人は夢がなければ生きていけない、これは一面の真実だろうと思う。
しかし、それを楯にいつまでも現実と向かい合おうとしない人たちもいる。
ピーターパン・シンドロームという病気の患者たちである。
彼らは一様に「夢」という言葉を口にする。
何故か、自分の後ろめたさを隠すように、そのすばらしさを説く。
言うまでもないことなのに、折に触れてクチにするところを見ると、
まるで、夢を追いかけていることが免罪符でもあるかのようだ。
やりたいことをやっている、ただそれだけなのに。
言葉というものは便利なもので、
同じことでも充てる言葉が違えば印象はまるで変わる。
「撤退」は「転進」、「全滅」は「玉砕」、「敗戦」は「終戦」。
「マンネリ」は「一途」、「ビリ」は「完走」、「ヘタクソ」は「未熟」。
「つまらない」は「真面目」、「才能なし」は「努力家」、
「非常識」は「自由人」、「孤独」は「世捨て人」、
「解散」は「方向性の違い」。
表面的な言い方だけを変えて、問題の本質を見ようとしないからこそ、
いつまで経っても進歩がないのだろう。
運も、才能も、努力も自分で言うほどにはなく、
自分の思うようにはいかない。
そんな現実を突きつけられても、
頑迷に愚直にそれまでのやり方を貫く人と、
今まですべてだと思っていた諸々を疑って、
新たな地平を切り拓く人とがいる。
それは保身であるかもしれないし、妥協であるかもしれないし、
バカの一つ覚えであるかもしれないし、
いずれにしてもどちらが正しいと言えるようなものではない。
結局、自分の人生として自分で背負うしか、ない。
だけど、なぜか前者は自分たちを、
夢を追い続ける純粋な人間だと位置づけたがる。
彼らが口に糊するための労を省きながら夢を追う、
その陰には少なからぬ人間の世話や労力、迷惑があるはずだが、
そのことを恥じる感覚は余り無いようにも窺える。
夢の世界で飢え死にすることはないが、夢でメシが食えないのがこの世界だ。
ピーターパンはただのプー。
フィクションの世界に毒されて、現実感を見失い、
ステージの上に立つ擬似カリスマ体験に依る、
自慰的快楽だけが彼らの原動力であるとしたら、
単なる麻薬中毒者に過ぎない。
そこに自らの失った安住の世界の幻想を投影する者が、金品を注ぎ込む。
そういうホストクラブやキャバクラと大差ないシステムが、
多くの美辞麗句によって飾られている、それが俺の見切りをつけた世界だ。
それでいいのかもしれない。
そんなものなのかもしれない。
だけど、そのまま同じ所をぐるぐると回り続けることを、俺のプライドは許さない。
木の上のサンボにも気づかず、君たちはそのままバターになる気かい?
夢は他人に与えるようなものじゃない。
自分で見つけるものだ。
自分が好きなことをやっているだけのことを、
「みんなに夢と勇気と感動をプレゼントしたいから…」
なんて言い放てる図太い神経こそ、病人ならではのものだろう。
過ぎていく時間にも、自分というものの実態にも、現実にも気づかずに。
通り過ぎていった目のくらむほどに眩しい季節。
それは二度と還らない。
その時にしかできないことも多かったが、今だから出来ることもあるはずだ。
夢の世界で子供のままでいたいとは誰しもが願うことだが、
俺はそれを口にするほどおめでたい人間にはなりたくない。
ピーターパンはただのプー。
俺は決して、憧れない。
しかし、それを楯にいつまでも現実と向かい合おうとしない人たちもいる。
ピーターパン・シンドロームという病気の患者たちである。
彼らは一様に「夢」という言葉を口にする。
何故か、自分の後ろめたさを隠すように、そのすばらしさを説く。
言うまでもないことなのに、折に触れてクチにするところを見ると、
まるで、夢を追いかけていることが免罪符でもあるかのようだ。
やりたいことをやっている、ただそれだけなのに。
