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墓仕舞い紀行

2025年04月16日 14時55分43秒 | 旅紀行
13日 日曜日 福井へ
当初は 中央高速で松本行き、下宿3年目になる孫娘の下宿生活を覗き見てから福井へ と考えてたいたのです。出発の2日前に福井の友人から「岐阜県から福井県への山越えは通行止めになってるはずだが」と聞かされて、慌てて情報収集。松本から高山に抜ける国道、岐阜福井間国道 の2つが通れないとわかり、急遽東名利用に変更。「孫下宿への朝駆け」は深野となった。
それはそれで、新東名を走る別の楽しみで埋められるんですがね。新東名は今回が初めて。さすがに新しい道ですね、広くて、走りやすかったですよ。娘と1時間ほぼ100kmづつで運転ん交代。娘も走りやすかったんだろうね、軽自動車に大人3人だというのに120km出してましたよ。ただ、名古屋手前で旧東名に移らなばならん所は神経使ったな。あそこは要注意ですよ。
でも東名使うと松本回りの半分の時間で行くね。500km 休憩もいれて8時間弱。日本の大動脈って思えます。  福井県内はちょうど桜が満開。 今庄辺りの日野川土手が綺麗だった。
2時頃福井に入って、友人宅へ。翌日この友人夫婦と山代温泉に泊まる事になってるが、息子夫婦にも会っておきたいし。1時間ほど話して、ホテルへ。 チェックイン後 神戸から式に参加してくれる従姉妹と夕食。考えてたお店が無くなってる。福井駅に隣接したお店だったのに。ちょっとした改装をやって、テナントも入れ替えがあったよう。良さそうなお店見つけて夕食。

14日 月曜日 儀式
8時にホテルを出る。式は10時から。 福井駅前からお寺までは1時間弱。 車は僕とかみさん。 娘は従姉妹と電車、タクシーで移動。ここが軽の弱い所。
もう1人の従兄弟夫婦は前夜芦原温泉に泊まってた。かれは前日万博の開会式で第九を歌い、大阪花月でお笑いを見、それから芦原へと移動してた。
10時から式やって、12時に寺を出、芦原温泉街のよく行く蕎麦屋さん「福乃屋」で超辛い「おろし蕎麦」を頂く。ここまで辛いとは思わなかった。想像以上。
13時過ぎ 蕎麦屋さんで解散。それぞれに帰宅。 ぼくは娘をJRの芦原温泉駅まで送って別れる。 われわれはそこから山代温泉に移動して、友人夫婦と一泊。
友人の奥さんは今病気療養中という事で自宅に泊めてもらうのはちょっと遠慮した。その代わり以前から「山代にいいホテルがあるのよ」と言ってるので、そこに泊まろうとこちらから提案してこうなった。素晴らしいホテルでした。彼らは家から4、50分で来れる近さ。分かってくれる人だったらでよく利用してるようだ。
森の栖 リゾートスパ」といいます。 ぼくがこれまで使った宿泊施設の中で一番良かったと思うな。これ以上は書いても書ききれないからnet情報を見、想像してください。

            いい宿です。お勧めです。

15日 火曜日 大和に帰還
10時にホテルを出て、そこで解散。僕たちは神奈川へ。 彼らはさらに忙しいのです。この日にこうやって泊まることになるずっと前から 夫婦2人でギリシャ、エーゲ海クルーズ旅行を決めてたのです。出発の前日だというのに僕たちにつきあってくてたんです。夜中11時に関空から飛ぶことになってて、14時のJRで福井から関空に向かう予定だったんです。
僕達の帰りはまた新東名を走ってきました。ただ今度は運転手は僕1人。 行き同じ、1時間100kmほど走ったら小休憩を取りながら。途中眠くもなったな。大仕事を終わらせた 大きな充実感が込み上げても来たしね。まっどうにか6時過ぎには大和に帰ってきました。
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横須賀旅 写真

