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夫婦 どちらか一方は他方の氏に変更すべし

2021年06月24日 09時32分00秒 | 国を憂う
昨日の最高裁の判決=(「夫婦は同姓であるべき」は違憲とは言えない)をどう読むかです。
僕のスタンスをまず書いてしまうが、「今はもうどうでもいい、同姓でも別姓でも。2人で決めれば。」です。どんどん進む世の中の多様性 「生きづらい」と感じる人がいるなら積極的に改善していく方向性は大事だと考えてる。「やみくもに何でも」と言うのではない。それこそ立法、司法で検討されていくことは重要だろう。
と 考えるから昨日の判決はあまりにも「消極的」 が感想です。しかもその結論を出した15人の最高裁裁判官はみなさん60歳代なんですね。僕より若いのに「変革に対して消極的過ぎませんかね」です。日本国の「文化的保守性」を思うな。
この問題は考えだすと、「夫婦の定義」をせにゃならん。そこがまた現代は複雑になってますよね。「同性の夫婦」? ですよ。それに「国、行政から捉える夫婦とは」も考慮しないといけない。まっ「こうだ」と言えるほどまで考えてないけど、下のような定義かな。
 「男女を問わず2人で共同して生活をしようと決めた社会構成単位」
「2人」というとこはこだわってます。3人以上は駄目です。(これも非革新か?)
姓(氏)なんてどうせ識別番号的なものでしょう。マイナンバーもふられる世の中 姓なんてどうでもいいはず。でもAさんとBさんが「夫婦」であることの社会的登録は必要だと考えます。登録することで「財産の共有」権利が生まれるようにしたらいいんじゃないですか。当然子どもの姓も自由だけど、どの夫婦の子かは登録要だね。

昨日の裁判 提訴した側は「立法が動いてくれないから司法に判断してください」と訴えたわけですよね。(2015年にも最高裁で同内容の判決がでてる)
「現行の民法、戸籍法は違憲とは言えない。立法府が考えるべき案件」では司法として弱過ぎじゃないかな。判決のように立法府に委ねるのであれば、「いついつまでに現状での検討結果を示せ」とまで立法府を縛ってもよかったのではないか。
こういう日本的変革ペースでは世の変化に遅れていくばかりのように思うな。
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政争の具にしてはいかん、賭けの材にしてはいかん

2021年06月23日 09時10分05秒 | 国を憂う
今の菅政権は「最後の賭け」に出てると見てます。秋までに衆院選挙があるのですが、現状では自分達与党にプラスになる材料は皆無だと認めてるのでしょうね。
内閣不信任案の提出に対して「解散」で対抗すると強気だったのに、打って出れなかったのがその証拠。
安倍さんの時代から未解決で続いてる(国民が忘れてくれない)案件がちらちら煙を上げるし、菅さんは「官僚が書いた文章を読むだけの人、真摯な議論が出来ない人、『政治は力で』が唯一の信条の人、やりたい気もなかったのにタイミングで祭り上げられちゃった人」と国民は見てる。(少なくとも僕は) だいたい、「おれが言えば、動く」式の「力の政権運営」はもう時代遅れだと知るべきですよ。自分でもモンモンとしてるんじゃないですかね、「こんな役引き受けるんじゃなかった」とね。
これだけマイナスがいっぱいだと選挙結果の数では勝っても、数は大きく減らすのは見えてる。それはいやでしょうね。

さっそこでだ、政府与党は今何を考えてるかだが。 与党にプラスになる材料を作りたい、いや作らないと部下から、公明党から突き上げられる。「ヤバイけど、これしかない」で選んだのが「強引な五輪開催」なんじゃないですか。「命がけの賭けにでた」ってこと。
強引というのはIOCからの要求をのんだ形で開催し(外へのメンツを維持した上で)、内へは「安全安心を守る」という口約束だけで五輪を開催し、無事に終了する事を祈りながら、小さい事故にはなんとか体裁をつくろって、「ほら見ろ、おれの判断は正しかっただろう。オレの施策で国際的にも評価上げたじゃないか。経済的にも効果あったじゃないか」という状況を作りたいんだろうね。
これを唯一最大の成果として秋の選挙に臨む、臨むしかないと判断したんでしょう。

