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安楽死論議(2)

2020年07月28日 08時19分04秒 | 安楽死・尊厳死
今朝NHKラジオに「わたなべかずふみ」(この人かも)という方がでてきて、「やまゆり園」関連の話をされてた。話の後半で今回の「嘱託殺人(安楽死願望)」についての氏の考えを語ってた。昨日の僕の記事 上手く表現出来なかったところを的確な言い方をされてたので、訂正を含めて、紹介します。
氏は「やまゆり園」の犯人「植松死刑囚」と19回面接し、事件の芯のところを解明しようと努力を重ねてきた人で、「植松死刑囚が勤務した3年あまりの間に、どういう経験からあのような考えにいたったか」を知りたかったようです。その点が裁判の過程でも全く解明されなかったことに不満を述べてました。ついでですが、死刑が確定すると、もう面会できないんですってね。
そして本題、氏の上手い、正しい表現なんですが、
 僕は
  「社会システムのひとつとして矮小化してはまずい。」
  「命の問題だからもっと血の通った論議を」        と書いたが、
 氏は次のように言った。
  「自死を認める方向を語る」前に
      「障害者が生き易い社会を実現する方向を語る」べきであって、
  その努力無しに、「安楽死」が制度として語られるのは順番が違う。
   (氏は自死についてはそれ以上語りませんでした。眼中にないのかも)

納得できます。昨日書いた「増田さんの手記」もしっくり修まったような気がします。
僕も一歩前進。「僕は自死を否定しない」から論をはじめたが、スタート地点が浅いかも。
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ALSと安楽死

2020年07月27日 15時05分28秒 | 安楽死・尊厳死
治らない(悪化していくだけ)病と人間の命の問題。 事件(「事件」と書くこと自体がすでに見方に偏りがあるかもしれない)が起きて間がない今、こんな事書いていいのかという自問もありつつ、「でも社会構成員全員が考え、それぞれの考えをまとめなきゃならないこと。近々何らかの議論が始まり、あなたはどうなんですかと問われる時が来る」と思うのです。自分でも結論が出てるわけじゃないが、「いっしょに考えよう」の思いで書いてみます。

僕の中で今確信としてる思いがあります。「人には死を選択する自由がある」ということ。
自殺はいけない、生まれた以上生きなければならない とする考えは違うだろうと思ってます。
簡単にこんな風に書いてしまったけど、安楽死の問題の核心はここだと思うのです。
自殺 「あっていい」とするか、「あってはいけない」とするかなんじゃないでしょうか。
僕は「あっていい派」です。そこから始めると、次は「死に方」の選択です。健常者ならどんな死に方だって選択できるだろう。他人の手を借りないで。 しかし、今回の女性の場合どんな「死に方」が選択肢としてあったのだろうか。自力で死を実現できなかった時、どうすればいいのだろうか。ここからです。「他人の助けを借りること」それはいいのか という点が焦点でしょうか。
今はここまででなんです。 先に進みません。 なんとなく見えてる行き先は「他人の手を借りることも良しとしないと頭から矛盾するのでは」 とおぼろげながら・・・。
死を採れる人と採れない人 があるのでは 「平等じゃない」気もします。

朝刊にALS患者や家族でつくる「日本ALS協会」の近畿ブロック会長を務める、増田さんの手記が掲載されてる。氏は「社会に差別があるんじゃないか」「今の社会 重度の障害者が生きることを簡単には認めてくれない」と語っている。そうかもしれない。 でもどんなに愛情濃い、思いやりに満ちた世界が実現しても、個人が「生きることそのこと自体が辛い」と考えることはなくならないんじゃないだろうか。 そう考えると、自殺の選択も認めた方が になるのです。
ただ、いや応無しに始まるだろうこの問題に対する議論でこういうふうにはしちゃいけないと思う点があります。それは増田さんも書いてるが、「単に 安楽死、尊厳死の法制化という社会システムの問題として矮小化してしまうこと」これだけはやってはいけない。「命の話」なんだから「命の話」として温かみを持ち続けた議論にしないと。それには今生きてる全世界の人達がいっしょに考えることだと思います。
アメリカの人種差別問題、中国の香港台湾政策、北朝鮮の拉致、シリア難民 等々、全てにつながっていく議論です。
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