2024年06月30日 08時53分08秒 | 旅紀行
かねよ食堂        

観音崎          

歩テル         

横須賀ビール          
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横須賀旅 2日目

2024年06月29日 08時36分29秒 | 旅紀行
二日目は終日雨、しょうがないよな梅雨入りしてるんだから。一日目がどうにか雨無しで観音崎を散策できた、まっそれで良しでしょう。
10時の京急バスで一路横須賀中央へ。 雨が無ければ街の散策だけど、ともかく雨。かと言って何か食べる、飲むで雨宿りする腹具合でもない。海のほうに「ポートマーケット」という大きい施設があるからそこで雨宿りすることにした。大きなフードコートで、Wi-Fiもある。まっ快適な空間。1時間待っても雨はあがらず。
あきらめて、次の行動を決めて動くことに。 ドブイタ通りの端に「横須賀ビール」という店があるらしい。そこで横須賀の食を味わうことに。
このお店 自家製のビールを飲ませてくれる。店員さに勧めてもらったビールを。さすがにちょっと変わった味。でもこれはこれで癖になる風かも。他に海軍カレーとハンバーガーを一つづつ注文。ここだけで横須賀食を堪能。まっいいんじゃないか。カレーはただただ昔風な味。ハンバーガーははさんだハンバーグがまさにアメリカ物って味。昔厚木飛行場のお祭りで、中で食べたバーガーを思い出したほど。
腹一杯になったころには雨があがってた。 ドブイタ通りをブラブラしながら汐入駅へ。 スカジャンのお店が10店以上あったが、1店だけ雰囲気の違う店があった。ここにスカジャンの刺繍に命かけてる職人さんかいるというのは聞いてた。うん、ここの店主だなと分かるほど格の違いを感じた。こういう物ですかね。
汐入駅前に横須賀芸術劇場があるんだ。初めてしった。高校の校歌祭でここで歌うチャンスもあったが、何故か参加してない。立派なホールと聞いてる。こうして目の前にすると、経験しておけば良かったなと後悔。

汐入駅で京急に乗れば、こんかいの旅も終わり。 娘は夕方から別件があるというので、ここから真っ直ぐアパートへ。ぼくとかみさんはもう一旅。京急の無料券を使って江ノ島まで移動してみることに。
汐入(電車)金沢八景(電車)逗子葉山(バス)鎌倉(バス)江ノ島  ここからは小田急で有料。
八景、逗子葉山での乗り換えは気持ち悪いくらい順調。 だってこんな田舎ののりつぎですからね。 逗子から鎌倉までの道は狭くて怖い道だったな。運転手は上手いものだ。鎌倉に3時過ぎに着いた。次の鎌倉江ノ島間のバスを探す。時刻表を見る。えっ1日に3本だけ? 2時半に最終が行って、もう無いのかよ。そんなものですかね。 でも鎌倉まで来てれば別足の心配は無い。江ノ電で藤沢にでればいいからな。
後は順調。結局5時に家に帰り着きました。家までの最後の徒歩は土砂降りの中、家に着いたらそのままシャワー。 楽しく、面白かったが、疲れたな。 近場でもこんな楽しみができるんだ は新発見だったかな。
この後 写真集をまとめるかな。 ただし今日はできない。今日明日と予定がいろいろ。忙しいな。
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横須賀のホテルに泊まってる

