いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

夜の散歩に出て

2011-03-14 21:52:17 | 超・いぶたろう日記
少し、考え直した。

今日は結局自宅待機になり、
一日中ずーっとテレビとネットで情報を収集し、
そこから様々な判断をして、
顧客や職員に告知・連絡して、会社に報告して…
一方で自分の生活もあるから、必要物資の調達策を考えて…
てなことを繰り返していたから、
知らず知らずのうちに神経も消耗していたのだろう。
どうも論理的なつもりで感情的な、
そして潜在的にネガティブな方向へ偏ってしまっていたように思う。

どうも不健康なマインドになっていることを自覚して、
気晴らしに「散歩に行くぞ」と犬たちに声をかけた。
この瞬間を待ちわびていた愛犬たちは、
ちぎれんばかりにしっぽを振って、玄関へ駆けていく。
彼らには、地震も原発も停電も理解の範疇外だ。
いま、目の前で起きていること以外は関知しようがないし、
悩む必要がないというわけだ。
ここでちょっと、気づく。
あれこれ考えすぎて自縄自縛に陥っている自分の姿に。
語弊があるかもしれないが、
早く行こうよ!と瞳と前脚とで訴えかけている、
目の前の彼らのような生き方だって、アリかもしれないのだ。

表へ出た。
寒くはない。春の夜の生暖かな風。
ダウンはいらなさそうだ。
犬たちは颯爽と駆けてゆく。
近所の牛丼屋もファストフードも、しっかり営業中。
さすがにガソリンスタンドは閉まっている。
これはちょっと痛いかな。
サインを消したコンビニ内には、おにぎり・パン・弁当はないが、
ジュースはいっぱいおいてある。お菓子だってある。
選り好みしなければ直ちに飢渇するというものでもない。
高架を電車が通り過ぎていった。
マンションのエントランスや廊下の明かりも、
信号も街灯もみんな点いている。
ふえっくしょ~い。ズルズルズル。
…花粉もしっかり飛んでいる。

物流が充分に機能せず、非常時には違いない。
しかし、日本人の「充分」は世界的に見てかなり豪華で贅沢なレベルだ。
その基準が満たせないからといって、
直ちに命に関わるというものではない。
冷静になれば解ることだ。
ブログやツイッターなど、ネット上で、
識者がいたずらな騒ぎをたしなめるのは、
まあ論理的な必然だ。

しかし、冷静でいられる識者の方々のうち、
実際に被災した方はどれくらいおられるのだろうか。
僕が今回、徹頭徹尾心がけたことは、
できる限り冷静に、論理的に、ということだった。
だが、振り返ってみるとやはり、心理的には余裕を失っていた。
不安・焦燥・苛立ちを懸命に論理で抑え込もうとした形跡がある。

その原因は、やはり被災経験による当事者意識であっただろう。
被災とはいっても僕の場合は大したことはない。
なんといっても、家族や家財、ライフラインに被害がない。
しかし、僕の職場は大きなダメージを受け、
僕が毎日通っている、職場のある街は、
死者こそないがインフラが相当に破壊されている。
液状化で道路は寸断され、建物は傾き、水が出ない。
ガスも止められている。
下水設備が致命的なダメージを受け、トイレが使用できず、
マンション高層階の住人は地上まで何度も往復を強いられる。
小中学校は休校をやむなくされ、電車は止まり、
そこかしこに亀裂が入り、渇いた泥が粉塵となって舞い上がる道を歩き、
自衛隊の給水車に列を作る。

親しんだ職場の街が荒れ果てるさまを、目の当たりにした。
ここには、多くの教え子たちが、その家族の方々が住んでいる。
とても、他人事ではいられない。
理屈じゃないのだ。
極めてエモーショナルな出発点なのだ。
冷静に事態を分析…なんて、到底、無理だったのだ。

この状況を乗り越えていくには、方法はただひとつ。
「人間の最大の理性とは、すべてを冗談に換える力である」
を実践することだ。
冗談なんて、言える状況じゃないかもしれない。
冗談によって、現実は何も変えられない。
しかし、それは理屈だ。
気持ちは変わる。変えられる。
世の中がどんな状況になったって、僕らは生き抜くほか、ない。
最後に自分を支えるものは、気力だ。
どんなに筋が通っていても、事実を見極められていても、
絶望的な気持ちのままでは事態は悪化するばかりだ。
せめて強い気持ちのまま、厳しい現実にのぞんでいくためには、
冗談を忘れないことだ。

その意味では。
安全地域にいる人が、日常生活を懸命に生きるのは悪くない。
もし自分たちがこうなったらどうしようね、と、
気軽に話題にすることも悪くない。
自分は独りではないし、
この事態に立ち向かわなければいけないのはみんな同じだ、
という連帯感こそが、大切なのだろう。
だからアーティストやスポーツ選手がイベントをやろうという気持ちもわかるし、
逆に、やっちゃいけないんじゃないかという気持ちもわかる。
どちらが正しいのかは、状況による。やり方による。
ただ、否定しないこと、だろう。

