今朝の毎日新聞社説は「日本政治この一年 国会軽視で進んだ大転換」と題し
主張していた。
「ロシアによるウクライナ侵攻を受け、専守防衛の原則に基づく戦後の安全
保障政策を大きく変えた。
増額する防衛費の財源は、借金や増税で賄う。東日本大震災による事故の
反省を踏まえて控えていた原発の新増設にも乗り出した。いずれも、秋の臨時
国会が閉会した後、国民的な議論を尽くすことなく政府が相次いで決定した。」
同様に、若い頃、NHKの朝の顔だった下重暁子さんも「気がついた時は
遅し」(週刊朝日2023年1月6-13日合併号) と題し、自らの戦争体験を踏まえ
書いていた。
なんとも、もやもやしている。このもやもやを引きずったまま、新しい年を
迎えるのがやりきれない。
例の安全保障関連三文書である。日本が軍拡の世界的流れに乗るのか、違う
方向はないのか。国会での論戦もなく、閣議決定してしまう。何のために私た
ち国民の代表たる国会議員がいるのか。国民はもっと怒らねばならない。
敵基地攻撃能力を持つことが抑止力になるという、一見もっともらしい理屈に
疑問を持たないではいられない。そのあたりがあいまいなまま次の段階に踏み
込んでいく恐ろしさ!
私は太平洋戦争を知っているから、国民は何も知らず納得しないまま、気がつい
たら空襲警報のただ中にいたことを忘れない。いつだってそうなのだ。気がついた
時には戦争にすでに入っている。
なぜその前に国民に知らせ、議論する過程が明らかにされないのか。閣議決
定とは何と為政者に都合のいいものか。しかも今回は、首相自身の考えがどこ
にあるのかはっきりしないうちに、うやむやに進んでしまう。
果たして首相としての肝の据わった判断があるのか。世情の流れを見て、
都合のいい方に乗っている気がする。だからこそふわふわとして国民は落ち着か
ないのだ。気のせいか首相の言葉にも重みや決意が感じられず、どことなく頼
りない。
日本は何かを決定する過程が常にはっきりしない。うやむやのうちに事は進
行している。気がついた時はすでに遅しである。岸田首相は事の決定が遅いと
いわれるが、日本の将来の運命を決める大事には、時間をかけて、納得できる
論議と説明が欲しい。でなければ、再び前の戦争の二の舞いになる。二度とご
めんだ。
2022年を表す文字は戦だという。ウクライナをはじめとする紛争がその
理由だろうが、実は来たるべき戦を示唆しているといってもいい。
気がついたら戦争に巻きこまれているということのないよう、教育費や復興
予算などにあてるべき税金が知らぬ間に防衛費に使われないよう、見張らねば
ならない。
マスコミの役割は大きい。財源もうやむやなまま、経済界を巻きこんだ経済
効率から戦争を考えるなどとんでもない。
もっとも冷静であるべきマスコミが、まっ先に国のお先棒をかついで、自己
防衛に走るのはいかがなものか。
かつてそれに似たことが太平洋戦争の始まりにもあった。もう一歩、人と人
との話し合いや日頃からの信頼があれば避けられたこともあったのではないか。
ここは、日本の舵取りが試される時だ!
サッカーワールドカップ決勝戦の結果を決めたのは、アルゼンチンの監督の
采配だった。
優勝を決定したPK戦で全員が決めたのは、長い試合を見越して疲れのない
選手を残しておいたから。フランスはすでに疲れ切っていた。
長い目で何が勝利に値するか。人と人が積み上げた実績が最後に物を言うの
ではなかろうか。