ある美術館で今開催してる展覧会2つを見たいと思った。事前のアナウンスでは「入場制限、予約制です」と言う。
見たい以上この制度に従って入場予約を取らねばならない。 今日NETで予約しにいった。
開場時間は9時から17時までで、その間30分刻みで入場者数を50人(?)に制限する方法でした。入場時間は制約されますが、退場時間は規定されてません。1時間いても、2時間いてもいいわけです。
ここからはシステムの話。コロナでなくても既に確立されたシステムなんでしょうけど、こっちが指定し、取得した入場権利がチケットという形(紙じゃなく、NET上の電子データ)で送られて来る。それをスマホで入場時に提示することで入場できる。
システムとしてこんなのが有るだろうは十分想像できるが、使わされたのは初めて。慣れれば簡単、便利ということになるんだろうけど、「情報処理にがて」の人はつらいだろうな。
今回の美術展は2つとも無料で決済という行為が発生しないのだが、利用したシステムには決済機能も付属されてるようでした。
一方、同じ美術館の催しなのに、2つの美術展、使ってる予約システムが違うのには驚きでした。多くのIT会社が参入してるソフト領域なんでしょうね。使わされる方は不便だな。
当日入口であわてることなく、サッとスマホ見せて、入場できるように、始めて使う僕としては何度も練習をやった。A美術展はこうやって、こうやって、ハイ出た。Bの場合はこうやって、こうして、あれっ出ないぞ です。
見たい以上この制度に従って入場予約を取らねばならない。 今日NETで予約しにいった。
開場時間は9時から17時までで、その間30分刻みで入場者数を50人(?)に制限する方法でした。入場時間は制約されますが、退場時間は規定されてません。1時間いても、2時間いてもいいわけです。
ここからはシステムの話。コロナでなくても既に確立されたシステムなんでしょうけど、こっちが指定し、取得した入場権利がチケットという形(紙じゃなく、NET上の電子データ)で送られて来る。それをスマホで入場時に提示することで入場できる。
システムとしてこんなのが有るだろうは十分想像できるが、使わされたのは初めて。慣れれば簡単、便利ということになるんだろうけど、「情報処理にがて」の人はつらいだろうな。
今回の美術展は2つとも無料で決済という行為が発生しないのだが、利用したシステムには決済機能も付属されてるようでした。
一方、同じ美術館の催しなのに、2つの美術展、使ってる予約システムが違うのには驚きでした。多くのIT会社が参入してるソフト領域なんでしょうね。使わされる方は不便だな。
当日入口であわてることなく、サッとスマホ見せて、入場できるように、始めて使う僕としては何度も練習をやった。A美術展はこうやって、こうやって、ハイ出た。Bの場合はこうやって、こうして、あれっ出ないぞ です。
なんじゃ、今年の梅雨は! 7月下旬には上がるのが季節というもの。 梅雨明け、暑い真夏を期待してこの週に戻る予定をたてたのに。 湿気っぽくて、カビ臭くて、体までどうにかなりそうな白州です。 今週一杯は「梅雨明け」無しの予報です。
お風呂で話た地元の農家さん 米の「いもち病」を心配してた。そういう事態らしいですよ。
うちも被害が出てます。塗装工事が終らないのです。

家のまわりは足場で囲まれてます。塗装は8年ぶりのはず。外壁の塗装は7,8年、屋根は12,3年が耐用年数らしいです。僕の代で塗装するのはこれが最後かも。そんな思いもあって、キチンと業者の手でやってもらおうと決めた次第。まだ1週間ほどはかかるらしい。 僕がここにいない時でもやってもらえるので、ぼくの生活リズムに変化はない。
右の写真は 破風に付けた「フクロウの守衛さん」です。 屋根下の石膏ボード ここに野鳥が穴をあけ、屋根下で巣をつくるんですよ。塗装屋さんの提案「効果あるみたいです」を信じて取り付けてもらった。「我家の守り神」みたいで楽しい。
