いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

政府が最もあてにならない

2011-03-12 19:30:19 | この国の憂鬱
福島原発を巡る状況は緊迫の度合いを増してきた。
東京電力関係者の生命を賭した努力、
現場に急行している自衛隊員の危険を顧みぬ努力に、
心からの敬意と謝意を表したい。
犠牲となった作業員にも哀悼の意を。

それにしても政府の危機管理能力、国民保護の姿勢はお粗末の一言だ。
「大丈夫、安心だけど念のため」を連呼しながら、
「速やかに避難せよ」とは、どうとらえればいいのか。
午後6時に計測したはずの放射線測定値すら、一向に出さない。
出さないということはつまり不都合だということなのか。
国民はどんどん疑心暗鬼になっていく。
「社会不安を煽る」からと、情報統制を布く政府のやり方は、
チェルノブイリのソ連政府のそれと一体どれほどの差があるというのか。
社会不安を何より煽っているのは政府のその姿勢そのものではないか。

政府首脳の無能ぶりは、
国民の冷静かつ秩序立った行動姿勢に比べ、いかにも際立つ。
未曾有の災害に遭いながら、
暴動も犯罪も起きないこの文化性と、
ツイッターやブログなどでの情報交換環境を維持したネットワーク技術は、
世界に誇りうるものだ。
それを支えるかのように国際社会の援助が届く。
これだけ高度な国家を支えるにはあまりにも脆弱な政府。
情けないの一言だ。

もちろん、現場対応スタッフレベルでは、
政府関係者の不断の努力が続いているであろうことは察する。
そして、おそらく彼らは、
危機意識の低く判断力にも劣る政府幹部に苛立っていることだろう。
とにかく現場意識、危機意識、当事者意識の欠如こそが、
何かと腰の重い政府上官の病巣であることは明白だ。

日も暮れ、気温も零度近くまで下がり、
ライフラインも絶たれ、電気も届かない中、
交通網も寸断され、足下すら覚束ないような状況にある福島県民に
やみくもに「速やかな退去」を連呼し、
そのための具体的な手段すら講じない政府の姿勢が象徴的だ。
どこへ、どうやって行けばいいのか。
お年寄りも子供も多くいるだろう。
疑問を越えて怒りすら感じる。
非常時にもヘリで移動できる彼らには、
安全なポジションからのんびり眺めた被災地の、
地上の困窮は思い浮かばないのだろう。

日本人の国民性にかかっている。
助け合い、支え合うことが出来るか。
世界が見ている。
GDPが世界何位だろうと、国債がいくらあろうと関係ない。
日本として誇れるような人間の在り方を、見せようじゃないか。
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善意のみなさんへ

2011-03-12 16:45:00 | 超・いぶたろう日記
心配して伝えてくれた友人の方々に

ご心配ありがとう。
ですが、この出回り方や文面からして、おそらくチェーンメールです。
油田ではなくて精製後の液化石油ガスなので、
「千葉に有害化学物質の雨が降る」のは考えにくいです。

色々出回っていますが、
「友人の父親が」「義弟が」「厚労省が」などなど、
出所をぼかすのは、典型的なデマの手口です。
そもそも、雨が降っていない(緊急性がない)状況で
こんなことを言いふらすのは、愉快犯以外にない。
マスメディアも専門家が誰も言及していませんしね。
本当であれば、メディアがそれを伝えないはずがない。

ツイッターは諸刃の剣。
福島の原発の件も専門家がきちんとコメントしているものもあれば、
メルトダウンと混同して無茶苦茶なことを言っているのもいます。

こういうときは出所の不確かな情報は信用しない方がいいですよ。
関東大震災では「中国人や韓国人が井戸に毒を投げ込んだ」
なんて根拠のない酷いデマでたくさんの人が虐殺されました。

大変な状況ですが、
善意につけ込まれて踊らされないように、気をつけましょう。
確実な情報を元に、落ち着いて行動するよう努めて下さい。


【以下文例】
※何の根拠もないデマですよ!
> 友達からメールが来たので、転送します
>>
>> 友達のお父さんがコスモ石油に勤めていて教えてもらったのでみんなにも伝えるね
>> 気をつけてください
>>
>> 千葉、首都圏の方へ。千葉の製油所、製鉄所の火災の影響で千葉、首都圏では、科学薬品の含まれた
>> 雨が降ることが予想されます。 傘やレインコートの使用をお願いします! 広めて!
>> とりあえず広めて!
>> 雨にあたらないようにしてください!
>> ほんとに危ないみたいです
>>
>> 知り合いやお友達に回してあげて下さい

