母の回復

2005年11月27日 16時23分45秒 | 母の介護
母が発病して1年が経つ。半年は入退院を繰り返していた。夜中の発熱、不整脈、救急車、朝まで点滴を受けて帰ってくるケース、そのまま入院したケース、いろいろあった。6月17日の退院以降、決められた通院以外病院には行っていない。
6月の退院の時、病院から「胃ろう処置(胃に管を通し、食物をそこから入れる)をしたうえで、専門医院に移し、介護する方法も選択肢です」とまで言われた。それには姉が強く反対し、「家で看るから、このまま帰したい」旨を伝えた。
その母が担当の先生はじめ、介護事務所の担当の方も驚くほどの回復をしてきた。要介護度は今最高の5ですが、先日の再認定では4か、さらに3に落ちるでしょうと言われてる。ここまで回復した母にはびっくりするだけだ。
姉が24時間つきっきりの介護を続けてくれたことが一番大きいことだったと思う。でももうひとつ母自身が病気を受入れられたことも大きかったと思う。
母は人並みはずれた「強い女」です。終戦の時、北朝鮮からの引揚げ経験を持ってます。その時、乳飲み子の長男と死に別れ、病弱の父を引き連れ、自分は丸坊主になって男装して帰還してきました。その後無一文から今の家庭を築いてきた人生です。
不治の病を宣告された時「なんで私がこんな病気にさせられなきゃならんの?」と捉え、半年パニックしてたようです。「あきらめ」られなかったのです。何かに向かって「恨んで」いたようです。その精神的不安定が肉体的不安定に繋がっていたのです。
姉の献身的介護を受ける中で徐々に「あきらめる」ことができるようになっていったのでしょう。あきらめられれば、後は「強さ」がプラスに効いてきます。「じゃ、分かった。直らないならこの体のままどうしたら楽しめるか」と考えるようになったのでしょう。寝たまま体の各部を動かすことから始め、ベットから車椅子に自分で移ることをやりだし、ベット横のトイレに一人で移り、用を足すまでになってます。デイサービスにも積極的に行き、そこで教わる「墨絵」に興味をもって臨んでます。家で練習するようにもなってます。
肉体的病を患っても精神的に弱くならなければ大丈夫。精神的に弱くなったら、病もますます進み、直るものも直らなくなるものでしょう。そして、精神的に弱くしない方法は「周りの人の見守る心」なのでしょうね。世の中の全部がとは言いませんが、周りの人の対応の仕方でもっと健康になれる病人、老人は多くいるのでしょう。
この母の回復に僕も裏でささえられたと自負する気持ちが少しあります。
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甘利山と千頭星山

2005年11月13日 14時47分57秒 | 山紀行
11月10日天気のよさに誘われ、秋を満喫するために、表題の2山に登ってきました。韮崎の西にある山で、甘利山1,700m、千頭星山2,100mです。とは行っても、駐車場が甘利山のほぼ頂上1,600mですから、30分も歩くと頂上です。
朝7時、いつものY奥さんを迎えに行き、8時過ぎには駐車場です。広い駐車場には1台も車がいません。ロッジも開いてません。だれもいない2人だけの山状態です。当たり前ですね。寒くなった秋の木曜日ですからね。
甘利山は「レンゲツツジ」で有名な山で、6月中旬から7月中旬には真っ赤になるのだそうです。確かに冬枯れしたツツジの木はたくさんありました。美しさはさぞかしだろうと想像するだけで、通り過ぎました。
甘利山からはこれから行く千頭星山の頂が見え、そこまでの道程が左曲がりに見通せます。まっすぐ登っていって、左右に走る稜線にたどり着くと、左に90度曲がって、稜線を登りつめる道程です。僕は北アルプスの笠新道から見た笠ヶ岳を思い出しました。当然スケールは小さいですが。頂上の左には遠く聖岳が雪を付けて光ってました。3,000mを感じさせない低さに見えたのが不思議です。左に富士山、左後ろに奥秩父、甲斐の山並み、右後ろに八ヶ岳・浅間山、稜線に出ると正面に鳳凰三山を見ながらの登山。眺めのいい山です。2回休んで、10時過ぎには頂上につきました。のんびり2時間ほど秋を満喫して、おなかも満たして下山。2時前には駐車場に下りてきました。会ったのは40歳代の男性1人、登りで追い越され、頂上で追いつき、駐車場に下りてきた時はもうその人の車は在りませんでした。
下山途中、真北の方向に白州の町並みを確認。双眼鏡で我が家を探すのですが、小さ過ぎて見つけられませんでした。でも家から見えてる山をまたひとつ歩いたことになりました。
当然ですが、紅葉もきれいでしたよ。山の上もいいのですが、駐車場までの車道の両側が実によかったです。遠く上高地だの日光までいかなくても、それに匹敵する秋を満喫できるところです。お勧めです。あと1週間くらいしかもたないでしょうが。
写真は千頭星頂上からの富士山と甲府の町並みです。
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憲法改正考(6)

