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学術会議問題の新展開

2023年04月21日 10時07分17秒 | 社会構造改革
政府は「学術会議法」改正案の提出を今国会では断念したようですね。
先日の会議側からの反発が相当きつかったんでしょう。このまま押し通すのは得策でない、国民からのある程度の反発が予想されるとみたんじゃないでしょうか。それと「6名否認問題」を再燃させたくないの思いもあるでしょうね。
今朝の新聞報道では「無力化する」手段を変えてきそうな雲行きです。 要は「国の機関」ではなくす、運営資金も出さないし、「かってな団体」とすることで、提出される意見も無視して行こうというもののようです。
ほんとに今の国=行政は度量が小さい。「いい意見を挙げてください。それをどう活かすかは私達に任せてください。」でいいんですよ。会議が挙げた意見をなぜ採用せず、他の道を選択したかを自分達のことばで国民が解るように説明するだけの事。このことは学術会議が相手であろうとなかろうと行政が最も大事にするべき姿勢。「説明するの面倒だから、上手く説明できないから、」、もっと言えば、「やりたいようにやるんだから」 これじゃ皆さん首ですよ。
先日も書きましたが、これは行政と学術会議間だけの問題じゃなく、「国の形」の問題。つまり我々国民の問題なんです。「自分達に反対するものは『力』で踏みつぶす」そういう国でいいんですかと我々が問われてる問題なんです。 そういう国の横暴に正面から意見してくれる組織が「学術会議」だとも言えるんです。それを潰された後にどんな国になるのか。 90年前に日本人は経験してきたんですよね。 いつ、どこまで行ったら「待った」をかけるんですか。
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「公」が弱い日本 ー学術会議問題ー

2023年04月19日 16時00分19秒 | 社会構造改革
菅さんの時に起きた「政府による学術会議6名の未承認事件」 まだ決着してない。学術会議の会員数も6名少ないままだ。
一昨日かな、政府と学術会議側が会議を開き、政府が考える「学術会議法の改正案」について意見交換をしたようだ。学術会議側から「会員の人選に対して行政側の影響が強い。もっと中立であるべき」との反対論が強く出たようです。当然だと僕は思います。
昨日はこの会議を受けて、学術会議側が「法案の提出を見送るように」との「勧告」を提出したようです。この「勧告」は単なる意見ではなく、「法に基づいて政府に実現を求める文書」で、13年ぶりなんだそうです。学術会議側も必死だということでしょう。

学術会議に関する自論を先に書いてしまえば、
 「社会の諸問題に対する学術的な見解、意見を世に発信し、行政への具申を行う。
  運営費は国(国民からの税金)が出す。  会議の構成員は会議内で決める。」
これでいいと考えてます。外国にもあって、だいたいがこういうスタイルのようです。
行政がとやかく関与するのは無しです。「金だけ出して、しっかり意見、具申してください」でいいのです。行政、お役人たちとはまた違った専門家なんですから。行政の仕事は出てきた意見をどう理解し、どう行政に活用し、どう国民に説明するか なんです。
学術会議も行政も自分の持ち場を国民のために粛々と遂行していけばいいだけの事。

ところが今の行政はそうじゃないんですよ。自分達の考えに異論を言う輩は運営費取り上げて、懲らしめて、自分の言うことをきかせようとするんですね。度量が小さいと言うのかな。  で、これは国民の損だし、危険もはらんでることだと僕は考えるのです。ある方向に引きずられていくことですからね。

さてこういう実態をどう見るべきなのかですが、これは政府、学術会議という「狭い世界」の問題じゃないと思います。「一事が万事」日本社会の縮図だと僕は見てます。
要するに「日本の社会には『公』と言う概念が薄すぎる、薄くされ過ぎた」んだと思うのです。
「世の中 十人十色の人が集まって共同してるものだ」という概念 それが「公」の概念だと僕は考えてます。「考え方」「感じ方」「体の作りから健康状態も」 いろんな人がいる訳でしょう。「こういう人」が多いからそういう人達が「正」じゃないでしょう。少数は少数として十分に認められてないとまずいですよね。
ところが自分と考え方の違う人を「敵」とか「こんな人達」と表現する為政者が出てきて、「公」が薄くなり、「私」「私達」が俄然前に出てくるようになったんだと見てます。

もう一つ「公」という観点で興味を持ってる機能が「公文書管理」。 日本は弱いですよね。むしろ「無い」と言っても過言じゃないでしょう。問題が発生すると、「書き換えちゃう」「捏造呼ばわりして動じない」 りっぱな国だなとあきれませんか。 これは世界的にも恥ですよ。
我々全員の日常の行動はこの「公」の下で営まれてる ここの認識が重要ですよね。
とっても小さいところだと、公園のゴミ箱の使い方 あれだって「公」認識してる? ですよ。
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チャットGPT

2023年04月12日 09時54分07秒 | 社会構造改革
ほんとに「にわかに」表題ソフトが脚光を浴びだし、メディアも報道するようになってる。
僕も3月末に「AI雑感」と題して「恐怖感」をもって思い、現状を書いた。どうも「ただ事じゃない様相」なので、今回は社会警鐘としての「社会構造改革」カテゴリーで書きます。
それ位「ヤバイ」要素があり、地球人みんなが今考えないとほんとに「取り返しのつかない」世界にジャンプしてしまいそうだとな危惧を感じてます。
まずこれを30分みてくださいよ。昨日11日のNHK「クロ現」です。
さて、何を感じました? 他人事? それとも自分事? 使ってみたい? 何を答えてほしい?