寛容であること。
僕はこれを心がけていこう。
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おすすめ

2011-03-14 20:57:55 | 超・いぶたろう日記
おすすめの記事を、2本。

【非常に分かりやすい原子力発電所の説明】
http://ottyanko.at.webry.info/201103/article_5.html
本当に分かりやすい。よく読んでこれだけ解っていれば見誤らないですむ。

内田樹氏「未曾有の災害の時に」
http://blog.tatsuru.com/2011/03/13_1020.php
気づかされた。その通りだと思う。自省・自戒を込めて。
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日本

2011-03-14 17:10:19 | この国の憂鬱
世界が日本人の不屈の姿勢、秩序や人間性を失わない対応を賞賛している。
ばかりか、多くの援助とメッセージを届けてくれている。
この窮状にあって、一筋の光明を見る思いだ。

これについて日本人の伝統的な国民性、
恥の文化、秩序を重んじ、個人よりも組織を優先させる意識など、
様々な分析がなされているが、
それとは別に、僕はひょっとして、と思うところがある。

これは伝統的なそれじゃなくて、
むしろ新しい日本人の国民性なのではないか。
そしてそれは「KY」、
すなわち「空気読めよ」の文化性なのでは。

だから政治家でもタレントでもスポーツ選手でも、
ツイッターでもブログでも、
このKYルールに抵触すると、猛烈に叩かれる。
一方で、
関東地方でかなりの不便を強いられていても、
誰もが
「東北の人々を思えばこれくらいのこと」
と不安や不満を自制している。

だから非常時には違いないのだが、
ここで慌てふためくことがどれほどのマイナスかもみんな心得ていて、
その「空気」を「読め」ばこそ、
結果として全体が整然と行動する。
こういうことなのではないか。

これは今まで語られてきた伝統的な日本人像と、
似ているようで少し違う。
違うけれど確かな連続性をも感じる。

自分の中にもこの価値観はしっかりあるわけで、
対象化して批判も賛美もするわけじゃないけれど、
何だか非常に興味深い。
外国人には確かに、奇異に映るだろう。
特に、こういう状況下では彼らの驚嘆に値するだろうことも、
何となくわかる。

こんなに個性的な国が、滅んでしまうのは勿体ない。
だから世界は支えてくれるし、
我々日本人も滅んでたまるかという気持ちで居る。

何が起こるかわからないけれど、
みんなでがんばろう。
そんな気になれる。
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テレビは

2011-03-14 04:03:42 | 超・いぶたろう日記
朝から晩まで、晩から朝まで、大震災関連のニュース一色だ。
そのことに不満を持つ人も居ると聞く。
こういうときだからこそ、明るく元気の出るような番組も必要だ、と。
それをみんな不謹慎呼ばわりするのは、言論の圧殺だ、と。

僕は不謹慎とは言わない。
むしろそういう気持ちは解る気がする。
辛いことが起きているのは事実だが、
それをどう感じるか、どう表現するかは自由だ。
何も、周りに押し潰されるばかりが人間の在り方じゃない。

しかし。

中国やハイチやニュージーランドで多くの人が亡くなったとき、
日本では芸人やアイドルやらが画面一杯にはしゃいでいた。
それが彼らの仕事だ。彼らを責めるわけではない。
あるいは僕だって、大して関心も持てずに、
自分の日常の枠内で泣き笑いしていたはずなのだ。

でも、
「遠くの国の危機や不幸に鈍感な、安全で幸福な国」
よりも、
今のように
「我が身の幸運に感謝の機会を持てる、危機に瀕した不幸な国」
である方が、人間として遥かにまともな気がするのだ。

刹那的で快楽的で非現実的な、
空想空間としての娯楽テレビよりも、
身近な他人の危機や不幸に関心を向け、
残酷な現実を突きつける報道の方が。

不謹慎だろうか。誤解を招いたら申し訳ない。
決して、この悲惨な災害に功を認めたいのではない。
ただ、人間としての感性というか、文化の在り方というか。

不幸であれば、ネガティブであればというつもりもない。
何と言ったら適切だろうか。
何が人間らしいということなのか、
忘れちゃいけないものをどこかに携え続ける誠意というのか。
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東京電力

2011-03-14 03:21:05 | 超・いぶたろう日記
計画停電という、誰も経験したことのない事態に、
世の中全体が巻き込まれていく。
果たして世界中から感嘆の声を呼んでいる日本人の秩序や礼節、思いやりは、
何も思うに任せぬ闇夜にあってなお、維持されるのか。
いよいよ、日本人の真の誇りが問われる段階を迎えた。

その幕開けに当たって、
なんだあの間の抜けた会見は。

東京電力、しっかりしてくれ。
発表は遅いわ、合併前の地名は出るわ、方々重複するわ、ころころ変わるわ、
社会の重大事を発表するという緊張感にまるで欠けている。

大丈夫か?この会社??

頼むよ、東京電力。
みんな、おたくのとこが頼りなんだよ。
初めてのことだ、ミスはしょうがないとしてもさ、
もうちっと、見ててたのもしいと思えるような人材出してくれよ。
優秀なのは現場だけか?
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