2024年06月28日 00時16分53秒 | 旅紀行
27、28の一泊二日で横須賀にある「ラビスタ観音崎テラス」というホテルにかみさん、長女の3人で泊まってる。
何でまたそんな近くの横須賀なんぞでなんだが、つい10日ほど前に急に決まった話。というのも長女から「会社から『6月中に有休を3日消化してください』と業務命令が出ちゃった。近場しか行けないけど、一緒する?」と話がきて、こうなった。娘の友人にこのホテルの本部に勤めてる人がいるらしく、そこ経由であっという間に話が決まった。
小田急で湘南台、地下鉄で上大岡、京急で馬堀海岸、京急バスでホテルへのルート。娘とは湘南台で9:30に待ち合わせ。上大岡からの京急は 京急&京急バス2日間乗り放題、かつ提携の観光施設は割引ありで1,810円のチケットを購入して動いてる。おそらくこれはお得とでるだろう。先の話だが、帰路は逗子葉山・鎌倉・江ノ島と移動、ここまでは無料。江ノ島から有料で帰ろうと考えてる。
27日まず大きいイベントは このBLOGの「予定表記事」の行ってみたい所欄に数年前から「横須賀 かねよ食堂」と書きっぱなしになってる。今では どうしてこのお店を見つけたのかさえ忘れてしまった。確かTVで紹介してたんだと記憶してるが。横須賀でブラブラならここで昼をと提案したら、即決でした。net記事ほどに「美」ではなかったですが、料理は美味かったです。ちょっと辺鄙な場所で平日だというのにお客さん多かった。お勧めです。
午後は観音崎灯台、横須賀美術館をブラブラ散策。観音崎灯台は日本で最初の西洋式灯台だということ、東京湾の入り口で、房総半島との距離は7kmしかないこと、そのせいでしょうが、灯台を中心にした高台一帯は先の大戦の遺構(砲台、弾薬庫など)が多く残されてる場所だということ そんなことを神奈川に住んで60年近くになる今日知りました。
ホテルは ですが、 いいホテルなんじゃないですか。平日だからかもしれないが、静かで、落ち着いてる。いろんなところに感じる小さなサービスも心地いいです。東京からも便利だし、ひっそり感もあって、箱根より居心地いいんとちがいますかね。
今日は雨も降らずで、この時季としては合格の天気だったでしょう。明日は1日小雨らしい。横須賀にもどって、スカジャン、海軍カレー、ハンバーガー、チーズケーキ、ドブ板通り を散策するんじゃないかな。
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旅全般雑感

2024年05月30日 11時02分20秒 | 旅紀行
29日午後 富山から乗った新幹線の中、「そうだったのか!」と悔やんだ事。東海道新幹線なら「のぞみ」「ひかり」「こだま」違いわかってるじゃないですか。北陸新幹線 「かがやき」「はくたか」「つるぎ」違い知りませんでした。 知らないまま、「この時間くらいの発車でいいか、これで取って」で予約した「はくたか」に乗ったのですが、上越妙高駅で富山を11分後に出た「かがやき」に抜かれました。あっちなら30分早く東京に着いたんか? もうちょっと勉強してから行動しろよ! なっとく。
しかし、日本の新幹線技術は凄いものだを再認識。これは十分売り物になりますね。真似したような中国の高速鉄道では品質が低過ぎて売れないでしょう。

神奈川の我が家から福井に行くにあたって、どうだろう、東京に出て北陸新幹線のルートを今後使うかな? 東京駅まで行く時間がなぁ〜。 かと言って、東海道、米原経由も米原から福井への乗り継ぎが不便になったらしいからな。どれほど不便なのかをちゃんと調べておかんとまずいな。まだ何度もか帰福機会はあるはずだからな。

さて北陸新幹線だが、「赤字路線だろう」の心配は消えませんでした。東京から金沢までは観光目的でどうにかペイするのかな。 ぼくが乗った行きの列車 金沢で8割かたおりたよな。金沢から先、福井、敦賀に利用する人は少なかった。指定席を取らなくても座れる区間でしょう。 敦賀から京都大阪へと繋ぐ予定のようですが、関西から金沢富山に向かう客はいそうで、新幹線としてはペイするのかな。でも郷里が故に寂しいんだが、敦賀・金沢間はペイせんでしょうね。

今回の旅は成果のあった旅だったな。 やはり、懸案、心配が大きかった墓問題を大きく前進できたのが大きい。時間をかけて、かつ丁寧にアプローチしてきたことがよかったんだろうな。誠意が伝わるってうれしいね。それをわかってくれるお寺さんだったというのがいい。 だから今後も無碍にはできんという仏心が出てきちゃった。
友とも中身濃い時間が持てた。こんな歳になっても社会のいろんな面を勉強させてくれる人達だ。再会を約して別れてきたが、近々1人欠け2人欠け となっていくんだろう。 そこは覚悟した上で、頑張っていかんとまずいんだろうな。