2005年11月13日 12時08分54秒 | 国を憂う
たぶんこのシリーズ最終項になると思います。
ここまで「現状での憲法改正は反対です。」と書いてきました。その理由は
1. 国民レベルでの気運があがっていない。
2. そんな中で自民党のエゴとして実施されようとしてる。
3. 今回の改訂内容が実施を急がれてる問題ではない。
4. 為政者に対する歯止め的精神が薄れると思われる。
等です。

最終項で僕がどうしても触れたいのは「天皇制」についてです。
反対とか賛成とかではなく、憲法改正を考えるなら、この点も一度議論しないといけないのではないかと考えるのです。
天皇家が存在することのいい点、悪い点、なくした場合のいい点、悪い点を整理しないといけないんじゃないでしょうか。
なんとなく「いままであったから、そのままあればいいだろう」では皇室に生まれた人達の心労をみるに、あまりにも無責任すぎないだろうか。タレントよろしく週刊誌のネタにまでされてですよ。
僕はどっちかというと「なくてもいいのではないか」という意見でいます。
存在しなければならない理由が見あたらないのです。憲法上謳われている職責は全て実質的ではなく、形として存在してるだけです。例えば「総理大臣を任命する」とありますが、現在そんなこと意識してる国民はいませんよね。自民党が圧勝すれば、「小泉を国民は支持した」と本人が言うくらいですから。
では、なくして困る点はとなると、これがないんです。外国から要人が来たときに国民を代表してご挨拶され、訪問を受けられる。せいぜいこんなことしか思いつかないのですが、それって必要なのでしょうか。なくても問題ない国ありますよね。米国がそうではないですか。
一昔前、「天皇のために」として求心力が必要だった時代がありました。そういう求心力を必要とする時代は決して来ないだろうし、来てもらっても困るわけです。この点では危険性をもってる制度であるともいえますね。

憲法改定がもっと身近なこととなって、我々に突きつけられた時、天皇制についても原点に帰って論議されることを期待します。女性による王位の継承を論議する前に。
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憲法改正考(5)

2005年11月07日 14時23分33秒 | 国を憂う
今回は本題の「軍、安全保障、戦争」についてです。

自民党草案では「自衛隊」を「自衛軍」と替えてます。また第二章を「戦争の放棄」から「安全保障」と替えてます。物としてはより強い印象に替え、その精神はもやっとした不鮮明な印象に替えたというところでしょうか。
さらにその軍の行動基準は「正義と秩序」というあまりにも不明確なものです。米国がここ数年イラクで行ってきたことは「正義」なのでしょうか。イラクにもたらそうとしている秩序はイラク国民にとって好ましい秩序なのでしょうか。それは米国の考える正義であり、秩序でしかないのではないでしょうか。
「正義と秩序」って人によって異なるものです。そんなあいまいな基準を軍の行動の原点に置くより、「戦争はしません」の方がより明確なのではないでしょうか。

安全保障、戦争については僕もまだ確固たる考えをもっていません。
他国がミサイルを北海道に打ち込み、500人の道民が死んだとします。
 (1) 報復はせず、「辞めてください」を世界に訴える。
 (2) 「もう一度やったら、やるぞ」と譲歩する。
 (3) 即相応の報復をする。
 (4) 相手国を叩きのめす。
皆さんはどうなんですか。どれを選んでも、それ相応の覚悟がいります。

現憲法でも「戦争放棄」をうたってますが、上のような事態に至ったときの対応として共通の覚悟はないのが現状ですよね。その意味では現憲法下でも実態のない文言にすがってるのが今の日本人ではないでしょうか。

