以前にも書いたが、Barbaroを治療したDr.RichardsonがAAEPで講演した。アメリカ獣医師会雑誌にその講演についての記事がニュースとして載っている。以下、その内容。
Barbaroの主治医が有名競走馬の治療の日々を振り返って
数ヶ月にわたってメディアの嵐の中心にいた馬外科医
Dr.Dean Richardsonは彼自身の告白によれば大動物の手術ほど公衆の面前で話すのは得意ではない。しかし運命により、Dr.Richardsonは過熱したメディアの中心へ数ヶ月にわたって無理やり押し出された。Barbaroは2006年のケンタッキーダービーで劇的な勝利をあげた馬であり、悲劇的な骨折を起こし、そしてその死は国中の注目を浴びた。
Barbaroが安楽死されてから1年近くが経った2007年12月1日、Dr.RichardsonはオーランドでのAAEP(アメリカ馬臨床獣医師協会)の第53回年次大会でBarbaroの治療から学んだことについて講演した。
「この症例を治療できる機会を与えられたことさえもが非常に名誉なことでした」と聴衆に述べた。
2006年5月のプリークネスステークスの出走直後、Barbaroは右中足骨の外顆を骨折した。第一趾骨は20以上の骨片に粉砕し、種子骨間靭帯も裂けてしまった。応急固定が施され、ボルチモアからペンシルヴァニア大学New Bolton Centerへ搬送された。Dr.RichardsonはそこのGerge D.Widener病院の外科のチーフである。
「少なくとも、重症かつ難しい骨折でした」Dr.Richardsonは振り返った。
「骨折の状態から言って・・・・いくつかの方法、例えばキャスト固定や骨にピンを入れた外固定を適用することは問題外だと考えました。」
Dr.Richardsonは27本のスクリューと金属製ロッキングコンプレッションプレートを粉砕した肢に装着し、キャストも併用した。
Barbaroの命を救おうとする中で、Dr.Richardsonは彼自身が報道官としては適任ではないことに気づいた。彼のチームがBarbaroをどのように治療し、生存のチャンスがどれだけあるかだけをできるだけシンプルにメディアに説明した。これらのメディアへの発言の主な目的は馬と人の医療がどれほど異なっているかだった――多くの人、人の医師もがしばしば忘れがちな点で、彼らは人の医師はその骨折をどのように治療するべきかもっと知っていると思っている。
振り返ってみれば、手術はこの経験の中で最も単純な部分であったとDr.Richardsonは言う。
「それは私がさんざんやってきたことであり、私が最も得意とすることです。準備していなかったのは・・・・・報道への対応でした。」そして聴衆にNew Bolton Centerでの立ち見での報道会見の写真を見せた。
「皆さんが多くのリポーターに話す心積もりがあるかどうかわかりません。私は事実だけを伝え、ありのままを話し、シンプルにポイントだけを述べることを意識しました。」とDr.Richardsonは説明した。
Barbaroを治療した8ヶ月間、Dr.Richardsonは顕微鏡の下ですごさなければならなかった。治療上のすべての決定は審査され、獣医師や多くの人の二次的な意見が述べられた。
「術後のX線画像は世界中に公開されました。香港、イタリア、その他の各地から電話がかかってきて、それはかなりたじろがさせられるものでした。」
Barbaroは手術後6週間は順調に回復した。術創は感染もなく、通常量のフェニルブタゾンにより痛みもなく患肢で立つこともできた。覚醒起立用のプールでの様子も良好だった。良くわかっていながらも、Dr.RichardsonもBarbaroの生存の可能性について希望を抱くことをとめられなかった。
「最初の8週間は問題は表面化しないことを良くわかっていました。長年の経験から知っていたのです。そのことをメディアにできる限り強調して説明しました。しかし、人の子なら期待もしたくなります。私もそうでした。Barbaroの状態はこの時点ではたいへん良好だったのです。」