「五輪」を自己の利の為の「政争の具」に使うな と言いたい。国民の生活を賭けの材料に使っちゃいかんですよ。 菅、二階共同軍もとうとう崖っぷちまで来たってことでしょう。
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赤木ファイル 黒塗り少ない

2021年06月22日 21時21分19秒 | 赤木損賠訴訟
請求したのが赤木さんの奥様だから、開示する国は奥様に送るんですね。司法の世界の「手続き」感いっぱい。
とうとう開示された。500頁以上。よく書き残したなと思う。
TV報道でチラッと見ただけだが、思ったほどには、いやむしろほとんど黒塗りされないで開示されてる感じ。
ここまで開示しても問題無しと国は判断したのだろう。きちんと反論できる、奥様側の組み立てを否定できるだけの筋書きはできてるってことでしょう。
それほどにこのファイルの記載は芯が抜けてるんだろうか。そんなことはないはず。
これから裁判の中でどう進展していくのか、逆に見放せない気分です。
奥様は「こんな悲惨を二度と起こさないために、これを国民のみんなさんに読んでほしい。」と訴えてた。  読まなきゃ、国民の義務だと思うな。
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誘致に参加した時から不純

2021年06月22日 10時57分36秒 | 東京2020
昨日は地球文化論的な面から「東京2020」の開催に反対した。今日はもっと近い所での「反対したくなる思い」を書く。
そして国民が何を言っても、中止・延期を希望する人が過半数を超えていても、「やる」らしいからもう何も言いたくない。言っても無駄だし、言っただけ空しくなるからね。
「東京2020」に対する意見はこれを最後にする。

今までも触れてきたし、今回も触れさるを得ないだろう不可解な現状について、昨日から改めて考え直してきた。それら現状には共通する本質があって、それがある限りどう言われても絶対賛同できない基を探したんです。見つけましたよ。 「東京2020はそのスタートから理念が無く、全てが不純だった」ということじゃないでしょうか。
解りやすく言えば「誘致することが目的」「開催する事が目的」で「お祭りとしての本質」に対する理念と敬意が全く無かったということです。だから「国をあげての成功させようムード」を作れずに来たし、作れるはずもなかった。
そこに降って湧いたパンデミックだ。それなりに順調な開催だったら表面化しなかったかもしれないいろんな矛盾が一機に顕在化してしまった。どう繕っても隠しきれない程に。そして増々国民の「五輪離れ」に繋がっていった。
また神がかるが、こんなやり方 神が許すはずがないと思う。おそらくどんどん困難な状況が発生してくると予測するがな。

誘致では怪しい金が動いたよね。当時の組織委員長はこの問題のもみ消し目的で辞任したよね。
安倍さんは「原発事故から回復した日本を世界にお見せするために」と言ったよね。今の菅さんは原発回復を言わないで「ウィルスに打ち勝った証として」と言い出したよね。これが目的だったの? それでいて、「開催する事のメリット」「開催しないことのデメリット」は全く語らないよね。語れないさ、本来最初に有ってしかるべき「開催の目的、理念」が無いんだから。
国民の安全を語るなら、まず安全施策の一貫性が必要でしょう。五輪を「特別扱い」するむきが出てきましたね。おそらく選手村、その周辺、会場周辺は治外法権な空間になりますよ。
巷の居酒屋さんが明日は倒産かもとおびえてる折に、五輪の中はお酒フリーなんて施策じゃ「国民の安全」が怒るよ。
さらに日本らしい「無責任体制」。菅、西村、田村、河野、丸川、小池、橋本と大勢船頭が語りますが、だれ一人「そうなったら私が責任とってこうします。」とは言わないですよね。「皆で渡れば怖くない」運営組織ですよ。 何か起きた時、緊急対応策の決定が遅れるでしょうね。自分の保身をまず考え、美しい譲り合いをやるんだろうから。

この辺でいいだろう。もう止めておこう。要するに「こんな開催」を認めてはいかんのです。「日本人は軽薄」との評価に繋がります。軽薄は今の地球上に溢れてるとも言えますが。
そして今僕が心配してるのは 「祭典が始まると、制御効かず『見る阿呆』になってるんじゃないか」ということです。ハイ、日本人です。
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地球レベルで考えてみよう