言葉というものは便利なもので、
同じことでも充てる言葉が違えば印象はまるで変わる。
「撤退」は「転進」、「全滅」は「玉砕」、「敗戦」は「終戦」。
「マンネリ」は「一途」、「ビリ」は「完走」、「ヘタクソ」は「未熟」。
「つまらない」は「真面目」、「才能なし」は「努力家」、
「非常識」は「自由人」、「孤独」は「世捨て人」、
「解散」は「方向性の違い」。
表面的な言い方だけを変えて、問題の本質を見ようとしないからこそ、
いつまで経っても進歩がないのだろう。
運も、才能も、努力も自分で言うほどにはなく、
自分の思うようにはいかない。
そんな現実を突きつけられても、
頑迷に愚直にそれまでのやり方を貫く人と、
今まですべてだと思っていた諸々を疑って、
新たな地平を切り拓く人とがいる。
それは保身であるかもしれないし、妥協であるかもしれないし、
バカの一つ覚えであるかもしれないし、
いずれにしてもどちらが正しいと言えるようなものではない。
結局、自分の人生として自分で背負うしか、ない。
だけど、なぜか前者は自分たちを、
夢を追い続ける純粋な人間だと位置づけたがる。
彼らが口に糊するための労を省きながら夢を追う、
その陰には少なからぬ人間の世話や労力、迷惑があるはずだが、
そのことを恥じる感覚は余り無いようにも窺える。
夢の世界で飢え死にすることはないが、夢でメシが食えないのがこの世界だ。
ピーターパンはただのプー。
フィクションの世界に毒されて、現実感を見失い、
ステージの上に立つ擬似カリスマ体験に依る、
自慰的快楽だけが彼らの原動力であるとしたら、
単なる麻薬中毒者に過ぎない。
そこに自らの失った安住の世界の幻想を投影する者が、金品を注ぎ込む。
そういうホストクラブやキャバクラと大差ないシステムが、
多くの美辞麗句によって飾られている、それが俺の見切りをつけた世界だ。
それでいいのかもしれない。
そんなものなのかもしれない。
だけど、そのまま同じ所をぐるぐると回り続けることを、俺のプライドは許さない。
木の上のサンボにも気づかず、君たちはそのままバターになる気かい?
夢は他人に与えるようなものじゃない。
自分で見つけるものだ。
自分が好きなことをやっているだけのことを、
「みんなに夢と勇気と感動をプレゼントしたいから…」
なんて言い放てる図太い神経こそ、病人ならではのものだろう。
過ぎていく時間にも、自分というものの実態にも、現実にも気づかずに。
通り過ぎていった目のくらむほどに眩しい季節。
それは二度と還らない。
その時にしかできないことも多かったが、今だから出来ることもあるはずだ。
夢の世界で子供のままでいたいとは誰しもが願うことだが、
俺はそれを口にするほどおめでたい人間にはなりたくない。
ピーターパンはただのプー。
俺は決して、憧れない。
平易に具体的に書いてしまうと、
何を批判しているか解っちゃうからね。
解る人だけ、解ってくれればいいです。
夢を追いかけている人も多分わかっていて、それでも続けたい何かがあるのではないでしょうか?
何を批判しているのかはあたしにはわかりませんが、何かあったんだなくらいはわかります。
何か?行動や言葉にしたりして?現実的に形に成る事?…例えば?息吹さんがライダーに成った事みたいに、形に成る物が「夢」だと思う。
「妄想」や「空想」で終わる頭の中の夢は果てしなく見れない物だと思う。
絵を書いたり、舞台セットを作ったり、想像が創造へ形を変えて?本当にその形に成る「夢」は見ていたいし、見て来たつもりだ!
「夢」は形にする物だと僕は思う。
どうだろう?息吹さん?バイクの調子は良い感じみたいですね?何気に、昨夜!渋谷迄の走り屋に成ってましたが寒く成りましたね?街の公園チェックもしながら走るとこの時季は帰り道に、トイレ探さなくても?大丈夫です(照笑)…では!失礼致します。