登戸でまた悲惨な事件が起きてしまった。こう多くなってくると、そろそろ真剣に「どうやったら減らせるか」の対策を立てないと明日は自分が直接か間接的かの被害者にならんとも限らない。「うちに限ってそんなこと」「だれかが対策考えるだろう」と他人事として見てるのでは被害者になることを容認してるようなものじゃないだろうか。
確かに「やった個人」が100%悪い。でもそれで「薄気味悪さ」が消えないのがこの種の事件の本質。「死刑」を望んで殺害に及ぶ人間だって出て来てるんです。「監視」、「刑罰」では抑えきれない、人間社会そのものがその内側に生み、貯えてきた「癌」のようなものが原因なんじゃないでしょうか。だとすると「自分がこうして生きてる事自体がそういう社会癌の発生源になってるかもしれない」と想像し、考えることが必要なんじゃないでしょうか。要するに「自分事」だと思うんです。
朝日新聞に新潟青陵大学の碓井教授がこう書いてらっしゃる。
「疎外感や強い被害者意識から、自分の人生を終わりにしよう、周りも道連れにしようと思って、
無差別殺傷事件を起こす事例が多い。死刑になってもいいと思っているから、刑罰を重くしても
事件を防ぐことはできない。気の長い話だが、社会の中で絶望を感じる人を減らすしかない。」
その通りだと思う。それじゃ「絶望を感じる人」はどうやったら減らせるの? 考えなきゃいけない社会問題用語は既に蔓延してる。
「格差社会、非正規、ロストジェネレーション、ひきこもり、超高齢化社会、多様性、寛容、スピード化、効率化、道徳・・」
結局今語られてる社会現象のひとつひとつが「人間が絶望を感じる」こととどうからんでるのかを捉え直すことじゃないだろうか。
30年で変化させた事象はその解消に30年かかる が僕の信条です。
確かに「やった個人」が100%悪い。でもそれで「薄気味悪さ」が消えないのがこの種の事件の本質。「死刑」を望んで殺害に及ぶ人間だって出て来てるんです。「監視」、「刑罰」では抑えきれない、人間社会そのものがその内側に生み、貯えてきた「癌」のようなものが原因なんじゃないでしょうか。だとすると「自分がこうして生きてる事自体がそういう社会癌の発生源になってるかもしれない」と想像し、考えることが必要なんじゃないでしょうか。要するに「自分事」だと思うんです。
朝日新聞に新潟青陵大学の碓井教授がこう書いてらっしゃる。
「疎外感や強い被害者意識から、自分の人生を終わりにしよう、周りも道連れにしようと思って、
無差別殺傷事件を起こす事例が多い。死刑になってもいいと思っているから、刑罰を重くしても
事件を防ぐことはできない。気の長い話だが、社会の中で絶望を感じる人を減らすしかない。」
その通りだと思う。それじゃ「絶望を感じる人」はどうやったら減らせるの? 考えなきゃいけない社会問題用語は既に蔓延してる。
「格差社会、非正規、ロストジェネレーション、ひきこもり、超高齢化社会、多様性、寛容、スピード化、効率化、道徳・・」
結局今語られてる社会現象のひとつひとつが「人間が絶望を感じる」こととどうからんでるのかを捉え直すことじゃないだろうか。
30年で変化させた事象はその解消に30年かかる が僕の信条です。