今週は表仕事一切出来んぞ。草刈りやらにゃならんのだが、このままあと2週間かな。
お風呂で話た地元の農家さん 米の「いもち病」を心配してた。そういう事態らしいですよ。
うちも被害が出てます。塗装工事が終らないのです。



家のまわりは足場で囲まれてます。塗装は8年ぶりのはず。外壁の塗装は7,8年、屋根は12,3年が耐用年数らしいです。僕の代で塗装するのはこれが最後かも。そんな思いもあって、キチンと業者の手でやってもらおうと決めた次第。まだ1週間ほどはかかるらしい。 僕がここにいない時でもやってもらえるので、ぼくの生活リズムに変化はない。
右の写真は 破風に付けた「フクロウの守衛さん」です。 屋根下の石膏ボード ここに野鳥が穴をあけ、屋根下で巣をつくるんですよ。塗装屋さんの提案「効果あるみたいです」を信じて取り付けてもらった。「我家の守り神」みたいで楽しい。
今週は表仕事一切出来んぞ。草刈りやらにゃならんのだが、このままあと2週間かな。
今朝NHKラジオに「わたなべかずふみ」(この人かも)という方がでてきて、「やまゆり園」関連の話をされてた。話の後半で今回の「嘱託殺人(安楽死願望)」についての氏の考えを語ってた。昨日の僕の記事 上手く表現出来なかったところを的確な言い方をされてたので、訂正を含めて、紹介します。
氏は「やまゆり園」の犯人「植松死刑囚」と19回面接し、事件の芯のところを解明しようと努力を重ねてきた人で、「植松死刑囚が勤務した3年あまりの間に、どういう経験からあのような考えにいたったか」を知りたかったようです。その点が裁判の過程でも全く解明されなかったことに不満を述べてました。ついでですが、死刑が確定すると、もう面会できないんですってね。
そして本題、氏の上手い、正しい表現なんですが、
僕は
「社会システムのひとつとして矮小化してはまずい。」
「命の問題だからもっと血の通った論議を」 と書いたが、
氏は次のように言った。
「自死を認める方向を語る」前に
「障害者が生き易い社会を実現する方向を語る」べきであって、
その努力無しに、「安楽死」が制度として語られるのは順番が違う。
(氏は自死についてはそれ以上語りませんでした。眼中にないのかも)
納得できます。昨日書いた「増田さんの手記」もしっくり修まったような気がします。
僕も一歩前進。「僕は自死を否定しない」から論をはじめたが、スタート地点が浅いかも。
氏は「やまゆり園」の犯人「植松死刑囚」と19回面接し、事件の芯のところを解明しようと努力を重ねてきた人で、「植松死刑囚が勤務した3年あまりの間に、どういう経験からあのような考えにいたったか」を知りたかったようです。その点が裁判の過程でも全く解明されなかったことに不満を述べてました。ついでですが、死刑が確定すると、もう面会できないんですってね。
そして本題、氏の上手い、正しい表現なんですが、
僕は
「社会システムのひとつとして矮小化してはまずい。」
「命の問題だからもっと血の通った論議を」 と書いたが、
氏は次のように言った。
「自死を認める方向を語る」前に
「障害者が生き易い社会を実現する方向を語る」べきであって、
その努力無しに、「安楽死」が制度として語られるのは順番が違う。
(氏は自死についてはそれ以上語りませんでした。眼中にないのかも)
納得できます。昨日書いた「増田さんの手記」もしっくり修まったような気がします。
僕も一歩前進。「僕は自死を否定しない」から論をはじめたが、スタート地点が浅いかも。
「アベノマスク」まだ配るらしいですよ。 必要? なんかおかしくないですか?
我々の税金ですよ。 国の財政状況は超悪化してるんでしょう?
もう「気が狂ってる」としか思えない。 今報道見て、開いた口がふさがらない。
我々の税金ですよ。 国の財政状況は超悪化してるんでしょう?
