IPS細胞が騒がれて、「何物?」を勉強した時から人間の生命倫理として公にきちんと議論する必要があるな と思い続けてる。 単純です。「男女の生殖行為以外で生命を誕生させていいか?」という問いです。昨日小池都知事が「卵子の凍結保存に都が補助金を設定する」という発表がありました。正直言って、「小池さんちょっと勇み足じゃないの?」です。
そこで僕のBLOGの中に「生殖医療と人間倫理」というカテゴリーを設けました。思う事がある都度、ここに自論を書いていこうと思います。
さてその第一回なんですが、僕だって「こうあるべき、ここまで許すが、ここから先はだめ」という倫理基準を持ってるわけじゃないです。なんか自分としての基準を持ちたくて情報収集してるんですが、当事者達の事情もいろいろあって、考えれば考えるほど線引きの難しさを思ってます。でもそれが故に「今、日本人としての一定の基準を設けるべき」の思いがどんどん強くなってるのも事実です。
「できるんじゃないか。だったらやってみよう。」という科学者の単純な発想、名誉欲見たいなものは先に規制しないとを思いますね。それと一方で医療を受ける側も「出来るんだったらやってみよう」という発想だけで進んでいい世界じゃないと思うのです。「私達には子供はできないんだ。これは神からの宣告」と享受し、耐える、我慢する そういう倫理観を持って臨む世界だと思ってるんですが、どうでしょう?
50年ほど前になるんだろうね、「心臓移植」が出てきた時に「倫理的に」の議論があったように記憶してる。今じゃ臓器移植なんて普通の医療になってて、「亡くなった命の活かせる部位を使って、亡くなる生命を救おう」とすることは倫理的にも問われなくなってる。
その観点からすると僕はもう古いのかもしれないが、「生命の誕生」は神の世界、きちんと倫理的納得を生成しつつ進める必要性を感じてます。 今の日本 まだコンセンサスがないんじゃないですか。
そこで僕のBLOGの中に「生殖医療と人間倫理」というカテゴリーを設けました。思う事がある都度、ここに自論を書いていこうと思います。
さてその第一回なんですが、僕だって「こうあるべき、ここまで許すが、ここから先はだめ」という倫理基準を持ってるわけじゃないです。なんか自分としての基準を持ちたくて情報収集してるんですが、当事者達の事情もいろいろあって、考えれば考えるほど線引きの難しさを思ってます。でもそれが故に「今、日本人としての一定の基準を設けるべき」の思いがどんどん強くなってるのも事実です。
「できるんじゃないか。だったらやってみよう。」という科学者の単純な発想、名誉欲見たいなものは先に規制しないとを思いますね。それと一方で医療を受ける側も「出来るんだったらやってみよう」という発想だけで進んでいい世界じゃないと思うのです。「私達には子供はできないんだ。これは神からの宣告」と享受し、耐える、我慢する そういう倫理観を持って臨む世界だと思ってるんですが、どうでしょう?
50年ほど前になるんだろうね、「心臓移植」が出てきた時に「倫理的に」の議論があったように記憶してる。今じゃ臓器移植なんて普通の医療になってて、「亡くなった命の活かせる部位を使って、亡くなる生命を救おう」とすることは倫理的にも問われなくなってる。
その観点からすると僕はもう古いのかもしれないが、「生命の誕生」は神の世界、きちんと倫理的納得を生成しつつ進める必要性を感じてます。 今の日本 まだコンセンサスがないんじゃないですか。