いぶろぐ

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管理アレルギー

2018-07-04 22:26:14 | 超・いぶたろう日記
他人が不思議に思うほど、
僕はどんなに些細な管理・規制・ルールにもナーバスだと自覚している。
おそらくそれはアレルギー体質みたいなもんなんだろうと思う。

自分自身が子供の頃、小学校で納得のいかないまま理不尽なルールに縛られ、
まるで子供を信頼しない管理体制に心底痛めつけられた。
同調圧力の極端に強い公立小学校で、
先生にまつろわぬ者は徹底的にやられる。
周囲からも露骨に疎んじられ、干され、
本当に孤独だったあの頃のことは
いまでもたまに夢に見てうなされる。
ほぼトラウマといっていい。

ただ、それも同級生なんかからすれば、
「えーそうかなあ?」と思われるくらいの、
公立小としてはごく当たり前のレベルの理不尽であったかもしれない。
少なくともそんなに特異な小学校ではなかった。
よくある普通の小学校。
だがそれでも僕には地獄だったのだ。

自ら望んで進んだ私立中学でまさに「息を吹き返し」て以降、
とにかくいつでも「自由」を最も大切にして生きてきたし、
それを守るためにどうすればいいかを第一に考えてきた。
また自分が大人になったとき、
絶対に自分を苦しめた大人たちのようにはならないと心に堅く誓ってもいた。
だから監督者として子供達と向き合う立場になったいまも、
常に自分は子供達にどう映っているかな、という眼が働く。

翻って、一般社会で折り合いをつけて来られた人、
管理にもルールにも耐性があり、
そんなの当然で何の違和感もないよという人には、
こういう感覚がない。
多少の理不尽も世の中当たり前だと言える
タフさというか鈍さを身につけている。
それはもうアレルギーで死にかけた人と、
何でも平気で口にできる人くらいの差があるだろう。
同じチームとしてやっていくなら、
ここはじっくり話し合って理解を深めていくしかない。

でも「生徒を信頼する」というのは議論の余地などなく、
少なくとも小中学生を相手に「先生」を名乗る職業に就くのなら、
絶対に必要な在り様だと思う。

そりゃあ、なかなか信じられない様なヤツもいるし、
手痛く裏切られることだってある。
でも、成長や変化がもたらす可能性は無限にあるし、
今はダメでも未来に渡ってそれを信じるという姿勢があったっていいはずだ。

指導が実を結ばず、結局、何の影響も及ぼせなかったとしたら、
それはプロとしてその程度の力量なのだということ。
そもそも、生徒への評価だって、
単に自分に都合が良い・悪いというだけの実に狭量なものかもしれない。

信じられるとか、信じられないとかいう問題じゃない。
信じることこそが僕らの仕事なのだ。
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