富士山の世界文化遺産

2013年06月23日 21時32分23秒 | つれづれなるままに
国内はちょっとうかれ過ぎなんとちがうでしょうか。
僕は「嬉しい」という感情はありません。世界から「いい物ですね」と評価してもらえたことには素直にありがたいことだと思います。
でも企業のISO資格と同じで数年毎に厳しい審査があると聞いてます。保存状態が悪く、数年で登録抹消となったらそれこそ世界中に失態をさらすことになります。
そういう危険性はないのか? ぼくはその可能性大だと思ってます。毎年山の許容量をはるかに超えた登山者が登る山です。世界遺産になったことでさらに入山者が増えるでしょう。山はさらに汚れを加速するのではないでしょうか。「自然遺産」じゃなく「文化遺産」だからその点は厳しくないのではなんて考えは甘いです。
一方の規制は?というと、何も手が打たれてない、打てない状況です。さしあたって山梨県側で1人1000円の入山料を課そうとの思案はあるようですが、強制ではなく、任意とのこと。世界遺産としての管理体制は当分作れない思うのです。

元来日本人には苦手な問題です。「既得権益」にからむ制度の改革でしょう。うまく作れるとは思えません。
その資格にあった制度を作ってから資格申請に臨むのならいいのだが、順番が逆になってる。これも日本人の得意技。
「入山料1人1000円」だけでもまず制度化すべきじゃないでしょうか。その資金をどう使ってどう管理していくは「追って」でもいいから。
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もう1度原点に

2013年06月23日 09時14分47秒 | オペラに挑戦
蝶々さん 昨日の練習から演出の先生の指導がメインになった。
ストーリー全体の流れ、村人たちの感情の変化、だから場面場面での歌い方、感情の込め方 演出家の想いを伝授された。
後の合唱隊(村人)の感情の変化はおおむねこうだ。
序盤:外人と結婚しようとする蝶々さんを「いやーね」と見ながらも物珍しさが強くて、はしゃぎたてる。
   まだ仲いい感じ。
中盤:ピンカートンとの結婚話が多くの女性にあったことがばれてくる中で「まともな結婚じゃない。」
   「きっと離婚するな」と言い出す。
   ボンゾ伯父さんが「お前はキリスト教に改宗したんだな。なら離縁だ」と言ってから一機に
   軽蔑へと変わる。
その後:もう蝶々さん1人が苦しむ世界なので村人出ない。

男性合唱はこの中盤のところで出てくる。「なんか怪しいぞこの結婚は」から決定的に蝶々さんを嫌い、村八にするところまでを歌い、演ずるのだ。
これまで歌を覚えることに一生懸命で劇としての中味の把握を怠っていたことに気付いた。
原点にかえって、物語の流れを勉強しないと演出家についていけないぞ。DVDを見直すこと、歌詞の和訳を読み直すこと。ここをやらんといかんな。
「演出家が指導」と言ってもまだ歌だけ。演技指導はゼロ。さらにややこしくなるんだから。
歌は70点。優、良じゃないが、不可でもないだろう。あと2ヶ月、良までは必ず進歩できる。
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親子・家族・文化

2013年06月20日 19時47分23秒 | つれづれなるままに
息子から電話相談があった。「テントを買ってキャンプ始めようと思うんだ。何か余ってる道具ある?」という。小学3年を筆頭に子供3人の家族。車で行って、テントで寝る。安くできる一家団欒の形。僕もテント持って子供3人をいろんな所に連れていった。
下の娘はこの夏北海道に行くという。3歳と1歳の2人娘。最近新居への引越しも終わった。僕はこの娘がまだ1つになるかならないかのころ竹芝から自分の車を船に乗せて苫小牧に渡り、6泊だったか道東を家族でまわった。

2人から時を同じくしてこんな話を聞かされた。思うのは僕がしてやったことを彼らが同じようにしよう、してやろうとしてること。うれしいことです。無言で「父ちゃんありがとう」って言われてるようで。
彼等らの人生観の中にそっと僕の影がある これが文化、家族なんだろうな。
彼等なりのものを加えて、つなげていってもらいたいと思う。
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山椒に実、佃煮

2013年06月18日 21時30分34秒 | 僕のレシピ
   白州の庭に野生の山椒がある。何本かあるのだが、山椒は雌雄別株の植物で実がなるのは当然雌株だけ。
前々から知っていたのだが、実のなりのいい木が1本ある。これまでは興味がなく、実の収穫なんて考えたことがなかった。
ところが昨年あたりから白州の友人との間で密かにブームになってる。ある魚の安い缶詰に山椒の佃煮を入れて温めると驚くような酒の肴に変身するのだ。東京のとある呑み屋で出されてる一品らしい。
ところが山椒の佃煮がなかなかない。あっても高価なもので買うのをためらう。
そこでだ、作ればいいだろうと挑戦する気になりました。
もう遅いという人もいますが、口にしてみたらいいシビレ感と風味があるので料理することにした。写真は今日の収穫。米風に表現すれば2.5合といった量か。
レシピはNETにいろいろでてる。とりあえず今日は実を整理して、塩茹までやった。これで少し干して、明日酒と醤油でゆっくり煮る。どんな佃煮になるやら。山椒の風味がにじみ出てくる佃煮になればいいのだ。塩茹の段階ではいい感じ。

