霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

「初売り」

2024-01-02 17:36:21 | 生活
    1月2日の「初売り」とは無縁の生活を続けていたが、妻がラジオを買い
たいとのことだったので箱根駅伝観戦後にケーズ電気に向った。
 混雑する時間帯は過ぎたものと予想して店内に入ったら、レジが長蛇の列を
為しているのに驚いた。
 ついでにDVDブレーヤーについても店員に話しを聞きたいと思ったら、それも
順番待ちで117番の番号札を渡されてしまった。 
 昨日の毛越寺もそうだったが敢えて混雑が予想される日に出歩く必要性は無い
ので、いつものように平日の閑散時間帯とすべきだったと悔やまれた。
 人並みに正月気分を味わっている内に判断基準が狂ったのかもしれない。


 写真は ふもとっぱらキャンプ場から見た今朝の富士山。
 年末に帰省しなかった次男が送ってくれた。
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2024年元旦 その二 配志和神社

2024-01-01 20:36:55 | 生活
 午後は録画していた映画を鑑賞するつもりだったが、今朝の地元紙で紹介して
いた中尊寺と毛越寺を山間で結ぶコースを「歩いてみたい」という妻と娘に誘わ
れて出かけることになった。
   しかし、厳美から毛越寺に向う途中で大渋滞に巻き込まれ、辿り着けそうに
かったとから娘の提案で配志和神社に変更することになった。

 配志和神社は山目中学校の裏山と地続きだったため野球部の冬場のトレー
ニング舞台で長い石段(446)を往復したり、神社前の広場でキャッチボール
軽いトスバッティングをした昔のことを思い出した。
   更には、完全に忘却の彼方となっていたが53年前の結婚式の会場だったこと
にも気がついた。

 石段を昇るのは中一以来だったが、途中で股関節がグラグラしてしまった。



 

 
 中学時代は全く無関心だったが、神社が千年を超える歴史を刻んでいる
ことや神殿前の左右に佇立する2本の杉の大木も樹齢千年を超えていること
を初めて知って驚いた。
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2024年元旦

2024-01-01 11:22:39 | 生活
 明けましておめでとうございます。
 本年も宜しくお願い致します。






 
 朝食後、徒歩5分の滝津姫神社に家族で参拝した。
 その後、裏の200m先にある自家水道の水源に向う途中、雲間から太陽が
顔を出したことから改めて姿勢を正し「二礼二拍手一礼」で新年に向け決意
を新たにした。

 自家水道の水源は、3.11の大震災で電気や水道が一週間使えなくなった
際も高低差で水道の蛇口に水を供給し続けてくれた「命の井戸」なの毎年
欠かさず参拝を続ている。
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餅文化

2023-12-30 18:08:19 | 生活
    当地の食文化として元旦には餅を食するのが一般的
   我が家の場合は、年末に準備していた切り餅をアンコ、納豆、キナ粉、雑煮等
に入れて食する。
 前夜に「年越しのご馳走」をたらふく食べた翌朝なので、個人的には麺類等で
軽く済ませたいところだが長年の伝統に従っている。
 今の若い人も餅をあまり歓迎しないらしく正月でも餅を食べない家庭が多く
なっている。
 いつもお世話になっている東京の知人に米と一緒に餅米を送っていたが若い
奥様が餅米の使い方が分からないため「使わないまま古くしている」と聞いて
ガッカリしたことがあった。
 餅米は餅に限らずオコハや炊き込みご飯等でも美味しく食べられること
知らなかったようだ。

         (久し振りに雪の無い「年越し」となりそうだ)

 あまり大きい声では言えないが、最近まで餅はあまり好きでは無かった。
 それでも、切り餅を冷凍保存しておいてウドンや蕎麦に入れたり、オヤツに
するようになってから考えが変わった。
 餅は漬け物同様に先人達の知恵の結晶のような気がしている。
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2023-10-01 22:27:59 | 生活
 お彼岸が過ぎても産直の餅米の動きが活発なのは「栗ご飯の季節だから」
らしい。
 そんな世の中の流れに誘発された訳でも無いが、今朝、偶然に栗を拾う
機会に恵まれ、奥様はそれを使って早速「栗ご飯」を作った。


 青森の三内丸山遺跡時代の主食は栗とのことだが、子供の頃、シーズンに
なると毎日のように栗拾いをし、時には空腹を満たすこともあった。
 特に、台風過ぎ去った翌朝は沢山落ちていることから、前日は遠足前夜の
ようにワクワクしながら眠りに就いたものだった。
 そんな昔を思い出しながら「栗ご飯」の前に煮栗を酒の肴にしてみた。
コメント (1)
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