2021年06月21日 10時26分34秒 | 東京2020
五輪開会まで1か月になった。国内の開催関係者の中では「実施、有観客で」がどんどん強くなってきて、このままなだれ込んでいきそうなムードだ。是が非でも「やりたい」んですね。
世論調査では「再延期、中止」が60%ほど、開催するにしても「無観客」を支持する人が半数を超えているらしい。
僕は「中止すべき」と考えてます。ここでは「菅さんが」とか「バッハさんが」という小さい視野じゃなく、地球規模のパンデミック、祭典と「地球文化論」的に捉えて自分の「中止論」をまとめておこうと思います。

いい歳になって僕は「人間はもっと自然に対して謙虚であるべき」と考えるようになってます。「自然は愛すべきパートナー」と実感しだしたからでしょう。人間が生きるために、あるいはよりいい生活を手にするために自然を破壊し過ぎたと見てます。ここからはちょっと神がかるが、やり過ぎには必ずしっぺ返しが来るとまで考えてます。
しっぺ返しじゃないかと思う兆候は地球上どこにでも見られますよね。「北極の氷が解けて白熊の生息域が狭まってる」「街に熊が出没する」「毎年の豪雨災害」等々。今猛威のコロナも「人間がウィルスの世界に近づき過ぎたのだ」との見解があるが、そうなんだとガッテンしてる。ウィルスは哺乳類が生存を始める前から存在してたのだから、あっちがむしろ先住民。棲み分けが効いていたものを、人間側から近づいて行って、このありさまだ。
こんな何億年という壮大な時間の中で今西暦2020年に顕在化したのが今回のコロナなのだ。
一方、地球あげての祭典としての五輪は所詮人間のエゴだし、趣向だし、お祭りでしょう。しかも4年したらまたやるんじゃないですか。
パンデミックと五輪 どっちが大事、喫緊なんて天秤にかける話じゃないと思うのです。
こうなってしまった以上、最善を尽くして「神に鎮まって頂く」のが先なんじゃないのか。人間自らが防衛の鎧を身に付けることも含めて。それが地球上の一種としてまずやることと考える。
「コロナに打ち勝った証」という表現は謙虚さがなく、ただただ「傲慢」でしかない人間の性の表現です。2020は中止して、2024年パリで「神は鎮まった。良かった。」の祭典をやればいいじゃないですか。
「人間は自然の前には謙虚であるべし」を世界文化として復権させるためにも、今回の五輪は中止すべきなんです。

明日は小さい世界での問題点をまとめておくかな。何度か書いてきたけどな。集大成、これを最後にしよう。
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昨日の練習雑感

2021年06月20日 09時56分25秒 | オペラに挑戦
長い文になりそう。
僕のパートナーを務めてくれたKさんが悪いような言い回しになるかもしれない。そんなことないから。

師から「今日の練習の目標」を聞かされ、ペアを作り、絡みながら動き、歌いの練習が始まった。僕の思いは「毅然とした立ち姿、高貴な動き」これだけはやり切ろうと臨んだ。まずは「毅然と立ってた」つもり。
伴奏が始まる。Kさんが絡んできた。絡んでこられて無視しちゃだめだと思うから、「何とか対応を」と思い、体を動かした瞬間、自分でも「これはまずい」と解る体の線が出たはず。腰の緊張感が抜けちゃった。
前で座ってみんなを見てた師が立ち上がる。「今注意しておかなくちゃ」の思いを持って誰かに注意に向かう動き。「うん、オレじゃないか?」。 当たった。 歩が明かに僕を指してる。 「そんなにひどかったか?」。
これには前段があります。練習が始まる前、前回のプロによる「姿勢、動きの講義」について師と反省会談義をしたんです。僕が学んだこと、どうしようと考えてるかを話し、実際に歩いて見てもらったんです。その時は「うん、良くなってる」の評ももらったんです。ちょっと自信にもなったんですがね。
そこで続き。僕のところに来た師が僕の腰に手をやり、「腰、腰!」と言うんです。まだ歌続いてる最中にですよ。「やっぱりな」でした。一機に自信がなくなりました。「ダメだ、思考の中にない動き(とっさの対応)をやりにいったとたん、実力が出ちゃう」。
どうするかで出した結論は「絡み無しにして、独自の動き作りに専念せにゃ。まずそこから。」「Kさんには『絡むの止めて』をお願いするか」でした。Kさんへのお願いは言わずでしたが、敢えて距離を置くようにして、その後の練習を続けた次第。そんな僕の動揺、Kさんは気づいたと思うけど。