19日午前。塩茹した実、一晩水を切っておき、朝醤油、酒、みりんで煮ました。30分ほど煮たのが写真。
まだちょっと緑感が残ってるのと粒粒がしっかりしてて、佃煮感が薄い。もう少し煮るのかな。これ以上醤油で煮ると醤油くどくなりそうだけど。
1粒口にいれてみる。口内にしびれ感。いい味。煮付けの風味で使った時に山椒風味が外に出てくれるのだろうか。
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母校記念祭

2013年06月16日 16時16分15秒 | つれづれなるままに
昨日は高校の記念祭、同期が集まることになってるのでランチ会を兼ねて出かけてきた。
わが母校は6月18日が創立記念日で、他校が秋に文化祭と称して行う行事を「記念祭」と称して梅雨のこの時季に行うのが伝統。現役の頃から雨中での行事っていうのがしみついてる。きのうは雨なしの蒸暑い中だったが。
ここ何年か見物に行ってるが中味をみることはなかった。今回は時間があったのでいただいたガイドブックを読んでみたし、部屋を少し覗いてもみた。あまりの中味の無さに驚いた。

やってることで目(耳)についたのは以下。
 ① 前庭でのダンス、大道芸、コント
     (いやでも目耳に入る。立ち止まって見るほどのものではない)
 ② 体育館(ステージ)でのバンド演奏、軽音楽、パフォーマンス
     (聴きに行ってない。うるさいに違いないから)
 ③ 出店
     (美味しいとは思えないから買わない)
 ④ 教室をつかった有志による催し物
     (評論のしようがない)

がっかりです。文化的なことって美術部、写真部、吹奏楽部の発表くらい。他の文化部はどうしちゃったの? 僕たちの頃は運動部は他校を呼んで練習試合をやったものだが、そんなの1つもない。ただただ上にあげた4つだけ。しかも前庭のパフォーマンス系なんて50のグループが次から次と同じような踊りをでかい音量の中で披露してる。まずは「うるさい!」。そうこうしてると女装した男子生徒が走りまわってる。これがちょっと美人だからまた困る。
 「だまれ! これが平成25年の高校文化だ」 
 「はい、そうですか」              とひっこみますがね。

それにしてもひどいわ。その学校の特徴がない。伝統とか、文化とか、そこからにじむ重みみたいなのが全くない。じゃあ僕たちの時代にはあったのか?と聞かれると困るけど、それぞれに個性があったし、もっと気合い入れて作ったように思うな。
在校1000名総パフォーマーといったところか。踊ればいいってもんじゃないよ。
今の高校生 金太郎飴みたい。しかも小粒の。大海にでていけるのか? (余計な御世話です!)
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合唱は器楽的

2013年06月15日 09時44分40秒 | 第九に挑戦
昨日は第九の練習日。これで3週連続の金曜練習。月3回が原則だが、5月の3回目と6月の1,2回目がつながっただけ。
これだけつめてやると、進みも早いし、やった感もある。でも予習復習が多くなるのも当然。

昨日は662小節目から、「二重フーガ」といわれてるところの練習をやった。合唱隊にとってもっとも難しいところのようだ。練習用CDでも「しっかり練習しましょう」と注釈してる。
例によってテノール部のメロディーは驚異的に難しい。かわいそうなくらい。少人数だけど経験者が多いせいだろうそれなりに聞こえてくるから感激。僕にはちょっと歌えない。教える方も適当なところで「ここは難しいよね」と言いながらさらなる要求はしない。「やってけばうまく歌えるようになるから」だって。
ついでに先生がベートーベンの合唱の作られ方(なぜこんなに難しいか)を解説してくれた。
ベートーベンの合唱は「器楽の演奏」が技術的ベースになってる。合唱のメロディーを構想する際に、例えばソプラノにはピッコロを歌わせてイメージするみたいな。だから器楽器で演奏できるメロディーを人に歌わせるものになったというのです。
僕が今感じてる合唱の特徴は
 ・オクターブの音の変化が多い。
 ・細かい、早い変化が多い。
 ・♯、♭が随所にでてきて、微妙な変化がついている。(これがまた美しいんだけど)
 ・息継ぎのしどこがわからない。(楽譜にブレス記号はない。先生も適当なところで各自かってにという)
などだけど、こんな所はまさに楽器で構想した結果ではないかと納得した。
生な人間がだせる歌声の限界の曲なんですよ。

「二重フーガ」のマスターは当分かかるだろう。完成しないかもしれない。高みをめざして歌い込むだけ。
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生Jazzを聴く