>> とりあえず広めて!
>> 雨にあたらないようにしてね!
>> ほんとに危ないみたい。
>>
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刮目

2011-03-12 14:58:32 | 超・いぶたろう日記
一夜明け、深刻な状況が明らかになる。
文字通り、未曾有の災害だったわけだ。

地震や津波の直接的な被害は、東北地方に集中しているが、
関東でも物流や交通・インフラなど間接的な被害を免れない。
余震もしつこく続いているので、
まだまだ予断を許さない状況であるだろう。

何の力にもなれないが、落ち着いて行動することを呼びかけていたい。
この地震がもたらした状況は、時と場所によって様々であり、
一概にどうすることが正しいのかは言い切れない。
またこれだけ広範囲にわたる震災だと、
情報も錯綜し、救助の手も拡散して滞ることが予想される。
不安でたまらないと思うが、それでも理性を保ち、
慎重に行動することで防げる事態は多くあるはずだ。

僕の覚え書きとして書いておこうと思うが。

津波警報に怯え、汚泥の噴き出す割れた道路を乗り越え、
たどり着いた駅で。

はしゃいでみせる若者の安易な言動に苛立つ。
状況を把握し、適切な指示誘導に努めることよりも、
怒声を発することが目的化してしまっているどこかの職員に困惑する。
携帯は通じない、全く役に立たない。
市の放送はまったく聴き取れない。
聴き取れても、「ただいま地震が発生しました」との悠長な内容。
駅前にいても情報が全く入らない。
一番欲しいのは、津波の心配はないのか、避難所はどこなのか、
交通網はどの程度機能しているのか、ということだったが、
ラジオでは各地の震度やら、総理大臣の動向やら、死者の数ばかり。
はっきり言って、総理大臣の形だけのメッセージなど聞きたくもない。

テレビもラジオも結局、安全なところから傍観者の視点で、
「流したい情報」を垂れ流すばかりのメディアなのだ。
報道のヘリをこれでもかと飛ばし、
爆音で助けを求める声や、係員の指示をかき消す。
洪水で孤立した病院の屋上を映し出し、
必死で旗を振る人々をカメラに収めながら
「助けを求めています!」「早く救出に向かって下さい!」
リポーターもキャスターもカメラ目線で必死に訴えてみせる。
しかし、それはヘリを飛ばす前に予想された事態ではないのか。
ペットボトル数本でも積んで、
下ろしてやることくらいできるのではないか。

情報のない中、唯一、機能するのはツイッターだった。
これは本当に頼りになる。
安否の確認、周辺の状況、避難場所、交通状況など互いに知らせ合い、
なおかつ、しっかりつながる。
時代の変化を象徴的に示すツールだった。
ただし、これも「善意と理性と誠実さ」が前提となる。
根拠のない情報を流し、混乱を誘う者もいるからだ。
裏情報、関係者談、ここぞとばかりに知ったかぶって、
愉快犯としか思えないような者まで。
善意につけ込む形で巧妙に仕組まれたものもある。
そしてそれは善意を原動力に「拡散」していく。

「13日から電力不足で首都圏の麻痺が始まる」だの、
「石油化学コンビナート火災の結果、有毒な化学物質の雨が降る」だの、
「福島原発では炉心溶融が始まっている」だの。
炉心溶融って、ちゃんと意味わかって使っているのか?
「~~してはいけない、阪神大震災ではこれの被害者が一番多かった」
なぜか阪神大震災を引き合いに、自らの正当性を騙る者も多かった。
しかし「~~の被害が最大だった」が複数あることに疑問も。
東京中の電光掲示板やネオンを消せ、なんていう極端な主張もあった。
電力供給に不安をもってのことだと思うが、
しかし闇夜では治安維持や交通にも影響する。
電力消費で言えばコンビニや自販機の方が遥かに多くを占める。
だからといってこれらを急に「消す」訳にもいかない。
重要な物資供給ステーションでもあるからだ。
こちらは容易に思いが至るが、宣伝ネオンは無用にしか思えない、
そういうことなのだろう。
慎重な検討に基づく落ち着いた提案とは思えない。
扇情的に書くのは辞めて欲しい。

