つー助さんの告別式が宮城県栗原市の玉泉寺で行われた。
同じ「農業の師匠」でも一昨年に逝去した厳美の敏明さんは80代半ば、一方のつー助さんは未だ
40代半ば。
同じ「先立たれる」でもショツクの度合が違った。
涙で文字が曇り、声も震えたり詰まったりで、たどたどしい弔辞の奉読となってしまった。
弔 辞
つー助さん、聞こえますか。
あなたの突然の訃報は、まさに「寝耳に水」のことで、妻も私も暫し茫然としてしまいました。
五年前、癌が見つかって磐井病院で摘出手術をし、退院後は直ぐに仕事に復帰しながら癌と闘い
を続けていたことは知っていました。
しかし、その後数年が経過し、時々朝の産直で顔を合わせた際は元気そうにしていたので「癌は
既に克服したもの」とばかり思い込み、挨拶代わりの「体調の確認」も最近は省略気味となってい
ました。
それだけに突然の訃報は大きな驚きとなりました。
人は歳の順に人生の幕を閉じるとは限りません。
しかし、自分の息子と同年代の貴方に先立たれるのはまさに「断腸の思い」です。
貴方が野菜作り専業農家として高い志を持って精力的に取り組んでいたことを知っているだけに
尚更のことでした。
夢に向かって進む途上で断念せざるを得なかった貴方の心情を思うと「絶句するのみ」となって
しまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/1f/0685a94115b1bcd04d2a8d753efd8999.jpg)
思い起こせば貴方との交流は、十年前から始まりました。「新鮮館おおまち」の生産者仲間を集め、
貴方が主宰した月に一度の勉強会がスタートでした。その勉強会は、野菜作りとその販売経験が
豊富な貴方が講師を務めました。
一関にも野菜作りに詳しい人は少なからず居ますが、販売に関する知識をも併せ持つ人は皆無と言っ
ても過言ではありません。
種苗会社が品種改良した新しい野菜の紹介や店頭に並べる際の量目や値付け方法等々、勉強会は
貴方が長年蓄積して来たノウハウを余すところなく伝授する場となりました。
勉強会終了後には、参加者個々人の相談に応ずる場も設けられ、親身になって対応していました。
また、貴方が事前に下見をして選定した東北各地の産直や農業施設を見学するバス旅行も何度も
企画して頂きました。それが生産者仲間の見聞を広めるのにどれほど役立ったか計りしれません。
初めて農業に挑戦することになった我々夫婦にとって貴方はまさに「救世主」のような有難い存在
となりました。
たまたま我が家が、金成から厳美の「道の駅」に向かう途中に位置していた関係も有り、立ち寄って
ハウスや畑の野菜の生育状況を見て具体的なアドバイスを頂いたこともありました。その際、お茶を
飲みながら貴方が全国各地を回って得た新しい農業情勢を聞くのが有意義で楽しいひと時となりました。
私が就農以来、毎日発信し続けている農業ブログもいつもチェックしてくれ「つー助」というニック
ネームでコメントを入れ激励してくれたことも忘れられません。
そんな活動を通して仲間を指導し、店頭に並べる野菜の品質向上に大きく貢献してくれた貴方に、
勉強会仲間を代表して改めて心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/7f/bac86818918799366dbb3a81d97ecd77.jpg)
貴方は若いにも関わらず「芯の強い人」でした。どんな苦しい状況に置かれようとも弱音を吐くことも
なく「力強く、前向き」に進む人でした。数カ月してから「実はあの時こんな苦しい状況だった」と
心情を吐露する長文のメールを受け取って驚いたこともありました。
そんな貴方の性格を知っていながら、必死になって癌と闘い続けていたことに全く気付かなかった私は
本当に愚かでした。
貴方との最後の会話は昨年の十二月上旬だったでしょうか。ある件で貴方の見解を聞きたくて少し長め
の電話をしました。その時も自分自身の身体の不調には一言も触れることなく、いつもの元気な頃の
様子で受け答えをしてくれました。
昨夜の通夜の席で「五年前の手術以降ずっと癌と闘い続けていて、最近は入退院を繰り返していた」と
お父様から伺い貴方の「強さ」を改めて再確認した次第です。
つー助さん、外は昨日から大雪となり天も貴方との別れを惜しんでいるかのようです。
若くして彼岸に旅立つ貴方の口惜しさを思うと胸が押し潰されそうになります。
しかし、「魂は永遠に生き続ける」と私は信じています。
この世で果たせなかった夢に向かって今度は天国で再チャレンジして下さい。
いずれ、我々夫婦が後を追った際に、天国の農業情勢について熱く語る貴方に逢えるのを楽しみに
しております。
平成27年1月31日