2013年06月13日 09時14分52秒 | つれづれなるままに
   先輩からお誘いをいただき、六本木へ生Jazzを聴きに行ってきた。

Jazzの生は2度目じゃないだろうか。記憶の奥の方に何か1度だけそういう席についたような。嫌いじゃないけど、どこか世界が違うような感じで、自分から足を向けることはなかった。
先輩はある会でこの年配演奏者と知り合い、それ以来年1回演奏会を聴きにいってるとか。元気がもらえるんだとも言ってた。
会場は普段からLIVE演奏を聴かせるジャズレストラン。食事をしながら、酒類をいただきながら、雑談しながらの3時間。お客さんはこの演奏会の常連さん達が150人程。6~7割は僕より歳上のおじさん、おばさん達。これはこれで「一つの世界」だなと思った。
今回はハープ奏者の美しい女性が特別出演。ハープ自体がめずらしいのに、JAZZで共演するのはなかなか聴けないのでは。そんなに音量のある楽器じゃないから音が消されちゃう感じだったけど。女性のボーカリストもなかなかお上手で聴かせてくれた。
堅苦しいところがまったくなく、おもしろい空間、時間でしたね。こんな一時もいいかな。
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演出家が来る

2013年06月11日 07時06分46秒 | オペラに挑戦
先週土曜日の練習に今回の演出家「馬場紀雄」氏が来て、自分の考えを話していった。

「2つの文化の葛藤がテーマ。ひとつは西洋と日本、もうひとつは古い日本と新しい日本」
「古風な武家の娘蝶々さんは古い日本にとらわれない、新しい日本人だった。そういう日本人であろうとした。でも周りの古い日本から疎外される。それでも信じた西洋文化だったが、それからも裏切られる。最後は日本の古い作法(=切腹)での死を選択する」

さすがオペラ演出家ですね。何度も蝶々さんを演出してきた経験の中で育ててきた解釈なんでしょう。とてもしっくりきた解説でした。

こういう演出の骨子を話したうえで、「だからこんなイメージの衣装を考えて下さい」という。要するに、明治時代の村人に固執することはない。昔ながらの日本人もいるし、ちょっとどこか西洋かぶれした村人もいていい。そう言うのです。
具体的には
 ① 和装  紋付袴
 ② 洋装  アンティークな雰囲気、シンプルで時代性を感じさせないもの
 ③ 半和装 シャツ、ズボンの上に単衣を羽織って、山高帽やパナマ帽をかぶってるような
「なんでもあり」と言われてホッとしたが、よ~く考えてみるとより限定されたみたいでむしろ困ったのが本心。
22日から個別に相談にのってくれるらしい。今持ってるものでなんとかしたいが。

歌練習ではまだ大半の人が楽譜を手に臨んでる。大丈夫?
僕はもう楽譜いらない。歌い出しのタイミングはばっちり。ただし音の高さがちゃんととれない箇所が2か所ある。ここんとこ第九の練習に重点を移してるので蝶々さんはサボりっぱなし。初心に帰らないといかん。
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ゴーヤを手術

2013年06月09日 07時08分15秒 | つれづれなるままに
    

順調に大きくなってるゴーヤですが、「変だな」と不思議に思ってたことがはっきりして、さきほど手術しました。

「沖縄三角ゴーヤ」と書いてある苗を買って植えたのですが、ゴーヤらしからぬ蔓、葉がグングン大きくなります。隣の奥さんも「かぼちゃと見間違えた」というのです。こっちはあくまでもゴーヤと思って「ゴーヤだよ」と強調するから「見間違えた」という言い方になるの解る。
ここまで大きくなるとその違いは歴然。左の写真、1本の軸から伸びた1個体です。でも右と左では別植物ですね。右の写真は蔓の最初のところ。右に伸びてる太い蔓と左上に向かってる細い蔓。
野菜植物でも「接木」するのを知りませんでした。接木というくらいだから「木」でだけやる処理だとばかり思ってました。このゴーヤ、何か強いかぼちゃの軸にゴーヤの芽を接いだのですね。右の写真、後にさしてあるポップに「接木」と印刷されてました。
接木の土台にするかぼちゃ、たいがい美味い実がなるタイプじゃなく、根だけが強いやつのはず。それにカーテンに重いかぼちゃは下がりません。そこでかぼちゃの蔓を切り取る手術をやったのです。
これで本来のゴーヤがしっかり成長することでしょう。勉強しました。
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今日のゴーヤ

2013年06月05日 16時18分19秒 | つれづれなるままに
梅雨入り宣言が出たものの、雨は降らんし、もう夏かという暑さ。「今年は梅雨なしか?」とまでは思わないけど、気象庁もちょっと焦り過ぎた?

        おかげでゴーヤがグングン大きくなってます。右は5/26。

成長してきたら、葉っぱがでかい、茎が太い、枝分かれが激しい。これは強烈な種だぞ。当然実もでかいのだろう。楽しみではある。
でも植えたプランターが小さ過ぎるんじゃないかと心配になってくる。朝夕の水やりが日課になった。
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