団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後17年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

コロナ禍の喧騒も我関せず? ガマの子供達の旅立ち、自然の摂理は粛々とーー

2020-04-30 | 小人閑居して
Stay Home !を守りながら家や畑に居る時間が長くなると、見慣れたものの観察時間はいつもより長く丁寧になる。眺めているうちに、色んなことに思いを馳せる。普段と異なる経験ができるということは、「禍を転じて福となす」ことも可能かもしれない。

今冬は暖かかったからか、虫や生物が冬眠から覚めるといわれる3月初めの啓蟄(けいちつ)より少し早めにわが家の庭に棲みつくガマが石臼を使った睡蓮鉢に産卵した。数週間でオタマジャクシになり脚が生え手が生え尾が消えて、昨日一匹ずつ水草のホテイアオイを伝って鉢の縁によじ登り始めた。尾が消える直前にエラ呼吸から肺呼吸に変わるらしく、多数が一斉に水草伝いに水面に集まっていた。

ガマは周囲で目にする蛙の中では最大だが、オタマジャクシが親と相似形になって這い出る時は10数ミリと極めて小さい。「こんなんで無事に育つのか」という老爺心をよそに、大担にも背丈の数十倍はありそうな高さからジャンプしてどこかへ消えて行った。

現在の天敵は新型のウィルスくらいかと思われる人類と違って、親蛙と同じ大きさに育つまでには数々の天敵や事故?をかいくぐって、数百分の一の生存競争が繰り広げられるのだろう。「大変なこんだ(浜松弁)」と同情する反面、自然の摂理に粛々と生きる姿は神々しくさえ目に映る。
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