僕はスピや陰謀論にいちいち反証立てて回るほど暇な立場ではありませんが、
誰でも発信できるSNSにおいて、
彼らの無責任な発言が跋扈するのにはまったく困ったもんです。
最近ではその手の言説に毒された古い知人の姿を見かける機会もちらほらあって、
ただただ悲しくなります。
震災からこっち、原発事故、コロナ、ウクライナと、
彼らが嬉々としてデタラメ書き散らす機会が増えちゃって、
またそれを信じる人も増えちゃって誠に憂鬱です。
また一方では、コロナ禍や戦争で人が死んでいるのに、
ビジネスや投資のチャンスみたいに語る人や、
自分の「時代を見抜くセンス」や「先読みの慧眼」を売り込むネタにする人なんかもいて、
そういう歪んだ価値観が本当にキライな僕はウンザリさせられています。
自分大好きという点で彼らもまた同じカテゴリに括っていいんじゃないかと思います。
ビジネス真理教ね(笑)。
真偽の定かでないことを専門的知識もない素人が判断するのは難しいですが、
彼らは笑えるくらいに共通した表現方法をとるので、
経験則的にそれと見抜くことくらいは僕でも(誰でも)できます。
いわく、
「これは陰謀論でもなんでもない」
「客観的(科学的)な考察」
「私だけが見抜いた」なのになぜか「海外の専門家もみんな認めている」
「考え方はそれぞれ、真偽の判断は任せます」
こうした言葉で自分の理性や客観性を保った気でいるのです。
でもそんな枕詞に頼る時点で、お察しです。
痴漢やDVやセクハラパワハラ、体罰や虐待の言い訳とも似ていますね。
自覚がないんです。
人にどう見られているかが本気でわからないか、
「誰に何と思われようと私は私」みたいに開き直っていて、
わかろうという努力さえ放棄してしまっているのです。
行く着く先は「私以外の世界がみんな間違っている」なわけです。
やっぱりナントカ真理教ですね。
そして、データは「公表された」「信頼できる」「客観的な」ものとして、
公的なとこから引っ張ってくるのですが、
そこからの「独自の」分析や着眼や論説が、
もうどうしようもなく「非公表の裏情報」を織り交ぜた、
とても信頼できない主観的なものだったりします。
また、公的なデータを自分の正当性の担保として使いたがる割に、
同じ文脈の中でなぜか公的機関の誤謬や隠蔽を謳いたがります。
揉めるとすぐ警察を呼べとか騒ぐ癖に、自分に都合よく働いてくれないと、
「権力は信用できない」とか言い出すアレです。
彼らは自分が見つけた「法則」や「公式」にこじつけることがとにかく好きで、
それ自体が目的化しています。
だから誤りを認めることはできないし、謝ったら死ぬので強弁するしかないのです。
そうやって「自分だけがわかっている」気持ちいい世界で信者たちと共にいたいのです。
最初は占いとか心理テストとか他愛もないところから始まって、
やがてビジネス書みたいな極めて安直で限定的な格言の拡大解釈を多用するようになり、
果ては独自理論の構築です。
見事なまでの守破離です。
彼らが何かと師匠やら弟子やらと言いたがるのもわかります。
あとはお金に換えるモデルができたら成功者、できなければカモです。
彼らの言う、
「ビジネス」「使命」「夢」「ミッション」「望ましい世の中」
「あたらしい世界」「そうありたい自分」
どれもみな一皮剥けば同じようなもんです。
基本、この手合いに性別・年齢・学歴・肩書・職業・収入の多寡、一切関係ありません。
伝染性の疾患みたいなものです(厳密には思考習慣病というべきものでしょうけれど)。
陰謀論やスピは、「読まない・拡散しない・関わらない」に限ります。
非スピ三原則。
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