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2週間ぶりの白州

2009年07月16日 21時51分02秒 | つれづれなるままに
今日16日午後神奈川を出て2週間ぶりに白州に一時帰還してきた。
長女が借りたいという山道具をとりに来たのと、小淵沢の画廊の7月展を見に行くのと、会社時代の大先輩から依頼された植栽の段取りをつけるのと、それに小屋の空気の入れ替えが目的です。
2週間くらい時間をおいて来る時はいつもそうなんですが、敷地に入ってくる時大きな不安と小さな期待感をもって近づくのです。人工的に荒されてないだろうか、草ぼうぼうになってるんじゃないだろうか、どんな花が咲いてるんだろうか、あの木はどれくらい大きくなってるんだろうか そんなことを考えながら入ってくるのです。以前に桜が根元から折れて道を塞いでいたこともありました。
今日は特に大きな異常もなく、想定内の変化でした。前回草刈りをやったのでまあまあ見られる範囲の変化でおさまってました。いくつか新しい花も咲いていたようです。今日はおそかったので細かい散策はやってません。明日朝の楽しみです。
さすがに白州は涼しいです。ここ2,3日急に暑くなった神奈川に比べたら天国と地獄です。ちょっと肌寒いくらいです。湿度が低い これがいいですね。
今日甲府盆地を午後3時頃走りましたが、あそこは暑いですね。空気が暑くなってるというより「熱」そのものが盆地によどんでるっていう感じです。神奈川より苛酷だと思いました。そんな土地でも人は活動してるし、寝てもいるんですね。
今回は明後日の朝一番で帰ります。午後「驚きの客」が来ることになってます。
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やっと来た(2)

2009年07月14日 23時00分31秒 | 国を憂う
とうとう決断しましたね。どの角度から見ても遅すぎましたね。昨年秋就任と同時に解散していれば状況は違っていたのでしょう。
唯一「功」をあげれば 自民党という組織がもう時代遅れの組織だということを大いにアピールしたことではないですか。ここ数日の動きはもう末期的症状ですよね。
戦後60数年続けてきた政治体制が終わり、新しい体制がスタートする時が来たと思ってます。
自民党は何をやっても政権与党でいられるという「驕り」を捨てねばなりません。
民主党は何をいっても責任を負わなくていいという「甘え」を捨てねばなりません。
どっちがより国民主権かを競うことになるのでしょう。新しい政治的緊張感が生まれ、国会劇場がもっと興味深いものになることを期待するのです。
かといって即刻そんな期待が実現するとも思ってません。10年、20年を必要とするんじゃないですか。
今肝に命ずる事は「あせらずに、諦めず、先を見て、チェックし、意見することを続けていくぞ」ということなんです。
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やっと来た(1)

2009年07月14日 21時50分56秒 | つれづれなるままに
関東地方も今日梅雨明けですね。昨日は「木金あたりにまた前線が下がってきて梅雨が戻ってくる。梅雨明けはその後の土日頃では」と気象予報士が言ってた。
納得してたのに、そんな昨日の今日「梅雨明け宣言」ですって。
僕の予感 今年の夏は暑いですよ。一昨年42.7度でしたっけ、観測史上最高というのがありましたね。今年更新しますよ。
梅雨明けが早かったこと、明けてそうそうに35度を超えてること、予報士も悩ます異常さがあること 以上が理由です。
そんな今日 久しぶりに通勤電車に乗りました。いやいやもう1回で結構です。昔は毎日乗ってたんだ。利用されてるみなさんご苦労様です。車外の暑さと車内の涼しさ この温度差にはくれぐれも御注意ください。
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急死した友人に線香を

2009年07月11日 17時34分15秒 | つれづれなるままに
大学時代の友人が1月に急死した。今日君津の自宅を訪れ、線香をあげてきた。
毎年欠かさず賀状をくれてた彼からの賀状が届かず、おかしいなと思ってた矢先に亡くなったとの知らせが届いた。
2年前会社の診察で異常値が発見され、精密検査を受けた段階で膵臓癌と診断された。
診断がくだると同時に入院、早急な手術となったがすでに肝臓に転移していて病巣を切除することはかなわず、放射線の大量照射しかできなかったようだ。それでもこれが効を奏したのだろう、その後2年会社にも出れたらしい。昨年の後半は鎮痛剤、モルヒネを使いながらも出社したようだ。さすがに年末には限界がきて緊急入院。それから20日で亡くなったらしい。
論理的に事象を組み立て、理解し、判断して行動する まさに理系の男だった。最後の病気に対しても初期の段階から全てを理解してたようだ。周りに迷惑をかけないように計らいながらも、出社をつづけ、家族の将来への段取りをし、土日は奥様と出かけるように動いてたようだ。
大学1年の時クラス対抗バスケットボール大会でいっしょに優勝し、商品のビールをせしめてガブ飲みしたな。「親父から『金は借りるな』と教えられたんだ。だから借りない」と言って借金することは拒み続けたな。学園紛争では僕とは別のスタンスで立ってたな。流されることはなく、「第1は勉強だろう」と言って、紛争状態に困った顔をしてた。
目立ったやつではなかったけど、どこか凛としてる感じで好きなやつだった。
やっとお線香をあげることができた。年初からの宿題を済ませた気持ちだ。
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小椋桂コンサート

2009年07月05日 15時46分51秒 | つれづれなるままに
昨日近所のホールに小椋桂が来たので奥さんと聴きに行ってきた。生小椋は2回目だと思う。
彼ももう65歳だそうで、最初のアルバムを出したのが40年前になるんだそうだ。
聴衆は「アラシックス」以上でしたね。小椋旋律っていうのがあるじゃないですか。みなさんあの旋律に癒されるんでしょうね。僕もその1人だし、彼の話も好きです。
今回のコンサートでは新しい取り組みを2つ入れてました。
一つは琵琶の演奏(専門家、美しく、歌のうまい女性)とコラボしたこと、自分でも琵琶の弾き語りをやったこと。もう一つはバックの演奏者達と動きの無いミュージカルをやった事。
前者の琵琶。お父さんが趣味で弾き語りをやるのを聴いて育った彼には郷愁的なものが強く残ってるんですね。自分の息子さんが奏者になってもいますよね。今回バックの演奏に琴が1台入っていて、装飾音を奏でてました。和楽器が好きなんですね。琵琶も琴もいい音聴かせてくれましたよ。
後者の「動きのないミュージカル」というのは小椋さんが書いた日本の昔話的な物語を演奏者がそれぞれの役を物語っていくもの。ナレーションは小椋さんがやってました。演奏があり、せりふがあり、物語がある。変わった雰囲気の30分でした。単に曲を作るだけじゃなく、ミュージカル的なことをやりたいと考えてるのかもと想像しました。

歌は十数曲聴かせてくれましたが、中に2,3初めて聴くものがありました。
「恋がたり」という父への思いを歌った曲があります。これは知ってました。いい歌ですよ。母への思いも1曲にしてたんですね。「あまいオムレツ」という曲で初めて聴きました。いい歌でしたね。子供の頃お母さんの作る料理は全て砂糖の入った甘いものだったのだそうです。そのあたりから母への愛を綴ったんですね。

久しぶりの生コンサート ゆっくり癒されてきました。
ついでに書きますが、家から会場までは4,5kmで、奥さんと2人往復歩いたんです。こんなのも変わってるね。
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