徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

多度津から府中へ、後編

2023-07-09 22:53:53 | 乗り鉄と帰省の道中


先日、散歩の途中で猛烈な夕立に遭遇。半時間近く雨宿りしてやっと歩けるようになりました。大気の状態が非常に不安定って言うのは最近の流行語か?


一見カステラに見えるこのお菓子はプリンです。家内の推しのスケーターが某番組出演時に食したフォークで食べる固いプリンだそうで、ねだられて早速通販で申し込んだら案の定一ヶ月待ちでした。ジジイには胸焼けしそうで、私はモロゾフのがエエです。

岡山県に入って真鍋島に着くところからです。


真鍋島が見えてきました。


土曜限定のこの便で県境を越えて真鍋島に来た方も数人いました。


左側がここまで乗って来た「つむぎ」、右はこれから乗る笠岡行き「ニューかさおか」。ほぼ同型に見えます。


「ニューかさおか」も独法「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」が援助してる様です。


接続良く出航。


暴露甲板。私は船に乗るとたいがい船室には入らず甲板で過ごします。欠点は、この時もそうでしたが風向き等で排気ガスを浴びることになります。船室は土曜の夕方で笠岡や福山に行くと思われる方で結構埋まってました。


左の白っぽい建物は教会かと思ったんですが、地図で確認すると集会所の様でした。しかし、ここでもストリートビューが少し見られます。グーグル恐るべしです。


ここは最初の寄港地、北木島。一名乗船して直ぐに出発。桟橋を戻る方は形ばかりの舫を取りに来た方です。


地図で見ても名前が分からなかった岩礁。人工的に石組みしたようにも見えます。


遠方に白いフェリーが続行。この船は後で出て来ますが、笠岡と北木島や白石島間は今乗ってる三洋汽船の他に二社が運航していると言う海の幹線?そう言えば、三洋汽船は同名の会社が中洲にもありました。県が違うんでええんでしょうね。


この灯台のある岩礁は白石島と高島の間にある「沖の白石」の様です。遠方に前編で見かけた黒隆丸が福山に入港するところです。


福山の製鉄所。元・日本鋼管で、確か専用線があったと思うんですが、今も健在かな?


白石島には小型フェリーが接岸中。「さんよう」は検索すると、やはり三洋汽船の笠岡-白石島航路用で150トン。元は備後商船の「フェリーびんご」だそうです。これも芸予型フェリーですね。


白石島でも数名の乗船あり。


ここも1分掛からないくらいで出港。


北木島のところで見かけた白いフェリーは船体のFUJI LINEから検索すると、瀬戸内海中央観光汽船の「第二十一金風呂丸」の様です。笠岡-白石島-北木島の運航で、金風呂(かなふろ)は北木島にいくつかある港のひとつですが、名前の由来は分かりませんでした。


白石島と高島の間は東西を結ぶ主要航路のひとつみたいです。


笠岡港に向かっています。川を遡行してる様なカンジですが、地図を見ると右側は埋立地の様です。


この橋は神島(こうのしま)大橋だと思います。ウィキによるとやはり笠岡湾干拓で島が一体となった様です。


奥の橋のところは狭くなってますが、その後は広い入り江の雰囲気。


また小型フェリー。笠岡フェリー「第拾八大福丸」とあります。


反対側には似たようなフェリーが航行中。こっちは「第弐拾八大福丸」198トン。これも芸予型になるんでしょうか?船尾が独特の形状です。ネットによると「第拾八」の方は現在チャーター用だそうです。


清笠丸68トン。笠岡市所有のフェリーで、各島のし尿やゴミ収集パッカー車専用だそうです。


更に凄いのがこの「みたけ」で、救急艇だそうです。時速34ノットの高速艇内部に救急車と同じ設備を備え、搬送航海中に医療行為が行えるとのこと。以前は一般の高速艇で運んで救急車に移送していたそうですから著しく向上です。市内の離島に対する公共サービスが充実してるなと感じます。


コーナンは大阪市、マルナカは高松市に本社がある会社で、どっちも徳島市内にも店舗がありますね。徳島の大型店舗はほぼ県外組ですよ。


笠岡港の桟橋に到着。


他にも似たような高速船が数隻繋船中。


待合室のパネル。市内になる島々に小まめな航路が設定されてます。


これは各島の学校給食運搬用コンテナだと思います。後には冷蔵ロッカーもありました。


いよいよ列車に乗ります。笠岡駅の北口になるのか、山側の入り口です。


港からは国道2号線を越えれば直ぐに駅が見えてくるんですが、海側の入り口がない・・・港との往来があるはずやしと思ったら地下道がありました。右の商業施設手前にあるんですが、表示がなくて気付きませんでした。


こっちは福山方。地図で見ると、先の陸橋右辺りから旧・井笠鉄道本線跡通りと言うのがそれらしいカーブで山の方に続いてます。


一本見送って、和気始発の福塩線直通に乗ります。105系かなと思っていたら115でした。土曜の夕方で中高生で満員。福山で入れ替わって、やっと座れました。


岡山の115は凄く近代化された車両もよく見ますが、この日乗ったのはほぼ原型のまま。昔、高崎線で乗っていた300番台を思い出しました。300番台と400番台の違いは入り口脇手摺りの天井取付部がこの車両のようにペンキ塗りかメッキかで判断してました。


府中駅ホームから塩町方向を見たところ。ここから非電化となる線路が緩い坂を上ってます。


福山からもずっと混んでいて車内は撮れませんでした。途中、随分乗り降りあるなと思ったら井原鉄道との接続駅の神辺でした。井原鉄道はここに繋がっとんかと今頃知りました。


狭いながらも2面4線。模型のレイアウトみたいです。


車庫と留置線もあります。昔は府中電車区があったそうなんですが、いまは岡山区に統合されたようです。


立派な貨物ホーム跡が残ってます。貨物を牽引していた電機は何だったんだろ?


最後に駅前。市の中心駅にしては寂しい。この後コンビニで食料調達して宿泊先に向かいました。
次回から二日目。府中から備後落合を経由して宍道に抜けます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 多度津から府中へ、前編 | トップ | 府中から宍道へ、前編 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

乗り鉄と帰省の道中」カテゴリの最新記事