こんどの旅でiPadを初めて携行した。これまでスマホは携行してたが、情報検索してまでどうのこうのとはやらなかった。画面が小さいからなんだけど。 iPadクラスになるとやはり便利を実感しますね。リュックに入れて持ち運ぶのも重くないし、壊れる心配も不要だった。 一方Wi-Fiなんだが、もうどこでもfreeWi-Fiが飛んでますね。強いて言えば、繋ぐ手順を標準化してほしいな。友人Aは「旅にでるのの必需品 カーナビとiPad」と言ってました。 わかるね、凄い時代ですわ。
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富山と八尾

2024年05月30日 10時14分02秒 | 旅紀行
友人A宅も昨年お母さんが亡くなり、先代がいなくなった。男の子2人は家を出てしまい、田舎のでかくて、古い家を夫婦が切り盛りしてる。隣のB君宅同様、新しい文化を注入してる感じ。いいのだ、いいのだ。  頑張れ 入植妻達よ!

2日目の朝は土砂降り。歩いても5分ほどの「越前鉄道(僕の時代は京福電車と呼んでた)」の駅まで車で送ってもらった。凄〜い田舎の通勤電車に同乗。福井は基本車通勤の社会、私鉄は潰れて行く運命。そんなところを感じてもみたかった。隣の駅はぼくが住んでた村の最寄駅。 懐かしいね。 駅舎の場所、大きさは昔のままだった。
一つ、これから解明せにゃならんことだが、福井駅でちょっと疑問な光景があった。乗ってきた電車は折り返しで勝山行きになるのだが、その電車にヒジャブを着けた外国女性が大勢乗ってきた。ぜったい観光客じゃないと思う。工場作業員としてマレーシアあたりからきた集団就職者だと思うがな。でもそんな工場この沿線にあったか? 謎です。
福井から8:52発「つるぎ」で富山へ。 富山は行ったことがない。素通りしたことは2度3度あるが。さらに泊まりは越中八尾で予約した。「風の盆」を感じてもみたいから。
富山について、ともかく喫茶店に入ってしばし休憩。 外はどしゃぶり。 疲れもあったな、動く気もしない。
かみさんが観光案内書から富山市ガラス美術館なる物を見つけた。   
隈研吾さんの設計のよう。 興味がわく。 中に入って驚いた。 凝った空間。 隈さんの国立競技場にはさほど魅力を感じてこないが、ここは違った。よくこんな空間を想像=創造できたな です。どんな脳みそしてるんだい。

市内の移動は路面電車がいい。 のんびり感がたまらん。貴重だな。  

2時過ぎに高山線で八尾に移動。 JRで30分ほどかかる。 八尾は「風の盆」で有名。9月1、2、3日の祭当日はとんでもない人出と聞いてる。今はただの田舎町。
泊まった「宮田旅館」も我々意外は客無し。 貸切り状態。      
この宮田旅館に泊まると言ったら、A君夫婦も泊まって見たいとのこと。 彼等は福井から車でとんできた。 だから4人で貸切り。 この宮田旅館は俳優柴田理恵さんの母方の実家としても有名。A君の奥様はここの食事が美味しいとの噂を聞いてて、泊まりにきた。柴田理恵目的で来たわけじゃないことは書き添えておく。
ところがチェックインしてみたら、「ここは夕ご飯は無いんです」とのこと。 どうりで宿泊費が安かった。 「食事がいい」のは朝食だったんでしょうね。それはそれで期待しちゃう。 それから近くのスーパーに夕飯の買い出し。 風呂入って、また12時近くまでだべってた。
写真の 旅館前の通りを踊りの列が進むのだそうです。想像しちゃいますね。

        これが期待してた朝食。 美しいし、美味しいし。 

この宮田旅館 いいですよ。 お勧めです。 家は築100何年といってた。能登地震でちょっと亀裂がはいったらしい。 大事にしたね、こういう文化は。 ちなみに 方言風なんでしょうけど、「みやだ」と発音するのだそうです。