7月初旬、Barbaroは患肢をかばい始めた。内固定は不安定さを見せ始めていた。そして、曲がったスクリューを入れ直す決断がなされた。振り返れば、この選択が最終的にBarbaroの死につながったとDr.Richardsonは信じている。
「症例の良くない結果につながった時点を求めるなら、おそらくこの時でした。」とDr.Richardsonは言う。
この時点までは術部は健全だったとDr.Richardsonは説明した。しかし、2回目の手術の後、感染が起こり、その部分をきれいにし、関節を治す3回目の手術が必要になった。Barbaroの具合が悪くなったその日をDr.Richardsonは覚えている。安全に覚醒起立用のプールへ入れたが、麻酔から醒めて歩くのは困難だった。Barbaroはいつもはすばやく覚醒したが、その日は違っていた。
「その日は非常に長く、憂鬱な日でした。この時点でたいへんな問題を抱えていることがはっきりわかっていたからです。」とDr.Richardsonは振り返った。
その後すぐ、Barbaroの左後肢に問題が起きた。蹄葉炎であることが判明した。Dr.Richardsonは蹄が失われていることを知って、BarbaroのオーナーであるRoyそしてGretchen Jacksonと率直な話合いを持った。
「状況は非常に悪く、あらゆる意味において悲劇的で、できることは何もないことを話しました。」Dr.Richardsonは努力を止めるべき時であることを示唆した。
「正直に言って、誰も安楽死の決断をできなかったのです。私たちはBarbaroの馬房の前に立っていて、Barbaroはそんなことはおかまいなしの様子に見えました。私達は皆、見解を述べ、そしてBarbaroが最後に意見を述べたのです。私達は治療を続けることを決めました。」
治療継続の決定を受けて、Dr.Richardsonは感染した肢の蹄壁を切除した。「心に留めておいて下さい。左後肢を治療している間も、右後肢は正常という症例とは違うのです。」
Dr.Richardsonは2006年の8月のヴィデオを見せた。蹄壁切除の手術から約4週間後のもので、Barbaroは短い距離を歩いて草を食べた。秋の間、そうすることができた。「Barbaroは本当に幸せな馬でした。この時点では間違いなく治療を止めなければならない理由などありませんでした。」
最初の事故による骨折は良好に治癒し、キャストがついにはずされた。Barbaroは1ヶ月以上の間、患肢に完全に体重をかけることができた。しかし、ひどい蹄底膿瘍が右後肢に起こり、Barbaroの好調さは徐々に失われた。さらに悪いことには左の蹄はさらに崩壊し、両前肢も蹄葉炎を起こした。Barbaroを安楽死させる厳しい決断の時だった。
Dr.Richardsonは、彼は何度も訊ねられたと言う。なぜ続けたのか? 馬房に1頭で閉じ込められている間も、Barbaroはほとんどの時間を楽しくすごした。Barbaroにはセンターで第一胃切開を受けた乳牛Mochaのような友達がいた。Barbaroは注意深く見守られ看護された。Mrs.JacksonはBarbaroに毎日新鮮な青草を運んだ。
さて、Dr.RichardsonがBarbaroとの時間から学んだことは何だったのだろう? ひとつは、馬の臨床についてなにも知らない人たちは、彼らがBarbaroを救えると考えたことだ。Dr.Richardsonが受けた数え切れないほどの示唆の多くは奇妙なものだった。例えばヨルダン川のようないろいろな聖地の水を飲ませることや、大西洋の水に肢を浸すとことの勧めもあった。Dr.Richardsonは19世紀の医学書やJames Herriotの本のページを同封した手紙も受け取った。
これらのことからDr.Richardsonは馬の獣医師の治療は他の医療とは違うことをどれだけ強調してもしすぎることはないことを思い知らされた。
