4.28の弁当

2006年04月28日 22時00分49秒 | 僕のレシピ
別にうまくできたわけではありません。
普段こんなかんじの弁当を作ってます的にUPします。

きれいでしょう。レタスの緑が効いてると思いません。
上段の2種は冷凍食品です。
昨夜の「レバニラ炒め」もSubおかずとして付けました。
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4.28の朝食

2006年04月28日 21時54分33秒 | 僕のレシピ
料理も研究、新作があって、それをUPしていくのもおもしろそうなので、「僕のレシピ」というカテゴリーを作りました。ここにUPに耐えられそうな料理ができたときに写真付きでUPしていこうと思います。
いままでの記事でレシピがらみはこのカテゴリーに変更しました。

今日の朝飯を開設記念1号としてUPします。

今朝は急に気分が変わって(普段の朝はパン食です)スパゲッティにしました。
最後の味付けは市販の「たらこスパゲッティーの元」です。
ベーコン、キャベツ、ピーマン、を炒めたところに茹でたスパゲッティーを入れて炒め、豆板醤をちょっと隠し味。いりたまごを作って、あわせて完成。なかなかのうまさでした。

スパゲッティは茹でてるあいだに、いろいろ下ごしらえできるので、そんなに時間のかかるものではないですね。
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レタスは便利

2006年04月27日 06時28分33秒 | 僕のレシピ
僕は毎日手作り弁当を持って行きます。
夕方2合米を炊いて、1合は晩飯、1合は弁当がペースです。
深みがあり、レンジに対応できるタッパーにご飯をいれ、その上におかずを乗せます。その際、ご飯とおかずの間にレタスを敷くことを覚えました。
弁当をよく作る奥様にとっては定番でしょうが、僕はやっとそこに至ったということです。
 ・昼食で野菜が食べられる。
 ・彩りがよくなる。豪華に見えてくる。
 ・おかずの味がご飯にしみない。
 ・なんと言っても、はがして、手でちぎるだけと料理簡単。
    (こんなの料理といわないね。)

おかずは弁当用の冷凍食品を幾種類か買い置き、気の向いたのを2種ほどチンして入れます。朝食で作ったおかずも適当に添えます。りっぱな弁当のできあがり。
仕事場にレンジがあるので、暖め直して食べてます。
8人の職場ですが、弁当持参は3人。他は隣のスーパーで好きなものを買ってきます。女性4人が買って食べる中、僕は手作り弁当をひろげてるのです。おかしな図ですね。
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自分の国に帰ってきた

2006年04月25日 20時41分38秒 | 旅紀行
栃木の蔵街を散策し、14時に出発し、19時に小屋に帰り着きました。
東北道の地から関越道をちょっと走り、長野道を走り、佐久から八ヶ岳を半周して、20号を超え、我小屋にたどりつきました。
夕日の甲斐駒を目にした瞬間、「あっ、帰ってきた。」、中身の濃い2日間だった、友人はいい、行ってきてよかった そんなもろもろの感慨にひたりながらの帰宅でした。
栃木情報 もともと栃木県庁の所在地だったが、3代目の知事が宇都宮に遷都してしまった。それ以後は「昔は首都でした」で残った街。商都。明治時代に何人かの豪商が存在。山車を保有する文化ができ、今でも山車の巡航するまつりが残ってる。5年に1回巡航するそうです。今年11月17,18、19日がその5年に1回にあたるそうです。

街で13台の山車を保有しているようで、これは最大の「天照大神」(高さ9m、明治26年作)です。
栃木 蔵の街の一郭。豪商横山家の店舗。麻問屋と銀行を営んでいたそうです。 
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栃木県鹿沼市から

2006年04月25日 07時41分34秒 | 旅紀行
4月25日鹿沼から投稿です。
昨日、今日の連休で小学校時代の友人を訪ねてここに来ました。

彼も昨年11月に永年勤めた会社を辞め、足利の会社から請われて、ここで単身生活を始めてます。僕とちょうど同じ時期に単身生活者になったのも何かの縁でしょうか。

僕も「合理的な生活」を志向するタイプですが、彼に少なからず影響されたと思ってます。彼は僕なんか足元にも寄れない程の合理家です。
その一端。 防犯用のライト(動きを察知してライトがつくやつ)を家のいたるところにつけてます。廊下、階段などは納得できますが、台所、トイレにまで付けてます。彼いわく、「ライトを消してくれるメイドがいるようなもの」。 なるほど。
確かに便利な場所もあるもんで、山梨に帰ったら、階段には付けようと今考えてます。

昨日ここに来る途中、足利にまわって、「足利学校」を見学してきました。日本最古の学校だそうです。その歴史と関係してきた人達に感心し、保存されてる庭の美しさに感心して帰ってきました。いいものを観ましたね。

学校全景  ・学校門  ・庭の一部

今日は「鹿沼花木センター」と「栃木の蔵街」を見学して、伊勢崎-高崎-佐久-八ヶ岳経由で白州に帰ります。
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最近の母

2006年04月12日 10時37分36秒 | 母の介護
今はまた入院してます。今年にはいって、退院-入院-退院-入院と変遷してきた。通算日数は病院が9割だろう。最新の退院から入院までの自宅滞在日数は1週間。
 悪性リュウマチが体を少しづつ傷めてることはあっても、これが入退院の原因ではないのです。母はのどの機能(空気を吸った時は気管へ、食物が来た時は食道へと仕分ける機能)が著しく低下してるのです。食物、水を誤って気管、肺に入れてしまうのです(医学用語で「誤嚥」)。それが炎症をおこし、急な発熱で周りは何もできなくなり、病院に連れて行くことになるのです。病院では炎症を抑えるために点滴と酸素だけの生活を2週間位続けて、炎症値が下がると退院します。
 これを避けるために、医者は「いろう」処置を薦めます。胸から食堂に管を通し、食物は全てここから胃に入れる。こうすれば、誤嚥はなくなります。ただ「口で物を食する」ことはしなくなります。
 半年前にこれを薦められたけど、「かわいそう」の感情だけで拒否しました。事態がここまで来ると、もう1度家族で考えようとなりました。
 母にもすこしは我慢してくれるよう頼まなければなりません。介護する人、介護される人の共倒れだけは避けなければなりません。
 僕が「非情」になることも必要と考えるのです。
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