13日 ブォロスへ 市内観光 ギャラクシーホテル泊
当初はカランバカ‐ブォロスを汽車で行く予定でしたが、バスがあるというのでバス移動にかえ
ました。ギリシャではバスで移動するというのは普通のことのようです。鉄道がほとんど
ない国ですからあたりまえです。街にはバスセンターがあり、そこからいろんな街に長距
離バスが出てるようです。料金も鉄道より安いのでは。
今回は100km強、所要時間3時間、隣街トリカラで乗り継ぎブォロスへ向かいます。乾燥し
た裸の畑かオリーブ畑の中を混雑のない道をひた走ります。山から海へ。
またまた昼近くになって町に到着。まずバスセンター前のインフォメーションセンターで情報収集。
事前の情報では日曜しか運行していないらしい「ピリオン鉄道」はどうなのか、エーゲ海
を日帰りで見るための移動手段は 親切な女性係員が僕でも解かる英語で解説してく
れた。
ピリオン鉄道は毎日1便運行してるようだ。明日、明後日の行動が大体決まり、重い
荷物をしょって昨日予約したホテルを探して街中を歩く。ちょっと行き過ぎたけど、無
事到着。早速街に出て昼食。
街中の散策と鉄道の駅に行ってピリオン鉄道の乗車券を購
入。この乗車券 片道切符はないそうです。往復でしか売らないみたい。これは次の
日にわかったのですがね。我々は終点駅ミリエスからバスでエーゲ海に出て、またバスで街
に戻る計画だから片道分は不要なんだけど。こんな行程組む人がいないってことで
しょうか。
14日 エーゲ海へ ギャラクシーホテル泊
早朝散歩。港で土地の人が釣りをしてる。竿は使わない手釣り、10cmほどの鰯が釣れ
てるようだった。水面には鰯の群がうじゃうじゃ。
ピリオン鉄道の発車が10時なので今日はゆっくりの朝。でもちょっとした事件が。
円をユーロに換金したくてホテルで聞いた。「Greece National Bank」に行けと教えられた。
換金を依頼したら、世界通貨の写真集のようなものを出してきて、「この札は登録さ
れてない。だからできない。」という。昔の1万円札はあったようだ。そして
「Greece Bank」へ行けという。この銀行はホテルの隣なんです。なんでここまで来たの?
でした。しょうがない、また戻りました。入ってみてびっくり。こちらがりっぱな国
立銀行なんです。格式があって、ガードマンもいる。換金はあっさりOK。「National」
とはなんだ?松下電器か? と不満たらたら。
でもまっいいかと思った矢先にまた事件。妹さんが「荷物がない」といいだした。
さっきのNationalに置き忘れたしかないで寄ってみる。座ってたベンチの上にちゃん
とあった。たいした物は入ってなかったようだが。
この写真 Nationalの内部写真。シャッターおしたら、行員から疑いの目線が飛んできた。
あたりまえかな。強盗の下見と思われてもしょうがないからな。
この雰囲気 なんとなく民間の銀行ですよね。女性は私服だし。それと我々一行様
が座ってる椅子、あそこに荷物置き忘れたのです。
ともかく無事換金も終わり、バスセンターヘ。今日はローカルのバスに乗る。先に1.3ユーロの切符
を買って待つ。一番前に座った僕に運転手がやたらと観光ガイドしてくれてる。ギリ
シャ語だからよく理解できない。でも言いたいことは「これが廃線の跡だ」らしい。
笑顔で理解したことを伝える。下車駅では「ここで降りて、あっちに歩け」と案内
までしてくれた。ちょっと坂を登った所が始発駅アノ・レフォニア。
[
ピリオン鉄道について ]
昔はブォロスとミリエス村を結ぶ交通手段だったのです。画家キリコのお父さんが携わった。
今は街中は廃線になり、郊外の
アノ・レフォニアとミリエス間を観光用で運行してる。途中で15
分のお茶休憩があって所要時間1時間弱。1日1往復。10時にアノ・レフォニア発、16時に
ミリエス発です。右側に
パゴシティコス湾(エーゲ海から入り込んだ湾)を見ながら丘陵地帯を
走ります。
古い橋もあって、思わず童心に帰る鉄道です。線路巾は60cm。
ミリエス駅では
機関車の方向転換作業を見ました。円形の台座に乗せて180度回転させ
るのは同じですが、回転動力は人間でした。なんとのどかな。
ミリエス駅から村の中を歩き、バス停へ。ここからブォロス発の長距離バスに乗ってエーゲ海に
出ようというのです。バス停はパン屋の前、村の人がひっきりなしにパンを買いに来る。
そのたびに世間話でもして行くのでしょうか、実に明るく、にぎやか。我々もパン
で昼食。定刻よりちょっと遅れてバスが来る。ほんとに来るか心配し始めた頃。
西伊豆から東伊豆に出るようなもので、標高800m位の尾根を1つ越さなければならな
い。曲がりくねった細い道。1時間以上乗ってた。終点がロアニス村、