僕には「これはいい、便利、使ってみたい」と思う所は無いです。逆に危惧する事ばかりです。どんなものなのかを知る目的で「経験はしてみてもいいかな」はありますが、そこまでです。 世界の賢人(?) 2万人が警鐘を含んで、開発の一時中断を提言してるのも納得です。
機能そのものの弊害もさることながら、今の競争社会(資本主義社会)においては、「先にやった者勝ち」だし、「AIという機能そのものが先に大きくしたものが他の追随を抑え込む」要素をはらんでることから、規制を掛けても必ず裏で研究開発する集団が生まれる事は簡単に想像できます。僕はここに「他に無い恐怖」を感じてます。 昔、MS社(マイクロソフト)がOSの開発を先んじて、世界を独占したのと同じです。但しAIの場合はMS社の比じゃないでしょう。MS社はOSというソフトでした。欠点もあったろうから他の追随だってあったし、ハード技術の進歩がそのOSすらも過去のものにしていく要素があり、いつか独占も自然解消が起きたと見てます。しかしAIは違います。「情報の独占」なんです。独占すればするほどAIの機能もアップし、顧客をつかみ、他は追いつけなくなるのです。これは自然解消とはいかんでしょう。そこが怖いです。
そして「そのAI」が将来のある時から地球全体を上から牛耳るのです。
人間自らが 「己をこれからどうするのか」 そこを決めなきゃならん時なんでしょう。
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今後日本は何で稼ぐのか

2023年04月11日 08時36分31秒 | 社会構造改革
これは先週白州の温泉のサウナで話題になったことです。不安が募る話じゃないですか。

今の日本は何で稼いでいるかと言えば、筆頭は「自動車産業」なんでしょう。自動車産業が伸びて来る前は化学製品、産業機械、造船、流通 そんな産業が稼いでいたんでしょうかね。その自動車産業が今「ヤバイ」という話から始まった談義だったのです。
毎年冬の寒い時季は豪州の娘さん宅で生活するという老夫婦がいらっしゃるんですが、ここ2年ほどはコロナで行けなかった。しかしこの冬は行ってきたらしいのです。そこで見たのは日本車が減って、テスラのEV車(電気自動車)を多く見かけるようになってたんですって。エンジン車は前面から空気を取り込むように作るので、フロントに隙間を作る。EV車は空気を必要としないからフロントの外観が全くこれまでの車と違うので目立つと言ってました。
数日前、トヨタがEV車で新たな戦略を打ち出したと報道されてた。その中でEV車の今の世界市場が紹介されてるが、トヨタは販売台数 世界で28位の約2万台なんだそうで、首位のテスラはトヨタの60倍、130万台なんだそうですよ。エンジン車とは全く技術が違う。これまでの技術が全く活きない世界。生命線は「バッテリー」 現状では太刀打ちできないようです。今これだけ離されてるのって追い着き、追い越せるんだろうか。今の技術って昔みたいに「模倣して、工夫して、追い越す」ってできないものだと思ってるんです。半導体なんかがいい例でしょう。
これで自動車産業も「負けた」となると日本はどうなるの? じゃないですか。
重くなった「サウナ談義」だったな。 でも真剣に考えないとヤバいよね。
「インバウンド」が脚光をあびてるが、所詮薄利多売的で、国民が食っていくだけの産業とはならんでしょう。ロケットも遅れをとったし。「新幹線」「リニア」技術なら売れるかね。「軍需産業を伸ばすか」なんて冗談まで出てきた。
為政者たちはどう考えてるんだろう。「遅れ、萎む」日本になるんかいな。人口も減るしな。
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大学改革