しかし、全てが批判されるべきものではなかった。Dr.Richardsonは人々が非常に情け深く成れることも知った。何千ドルもがBarbaro基金に寄付された。New Bolton Centerを取り巻くフェンスには快復を願うポスターが貼られ、Barbaroのためにはニンジンの籠が届けられ、スタッフにも御馳走が毎日送られてきた。「あふれるほどのお見舞いは驚異的でした。」Dr.Richardsonは言った。「それは本当に、本当に驚くべきことでした。ほとんどの人は馬の所有者ではありませんでした。」
R.Scott Nolen
今が幸せならそれを少しでも長く続けさせる努力を惜しまない、その気持ちがずっと支えてくれたと思います。
Barbaroの気持ちも一緒です、母の姿をずっと見ながら残りの時間を過ごさせる事が出来た、それは子馬にはある意味許されない所でもあるけれど、それも自由に出来た、親との別れの寂しさも悲しさも味合わないで過ごせた。プラスの事を少しでも多く持って欲しかったと思いました。
獣医師に限らず、今その時に精魂を傾けることによってもたらされるものは、それが「達成感」であれ「悔い」であれ、自らを高めるものになっていくというのは私の短い経験からも確かなことだと思っております。
ありがとうございます。実にさまざまな受け取り方があるとは思いますが、Barbaroの事故からの8ヶ月あまりの日々は、たいせつなことを教えてくれたと思います。
sutemaru先生にもたいせつなことを教わりました。ありがとうございます。
精魂を傾ける。そうですね。できることはすべてやった。そのときどきで最善と思われる判断をした。振り返ってそう思える報告だから、いろいろな面で参考になるのでしょう。
「さよっち」ときどき覘かせてもらってます。
キーストンを思い出させました。サイレンススズカの怪我も
強烈でしたが、バルバロもきっと同じだったのでしょう。
人も馬もきっと、この治療には努力をし尽くしたと思います。
全ての馬と関係者に敬意を表します。
Barbaroの治療経過は、治るかもしれないという期待を抱かせてくれました。結局痛い思いをさせただけではないかとか、結局助けられなかったじゃないかと言う人がいますが、競走中に肢を粉砕した馬でさえ治せるかもしれないという可能性を示してくれました。
そして、Barbaroの治療にあたれたことを光栄に思っている。というDr.Richardsonの言葉に救われる想いがします。
「最初の8週間は問題は表面化しない」というのは、蹄葉炎のことを言っているのでしょうか?
8週間以上、内的なストレスホルモンが高い状態が続くとおこる、というふうなことかと感じました。
これほどの医療技術をもってしても、蹄葉炎がふせげなかった、というのは馬の特殊性なのでしょうか、不思議な生き物だと思います。
関係者の方々は、最後まで馬の前で明るく、あたたかくふるまったのだろうなあと思います。
蹄葉炎のこともひとつかもしれませんね。8週くらいで蹄葉炎が進行し、手の施しようが無くなるということはあるでしょう。
内固定についても、骨癒合するか、スクリューやプレートが折れるか、どちらへ転ぶか8週間くらいで結果が出ることが多いのでしょう。
感染にしても、抗生物質で抑え込めなくなるのが8週くらいが多いのでしょうか。
Barbaro基金も蹄葉炎の研究に多く使われるようです。馬の宿命なのかもしれませんが・・・・・世界中の馬病院に吊起帯や覚醒起立用のプールを寄付してくれないかなア~と思います(笑)。
USAの全体としては前向きな反応は救いでしたね。
この範囲を固定した仕事はマンネリ化してきます。
最近はこの範囲を経済的な理由から狭めてしまうことさえある・・・
そんな中でこのBarbaroの話は光輝いてますね。
まったくです。仕事の範疇が決まってしまい、言い直せば診療の限界を決めてしまい、その範囲内でこなすことだけやっていくのではつまらないと思います。
限界を超えようとするととんでもない苦労があったりしますが、その中で充実感と成果を見つけられるのがわれわれの仕事ではないかと思います。
経済的な制約はいつもつきまといますが・・・・・
New Bolton Centerで一胃切開された牛を、Barbaroがめずらしそうに顔つき合せて見ている写真が印象的でした。USAの獣医科大学の大動物部門の大きさと底力を感じさせられました。