エーゲ海に臨む海水
浴場、キャンプ場。着いたのが2時半頃だが、同じバスに海水浴目的の若人が大勢いた。
ここは島々が緑の海に浮かぶエーゲ海 そんな景色ではなかったです。島影のない
ドーンとエーゲ海の水平線でした。水は綺麗でした。
子供からお歳よりまで男も女もみな
水着。女性はみなビキニ。そんな所に東洋からきたおじさんおばさんが半袖、短パン姿
じゃ
場違いってものですね。
冷蔵庫まで付いたレンタルキャビンには驚き。手ぶらで来て、ここに幾日か泊まってバカンス
を楽しむんでしょうね。
我々は
カフェでお茶だけして帰ることに。ここからバスでブォロスの街へ。
4時半発のバスがなかなか来ない。1時間近く遅れたんじゃないかな。どうにか帰路に。
ところが路上駐車が多くてまともに走れない。いたるところで立ち往生。ある所では
運転手が通行不可能と判断、警笛を鳴して車を動かすよう促すが所有者は現れない。
10分ほど待っても来ないので意を決したのでしょう。ジワジワと前進して無事通過。
ガチガチの違反検挙を要求するつもりはないけど、もう少しマナーは守ってもらいたい
ものですね。当然バスは遅れました。でも遅れたために山の上から街の夜景を見るこ
とができました。
これがまたすばらしいんですよ。
9時をまわっていたかな。海に面してズラッとならぶオープン・レストランで遅い夕食。こんな
時間なのに家族で食事に来てる。ギリシャの子供は夜いっぱりなんですよ。大人は大画
面のサッカー放送(ギリシャリーグ)を楽しんでる。オリンピックじゃないところがおもしろい。
15日 ブォロス‐ラリッサ‐テッサロニキ‐イスタンブール 車中泊
今日は大移動日、ギリシャ最後の日です。
朝からお金の計算です。ユーロを残したくない。土産はイスタンでとしてるので大金はいら
ない。とりあえず、手持で行動開始と決める。
今日はギリシャ聖教の記念日(聖母昇天日)らしく、車は少ないし、お店も閉まってると
ころが多い。
午前中 マクリニッサ(ブォロスを見下ろせる丘の上の小さな村。バスで30分)へ散歩に行く。
どうも昨日の帰りのバスで通った村のようだ。
村に入ると丘の上からミサの歌声が
聞こえてくる。それとこんな田舎に向かって車がどんどん上がってくる。ブォロスの街
から礼拝に来る人達だ。車は急斜面に路上駐車。えっこんなところにと思う所までタイ
ヤをすべらせて駐車する。教会はミサの最中。帽子を取って中に入ってみる。とって
も厳粛な気持ちにさせられる。
この村には湧き水がある。冷たくておいしい。旅行中に飲んだ中で一番美味い水でし
た。ちょっと不安ではあったけど。結果異常はなかった。
バスで街に戻り、ホテルに帰ってチェックアウト。荷物をしょって駅へ。
12:27発の汽車でラリッサ経由でテッサロニキに戻る。ラリッザでは自由席。ラリッサからは指定
席らしい。この座席番号がわかりずらい。何号車の何番かが理解しずらく、客車内
の座席番号も変に欠番があったりで。車掌さんに聞いてやっと座席を見つける。
またオリンポスを見ながら眠る。
15時頃テッサロニキに着き、荷物をコインロッカー(24時間3ユーロ)にいれる。4人の手荷物が全て
入ってしまう大きさ。街に出て昼食とも夕食ともいえない食事を探す。今日は祝日な
のでテッサも静かな街。1週間前に気に入った店に立ち寄る。開いている。奇跡的。
でもあっちの店も気になるので行って見る。ここも開いてる。午後3時ここで
ギリシャ最後の
食事と決める。時間があるのでゆっくり楽しむ。
その後は駅の待合室に行き各自ギリシャを去る準備。ユーロ残金の計算。うちは5ユーロ残っ
た。この残金は翌日イスタンの飛行場の免税店でチョコ買ってきれいになくなるのです。
座ってのんびりするとついつい眠ってしまう状態。
そうでしょう、これだけ連日動き、食べてきたもの。
18時列車に乗り込む。今回は部屋を交換する。僕たちが上下型、妹夫婦が天井型の部
屋を使うことに。19時に列車が発車し、落ち着いたところでビュッフェ車輌に。酒を持ち込
み、しばらく4人で語らい。
西の空には夕日が美しい。
21時頃部屋に帰る、そのままぐっすりでした。起されたのは朝4時ピティオン駅での出国
検査時。おぅもうここまで来たか。どうせ1時間は発車しない。記念にと駅のトイレに行く。
電気も付かず、薄くらい中ギリシャ最後のオシッコをする。(犬の臭い付けみたい)
かみさんと国境の鉄橋、国旗が変わるのを見る。10分もするとまた入国審査。これが
終わって、トルコ領内を走りだした時空がしらみ始める。また就寝。9時ころまでは寝て
ただろうか。まだ2時間ほど走る計算。イスタンの街から50kmほど郊外で広大な住宅建設
(3階建てのマンション形式)が行われてるのを見てびっくり。こんな需要があるのか?
