いぶろぐ

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親父

2012-08-13 23:43:00 | 超・いぶたろう日記
当たり前のことだが、僕にもちゃんと親父がいて、
何かといえば世話を焼いてくれるし、
僕が調子に乗ればサクッと釘を刺してくれる。
しかしこの当たり前のことにたどり着くまでに
20数年を要した僕にとって、
親父と会うのはやはり特別なことだ。

正直に言えば子供の頃はただ怖いだけだったし、
多感な一時期には心底疑ったこともあったし、
大人になってからも心のどこかで対抗心を燃やしてるようなところもあったから、
バンドに関しては意地でも助力を求めなかったし、
何より幼い頃にしか接したことのない「父親」という存在と、
どう接すればいいのかわからないでいた。
実は親父もそうだったらしいと気づくのは最近のことなのだが。
だから数年に一度、親父と会うチャンスがあっても、
どうもどこかお互い構えてしまうというのか、
ちょっとぎこちないところがなくもなかった。

その後、ここでも何度か書いたが、
親父が大病をして、妹が結婚して、僕も結婚して、
いく度も必然的に顔を合わせているウチに、
ごく自然に関係が築けた。
最近はそれを実感できる。
僕には親父がいる。
これが嬉しくてたまらない。

親父と会うと、まあとにかくスケールというのか、
格の違いを思い知ることが多い。
ただ、別に親父がそれを誇示するでもなく、
僕がそれに反発するでもなく、
いまはそれが自然に受け容れられるようになっている。
もちろん僕もこのまま終わるつもりもないが、
自分の父親がいまなお一線で活躍し、
尊敬できる対象であるというのは誇らしいことだし、幸せなことだ。

以前はそう言われるのが一番イヤだったこと。
しかし最近ではどうにもこうにも否めず、
苦笑混じりに互いが認めざるを得ず、
そしてやはりつながっているのだな、と実感でき、嬉しくもあること。
親父と僕は、その言動が、応対が、日常のクセが、無茶苦茶似ている。
そりゃもう、呆れるほどに似ている。
ほとんど一緒に生活していないはずなのに、不思議なくらい。
ラジオの放送なんか聞いてると、次に僕だったらこう言うだろうな、
という方向と全く一緒だ。
そして時に人の言うことに耳を貸さず、引くに引けぬまま暴走し、
多くのアンチを作るところまで(笑)。
プライドが高く、負けず嫌いで、人を選り好みし、強がって虚勢を張り、
だけど一方で寂しがりの甘ったれ。
親父がそうだとは言わないでおこう。
でも僕は間違いなくそうなのだから、鏡像のようなところはあるかもしれない。
そんな親父の人間くささにも触れられた気がした、今回の帰阪だった。

こんな風に思えること。
こんな関係を築けること。
僕が一時期の夢想や憧憬や煩悶や葛藤を乗り越えて、
自分なりに人並の職を得て、結婚もして、
ようやくたどり着けた境地なのかもしれない。
残念ながら僕は前評判ほどには結果に恵まれず、
決して有名でも裕福でもないけれど、
どうにか一人前と呼んで貰える程度には頑張った、
その辺は親父も少しだけ認めてくれたのかもしれない。
親父はその辺は何も言わないけれど、
たとえ息子であろうと本当にくだらない人間なら相手にしない、
そういう厳しさは昔のまま具えていると思う。

親父がいまの僕くらいの年齢だった時、
親父の親父は既にこの世にいなかった。
そのことを思うにつけても、僕は幸せだと思う。
あとどれくらいだろうか、
可能な限り親父との時間を大切にして、
まだまだ様々に学びたいし、とにかく色々話がしたい。

ちょっと感傷的になってしまった大阪の夜であった。
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