旅の最終日、富山15時過ぎの新幹線を取ってある。 午前中旅館近くの和紙工房「桂樹舎」で和紙の博物館を見学してきた。5月2日の朝刊で民藝活動との関連でここが紹介されてた。それまで当然知らなかった工房だが、のぞいてみたくなって行ったんです。 これもなかなか面白い展示でしたよ。 「和紙されど和紙」でしたね。
JRで富山に戻ってまた茶店でのんびり。かみさんはお土産買い、僕はBLOGの下書き。
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中身濃い1日

2024年05月28日 11時29分49秒 | 旅紀行
旅2日目の11時半 富山駅の喫茶店でゆっくりしてる。 昨日は濃い1日だったな。
お寺さんとは1時の約束。12時に寺に着いて、まず墓掃除。 当然だがだれも手入れに来てない墓、小木は伸び放題だし、雑草も生え放題。予想以上。 木を切るのは僕、かみさんが草取り。1時間では綺麗にならない。 途中で切り上げ、お寺の方に。早速本題に。 事前にに送っておいたぼくの考えは読んでくれてて、話は早い。
ここからは予想外の進行。 墓仕舞い&合祀してもらうこと、姉の法名を準備して貰うこと 「大丈夫です。いつでもお受けします」との返事。 ちょっと気が抜けるような最高の返答。
費用についても軽くきいてみた。 墓仕舞いは石屋さんの作業費はわからない。お寺での費用も今問題視されつつあるような額はいりません。ほんとにお気持ちで結構ですとのこと。
法名については お一人1万円でお作りします とのことだった。さらに法名は生前に作っておくのが本来です とおっしゃるので、まだお願いはしてこなかったが、作っていただく方向で考えてる。
事全て順調。 お寺さんに誘われ、本堂でお線香をあげさせていただき、本堂裏の合祀墓も見せて頂いた。
「墓仕舞い」して、この寺との縁は切れるんだろう と考えてたが、こんなに親切にしていただいたんでは、むしろぼくの代だけでもお付き合いをしていきたい との思いにさせられたな。
詳細はこれからおいおい決めていきましょう となってお寺を出た。

  (ここからは 旅初日分を追記  今29日の昼 富山駅にて )

芦原温泉から在来線で福井に向かう。 泊めていただく友人(A君)が駅まで迎えに来てくれる。
この友人宅の隣にやはり小学校時代の同級生(B君)夫婦が住んでて、彼が招待してくれ、しばしの歓談。同期3夫婦6人。Bの家には幼少の頃何度も上がり込んでたが、ぼくが福井を離れてからは訪問したことがない。 中に入ってびっくり、とんでもない豪邸に住んでる。玄関入ってまず「ここは美術館か?」思う雰囲気。ここだけで圧倒された。
こうなった経緯を簡単に。 元々は農家 お父さんお母さん時代に広くて金かけた庭、家屋を作り、その両親が他界されて、彼等夫婦が引き継いだ。町が大きくなるに合わせて、田んぼを買い上げられる時期があり、大金ができてしまった。それをB君夫婦は自分達の趣味で家の改修を行なってきた結果が今。
もう一つの面。 B君は東南アジア方面での仕事経験が長い。夫婦で赴任してたよう。 僕達が住んでた地域、時代はまだまだ男尊女卑的文化が強く、100%「女は従う者」だったんです。Aの奥さんは表日本から嫁いできた女性で、彼女からその辺の辛さ、愚痴をたくさん聞かされてきた。 自分を生きるなんて出来ない場所だったんですね。 そんな夫婦が東南アジアに15年も行ってて、貴族生活をやったわけ。 この環境で二人は上手く賢くなったんだと思うんだが、「楽しく生きて行くには」を掴んだんでしょう。彼は僕と同じで早期退職、奥さんはインテリア感覚の実践を楽しんできたようだ。旦那は金儲けがうまい、田んぼを売らざるを得なくて金は入る、奥さんは家を自分の城に作り変えていくをやってきたら、こんなとんでもない(僕に言わせれば)家になっちゃった。 それでいてチャラチャラしてるんじゃなく、落ち着いてて、重厚感を感じる家なんですよ。
ついでに A君B君の奥さん、他に同じ思いで辛さを感じてきた奥さん達が今グループを作って、新しい女の生き方を実践してるようです。
長くなったが、 「賢い女性達が地域の文化をガンガン変えてる」 ということですね。
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北陸新幹線で移動中

