狂を楽しむ

2007-04-13 | 【樹木】櫻
 またここに面白きことの候
 女物狂の候ふが
 美しき掬い網を持ちて
 桜川に流るる花を掬い候ふが
 けしからず面白う狂ひ候
 これに暫くござ候ひて
 この物狂を幼き人にも見せ参らせられ候へ

 能「櫻川」には、このようにある。狂女の舞は、桜見物に興を添えるものとしてとらえられている。その狂を楽しむようすである。そこに、女を蔑するような風はない。まるで日常風景のひとつであるかのようだ。現代の人権感覚から見れば、問題であろうが。
 また、「櫻川」には、「人商人(ひとあきびと)」が登場する。人身売買を商いとする者が、これもひとつの生きるよすがとして認知されたかんじで出てくるのである。少年は、自ら、我が身を売り、その代金と手紙を母に届けさせるのである。
 古典の面白さのひとつに、このような時代による感覚の違いを思い知らされるところがある。
 今の政治の場面に、今の倫理観、人権感覚で、過去の出来事を一方的に断罪しようとする人がいる。わたしの周りには余りいないが。
 ところで、「櫻川」の女の狂気の度合いは、軽微なものであったと想像される。桜をみて、桜子という名の子を思い出し、桜の散るさまに気が昂ぶったときに、狂気の世界に入り込んでいくというものでなかったろうか。