2023年04月08日 10時30分17秒 | 社会構造改革
日本の大学の「競争力」が低下してることは以前から指摘されてる。発表される論文数、引用される論文数等で順位付けしてるようだが、年々順位を下げてるらしい。
朝日新聞の朝刊でそこを取り上げ、3人の識者が意見を述べている。(デイビット・マローン氏の見解を「響いた言葉」に書かせてもらった) お三方の意見をまとめると、「大学が多すぎる。そこに国が出す『運営交付金』が減額され、研究費がままならなくなってる。先生も減らさざるを得なくなってる。自ずと質の低下が進んで行く」 これが日本の現状だというのです。
大学の多さについて、先のマローン氏はカナダと比較してこう解説してます。「日本には800も大学が有る。人口が1/3のカナダでは110校しかない。人口が減少していく中で、減らしていくべきだろう」と言うのです。
他国と十分伍していくために一億総高学歴を目指し、大学を増やす政策を取ってきたのだろう。一理ある施策だったのだろうが、ちょっと行き過ぎたのかも。「有るから行ける、行かなきゃ負ける」文化が住み着いたかもな。この辺で一度見直してもいいのでは。
皆が大学教育受けて何故悪い と問われれば解は無い。また、日本人 どういう人がどこまでの教育を受けられるのが標準なのかも判断は難しい。 でも、今のようにだれでもかれでも大学というのも変な気がする。金がかかる事だからね。政府が「選択と集中」と称して、交付金を絞る政策を取ってるが、必要以上の大学には退散頂こうとの目的なら理解できない事でもない。やるなら正面から国民の理解のもと、堂々とやって欲しいですがね。
マローン氏も警告してるように、一度原点に帰って制度の作り直しをする時期に来てるんじゃないでしょうか。当然ですが、少子化問題とも関係してくるし、我が国の産業構造、生業にも大きく関係してきますよね。単独で考えない事 そこが最も重要なんだろうな。
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「結婚」という制度

2023年04月01日 11時44分06秒 | 社会構造改革
記念の第1回論文は 「結婚」。  結論 日本の制度はもう古過ぎる。

現行の憲法、法律は「異性1人づつがセットになり、子供を生み育て、家族を構成する事」のみを社会構成の単位としている傾向が強い。日本社会の平均パターンとして、「何歳で結婚、何歳で第一子、何歳で持ち家・・・・何歳で定年」みたいなのが昔ありましたよね。こういう形が公然と言われるところに、為政者が考えてる基本形ですよの意味合いがありますね。
今「同性婚」の制度が国別で比較されるほどに脚光を浴びてる。こうなると「異性1対1の結婚て何?」ですよね。もう「人間とは?」の次元じゃないですか。議論がここに至るのであれば、「婚姻届けを出した異性2人が夫婦で、夫婦ありきの制度」では現実に対応しきれなくなるのは見え見えですよね。
まだまだ夢想レベルですが、「婚姻届なんて辞めたら」と考えるようになってます。「いっしょに居た方が幸せならいっしょに居ればいい」 「それが5人だっていいじゃないか」 「当然同性だっていい」 要はその人が「こうしたい」と考えることをまず認め、それが実現できる社会にすべきなんじゃないか。制度を作って、それにはまってくれれば保障しますは逆ですよ。
まず人ありきです。個人に識別番号を付けるようにしたんだからできるでしょう。
だから「社会保障」も「結婚した夫婦」なんて概念を取っ払えばいいんですよ。 日本人と認めた個人に、あくまでもその個人に公助としての各種保障が付いて回ればいいんじゃないかな。男女差なんてない。どんな生活形態なのかも関係無い。年齢で保障内容に差が生じるのは当然だろうし、いいじゃないですか。
ここまで書いてきて、ますますこの考えに自信みたいなの感じるんですが、どこかおかしいとこありますかね。自由だし、国民としての保障も明確だ。
さらに「いいな」と自画自賛するのは「制度が単純だ」という事。「106万の壁」とか「130万の壁」なんて出て来ない。解り易い。「自助、共助、公助」もはっきりするね。
いいねいいね、 これですよ。 こういう社会にしましょうよ。
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根本的な創造が必要なんじゃないか

2023年04月01日 10時07分35秒 | 社会構造改革
今日は「国を憂う」という「現状に対する不満」レベルをはるかに超えた次元の話だなと思うので、「徒然なるままに」書いてみようと思ってる。
昨日「AI」について書いた。あれからも将来起こりうる社会変化をつらつら想像してみた。文明面(ハード、技術)では飛躍的変化が起こりつつあるのは事実。文化面(ソフト、人間精神)では昔想定しなかった事態が出現してる。例えば少子化問題もそうだし、同性婚、夫婦別姓まどもそうだろう。
岸田さんは「社会が変わってしまう」と恐れて、現状維持を暗に宣言された。さて、それでもつのかな? なんですよ。 僕がよく例にする「複雑骨折してるのにも、絆創膏を貼ろうとする」施策では対応できないんじゃないか。もうそんな小手先の対応では「時間稼ぎ」にもならず、「手遅れ待ち」じゃないのかとより強く考えるようになったんです。
ここまで書いて来て、方針変更。 今日はある話題で書こうとしたけど、ちょっと待った。
2023.04.01 いいじゃないですか、年度の始まり。
今日大きなカテゴリー「社会構造改革」を作ることにしました。そこで「思いの丈」を書いていくのがいいんじゃないか。 そうだな、今まで書いて来たことの複写もあるだろうけど。
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