これらはよかれと思ってみんなに伝えようと広まっていく。
しかし、よく考えてみて欲しい。
本当のことかどうかという以前に、
いま、情報の真偽も確かめようがない人々に、
いたずらに不安をあおる内容をこれでもかと送りつけることに何の意味があるのか。
鵜呑みにして「拡散」に手を貸すよりも、
情報の出所はどこなのか、誰がそれを言っているのか、
確認してからでも遅くはない。
よく見れば、誰も責任を持って発言していないことに気づく。
そもそも、電力供給事情や石油火災被害に精通した「関係者」や、
原子力発電所の構造に詳しい「専門家」が、
そんなにたくさんいるとも思えない。
おそらくは、ほとんどが「知ったかぶり」の「言いたがり」だろう。
しかも、妙な正義感や使命感が支配しているだけに、手に負えない。
彼らを糾弾することが目的ではない。
その程度の情報に振り回されることなく、行動すべきだと言いたいだけだ。

ネットで見られる匿名の情報は実用的かつ具体的な反面、無責任だ。
マスメディアの情報は形式的で選択的だが、出所はしっかりしている。
結局、自分で情報を取捨選択して行動するしかない。
自分で自分の行動やその結果に責任を持てるよう、
熟慮の上で行動しよう。
非常時には誰のせいにも出来ない。自分が問われる。

僕の想いは二つ。

ひとつは、被害拡大を防ぐためにも、理性的な行動を望みたい。
もうひとつは、情報を盲信することの不利益と恐ろしさを説きたい。

90年前の関東大震災では、混乱する市中で、
「中国人・韓国人が井戸に毒を投げ込んだ」
との悪質なデマが広がり、
「正義感」に駆られた民衆により、
少なくない数の中国人・韓国人が虐殺された。
こんなことは二度とあってはならない。
錯綜する社会不安をあおるつぶやきや書き込みは、
これに類すると思うのだ。

刮目しよう。
誰が、何を、何のために、発信しているかを。
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被災する

2011-03-12 02:36:10 | 超・いぶたろう日記
生涯初といっていい。
先の見えない不安に、生命の危険すら感じた天災だった。

まずは、被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げたい。
テレビなどで報じられる東北地方の惨状たるや、言葉もない。
大津波や炎が迫る恐怖の中で、
無念にも命を落とした方が大勢おられるかと思うと、胸が詰まる。
僕はたまたま幸運にも、身体・家財共に被害はなかったが、
あの地震の恐怖を共有した一員として、
ただ衷心より犠牲となられた方々のご冥福をお祈りしたい。

僕は新浦安の職場で被災した。
最初の揺れはさほどでもなく、落ち着いて収まるのを待っていたのだが、
次第に揺れが強くなり、周辺の本棚やスタンドが倒れそうになった。
職員間でこれはただ事ではない、というのが判るまでそう時間は要しなかった。

表に出てみると、我が目を疑うような光景がそこにあった。
脆弱な地盤が災いし、液状化の被害が酷く、
道路の陥没、建物の傾斜、電柱の倒壊や埋没など、
かなり深刻な状況であることがすぐにわかった。
そこかしこで汚泥と汚水が噴き出し、
建物の敷地と公道の狭間は、ほぼすべての箇所で大きく亀裂が入り、
ところによっては10センチから30センチほどの段差を作っている。








電柱も各所で埋没し、電線が低く垂れ下がっている。






付近の住民の方もみな建物を出て来られ、不安げな表情で互いに声を掛け合っている。
泣き叫ぶ子供。遠くでは消防車や救急車のサイレンが鳴り響く。

日本という国で生きている限り、こういうことは普通に起こりうる、
いや、起こって何の不思議もないのだとアタマでは解っていた。
しかし、いざ現実のものとなると感覚が追いつかない。
リアルだと認識しきれないというのか、映画の中にいるようだ。
だから努めて冷静を保とうとしていながら、どこか動転している自分が居る。
阪神大震災やNZ大地震で教訓を得たつもりでいても、
結局我が身に降りかからないと、本当の意味では学べない悲しさ。

