ピョンチャン・オリンピック前、遅い昼食のとき、何気にBSを点けたらシスパーレ登攀のようすが放送されていた。
「銀嶺の空白地帯に挑む カラコルム・シスパーレ」
生きて戻れて良かった~と涙を流すようなヒマラヤでの登攀。
北海道の山で死んでしまった仲間への想いを抱えた挑戦。
しかし、ルートを切り開いたとて、道にもならない雪と岩の壁をできるだけ垂直に登ることに何か意味があるのか?
それも命がけで、少なからぬ費用をかけて。
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ピョンチャン・オリンピックで、日本人選手の素晴らしい活躍を見せてもらった。
故障明けの羽生君は厳しいんじゃないかと思っていたが、ほぼ完璧だった。
怪我からの復帰、が妙な緊張やプレッシャーを減らしてくれたのではないかと思うほどに。
ノルディック複合の渡部選手の潔さにも感動した。
言い訳をせず、自分のできることだけにこれほど集中しようとするメンタルを持っているからこそ、ここまで来れたのだろうと教えられた。
女子スピードスケート500m・1000mの小平選手も素晴らしかった。
20代の選手とはちがうメンタルの完成度を感じた。
女子パシュートは、チームワークと準備の大切さを教えてくれた。
これからは他の国も、チームプレーに力を入れてくるだろう。
マス・スタートは痛快だった。
妹の「おねえちゃん」と言われることは減るだろう。
北見LSのカーリング3位決定戦は、弟9エンドまで観て、弟10エンドは観なかった。
メダルを獲ってもらいたかったけど、ダメでも良い気がしていた。結果によらず、大会をとおして立派な戦いぶりだった。
女子ホッケーも善戦した。
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冬のオリンピック競技はほとんどがマイナーな競技だと感じてしまう。
それでも何年もかけて、あるいは子供の頃から競技に人生をかけた選手たちの生きざまと想いを見せられる。
不人気競技だと、国を背負って、という感じは薄れる。そもそもさほど応援も支援もされてないし。
勝ったからといって、生活がいっぺんすることもなく、大きな報酬が約束されているわけでもない。
また4年後まで注目されることもない。
その間の生活さえ保証はないのだろう。
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では、なぜ?
好きだから?
達成感?
競争心?功名心?
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若いときはつらいだろう。自分が何ものかわからないからだ。
私はこの言葉に、中年になってから出逢った。
そして、若いときに知りたかったと思った。
そうさ、自分が何ものであるか知るために生きるんだ。
そのために打ち込むし、ときには命さえかける。
「おまえは何ものだ。なんのために生きている?」
それは哲学の永遠の命題だろう。
自分が何ものかであることを自分に問いかけながら、あるいはそれを証明するために、人は生きるんだ。
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私もあと少し、自分の存在証明をかけて馬の診療とそれにまつわるあれこれを続けようと思う。