真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「四畳半革命 白夜に死す to be or not to be.」(2008/製作:オカシネマ/配給:サクセスロード/監督:世志男/脚本:小松公典/製作:かわさきひろゆき/企画:岩本光弘/ラインプロデューサー:大高正大/撮影:渡辺世紀/録音:広正翔/助監督:宝田雅資・太田美乃里・小島一洋/アクションコーディネーター:坂田龍平/衣装:かわさきりぼん/制作・宣伝:間宮結/美術:オカシネマ/メイキング:前田万吉/スチール:渡辺恵子/WEB制作:五十嵐三郎/制作協力:小中健二郎・吉田剛也・大高正大・下村芳樹・深澤俊幸/製作協力:おかしな監督映画祭実行委員・シネマアートン下北沢/協力:シネマアートン下北沢、劇団超新星自由座、SPD事務所、劇団クラゲ荘、PINK AMOEBA、劇団醜団燐血、おかしな監督映画祭実行委員会、《株》ジル・エンタープライズ、《有》ピー・エル・ピー、《株》TOKYO U.T.、《有》エイトライン/スペシャルサンクス:島津健太郎・富永研司・伊藤俊・藤榮史哉/出演:結木彩加・三元雅芸・山田慶子・藤内正光・本城ケイタ・前田万吉・前田広治・春田純一《特別出演》・里見瑤子・西入美咲・宝田雅資・山本滋久・運蓄進・水原香菜恵・間宮結・堀江久美子、他/声の出演:亜坊・セッシィオゥ、他/スタント:坂田龍平)。
 炎天下、血塗れで倒れる男に蟻が群がる。男が見上げた空に重ねられるタイトル・イン、照りつく太陽が、裸電球に傘が被せられただけの電灯に移行する。
 学生運動に荒れる時代、細かな背景は語られぬが内ゲバか、太一(前田万吉)と勝彦(前田広治)の河本兄弟が、まるで聞き取れない絶叫台詞を無闇に喚き散らす演出はとりあへずさて措き、兄貴の太一は足を挫きつつ大勢の追手から逃げる。間抜けの一人が落として行つた鉄パイプを、悠然と遅れて歩く男が拾ふ。勝彦は逃がすも追ひ詰められた太一は、多勢に無勢の中必死に猫を噛む。そんな窮鼠の前に現れた組織の中でも筋金入りの武闘派・横山直也(三元)は、冷酷かつ圧倒的な戦闘力の差を見せつけ太一を倒す。仲間ながらにその非情さに怖気つく一人に鉄パイプを手渡した直也は、「造反有理、革命無罪」と煽動、既に戦闘不能状態にある太一の止めを刺させる。組織のリーダー・中丸陽介(藤内)はそんな直也の暴力を清濁併せ呑み重宝するが、陽介に軸足を失して心酔する江藤香(山田)は、直也の存在自体に拒否反応にも似た激しい危惧を抱く。そんな折、兄の復讐を胸に、勝彦が直也を襲ふ。逃走追跡劇も交へた激しい格闘の末、直也は弾みで勝彦を刺殺してしまふ。自らも深手を負つた直也は姿を消すべく逃げ込んだ繁華街で意識を失ひ、拾はれた売春宿に暮らす足の悪い娼婦・アッコ(結木)の部屋で目を覚ます。自力で歩行もまゝならぬ女が、どうやつて重傷の学生活動家を保護し得たのかに関しては、観客には秘密だ。組織にとつての重大な不祥事に直面した陽介は、何時の間にやらすつかり男女の仲にあつた香に、直也探索を命ずる。
 水原香菜恵・間宮結・堀江久美子は、敗走に近い形で逃走する直也と擦れ違ふ街娼たち。里見瑤子は、裏で売春宿を営むスナック「里鶴」(杉並区方南銀座に現存)のママ。春田純一は、里鶴に通ひ詰めアッコの心を掴み、アッコが貯めた金を受け取るのに成功するや、逆の意味で正直に姿を消した船乗り。
 少年時代、自身に加へられる暴力に屈するべく暴力を手に入れた直也は、だが然し以来、遂に恐怖から逃れられることはなかつた。アッコの純真さに直也が人間性を回復する一方、そんなアッコは、未だに船乗りとの約束を信じてもゐた。船乗りが、自分が戻つて来なければそこで死んでゐる筈だと手紙に書き残した、白夜が見たいなどといふアッコの漠然とした願ひの成就を強く望んだ直也は、口止めと組織から離れる条件に、陽介に一千万の現金を要求する。ところでこの一千万といふ金額の、リアリティといふ点については如何に捉へればよいのか。昭和四十五年で大卒男子初任給が約四万円、といふと、現在でいへばざつと五千万といつたところになる。この頃の学生組織に、それはおいそれと出せる額なのか否か。
 少々大袈裟だが非人間的な戦闘マシーンが、可憐な売春婦との出会ひを機に、失つてゐたものを取り戻す。女の地から足の浮いた夢を実現するために、男は起爆装置の地表に露出したフラグを踏む。直也が里鶴に転がり込んでから暫くが、結木彩加が結構豊かな胸の谷間を露にするまでで結局脱ぎもせず、見せ場と抑揚とをとも欠いた展開が一頻り続き力強く中弛む感は否めない。詰まるところは、十全な濡れ場をこなすのは実は山田慶子だけであつたりもする。序盤でダッシュを決め中盤で一時停止した映画は、判子絵ならぬ判で押したやうな展開ともいへ、ポップな破滅へとそれはそれとして完走する。直也への感情移入を回収したカタルシスを果たすラストのもう一押しまで含め、フィニッシュは一旦は綺麗に決まる。ものの、オーラスに至つて藪から棒な蛇足に思へるのは、直也のアッコへの眼差しを、出し抜けに“四畳半革命”と称するのは流石に木に竹を接ぐにも甚だしくはなからうか。今でいふところの―それとも最早若干古いのか?―“セカイ系”のメンタリティに意外と通底しなくもないのかも知れない青年期の、通用力の射程距離に対する認識を抜け落ちさせた自意識が辿り着いた、“四畳半革命”なるキラー・ワード自体は大変魅力的ではあるものの、物語との連結といふ意味でのドラマの積み重ねには、必ずしも成功を果たしてゐるとはいへまい。


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