もう「気が狂ってる」としか思えない。 今報道見て、開いた口がふさがらない。
治らない(悪化していくだけ)病と人間の命の問題。 事件(「事件」と書くこと自体がすでに見方に偏りがあるかもしれない)が起きて間がない今、こんな事書いていいのかという自問もありつつ、「でも社会構成員全員が考え、それぞれの考えをまとめなきゃならないこと。近々何らかの議論が始まり、あなたはどうなんですかと問われる時が来る」と思うのです。自分でも結論が出てるわけじゃないが、「いっしょに考えよう」の思いで書いてみます。
僕の中で今確信としてる思いがあります。「人には死を選択する自由がある」ということ。
自殺はいけない、生まれた以上生きなければならない とする考えは違うだろうと思ってます。
簡単にこんな風に書いてしまったけど、安楽死の問題の核心はここだと思うのです。
自殺 「あっていい」とするか、「あってはいけない」とするかなんじゃないでしょうか。
僕は「あっていい派」です。そこから始めると、次は「死に方」の選択です。健常者ならどんな死に方だって選択できるだろう。他人の手を借りないで。 しかし、今回の女性の場合どんな「死に方」が選択肢としてあったのだろうか。自力で死を実現できなかった時、どうすればいいのだろうか。ここからです。「他人の助けを借りること」それはいいのか という点が焦点でしょうか。
今はここまででなんです。 先に進みません。 なんとなく見えてる行き先は「他人の手を借りることも良しとしないと頭から矛盾するのでは」 とおぼろげながら・・・。
死を採れる人と採れない人 があるのでは 「平等じゃない」気もします。
朝刊にALS患者や家族でつくる「日本ALS協会」の近畿ブロック会長を務める、増田さんの手記が掲載されてる。氏は「社会に差別があるんじゃないか」「今の社会 重度の障害者が生きることを簡単には認めてくれない」と語っている。そうかもしれない。 でもどんなに愛情濃い、思いやりに満ちた世界が実現しても、個人が「生きることそのこと自体が辛い」と考えることはなくならないんじゃないだろうか。 そう考えると、自殺の選択も認めた方が になるのです。
ただ、いや応無しに始まるだろうこの問題に対する議論でこういうふうにはしちゃいけないと思う点があります。それは増田さんも書いてるが、「単に 安楽死、尊厳死の法制化という社会システムの問題として矮小化してしまうこと」これだけはやってはいけない。「命の話」なんだから「命の話」として温かみを持ち続けた議論にしないと。それには今生きてる全世界の人達がいっしょに考えることだと思います。
アメリカの人種差別問題、中国の香港台湾政策、北朝鮮の拉致、シリア難民 等々、全てにつながっていく議論です。
僕の中で今確信としてる思いがあります。「人には死を選択する自由がある」ということ。
自殺はいけない、生まれた以上生きなければならない とする考えは違うだろうと思ってます。
簡単にこんな風に書いてしまったけど、安楽死の問題の核心はここだと思うのです。
自殺 「あっていい」とするか、「あってはいけない」とするかなんじゃないでしょうか。
僕は「あっていい派」です。そこから始めると、次は「死に方」の選択です。健常者ならどんな死に方だって選択できるだろう。他人の手を借りないで。 しかし、今回の女性の場合どんな「死に方」が選択肢としてあったのだろうか。自力で死を実現できなかった時、どうすればいいのだろうか。ここからです。「他人の助けを借りること」それはいいのか という点が焦点でしょうか。
今はここまででなんです。 先に進みません。 なんとなく見えてる行き先は「他人の手を借りることも良しとしないと頭から矛盾するのでは」 とおぼろげながら・・・。
死を採れる人と採れない人 があるのでは 「平等じゃない」気もします。