だが、そんな思索にふける余裕もない。
ともかく、安全を確保しなければならない。
授業開始よりもずっと前の時間帯だったことが幸いして、
生徒たちは一人を除き誰も教室にいなかった。
その一人も無事、保護者にお返しできて、次は職員の避難。
教室の閉鎖を決め、つながらない携帯をあきらめ、教室に手書きの掲示。
休業するとして、いつまでか。どう周知するか。
他教室の状況はどうか。本部との連絡は。
未着の職員の安否は。
次々と考えなければならないことが降りかかる。

一方で、教室周辺の被害状況を記録しておくべく、カメラを向ける。
近隣は泥に埋もれてしまっている。

バス停も傾いた。


やがて、大きな余震が訪れた。
しかし、揺れ方が独特だ。
何というか、地震と言うよりも、船に乗っているような感じがする。
街全体が発泡スチロールのような大きな板に乗って、
波の上に浮かべられているような、そんな感じだ。

そして教室の裏にある民家のそばで僕は戦慄した。
外縁全体から灰色の泥水がものすごい勢いで噴出し、
そこから波音が聞こえるのだ。
ザザーン、ザザーンと、リズミカルに噴出を繰り返す。
しかも、家の基礎部分からギリギリギリ…ときしむ音がするのだ。
波音のリズムに合わせて、ちょうど船を漕いでいるかのような音だ。
この地域全体が切り離されて海に流されてしまうのではないか、
と錯覚するような、得体の知れない恐怖感だった。

相次ぐ余震に加え、津波の危険もあるとの情報が入った。
教室を閉じ、職員を連れ、とりあえず駅へ向かう。
向かう道々、被害の甚大さが覗える光景に次々出くわす。

倒壊してしまった案内板。



切り離された歩道橋。




完全に泥に埋もれてしまった歩道。


交番もこの有様。


そして駅前のロータリーも汚泥に埋まり、
タクシーも車輪をとられて立ち往生してしまっている。





唖然。
街の様相は一変してしまった。


ショックはショックなのだが、立ち止まっていても仕方ない。
職員の自宅や家族のことも心配だ。
状況が少し落ち着いたタイミングで、必要な指示を出し、解散。
電話が通じないため、僕は教室へ戻り、
メールを通じて必要な連絡を済ませ、教室の状況を確認し、帰宅。

これも幸運なことに、僕は自宅から職場までが非常に近く、
通勤にもバイクを使っているため、帰宅はスムーズだった。
道路は所々寸断されていたが、碁盤目状に敷かれているため、
道を選べば普通に走れた。
湾岸道路を越えれば、あとは通常通り。
すさまじい渋滞と歩行帰宅者で一杯の歩道を除けば。

市川市内に入ると、比較的目に見える被害は軽微で安心した。
どこから見ても日常的な風景に帰ってこられたのだが、
途中立ち寄ったコンビニでは、パンや弁当などはみんな売り切れ。
やはり非常時であることをむざむざと思い知らされる。

帰宅すると犬たちも無事、家財も無事であった。
心配されたテレビや本棚の倒壊もなかった。
スゴイと思ったのは、嫁さん。
ウチにあまり食料がなかったような気がして、
僕は近隣のスーパーやコンビニを巡って、
インスタント食品をどうにか買いそろえてきたのだが、
彼女はなんとキッチンに立ち、ビーフシチューを作っていた。
普段やらないくせに、なぜ地震の日に・・・
彼女いわく、
「あ、ガスがちゃんとつく、と思ったらシチュー作りたくなって」

・・・大物だ。

他の何よりも、このことが僕に平静さを取り戻させたし、
また改めて我が身の幸運を感謝する心の余裕も生まれた。

帰宅してテレビを通じ、想像以上の、
未曾有の災害であったことを知る。
中でも津波の被害は凄まじい。
数百人の遺体が見つかったとも、列車ごと流されたとも聞く。
心痛に堪えない。
かろうじて命を取り留めた人々も、
明日をも知れぬ不安な夜をお過ごしのことだろう。
自分もまた、居場所が異なればそういう運命にあったかも知れないのだ。
そう思うと、とても他人事には思えない。

生徒たちのことも心配だし、
この寒い中歩行での帰宅を余儀なくされている人々も心配だ。
原子力発電所や、各地で燃え上がる石油も。

何ということだろう。
今朝、目覚めたときには微塵も想像しなかった夜がいま、ある。
この不条理さ、理不尽さ、無力さ、物狂おしさを、
うまく言い表す言葉を僕は知らない。

これ以上被害が大きくならないことを祈るばかりだ。
Comments (2)
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