憲法を改正するのであれば、「戦争放棄」を明言し、かつ「仕掛けられた場合の対応」を国の顔(国民の覚悟)として表現するのが望ましいのではないでしょうか。
「自衛隊が守ってくれる」とか「米国が守ってくれる」とか期待の中でもやもやにしておくのはやめにしてもいいのではないでしょうか。
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憲法改正考(4)

2005年11月07日 13時56分40秒 | 国を憂う
前回「今回の自民党草案内容での改定なら急がなくても」と書いた。
改憲内容のとぼしさと国民の「変えたい」とする気運の無さからみて当然ではないでしょうか。だから今「この草案でどうだ」と国民投票になったら、僕は間違いなく「No」と書きます。
ではなぜ自民党はこんなにもことを急ぐのだろうか。

(1) 結党以来の党是
  自民党は50数年前の結党時に「自主憲法制定」をうたった。これを実施しないことには、「今までなにをやってきたんだ」とするおじいさん達がたくさんいる。
(2) 選挙での大勝
  これは大きいでしょうね。今なら2/3で国会を通せる。50年来の党是を実行できる願っても無いチャンスがめぐってきたと判断したのでしょう。
(3) 憲法改正をもっと簡単な手続きで
  国会2/3の賛成を1/2に今変えれば、今後必要となった時に改憲をやりやすくできる。自衛隊の扱いではこれまで現憲法がある故に苦しい答弁をさせられてきた。こんな苦汁をもう飲みたくない。それには憲法改正がより簡単にできる制度改定が必要だった。
(4) 苦汁の元 自衛隊を軍に
  これが一番大きな狙いでしょう。防衛隊的印象の「自衛隊」から外向きも印象させる「軍」にすることで、処々の壁を乗り越えようとしてるのです。
  自衛軍に対する考察は別に項を設けて考えたい。

国民の改憲に対する温度が上がっていない今、憲法草案の提出は自民党のエゴとしか言えないものでしょう。
本来国がもっとその必要性を国民に教宣するべきです。その結果国民に賛成であれ、反対であれ、自分なりの考えを持たせた上で「どうですか?」と問うものでしょう。理想的なことをいってるようだが、ことは「憲法」です。為政者に理想を求める態度を期待したいものです。
国民も「さじは投げられた」と解釈し、自分の意見を持つよう努力が必要な時期ではないでしょうか。
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憲法改正考(3)

2005年11月07日 00時05分15秒 | 国を憂う
(2)で「憲法と法律」の違いがわかったように書いたが、自民党憲法草案を読んで、もうひとつ関連する大事な機能に気がついた。これを意識せずに法は語れないのですね。
「司法」の存在です。 憲法でも法律でも結局どれだけ定義しても世の中の現象を全て定義することはできず、法にてらして、その正否を判断する機能がいるのですね。それが「司法」ですね。
逆に考えると「法」は文章であって、正否全てを定義することはできないもの、最初からそういう限界を持ったものとしてしか作れないものなのですね。
ということはある部分だけやたら具体的に記述すると、かえってその他を排斥するような理解もできてしまう。表現には注意が必要ということでしょうか。
法にどう書かれていようが、最後は裁判所に判断をお願いすればいいんだ という極論にもなりかねない。僕はここまで無関心ではいられませんが。

現憲法は前文と十章、99条でできてるんですね。
 1章  天皇制
 2章  国民、国の安全保障(ここに第9条があります)
 3章  国民の権利と義務
 4章  国会 (立法)
 5章  内閣 (行政)
 6章  司法 (司法) 三権分立の三権を定義してるんですね。
 7章  国の財政    行政資金をどう集め、使うかですね。
 8章  地方自治    行政の細分化と権限委譲ですね。
 9章  憲法改正の手続き
 10章 最高法規(これが日本国の最高法規と名言してる)
よくできてますね。定義すべきことはされてるし、余計なことは書いてない。

さて今回の自民党の草案はどうなってるかというと、「前文と十章、99条」の骨格は変わってません。
大きく変わったのは
 ・「陸海空軍を持たない」を「自衛軍を持つ」とした点
 ・憲法改正発議を国会の2/3から1/2の賛成で可能とした点
の2点です。
その他は表現を変えた程度で、所詮解釈の差として司法の判断、判例に頼るしかないという効力論からすればたいした変更ではない。