朝刊にALS患者や家族でつくる「日本ALS協会」の近畿ブロック会長を務める、増田さんの手記が掲載されてる。氏は「社会に差別があるんじゃないか」「今の社会 重度の障害者が生きることを簡単には認めてくれない」と語っている。そうかもしれない。 でもどんなに愛情濃い、思いやりに満ちた世界が実現しても、個人が「生きることそのこと自体が辛い」と考えることはなくならないんじゃないだろうか。 そう考えると、自殺の選択も認めた方が になるのです。
ただ、いや応無しに始まるだろうこの問題に対する議論でこういうふうにはしちゃいけないと思う点があります。それは増田さんも書いてるが、「単に 安楽死、尊厳死の法制化という社会システムの問題として矮小化してしまうこと」これだけはやってはいけない。「命の話」なんだから「命の話」として温かみを持ち続けた議論にしないと。それには今生きてる全世界の人達がいっしょに考えることだと思います。
アメリカの人種差別問題、中国の香港台湾政策、北朝鮮の拉致、シリア難民 等々、全てにつながっていく議論です。
いい気分の朝なのに またこんな怒りをぶちまけるのか。
皆さんこのニュース どう考えますか。
「いい加減にしろ」の声をあげよう。 多くのコメントがこの記事に表明されてます。読んでください。こんな事すると、さらにこんな問題も発生するのでは を知ることができますよ。
自分を「絶対的権力者」だと勘違いしてる。 もうファッシズムだな。 それとも自暴自棄か。
皆さんこのニュース どう考えますか。
「いい加減にしろ」の声をあげよう。 多くのコメントがこの記事に表明されてます。読んでください。こんな事すると、さらにこんな問題も発生するのでは を知ることができますよ。
自分を「絶対的権力者」だと勘違いしてる。 もうファッシズムだな。 それとも自暴自棄か。
コロナで大変な時に と御叱りを受ける行為なんですが、とあるカフェで弾き語りライブやってきました。オペラで舞台に立ち、人前で歌う経験はここ数年続けてるので、まっ軽く場慣れはしてるかもしれない。でもギター弾き語り独演となると初挑戦。遊びで歌ったことはあるけど、歌を聴きに来た人を前には無い、無い。
いきさつから書き出すと長くなる。そこは割愛。要は店主から「ミニライブやらない?」と声を掛けられ、そういう経験もいいかな、聞いた人がどんな感想をもたれるかな そんな自己発見も面白いと思い引き受けた。冒険心みたいな。
歌う歌17曲はひと月前には決めてた。これまで歌ってきて、自分の中で淘汰され、今でも「いい歌」で残ってる歌手、歌から選んだ。小椋佳、加藤登紀子、中島みゆき、吉田拓郎、高橋真梨子、松山千春、ちあきなおみ。初めてだから、どんな曲が歌えるのか、あのお店のお客さんにうけるのか、とりあえず総花的にやってみてだな がその想い。
やる前に考えたことは「うちで歌ってる時と同じ調子で」歌いたいということ。でも素人は素人ですね。緊張しないわけがない。最初の2,3曲は声も指も調子出てないのが解る。歌の合間にマイペースの話したり、お客さんと会話してりして、気楽になれたよう。50分で9曲歌って休憩。後半は歌声喫茶風にみんなで3曲歌い、弾き語りで7曲。さらに容易しておいたアンコール曲を1つ。これでも時間があまったので2曲みんなんで歌ってお開き。2時間で20曲以上歌ったことになりますね。
ギター1本だし、テクニック持ってるわけじゃないから前奏、間奏、余韻奏をかっこよくできるわけがない。間違いもそこらじゅうに。 まっそれでも長年やってきた「昔取った杵柄」でごまかし上手。
最後の方で1曲だけ録画してもらった。それを聞くと、疲れが出て、音が下がり気味になるのが解る。決して上手いとは言えないが、一般の人には上手い部類なのかな。年齢的に音の高さの維持ができずらくなってるのは事実。