70年生きてきた過程で良いも悪いもなく自分の物にしてきた姿勢、動き(特に腰です)ですから、無意識ならそれが出て当然でしょう。
でもそれじゃ舞台に立てない。そうだよな、解ってるさ。でも、できんものはできんのです。
今(翌朝)改めて反省してる。なんとかせにゃならんのだけど、僕にはハードル高いな。そんなに沢山神経使えないよ。
 ・姿勢、動きをきめて
 ・伴奏聞いて、歌い出しを見つけて、指揮見て
 ・止まって、歌い出し準備して
 ・しっかり正しく歌って
 ・また動いて、周りと絡んで(当然高貴に)

やるしかないので、自分なりに努力しよう。そこで合唱団の皆さんにお願い。
 「当分の間、僕に絡んでこないで。僕の方から自分の意識下で絡んでいきますから。」
絡み無しでポツンと立ってるんじゃこれも舞台にならんのは解ってる。
立ち止まって、動いて、挨拶して、短い話して そこまでが第一歩かな。
2か月で「対応力」つけるからさ。   よろしくお願いします。
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やっと公演が公表された

2021年06月19日 09時10分16秒 | オペラに挑戦
     今朝新聞の折り込みに入った座間ホールの月刊情報誌の一部。
やっと9月の公演が公表された。コロナの関係で公演実施の最終決定が5月中旬だった。
昨年の12月頃に合唱参加者募集の記事がこの月刊誌に載って以来の公演記事なんです。もう2か月前だというのに、やっと公表されました。まだポスター、チラシはできてません。「来てください」とお誘いするのもチラシ無しでは難しい思いをしてきました。
それでも30人程が「行くから」と言ってくれてる。チラシも今月末にはどうにかできるようで、ばらまいて、もっと集めるぞ。入場は半数の600人に制限するそうです。
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作家と文化論議

2021年06月18日 08時18分53秒 | つれづれなるままに
今朝も快晴の白州。 でも昨日の夕方 ”もの凄い” 雨が降りました。30分ほどの間でしたが、ガラスに叩きつける雨力が凄くて、ガラスが割れるんじゃないかと思うほど。この雨の中にいたら5秒で下着までグッショリになっただろう程。
あれだけ降ったら空の水分は全部落ちたろう。 当然晴れますわね。 そういう快晴。 空気も綺麗で、美味しい。

      

ちょうど満開になったセンダン と 7月上旬(次回来た時)に収穫をお願いした隣家の梅の木です。昨年もたくさんいただいた。この梅 大粒でりっぱなんです。

昨日恒例にしてる小淵沢の画廊を訪れた。今月は画廊オーナー(73歳)の個展。15年以上もお付き合いさせてもらってるから、氏の作品の変化を見てきた。今回はまた違った作風で面白かった。氏も「これから10年描けると考えて、画家人生の集大成を意識したんだ」とおっしゃってる。そんなことから音楽も含めた「芸術文化論」をかわしてきた。
氏は「これから絵の世界を黙々と追求する人はいなくだろうな。食っていけないんだよ。絵続けてる人も学校の先生で食い扶持を稼いで描いてる。ものにならんだろうな。」と嘆かれてた。「そうなんだろうな」とやたら理解出来る感じを持った。
人生の全てにおいて、まず食うための金を稼がないとやりたいこともできない時代だ。このあたりでは「人新世の資本論」が浮かんでくる。そしてそういう文化がすたれて行った先の世を考えた時、昨日書いた「華氏451度」を想起した。
氏の見方だけど、「絵でいまだに世界共通に認められてるのは印象派の時代(ルノワールとか)で、音楽の世界だとクラシックというジャンルでとまってるんじないか。」と言う。 「作る方も影響受ける方も多様化してるから『万民共通に』なんていうのは今後求める方が無理では」と想わんでもないが、「劣化する」という想像は共有できる。
この世を去ったのちの世の中ってどんなになってるんだろう。それはそれで「相対的に○○だけど、・・・・」と評価しながら、「それが世の中」と納得して「生」をいとなむんだろうな。現代も同じか。   さっ 帰還準備だ。 いい仕事したわ。
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華氏451度

