いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

人生後半の大目標である

2024-05-15 16:26:27 | 超・いぶたろう日記
蛇足ながら、先ほどの投稿に付け加えて。

自分大好き、自分が一番の「無関心保護者」も問題だけれど、
もうひとつ「あなたのために」「よかれと思って」
ハマってしまう「過干渉」「共依存」もまた厄介だ。

どうも、子育てとは
「親が『成功』につながる『正解』のルートを用意してあげること」や、
「できるだけ多くの荷物をあらかじめ親が持たせてあげること」
だと勘違いしている人が多いような気がしている。

「中学受験をしないと負け組になる」だの、
「偏差値○○以下の学校には行く意味がない」だの、
「これからの時代□□をやらせないと…△△スキルを身につけさせて…」だの、
そんなこと言って、塾と習い事で埋め尽くすようなアレ。
子供が全部楽しんでやってれば何も問題ないが、
子供以上に親が必死になっちゃって、
疲れた子供が消化不良起こしちゃってるようなアレ。
常に比較対象の視線でしか見ていなくて、
何かあるとすぐに適応障害だ、発達障害だと騒ぐアレ。

親の考える「正解」なんて所詮は親の価値観でしかないし、
時代も環境も異なる子供にとっても「正解」かどうかなんてわからない。
誰かに言われたとおりに忠実に従って、
手に入れた「成功」なんて脆いもんだがなあ。

それよりは、常に自ら考えて、自分の手で選び、
自分の足で歩むことが大切なんじゃないか。
自分の幸福は自分で決める、
それこそが本当のしなやかに生きる力なんじゃないか。

そりゃあ、子供のうちは未熟だし短慮だし、痛い失敗も多いだろう。
辛い経験もするだろう。
でも、それらがみな自分の主体的な選択の結果なら受け止めることができる。
その後の糧にだってできる。

僕だって誰のいうことも聞かずにやりたいことしかやらなかったし、
時間もイイカゲンだったし、勉強もサボってたし、浪人も留年もした。
マトモに就職もせず、30までバンドやってた。
でも母は(父は不在でした・笑)そんな僕を見捨てもせず、
ずっと信じて見守ってくれていたからいまの僕があるのだと思うし、
振り返って我ながらしょっぱいな、恥ずかしいなと思うことはあれど、
これまでの人生に後悔はないし、自信と誇りを持っている。
なんだかんだ食えているし、家庭も築けた。
自由に生きてきて、他社との比較によらず充分に幸せだ。
きっとこれからも死ぬまで堂々と生きていけるだろう。
そういう自分になれたのは母のおかげだ。
とても感謝している。

だから僕もそういう親になりたい、頑張ってなろうと思っているだけ。

目先の利害・損得・都合・感情・偏見に流されず、子供を信じられる親。

何かあればいつでもきちんと話し合いができ、
僕の用意した答えを無理に押しつけることもせず、
子供に自分で考えさせられる親。

子供の選択や決定を尊重できる親。
それでも、ずっとちゃんと見守っている親。

これもまた親の勝手な価値観と言われてしまえばそこまでだが…。
(そういうひろゆき的な混ぜっ返しは議論のためのエセ議論であって、本質的でないので無視するけど)

いやこれ、メッチャクチャ難しいよ…………。

でも、だからやり甲斐あるよなって話なんだけどね。
それにさ、いくつになっても親子仲良くいられるの、普通に最高じゃん。
僕も来春で五十歳。人生ここからの大目標だな。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「子は親の鏡」は真理 | TOP |   
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | 超・いぶたろう日記