バカ心理が働き、結局大沢温泉に行くこととした。それならついでに「水分神社まで足を延ばそう」ということになった。
生憎の小雪まじりの中、坂道の雪はもう解けたものと期待して車を走らせたが、最後の100mぐらいに根雪が残っていて登ることが出来なかった。
他の何台かは諦めて途中でひき返したが、「折角ここまで来たのだから」と残りの距離は得意の脚力と腕力でカバーすることにした。
転ばないように注意しながら雪の坂道を何回か往復し、何とか無事に新鮮な水を車まで運ぶことができホッとした。
帰路についた時は、グッショリかいた汗を拭きながらの運転となった。
豊沢川の流れと雪景色を眺めながらの大沢温泉が殊の外素晴らしかったことは言うまでもない。

世の中には色々な飲み物があるが、水ほど重宝で美味しいものは無いと信じている。
今回汲んで来た水は、炎天下の農作業の渇きを癒す「命の水」となるのだ。
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巣立ち そのⅢ ~娘が撮ったお宝写真~

2006-03-29 06:52:01 | 家族
娘と三人暮らしとなったのは八戸からだったと思う。四人兄弟の末っ子というよりは一人っ子という感じになった。
暇を見つけては十和田湖~奥入瀬~蔦温泉というお気に入りコースに出かけた。
その時、奥入瀬渓流で娘が撮った一枚が、思い出に残る写真となった。
丁度結婚25周年を迎えていたので、その写真を記念としてお世話になった方々に送ることに決めた。
送付の際に同封した挨拶状(原文のまま)と併せてご覧き、「巣立ちシリーズ」の終わりとしたい。



~ 皆様の温かいご支援に支えられて、私達夫婦は結婚25周年を迎えることとなりました。25年前の秋に、新婚旅行で歩いた思い出の奥入瀬渓流を、この新緑の5月に末娘(小学6年)を伴って散策して参りました。
娘が撮ったこの写真は、新緑と奥入瀬の清流、それに自然な雰囲気の二人がうまくマッチングした素晴らしい写真だと自画自賛しているものです。(撮影日:平成7年5月21日)
この記念となる写真をこれまでにご指導ご鞭撻を頂いた皆様方に、二人の感謝の気持ちとして送らせて頂きます。甚だ手前勝手な贈り物となりますがご笑納願います。
 この写真にタイトルを付けたいと考え「恋人達」「川の流れ」「新緑」「25年目の春」「夫婦」等々を検討致しましたが、いたずらにタイトルを付けるよりも写真をご覧頂いた皆様方の素直な印象にお任せした方が良いと考え無題と致しました。間違っても「たそがれ」とか「秋風」とか又は「すきま風」というような印象は持たれないものと確信しております。
 この10月26日で25周年の銀婚式を迎えるに当たり、四人の子供達に対しては、それなりのお祝いを期待しており、何もない場合は「離婚してやるぞ」と脅かしをかけておりますが、いずれも未だに親の脛かじり状態ですから、あまり多くは期待できないものと諦めております。
 人生90年時代を迎えていると言われておりますので、我々夫婦の人生もまだまだこれからです。サラリーマン生活、転勤生活も間もなく終りを告げようとしておりますが、退職後は、地元に腰を落ち着けて、一生できる仕事を見つけ、素晴らしい第二の人生、第二の青春時代を送りたいと考えておりますので、今後ともよろしくご指導のほどをお願い申し上げます。 ~

 
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巣立ち そのⅡ ~はなむけのご馳走~

2006-03-28 06:30:18 | 家族
旅立つ孫娘に「はなむけのご馳走をしたい」ということでバァチャンが出始めたばかりのヨモギを摘んで来てヨモギ餅を作った。本人がそれを喜んだかどうかは不明だが「ヨモギ餅おいしかったよ。バァチャン」と食べた後の一言を忘れないのがこの孫娘の隅に置けないところ。
実は、本人の本音として、高校時代を過ごした花巻に行き「大沢温泉で湯ッタリしたあと、美味しいお鮨を食べたい」という希望もあったのだが、もう農繁期が始まっているので、そんな時間的な余裕は作れそうもない。
昔から、お餅は田舎の最大のご馳走。ましてや、お鮨はお金さえ出せばどこででも食べられるが、バァチャンの心のこもったヨモギ餅は、いくらお金を積んでも食べられるとは限らない尊いもの。
社会人となって苦労を積めば、この味が益々恋しくなってくる筈だ。

孫娘との最後の夕食となる30日は、バァチャンが昼の内から粉を練って、得意のスイトンに腕を振るうに違いない。
普段はオバサンが食事の用意をするが、今週はバァチャンの出番が多そうだ。 



写真は、ヨモギ餅、納豆餅、エゴマ餅。昨夜はこの外に雑煮餅もあった。
我が家の餅のメニューとしては、この外にアンコ餅、ズンダ餅、ゴマ餅、ショウガ餅、クルミ餅などがある。
※一関地方ではヨモギではなくユムギ、エゴマをジューネという。また、スイトンはハット又はツメリが一般的。旧南部藩ではヒッツミというようだ。
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巣立ち そのⅠ ~ 子育ての終り ~

2006-03-27 13:05:59 | 家族
大学を卒業した下の娘が、週末に東京へ旅立つ。一ケ月間東京で研修を受けた後に配属先が決まるらしい。
この娘は三番目の次男とは八歳も離れていたことから、孫のような存在。上の三人に対しては厳し過ぎ、末っ子には甘やかし過ぎた傾向があった。
その反動は大学時代に現れた。
「北朝鮮に拉致されるぞ!」との親の反対を押し切り、治安の悪化やテロが心配されている時期に、約一ヶ月のヨーロッパ一人旅を三度も敢行したのだ。マドリードでテロが起きたときなどは、僅か数日の違いで難を逃れている。この二月下旬にも見聞を広げるためと称して、台湾と米国へ二週間の一人旅をして帰って来たばかりだ。
恥ずかしながら親は海外旅行の経験が無い。JTBに勤務する友人に確認したところ「海外の一人旅は男でも危ない時代」とのことだった。
無事に帰国するまでハラハラのし通しとなった。

そんなワガママ娘であったが、持ち前のキャラクターで家庭をいつも明るくしてくれた。家庭に子供が居る事の大切さを教えてくれた娘でもあった。
減収に悩む某放送協会への就職となったが、良かれ悪しかれ自分の個性を発揮できるような人生を歩んで欲しいと願っている。

長男誕生から末娘の旅立ちまで35年間。「貧乏人の子沢山」とは良く言ったもので、遣り繰り上手のオバサンの奮闘無くしては実現しなかった我が家の「子育て」がここに完了した。
一抹の寂しさを感じつつ……。


(個人情報保護のため? 顔の写っていない写真を掲載)
小学5年の娘にグランドでバレーボールの個人レッスン。オジサンの強い希望で高校までバレーボールを続けたがモノにならなかった。スポーツに熱くなるタイプでは無かったようだ。
ちなみにアンダーパスのこのフォーム、形はできている。しかし、ボールを受ける前であれば×、ボールを受けた後であればGood。
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