勉強会仲間を代表して
熊谷 良輝
同じ「農業の師匠」でも一昨年に逝去した厳美の敏明さんは80代半ば、一方のつー助さんは未だ
40代半ば。
同じ「先立たれる」でもショツクの度合が違った。
涙で文字が曇り、声も震えたり詰まったりで、たどたどしい弔辞の奉読となってしまった。
弔 辞
つー助さん、聞こえますか。
あなたの突然の訃報は、まさに「寝耳に水」のことで、妻も私も暫し茫然としてしまいました。
五年前、癌が見つかって磐井病院で摘出手術をし、退院後は直ぐに仕事に復帰しながら癌と闘い
を続けていたことは知っていました。
しかし、その後数年が経過し、時々朝の産直で顔を合わせた際は元気そうにしていたので「癌は
既に克服したもの」とばかり思い込み、挨拶代わりの「体調の確認」も最近は省略気味となってい
ました。
それだけに突然の訃報は大きな驚きとなりました。
人は歳の順に人生の幕を閉じるとは限りません。
しかし、自分の息子と同年代の貴方に先立たれるのはまさに「断腸の思い」です。
貴方が野菜作り専業農家として高い志を持って精力的に取り組んでいたことを知っているだけに
尚更のことでした。
夢に向かって進む途上で断念せざるを得なかった貴方の心情を思うと「絶句するのみ」となって
しまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/1f/0685a94115b1bcd04d2a8d753efd8999.jpg)
思い起こせば貴方との交流は、十年前から始まりました。「新鮮館おおまち」の生産者仲間を集め、
貴方が主宰した月に一度の勉強会がスタートでした。その勉強会は、野菜作りとその販売経験が
豊富な貴方が講師を務めました。
一関にも野菜作りに詳しい人は少なからず居ますが、販売に関する知識をも併せ持つ人は皆無と言っ
ても過言ではありません。
種苗会社が品種改良した新しい野菜の紹介や店頭に並べる際の量目や値付け方法等々、勉強会は
貴方が長年蓄積して来たノウハウを余すところなく伝授する場となりました。
勉強会終了後には、参加者個々人の相談に応ずる場も設けられ、親身になって対応していました。
また、貴方が事前に下見をして選定した東北各地の産直や農業施設を見学するバス旅行も何度も
企画して頂きました。それが生産者仲間の見聞を広めるのにどれほど役立ったか計りしれません。
初めて農業に挑戦することになった我々夫婦にとって貴方はまさに「救世主」のような有難い存在
となりました。
たまたま我が家が、金成から厳美の「道の駅」に向かう途中に位置していた関係も有り、立ち寄って
ハウスや畑の野菜の生育状況を見て具体的なアドバイスを頂いたこともありました。その際、お茶を
飲みながら貴方が全国各地を回って得た新しい農業情勢を聞くのが有意義で楽しいひと時となりました。
私が就農以来、毎日発信し続けている農業ブログもいつもチェックしてくれ「つー助」というニック
ネームでコメントを入れ激励してくれたことも忘れられません。
そんな活動を通して仲間を指導し、店頭に並べる野菜の品質向上に大きく貢献してくれた貴方に、
勉強会仲間を代表して改めて心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/7f/bac86818918799366dbb3a81d97ecd77.jpg)
貴方は若いにも関わらず「芯の強い人」でした。どんな苦しい状況に置かれようとも弱音を吐くことも
なく「力強く、前向き」に進む人でした。数カ月してから「実はあの時こんな苦しい状況だった」と
心情を吐露する長文のメールを受け取って驚いたこともありました。
そんな貴方の性格を知っていながら、必死になって癌と闘い続けていたことに全く気付かなかった私は
本当に愚かでした。
貴方との最後の会話は昨年の十二月上旬だったでしょうか。ある件で貴方の見解を聞きたくて少し長め
の電話をしました。その時も自分自身の身体の不調には一言も触れることなく、いつもの元気な頃の
様子で受け答えをしてくれました。
昨夜の通夜の席で「五年前の手術以降ずっと癌と闘い続けていて、最近は入退院を繰り返していた」と
お父様から伺い貴方の「強さ」を改めて再確認した次第です。
つー助さん、外は昨日から大雪となり天も貴方との別れを惜しんでいるかのようです。
若くして彼岸に旅立つ貴方の口惜しさを思うと胸が押し潰されそうになります。
しかし、「魂は永遠に生き続ける」と私は信じています。
この世で果たせなかった夢に向かって今度は天国で再チャレンジして下さい。
いずれ、我々夫婦が後を追った際に、天国の農業情勢について熱く語る貴方に逢えるのを楽しみに
しております。
平成27年1月31日
勉強会仲間を代表して
熊谷 良輝