買える人がいるのか? ともかくものすごい量の住宅建設でした。
16日 イスタンブール観光 甥夫婦と食事 ジェラル・スルタン泊
11時頃イスタンブールに到着。ホテルは1週間前と同じ。だからかって知ったるイスタンです。トラム
でホテル近くまで。チャックインして街へ。
トプカプ宮殿は明日にのこして、土産を買いに街へ。
買った物をホテルに置いてまた街へ。オルタキョイの船着場で甥夫婦と待ち合わせ。
そのまま船で1時間
ボスフォラス海峡をクルーズ。第一ボスフォラス大橋の下から出港、第二ボ
スフォラス大橋の下までをクルーズ。この第二は日本の建設会社が作ったとのこと。甥はそ
の耐震補強工事に携わってる。船をおりて、甥の事務所近くのレストランへ。イスタンブールの
夜景を見ながらの会食。甥っ子いい場所に案内してくれた。
満月と月食の夜。すばらしい夜になった。すばらしさで僕とかみさんは楽しく酔った。
タクシーでホテルへ。
17日 イスタンブール観光 イスタンブール‐フランクフルト‐成田 機内泊
最後の日
トプカプ宮殿の財宝に驚く。オスマントルコの強大さをその宮殿のすごさ、財宝の
凄さから推測する。想像のはるかかなたなのだろう。
トルコの歴史に興味がわく。西と東の接点にあって、それがゆえに常に要衝とされてき
た。東洋のはずれの一島国の歴史には絶対ない壮大なものがありそう。
宮殿のテラスからボスポラスを見る。第一大橋の下流で今日本の建設会社が沈埋工法で
第三大橋ならぬ、第三トンネルを作ってる。その現場も見ることができた。
まだ時間がある。歩いていける範囲に
タイル貼りの美しいモスク(リュステム・パシャ・ジャミィ)が
あるらしいので行ってみる。モスクの美しさはいろいろ見てきたが、ここはほんとに美しい。
内部の落ち着き感と涼しさで絨毯に座り、ゆっくりくつろぐ。
残り少ない金と相談しながらの生活。最後の最後ホテルの車で空港に送ってもらう代金
が40トルコリラ、その際のチップが5リラ あわせて45リラを僕が預かって確保。残りと計算しな
ながら最後の食事はつつましい。実はもう疲れて食べられない状態。
15時ホテルの車で飛行場に送ってもらう。
旅の間持ち歩いた酒が残ってる。どうせ機内には持ち込めない。ならばと空港内で
掃除を担当してるおじさんにプレゼント。喜んで受け取ってくれた。
フランクフルト 乗り継ぎ時間が45分のところへ、到着が少し遅れた。焦り気味でタラップを
歩いていたら我々4人を指す掲示板を持ったお兄さんが立ってる。そこで我々4人は
拉致され、別の口から場内バスにのせられ、空港内を歩くことなく乗り継ぎ便の搭乗口
へ案内される。裏口に日本語がたっしゃな女性が待ってる。その女性に引き継がれ苦
もなく登場手続き完了。この手配にはびっくり。楽しい経験ができた。
フランクフルト発成田行きはANAとの共同運航便。ヨーロッパ各地で遊んできた日本人がここで
乗り継いで日本に帰るようだ。飛行機にはANAのマーク、スチュワーデスにも日本人がいる。
客も大半が日本人。もう日本に帰ったみたい。免税の酒を1本買う。ワインを数杯いただい
て寝る。ただし、2回出た食事は完食しました。機内食もおいしくなりましたね。
18日 14:30 成田着
成田で最後の土産を買い(適当なのが現地になかった)、食べたかったラーメンを食べる。
家に20時に着く。それから食材を買いにスーパーへ。
値引された寿司を買う。豆腐も買う。日本の食材 あれもこれも食べたくなる。
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