東京アイランド

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本日は強風のため欠航

2020-11-09 07:21:59 | 2014~2020青ヶ島

 11月9日月曜日。朝の天気ニュースで伊豆諸島では本日の未明、強風が吹き荒れていましたと出ていました。まだ波が高く、本日は欠航となりました。東京から八丈島ゆきの「たちばな丸」は御蔵島を通過して、予定より20分早い8時30分頃入港する予定です。

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長門二見駅(その2)

2020-11-09 00:05:23 | 2020_秋_山口帰省


  1977(昭和52)年の動画。もう43年前になります。山陰本線は比較的平らなところが多いので、ほとんどエンジン1基のキハ20配置。高出力の2基搭載していれば、キハ52に分類。

 国鉄時代なら、「名所案内 ・二見夫婦岩 徒歩40分 ・土井ヶ浜海水浴場 当駅からバス20分」とかの看板だったけど、「豊北町観光案内マップ」に差し替え。2005(平成17)年に下関市と合併する前なので、かなり昔からあったと思われます。

 「く」の字みたいに曲がって、阿川で再び海岸に出るようなルート。

 大正期に山陰本線最後の連結区間として、この地域の鉄道敷設が行われた。当時、日本海岸沿いに敷設される予定であった本線だが、地域の要望や予算等により、滝部駅と特牛駅の2駅が内陸に置かれるような敷設となった。そのため本線は長門二見駅周辺で、ほぼ90度方向転換する。
 <ウィキペディアの情報より>
 写真は大正14(1925)年開業当時のもの。駅舎はなかなか見つからず・・・。今年は2020年なので、長門二見駅も95歳になります。大正時代の技術で鉄橋を架けられるとはすごい。今も現役でディーゼルカーのキハ40やキハ47が通っています。

 開業当時、大正時代に製造された蒸気機関車(形式名不明)が8両や10両など長編成の客車を連結していたため、ホームはとても長いです。昭和に入り、D51(デコイチ)。最後に引退したのは1974(昭和49)年。デコイチから主役はDF50のちDD51にバトンタッチ。
 1992(平成4)年頃から山陰本線におけるDD51が牽引するオハ50系客車は引退。

 当時の時刻表は朝5時から23時まで1時間に1本あったのに、現在はかなり合理化が進み、本数もかなり減少させられている。

 国鉄時代の待合室および駅員詰所跡地。手前が待合室で向こう側は詰所。
 2010(平成22)年8月、不審火により全焼しました。

 四角い跡は木造ベンチがあったところ。真冬は冷たい風が吹き荒れるところなので、よく利用していました。

 幼い頃1人で行動はできなかったので、祖母や伯母に連れられてそこで汽車が来るまでそこで待っていた記憶が・・・。

 1989(平成元)年に無人駅化になって30年。手入れする人がいなくなっても、植木は生きている。

 いつの間にかモニターが取り付けられていました。ほとんど1両や2両編成のワンマンで運行し、長編成の汽車が来ることは滅多になくなったのに、これは何を映るんですかね・・・・。

 出入口に近い方の花壇。昔はきれいに植えられていた記憶があるんですけど、今はどなたも管理していないので、ご覧のとおりに・・・。

 長門二見駅の活性化を考えてみましたが、やはり、週末の土日に運行する快速「〇〇のはなし」号が下関駅を出発した直後、二見駅弁を希望する人を募り、アデンタントさんが必要な個数を電話。二見駅に停車させ、海辺の小さなレストランのシーフレンズふたみ謹製の「お刺身定食弁当」を積み込み。東萩方面はお昼時の11時20分頃通過なのでお弁当の需要もありそう。

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