それでも最後まで皆さん聞いてくれました。終了後、いやな評価はなく、「またやってください」の言葉もいただけた。
そう悪くもなっかたかな が感想。またやる機会があったら、今度は歌手を2人ほどに絞ってそれぞれを10曲づつというのが面白いかなと思ってるが。
まっ 面白い経験でした。動けば楽しい事にぶつかるものです。
頂いた花束を玄関に置いた。
いきさつから書き出すと長くなる。そこは割愛。要は店主から「ミニライブやらない?」と声を掛けられ、そういう経験もいいかな、聞いた人がどんな感想をもたれるかな そんな自己発見も面白いと思い引き受けた。冒険心みたいな。
歌う歌17曲はひと月前には決めてた。これまで歌ってきて、自分の中で淘汰され、今でも「いい歌」で残ってる歌手、歌から選んだ。小椋佳、加藤登紀子、中島みゆき、吉田拓郎、高橋真梨子、松山千春、ちあきなおみ。初めてだから、どんな曲が歌えるのか、あのお店のお客さんにうけるのか、とりあえず総花的にやってみてだな がその想い。
やる前に考えたことは「うちで歌ってる時と同じ調子で」歌いたいということ。でも素人は素人ですね。緊張しないわけがない。最初の2,3曲は声も指も調子出てないのが解る。歌の合間にマイペースの話したり、お客さんと会話してりして、気楽になれたよう。50分で9曲歌って休憩。後半は歌声喫茶風にみんなで3曲歌い、弾き語りで7曲。さらに容易しておいたアンコール曲を1つ。これでも時間があまったので2曲みんなんで歌ってお開き。2時間で20曲以上歌ったことになりますね。
ギター1本だし、テクニック持ってるわけじゃないから前奏、間奏、余韻奏をかっこよくできるわけがない。間違いもそこらじゅうに。 まっそれでも長年やってきた「昔取った杵柄」でごまかし上手。
最後の方で1曲だけ録画してもらった。それを聞くと、疲れが出て、音が下がり気味になるのが解る。決して上手いとは言えないが、一般の人には上手い部類なのかな。年齢的に音の高さの維持ができずらくなってるのは事実。
それでも最後まで皆さん聞いてくれました。終了後、いやな評価はなく、「またやってください」の言葉もいただけた。
そう悪くもなっかたかな が感想。またやる機会があったら、今度は歌手を2人ほどに絞ってそれぞれを10曲づつというのが面白いかなと思ってるが。
まっ 面白い経験でした。動けば楽しい事にぶつかるものです。

コロナが無ければ今日は五輪開会式日だったのかな、そして来年の今日は延期五輪の開会式日になるのかな。
「それについて」と問われた小池知事が 「コロナに打ち勝った東京の姿を・・・・」と記者会見で述べてた。
瞬間的に違和感があった。「コロナに打ち勝った」とはどんな状態なんだろう。小池さんはどんなイメージなんだろう。
僕なら「対抗薬、ワクチンができて、インフルエンザ程度の病気として扱えるようになった状態」と定義するかな。
行政の長たる人は軽々しく「曖昧なイメージを発信してはいけない」と思う。明るい夢の世界を希望の風のように吹かせたいのだろうが、「第二波では」と騒がれ始めたこの時期に、あまりにも無責任と思う。再延期、中止になる可能性もまだ半分はあるだろう。
「それについて」と問われた小池知事が 「コロナに打ち勝った東京の姿を・・・・」と記者会見で述べてた。
瞬間的に違和感があった。「コロナに打ち勝った」とはどんな状態なんだろう。小池さんはどんなイメージなんだろう。
僕なら「対抗薬、ワクチンができて、インフルエンザ程度の病気として扱えるようになった状態」と定義するかな。
行政の長たる人は軽々しく「曖昧なイメージを発信してはいけない」と思う。明るい夢の世界を希望の風のように吹かせたいのだろうが、「第二波では」と騒がれ始めたこの時期に、あまりにも無責任と思う。再延期、中止になる可能性もまだ半分はあるだろう。