ひびレビ

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「猿の惑星:新世紀」を見て

2015-07-11 08:21:27 | テレビ・映画・ドラマ
 「猿の惑星:新世紀(ライジング)」を見ました。

 前作「創世記」において、親に投与された薬の影響で、目覚しい知能を持った猿・シーザー。シーザーは妻をもうけ、息子のブルーアイズや仲間のコバ、彼の息子のアッシュらと共に狩りなどで生活を営んでいた。
 一方人間はといえば、前作ラストで爆発的な感染力を持つ猿インフルが蔓延し、どこの町も荒れ放題に。かろうじて生き延び、免疫をもった人間たちが町に電気を引くべくダムの調査に向かったところ、そこでブルーアイズとアッシュに出くわすことに。
 人間の1人がアッシュを撃ったものの、シーザーは争いを始めれば家族が傷つき、命を落とすことが分かっていたために群れを制止させる。シーザーは後に仲間を率い、人間たちの集落に姿を見せて「二度と来るな」と忠告。
 しかしマルコムはこのままでは生き延びた人間たちの生活も危ぶまれるため、再度シーザーたちのもとを訪れ、ダムの復旧作業だけはさせて欲しいと懇願する。シーザーはそれを聞き届け、途中トラブルが発生しつつも、少しずつ人間と猿との交流が始まっていった。

 だがそれをよく思わないのがコバだった。コバはかつて施設で人間により体にメスを入れられており、人間への並々ならぬ復讐心を抱いていた。当初はシーザーに忠誠を誓っていたコバだが、人間に情けをかけるシーザーに苛立ちが募り、遂には人間を内密に殺害。更に人間から奪った銃を用いてシーザーを撃ち、それを人間の仕業だといって仲間たちをたきつける。コバは猿たちを率いて人間の集落を襲い・・・


 前作はシーザーが知能を持つようになり、事件を起こしたことをきっかけに猿の管理施設に入れられたものの、そこからの脱走を図り、人間への反旗を翻した大騒動に・・・という数々の変化が描かれていました。一方今作は、そうしてねじれた関係を、いくつもの困難がありつつも少しずつ改善されていきました。一歩間違えれば人間と猿の戦争が始まる。そんな緊張状態の中での、微々たる変化が描かれていたように思えます。静と動が繰り返し描かれているような幹事でした。

 家族を大切に思うシーザー。今でこそ猿たちと一緒に暮らしているとはいえ、元々は人間と暮らしていましたから、人間の中にも良い人間と悪い人間がいるというのをきちんと理解していたのでしょう。だからこそマルコムにもチャンスを与えたわけですが、銃を隠し持っていた人間のせいで、一時は台無しになりかけました。
 それでもそこから持ち直し、シーザーとマルコムは最終的には「友」と呼べる関係に至りました。人間と猿。種族の違う2人ではありましたが、共に家族を大切に思う気持ちは同じ。見た目は違えども、歩み寄れば理解しあうことができるという可能性を見せてくれました。


 仲間の猿たちへの思いと、人間への思いで揺れるシーザーもまた渋くてカッコよかったですが、彼の息子であるブルーアイズの成長もまた良かったです。人間に命を狙われ、生まれたばかりの弟の命までもが危機にさらされてなお人間にチャンスを与える父シーザーに疑問を抱いていましたが、いざコバの主導で争いが始まると、目の前の光景にブルーアイズは戸惑ってばかりでした。いくら数が多くても、人間の銃によって一瞬で仲間たちは死んでいきました。
 更にコバは、人間を殺せという命令に対し「シーザーは望まない」と答えたアッシュを階上から落として殺すという、仲間を仲間と思っていない行動を見せます。こういった数々の現実を見て、自分が間違っていたと気づくブルーアイズ。「戦って勝つ」というのは聞こえはよく、戦いを始めるのは簡単なことです。しかしその裏側では多くの命が簡単に失われていく。それを言葉ではなく肌で感じてしまったからこそ、ブルーアイズは自身の間違いに気づけたのでしょう。
 父と息子の和解、そして一命は取り留めたものの負傷したシーザーの代わりに、自分が力になるといって立ち上がったブルーアイズもまたカッコよかったです。


 人間の悪い部分しか知らないコバの一方で、シーザーと妻との間に生まれた新たな赤ちゃん猿は、人間の善悪を知らないためにマルコムの仲間たちにも恐れを抱くことなく、興味深そうに接していきました。新世紀を作っていくのは、こうしたこれまでのいざこざに捕らわれない、新しい世代の子供たちなのだと感じました。
 また、悪いのは猿ではなく、薬を作り出した科学者たちという台詞もありました。確かに猿たちも反乱は起こしたものの、何も望んで病気を広めたわけではないでしょう。少し考えれば分かることですが、つい忘れがちな部分だとも思います。今起こっていることばかり見るのではなく、その原因は何か、本当に問題とすべきなのは何かを考えることも大切です。


 ラストは再び猿と人間の戦争が始まる・・・といった幕引きでしたが、これもまた1つの「新世紀」を示しているのかもしれません。人間が勝って「猿の惑星」にならずにすむのか、はたまた「猿の惑星」になるのか。もしくは友好関係を結ぶ・・・のは難しそうです。
 「創世記」と比べると、先に述べたとおり一歩間違えると戦いが始まるというハラハラ感の強い作品でした。
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