魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

約束の(2)時代考証 

2009年08月16日 | 動物

40歳以下の人には、イメージできないだろうと思う情景の一つが、野良犬が町中を勝手に歩いている風景だ。

古来より、日本には犬が勝手に暮らしていた。
絵巻や浮世絵の中にも、ちゃんと描き残されている。

今、それと同じようなものを想像するとすれば、カラスだ。
人間の中で暮らし、つかず離れずの集団生活をしている。
人間は困ったやつだと思いながらも、直接の害がない限り放っておく。

古典落語の中でも、魚屋の店先で魚を盗んでいくのは犬だったりするから、飼い犬と野良犬との境界は、あまりはっきりしていなかったようだ。
カラスは飼う人もいないが、人なっこい犬には餌をやったり、家で飼ったりしたのだろう。(カラスも餌をやると次から必ず飛んでくる)

縄文人の伝統からすれば、犬は狩りや生活を供にする家族だが、弥生人にとっては家畜だったようだ。(弥生遺跡からは食べた犬の骨が出る)

花咲じいさんは縄文系で、桃太郎は弥生系だ。ついでに言えば、花咲じいさんの隣の意地悪じいさんは弥生系だ。役に立たなければ殺してしまう。(本当は食べてしまったに違いない)

日本の町や村では、昔から、犬とそんな関わりかたをしてきた。
かわいがる人もいれば、野良犬を捕まえて食べてしまう人もいる。
だから、生類憐れみの令は悪者になった。

戦後も昭和30年頃までは、保健所とは別に、犬殺しとか犬捕りという商売があって、それで生計を立てている人がいた。
4~5才の頃、そういう人が、野良犬を捕まえて、河原で殺して皮を剥いでいったのを、子供達が皆見に行ったが、軟弱者だったので、何が起こるか解ったところで引き返した。
見てきた連中が、得意そうに事の子細を話していたが、多分、その連中は、いまでも、躍り食いや、活け作りを喜ぶのだろう。

人権も希薄だった頃は、犬の立場など、カラス以下だった。
カラスには羽根があるが、ネコは三味線の為に捕まったし、犬は毛皮や肉の為に捕まった。逆に、子供が犬の集団に襲われることもあったし、江戸時代には行き倒れが犬に襲われた。

忠犬ハチ公は、そんなワイルド・タウンの時代、犬が厳しくも自由に生きていた時代の話だ。舗装されない土の道の至る所に犬の糞が転がり、ハエが群がっていた。

今の時代、ハチ公が駅に通ったら、3日目には保健所に連れて行かれてしまうだろう。