2024年05月27日 08時55分17秒 | 旅紀行
今日から2泊3日 福井、富山へ旅行です。 旅行とはいっても、主目的はお世話になってきたお寺に行って、「墓仕舞い」の承諾を取り付ける交渉です。 大変なんだろうな。 今日午後その会談です。 すんなり事が進んで欲しいが、「お寺経営」を推察するに、そんな簡単に承諾してもらえるものでもなさそう。 周りでも苦労した、してる話を聞いてるし。
まっ、誠心誠意こちらの実情、希望を話して了解いただくしかないと考えてる。
それが終われば、今晩は幼友達宅で泊めて貰って、明日はこの友人夫婦と富山の八尾に小旅行することになってる。「おわら風の盆」でもないのになぜ八尾か? そんな混雑する時に行かなくても、「おっここで静かに夜通し踊るのか」を感じられればいいでしょう です。 だから後半はリラックス。 ともかく、今日をいい方向で済ませたい。

朝6時に家を出て、8時11分東京駅発の北陸新幹線に乗りました。 1時間15分ほど走ってきて、今長野の手前まできてます。11:46に金沢、ローカル新幹線に乗り換えて芦原温泉に11:30到着。駅からタクシーだろうな、お寺までは10分ほど。 天気は悪い方に向かってるようです。お墓の掃除もと考えてるが、雨はやめて欲しい。
2度と乗る事ない北陸新幹線、どういう位置関係にあるかを楽しみながら と考えてるが、もともと信州の地理感覚が弱い。どこをどう走ってるおやら。緑の山があって、うん日本の田舎、農村だなを思わせる風景の中をすっ飛んでます。 9:37 長野に着きました。
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瀬戸内旅行 写真集

2023年11月12日 11時02分55秒 | 旅紀行
11/03  羽田 ー 高松 ー 直島   直島泊    瀬戸内紀行①

 ・ 高松港ー直島 フェリー 赤カボチャ(草間彌生) 直島パヴィリオン(藤本壮介) 
         
                      

 ・ 直島 ベネッセミュージアム
            

 ・ 直島 ヴァレーギャラリー
            

 ・ 直島 夕日 夕食(瀬戸鯛の煮付)
         

11/04  直島 ー 豊島 ー 小豆島        瀬戸内紀行②

 ・ 直島役場 直島朝食カフェ 女船長
      

                 

      

 ・ 豊島 は写真無し。

 ・ 小豆島 昼食(カレー屋さん)
          

11/05  オリーブ園 寒霞渓 福田港 ー 姫路 ー 新横浜   瀬戸内紀行③

 ・ オリーブ園     

 ・ 寒霞渓               

 ・ 福田港 最後のフェリー            
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瀬戸内旅行③

2023年11月06日 21時18分05秒 | 旅紀行
まずこの旅行記③を書き始めるにあたっての前置きから。これを打ってるのは11/6の午後、自宅のPCからです。再入力なんです。昨日6時過ぎに乗った新幹線の中で2時間ちょい文作ったんですよ。新横浜が近いというので、保存に行った時、新幹線内のWiFiがおかしくなったか、慌てて処理間違えたか、変な感じはしたんだけど、もうどうしようもなかった。「保存されてますように」と祈りつつ、家に戻って確認したら、全て消えてたんですね。だからこれから、昨日何書いたっけを思い出しつつ、気分は一からスタートで打ち直すんです。
予定では今日から白州に行くつもりだったんですが、この記事を始末してしまいたいのと、昨夕が睡眠不足なのと、どうも疲れがありそうなので、白州行きは1日延期したんです。

