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地球レベルで考えてみよう

2021年06月21日 10時26分34秒 | 東京2020
五輪開会まで1か月になった。国内の開催関係者の中では「実施、有観客で」がどんどん強くなってきて、このままなだれ込んでいきそうなムードだ。是が非でも「やりたい」んですね。
世論調査では「再延期、中止」が60%ほど、開催するにしても「無観客」を支持する人が半数を超えているらしい。
僕は「中止すべき」と考えてます。ここでは「菅さんが」とか「バッハさんが」という小さい視野じゃなく、地球規模のパンデミック、祭典と「地球文化論」的に捉えて自分の「中止論」をまとめておこうと思います。

いい歳になって僕は「人間はもっと自然に対して謙虚であるべき」と考えるようになってます。「自然は愛すべきパートナー」と実感しだしたからでしょう。人間が生きるために、あるいはよりいい生活を手にするために自然を破壊し過ぎたと見てます。ここからはちょっと神がかるが、やり過ぎには必ずしっぺ返しが来るとまで考えてます。
しっぺ返しじゃないかと思う兆候は地球上どこにでも見られますよね。「北極の氷が解けて白熊の生息域が狭まってる」「街に熊が出没する」「毎年の豪雨災害」等々。今猛威のコロナも「人間がウィルスの世界に近づき過ぎたのだ」との見解があるが、そうなんだとガッテンしてる。ウィルスは哺乳類が生存を始める前から存在してたのだから、あっちがむしろ先住民。棲み分けが効いていたものを、人間側から近づいて行って、このありさまだ。
こんな何億年という壮大な時間の中で今西暦2020年に顕在化したのが今回のコロナなのだ。
一方、地球あげての祭典としての五輪は所詮人間のエゴだし、趣向だし、お祭りでしょう。しかも4年したらまたやるんじゃないですか。
パンデミックと五輪 どっちが大事、喫緊なんて天秤にかける話じゃないと思うのです。
こうなってしまった以上、最善を尽くして「神に鎮まって頂く」のが先なんじゃないのか。人間自らが防衛の鎧を身に付けることも含めて。それが地球上の一種としてまずやることと考える。
「コロナに打ち勝った証」という表現は謙虚さがなく、ただただ「傲慢」でしかない人間の性の表現です。2020は中止して、2024年パリで「神は鎮まった。良かった。」の祭典をやればいいじゃないですか。
「人間は自然の前には謙虚であるべし」を世界文化として復権させるためにも、今回の五輪は中止すべきなんです。

明日は小さい世界での問題点をまとめておくかな。何度か書いてきたけどな。集大成、これを最後にしよう。
コメント (2)
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