2021年06月17日 08時45分23秒 | つれづれなるままに
今朝の白州は快晴、入梅して3,4日だが、よう解らん=あまり経験に無い梅雨との印象。でも夜半の雨で空気にはすがすがしさ、冷感があって、気持いい。午後になると大気は不安定になり、山沿いでは雷雨と予想されてるが。
そんな気分いい中、月曜に放送のあった 100分で名著「華氏451度」をNHK+で見た。
今回は3回目で1、2回目は当然見てきた。この本は7,80年前に書かれたもののようだが、まさかここまで将来社会を見通し、痛烈に批判する本とは思ってなかった。今3回目を聞いて、以前からなんとなく感じてきた「社会文化の劣化」を見通してた本だと知った。著者は凄い洞察力を持ってた人ですね。
「有権者は寝ててくれた方がいい」と言った権力者がいた。 こういう権力者が「低文化社会」を意図して作ってきたのでは と考えてもきたのだが、「大衆自らがそれを選び、それを強化してきた」とする著者の目に驚嘆です。
ちなみに「華氏451度」とは 紙が燃えだす温度だそうです。面白いタイトルの付け方。
来週の4回目は見逃せません。
今の3回目はこちらから見れます。今度の月曜まで視聴可。
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姿勢、歩き方の研究

2021年06月16日 17時11分28秒 | オペラに挑戦
日曜の歌練(歌無しで、舞台上での姿勢、歩き方の講習会)の動画が公開された。自分が不格好なのは知ってるから、見るの辛い思いもあるけど、少しでも改善せにゃ師に失礼だよね。「努力はしてるんです」はしめさんといかん。 で、今日は動画の研究です。
講師(プロのダンサー)はなにやっても綺麗ですね。そして自分は。ひどいね。先生まで綺麗になろうとは想わないが、違いの基は何かを見つけて、いくつかのポイントだけ守るようにしようと考えてる。

・立ってるだけの姿勢
  「肩を後ろに引く=肩甲骨を意識してよせる=大胸筋が前に出る」
  これはどうにか出来てるような。 堂々とやろうとすれば形にはなるぞ。
・歩く
  歩きだすと一機に不細工感いっぱいになる。
  先生は体の重心が前の方、かつ高い所にあるように見える。僕が歩くと、後ろから
  引っ張られてるような印象。当然滑らかさが無い。重い感じ とも言えるかな。
  先生は「足の裏、特に指の付け根で床を掴む感じを持って」と言ってた。
  これが「前重心」のコツじゃないかと理解した。
  さらに先生は「足にかかる体重を意識して。左右にバランスよく体重移動するように」
  とも言ってた。この点もだめだな。体重移動を滑らかになんて考えたこと無い。
  滑らかじゃないからスムースさが無く、ぎこち無く見えるんだろう。
・曲がる、振り向く
  こうなるともう駄目。自分でもやってておかしいの解るから、笑い、テレてる。
  歩き動作に変化が入る。足の体重移動が上体の動きに合わせて、イレギュラーな移動に
  なる。でも滑らかな移動であるべき。何度も足を切り変えて体を回転するのは変。
  あくまでも上体の動きだしが先。それに引きづられて、体重が左右の足を移動し、
  スムーズに体全体が向きを変える。
  理屈は解ったつもりだけど、要はちゃんと歩けることが先なんですよ。
・腰をふらふらさせない、曲げない。
  これは言われたわけじゃないけど、先生の動きを見てると、どうもそうらしい。
  ガチッと固めておけ ではないけど、緩んでると不格好になるようだ。
  僕にはこのクセがあるようで、要注意だ。前から解ってたことだけどね。

今の僕は「ちゃんと歩けるようになろう」です。足裏に体重を感じること、左右の体重移動を意識して滑らかにすること。方向転換はその先。歩けるようになってからでいいだろう。
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