さて、では紀行文に。
2日目の宿泊ホテルは島の南東の端に有る。ちなみに豊島から着いた土庄港は島の西の端です。距離では20km弱でしょう。車で1時間弱でしょうか。
いつものように5時前には目が覚める。今日は朝風呂優先にして散歩には出なかった。そのかわり紀行文②を打ち込んでました。6時に3人で風呂に行って、7時から朝食。バイキングの朝食というからここではホテルの朝食を選択しました。とは言っても「地場物らしい食材」をチョイス。朝から魚の煮付を頂いたり。めだったのは醤油ですかね。小豆島って醤油生産が盛んな土地なんですね。なんでこんなところに醤油製造が? でちょっと調べてみたら、「塩」が手に入りやすかったことが大きい要因だったようです。そんなことだけかい? なんですが、島には何軒もメーカーがあって、特に泊ったホテルの近くには「醤油街」と呼ばれる一帯があり、大きな樽が並んでるんだろう倉庫の長~い屋根が町を作ってる、そしてその一帯は醤油臭いんです。 で、食事に出て来る醤油も6種類(甘め、辛め、その中をさらに分類してたな)あって、解説がされてて、お好きなものをどうぞ となってました。僕にはどれも「クセが有るな」で、別にこれでなくっちゃはなかったです。たくさんあるメーカーの中で差別化したいから、いろいろ作るんだろうな。
8時半出発。まず「道の駅小豆島オリーブ公園」に向かいました。小豆島に行った人は絶対訪れる場所のはず。だいぶ前ですが、NHKの「駅ピアノ」でここの「ギリシャ風車」の前にピアノ置いてロケやった番組を見たし、この風車の前で箒を股に挟んでジャンプし、写真撮るのが有名なので知ってる方も多いでしょう。なのに「道の駅」の一部で入場料はないんです。 昔映画「魔女の宅急便」を撮影したところとしても有名みたい。
当然僕達も飛んでパチリしてきました。飛ぶ、写真を見る、大笑いする、この時周りで見てる人も笑い顔になる。「おやりになったらいいじゃないですか」と声かけると、やらない人いないですね。そしてまたみんなんで笑う。老若男女関係ないです。みんなやってました。飛ぶのが怖い人は片足あげて、上体でポーズを作る それでも面白い絵になるんですね。これはですね動画はダメです。一瞬を切り取った写真だから笑えるんですよ。静止画だって静止画としての強み有るもんだなを勉強しました。
当然オリーブの畑であって、収穫し、オイル、食材、化粧品に加工して出荷してる施設なんですよ。ちょうど実がなってたので、まだ緑の奴と少し茶色くなってるのと2つかじってみた。いや~ひどい味でした。これまで経験したこういう「お試しかじり」でこれほど不味い、その不味さの表現すらできないのはこれが初めて。美味しいと思う頃合いってのがあるんかいな?
園の中に昭和25年3月15日 昭和天皇がご自身で植えられたという木がありました。まだしっかり生きてる木だったですよ。樹齢は75年ほどになるのかな。植えられた日が私が生まれた日の一か月ちょっと後だというので、どこか親しみを持ったりして。
今は観光農園になってるが、元々はほんとの、ただの畑だったんですね。100数年前日本でもオリーブをとなって欧州から種か苗を貰って、国内数か所で試験した。しかし生き残り、育ったのは小豆島だけだったという歴史を知りました。

