人に優しい線と色 2005.02.14
人間は生活効率を優先するあまり、自分達に優しくない線と色で自分達の環境を悪化させてきた。
都会は定規で測ったような直線と計算され尽くした曲線ばかりだ。色の面から見ると、優しくない色とは言わないが、所詮優しくない形にどんな色をもってきても優しくはならないだろう。
ぼくはある時、この優しくない線に囲まれてることに気づいた。この感覚は一旦気づくともう解消することはなく、益々嫌気が膨らむ感覚らしい。
山に登りに行く。遠くの稜線の優しさ。北アルプスの切り立った壁でもその線は力強く、優しい。木々が持ってる線はなんと暖かみがあることか。あの線の上に緑、黄色、赤、時には枯れた茶色までが目に優しい。せせらぎを見る。刻々形を変化させるが、同じ形にはならない。できた泡までが渦を巻いてる。
薪ストーブを眺める。炎の形は絶妙だ。あの炎色が暖かさを感じさせる色なんだけれど、あの色が濃淡を付けながら、形を変化させる。あの変化具合があるから炎は暖かく感じるということが解かる。この優しい暖かみが石油ストーブでは味わえない肌への優しさを演出する。
定規で測ったような直線と計算され尽くした曲線のなんと冷たいことか。余裕かない。変化がない。変化してもそれは計算された変化、人間が作った変化でしかない。死んだ構造物の集まり。そんな環境で健全な精神構造の人間が育つはずがない。
現代人の心がすさんでいるのはこんな環境が起因してないだろうか。
私は山小屋に行く。あたりまえだが、見なれた線、色の集まりだ。全てが生物の線ではない。しかし、圧倒的に生物の線、色が私を包む。見飽きることは決してない。心が静かに、ゆっくりと定着していくのを感じる。自分は生きてる人間であることを自覚しながら。
私はそんな環境で生活したい。その中に居続けた場合、都会から帰ってきた時に感じる心の変化を楽しむことは出来ないだろう。鈍感になってきたら、感じたくなったら、ちょっと都会の空気を吸ってくればいい。
ブナの幹は水の流れる音が聞こえるという。聞こえるはずはないのだが、あの線、色が水の流れを人間に感じさせるのだ。高層ビルに耳を着けても冷たいだけで、何も聞こえない。聞こえても鉄骨のきしむ音くらいだろう。
人間は生活効率を優先するあまり、自分達に優しくない線と色で自分達の環境を悪化させてきた。
都会は定規で測ったような直線と計算され尽くした曲線ばかりだ。色の面から見ると、優しくない色とは言わないが、所詮優しくない形にどんな色をもってきても優しくはならないだろう。
ぼくはある時、この優しくない線に囲まれてることに気づいた。この感覚は一旦気づくともう解消することはなく、益々嫌気が膨らむ感覚らしい。
山に登りに行く。遠くの稜線の優しさ。北アルプスの切り立った壁でもその線は力強く、優しい。木々が持ってる線はなんと暖かみがあることか。あの線の上に緑、黄色、赤、時には枯れた茶色までが目に優しい。せせらぎを見る。刻々形を変化させるが、同じ形にはならない。できた泡までが渦を巻いてる。
薪ストーブを眺める。炎の形は絶妙だ。あの炎色が暖かさを感じさせる色なんだけれど、あの色が濃淡を付けながら、形を変化させる。あの変化具合があるから炎は暖かく感じるということが解かる。この優しい暖かみが石油ストーブでは味わえない肌への優しさを演出する。
定規で測ったような直線と計算され尽くした曲線のなんと冷たいことか。余裕かない。変化がない。変化してもそれは計算された変化、人間が作った変化でしかない。死んだ構造物の集まり。そんな環境で健全な精神構造の人間が育つはずがない。
現代人の心がすさんでいるのはこんな環境が起因してないだろうか。
私は山小屋に行く。あたりまえだが、見なれた線、色の集まりだ。全てが生物の線ではない。しかし、圧倒的に生物の線、色が私を包む。見飽きることは決してない。心が静かに、ゆっくりと定着していくのを感じる。自分は生きてる人間であることを自覚しながら。
私はそんな環境で生活したい。その中に居続けた場合、都会から帰ってきた時に感じる心の変化を楽しむことは出来ないだろう。鈍感になってきたら、感じたくなったら、ちょっと都会の空気を吸ってくればいい。
ブナの幹は水の流れる音が聞こえるという。聞こえるはずはないのだが、あの線、色が水の流れを人間に感じさせるのだ。高層ビルに耳を着けても冷たいだけで、何も聞こえない。聞こえても鉄骨のきしむ音くらいだろう。