では上の2点のためだけに今大掛かりな「憲法改定」をやる必要があるのでしょうか。
長くなるので続きは(4)にまわします。
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憲法改正考(2)

2005年11月04日 21時22分02秒 | 国を憂う
午前中に(1)をUPしました。忘れないうちに、どうしても気になるので、夕方早速(2)をUPします。憲法の重さというか、普遍(不変)性というか、「憲法ってなに」を考えるとこの辺がつきまとうのです。
ある助教授が新聞に次の2点を解説、持論を書かれてます。
 ・普遍的なものだとするのは日本人の考えかたで、
 ・国会1/2で改憲を国民に問えるとした草案は喜ばしい。2/3としてる現憲法は厳しい。
と 言うのです。
僕は2/3くらいの厳しさがあっても当然じゃないかと思ってた。でも助教授曰く、欧米では1/2であって、国民も普遍的なものと考えるより、時勢に合わせて変えるもんだと考えてるのだそうです。
このあたりが「憲法って何?」を考える入り口じゃないですか。

それで今僕が考える憲法の定義は
 ・日本国が世界に対して「我国はこういう国です」を宣言する文章。
 ・だから国は世界に対して、国民に対して「こうあらねばならない」を定義する文章。
 ・よって国民は「こうあらねばならない」を定義する文章。
なのです。

これって普遍的なものなのではないでしょうか。世界情勢がどう変わっても、国を治めるイデオロギーが変わってもここの基本の基本は変わらないものなんじゃないのかな。だからといって改憲は永遠にないのかといわれれば、それは否定します。所詮その時代に生きた人間が作ったものだからです。新しい世界にあった表現という変更はあるんじゃないですか。日本国民としての「確固たる精神」は永遠だと思うのです。
法律とは世の中の変化に対応しながら、「憲法の精神」を堅持する文章であって、「ある条件化にある間は、国・国民はこうあらねばならない」と決めるものではないでしょうか。大事だなと思うのは「有期であって、条件が変われば廃棄し、新たに制定されるべき」ものだと思うんです。(ここが立法府の仕事ですね)
ここが憲法と法律の違いではないでしょうか。

「憲法とは、法律とは」について僕は自分なりの定義をしたと思います。ここを出発点にしてより細部を、提案された自民党草案を読もうと思います。

今回はここで止めるつもりでしたが、どうしても書きたいので。
憲法で「私達は武力をもって他国を侵害しません。」とうたうのは当然です。
では、「他国から侵害された時どうするか」もうたうべきではないでしょうか。
「やられたら、その相応分はやり返します」とするのか、「やり返しません。私達は裸で『やめてくれ』を唱えます」とするのか。
ここに憲法の大事さ、国民の覚悟が入るのではないでしょうか。
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憲法改正考(1)

2005年11月04日 10時24分23秒 | 国を憂う
この話題気になってます。あまりの「堅い話題」でここに書くのはどうかな なんて思ってたきたけど、やっぱり書くことにしました。(1)なんて番号つけてるのはこれから何回かに分けて書くことが予測されるからです。

ご存知のように、最近にわかに「改憲」話が具体化してきました。ちょっと待って、新聞によれば、小泉さんが2年前に作業指示してたことで、なにも最近の話ではないらしい。つまり僕はこんな具体的な話として進行してることさえ知らずにいた国民だったということです。
この自己反省から「自分の中の整理」をかねて、このシリーズをやりだしたわけです。

さて「改憲」となると、いずれ国民投票になるのです。国会で決められた「国会案」をつきつけられ、「○か×を書け」といわれるのでしょう。こと憲法です。衆議院選挙で党名を書く時のようなあいまいな気持ちでは臨めないように思うのです。その時までに自分の考えをまとめておくことが必要だと思います。

僕は理系の人間です。憲法とか法律とかこれまで55年間まじめに考えたことはありません。これを機会に考えてみるのもいいでしょう。どうも考える時間はあるようだから。
そこで先月から「改憲」に関する新聞記事を切り取ってます。まだ読んでません。
読む前にある程度は自分なりの考えをもってかかろうと考えたからです。そして今そもそも「憲法って何」「なんで必要なの」「法律との差はなに」そんな入り口でつまずいていて、新聞記事を読むにいたらないのです。

このシリーズを書いていく中でまとめていければと考えてます。

今回はイントロだけ、ここでやめときます。
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