そこから国立公園「寒霞渓」を観に行った。こんな小さい島に国立公園? 日本三大渓谷美だ? ちょっと信じられないんだけど、それなりの渓谷でした。ちょうと紅葉が美しい時季だったのも良かったな。土がむき出しになってる崖肌からはこの地層が昔は海の下の堆積層だったことを簡単に想像できるものでした。隆起して、浸食されてこうなったんだが解り易い。
後で分かってちょっと後悔するんですが、寒霞渓の頂上は車で行けちゃうんです。なのに、我々はガイドに従い往復1人2700円のロープウェイを使ったんですよ。勿体なかったな。 頂上からは北に岡山県の東部から宇野あたりまでが見える。南は讃岐の山が見える。これは霞んでて見えなかったが、東には淡路島が、西には瀬戸大橋が見えるんだそうです。瀬戸内海って穏やかな海なんですね。なんともゆったりしてる。
寒霞渓を降りると次の予定はない。やはり小さい島だから行きたい場所ってそんな無いよ。直島、豊島のように「芸術で島お越し」みたいな文化もないしね。だからだろうけど、あんな小さい2つの島にあれだけ外人さんがいたのに、ここにはほとんどいない。直島豊島にいた外人さんたちの思考、求めてるものが見えてくる気がする。
寒霞渓は島の真ん中、帰りのフェリー乗り場は島の北東の端。出発時刻までまだ3時間ちょっとある。港に1時間前に着くとして、行くあてもなく、大回りのドライブに出た。本来なら東に向かうのだが、ここは西に山越えで向かった。そしたらさっきいた寒霞渓頂上の駐車場があったってわけ。昨日昼を食べたカレー屋さんの北側だと思えるあたりまで西へ。そこから北に向かって海岸線に。ここからは海岸沿いに東へ。ひたすら一本道で福田港に行ける。時間はたっぷり。
道の駅「大阪城残石記念公園」があって立ち寄った。暇つぶしのつもりだったのが、思わぬ収穫が。大阪城を作ってる石積みの石って小豆島から切り出したんですってね。その歴史資料館が併設されてたんです。どんな工具を使って、どんな手順で切り出し、大阪に運んだかが理解できました。全部人力だが、よくやったもんだよな。火薬で発破して、崩すんだが、火薬を詰める細い穴 深いのは5mもあるようだ。鉄棒のノミを叩き込んで掘ったらしい。気が遠くなる話。 うん、いい物にであったな、勉強になった。
この道の駅では地元の素麺を提供してるようで、昼の軽食にといただいた。 出汁が関西風、薄味で美味かった。こういうのが美味いよな。
ちょどいい頃合いかな、福田港に向かう。港でレンタカー乗り捨て。ほんとに乗り捨てなんです。営業所なんて無い。この駐車場に入れて、窓は全部閉じ、運転席のドアは鍵掛けないで、キーは運転席の上の日除けカバーの裏に隠す。 最後にその旨電話連絡する そういう指示だったんです。今現在何も言ってこないから、無事回収できたんだろうな。 田舎、島らしいな。
福田港で出発までの1時間暇つぶし。お茶できるお店を探すが何処にもない。コンビニもない。聞きにはいったお兄さんに「この近所にどこかないか?」と聞いたら「ないんです。すみませんね。」と謝られた。それくらい何も無い漁村でした。それでも姫路に行くフェリーはここから出てる「小豆島フェリー」だけらしく、船の発着時は人があつまってくる場所。そんなもんだね。
フェリーは1.5時間乗ってる。乗るまえから、畳の部屋で横になって寝ると決めて乗船。寝ました。寝れました。定刻の5時に姫路港に上陸。イヤイヤここから一つ思い出ができたんですよ。港からJR姫路駅に行くバスを利用したのですが、バスの発車が17:35、所要時間が25分、新幹線の発車が18:11。すんなり行っても駅で10分しかない。夕食のお弁当を買うのも難しそうとなった。信号でやたら止まるは、田舎のくせにやけに車が多いは。 イライラした、ハラハラもさせられた。どうにか定刻に駅についたが、改札口が分からんは、遠いは。とうとう走りだした。どうにか改札を通って、つぎは新幹線乗り場を探す。「新幹線」「大阪方面」の2つをよんでここだーでエスカレーターでホームへ。違うぞ、ここは在来線だ。降りろ! 新幹線何処だ? あそこ! 走る走る。ホームに駆け上がった。後ろから「ひかり520号」が入線してきた。横を行き過ぎる12号車をおいかける。乗れた! なにも買ってこなかった。 そういえば新幹線って車内販売辞めたよね。えっ飯無し、酒無しの3時間かい? 紀行文作りに没頭だ。 それがどうだ、2時間の労作が無くなる結果になるんですよ。 辛いな。

新横浜から横浜線、田園都市線と乗り継いで中央林間に。コンビニで何か買ってと考えてたが、駅前の東急ストアがまだ営業してる。しかもお寿司の詰め合わせなんか50%引きになってる。売り切っちゃいたいもんな。世の中の知らなかった一面を見た感じ。

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コメント (6)
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