真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「飢ゑた痴女 汚らはしい穴」(1993『本番露出狂ひ』の2006年旧作改題版/製作:シネマアイランド/提供:Xces Film/監督:松岡邦彦/脚本:山岡隆資/撮影:村石直人/照明:佐久間優/編集:菊池純一/音楽:村山竜二/助監督:山岡隆資/出演:原田ひかり・高木杏子・渡辺綾伽・小林節彦・ピチリK・伊藤猛)。冒頭、松岡邦彦以下スタッフは、一切の職務の別なく一纏めにクレジットされ、当然目視は振り切られる。よつて今回の記述は、新日本映像(エクセス母体)公式サイトの記載に拠るものである。キャストの中にあるピチリKなる見慣れぬ名前は、さういふ次第で何を担当してゐたものかは不明ながら、スタッフの中に名前のあつた七里圭の変名か?ピチリKでも検索をかけてみたところ、さう考へてまづ間違ひないやうにも思はれる。因みに製作はエクセス公式にはフィルムキッズとあるが、本篇ポスターともシネマアイランドとある、シネマアイランドの方が正解なのであらう。
 トットットットッ、川面を船が走る。赤いコートを着た女のモノローグ、「1993年。一人の女と、三人の男の物語」。“エクセスの黒い彗星”松岡邦彦の、1993年のデビュー作である。恐らく、松岡邦彦作が新版公開されるのは初めての筈ではないか。
 エロ事師の倉持(小林)は、ストリップ嬢のみゆき(原田)や若い四郎(ピチリK)と組み、ダイヤルQ2用のエロテープを作つてゐる。昭和といふ時代の残滓を未だ濃厚に残すロケーションと並び、基本設定が時代を感じさせる。今回新機軸として、みゆきの紹介で調達した風俗嬢を四郎が実際に擬似強姦する、よりハードな内容のテープを録音することとなつた。倉持の根城の、今はもう使はれてゐないらしき小屋―映画館―に現れた女を、四郎は倉持にせかされ犯す。ところがその赤いコートを着た女・マリ(高木)は、間違へてその場に現れただけであつた。倉持は謝罪し誠意を見せようとするが、マリは拒む。どういふ訳でだか行く当てのないマリは、倉持らの周囲をフラフラするやうになる。四郎は何時しか、マリに若い恋心を寄せる。
 全うな市民社会からは、片足はみ出し気味のやさぐれたエロ事師達の前に現れた、赤いコートの可憐な女。ドロップアウトのドロップアウトなりの温もりと、若く不器用な恋模様。一応描きたかつたであらうところは酌めぬではないものの、正直なところ、瑞々しさといへば聞こえもいいが、その実は青さや、気負ひ過ぎた頑なさとまではいはぬが硬さが目立つ。殆ど凝り過ぎのロケーションに、前のめりの気負ひが大いに感じられつつ、その癖に、一方脚本に開いた穴は決して小さくはない。倉持とみゆき、四郎や後述する中島絡みのシーンは少々詰め込み過ぎ気味のところに目を瞑れば悪くはない反面、肝心の、マリに関する描き込みが弱い、あるいは薄い。マリが何処からやつて来て、何故に倉持の周囲に留まり、最終的には倉持に惚れるまでに至るのかがよく判らない。印象的なシーンを幾つも押さへながらも、終には微妙に映画の足が地に着かぬところに、如何にもデビュー作然とした若さも感じられる。街を捨て逃げることを決意した倉持が、普通に出て行けばいいものを便所の壁にある小さな扉を開けて消えて行くところなど、些か狙ひ過ぎ。加へて少なくとも、現在折に触れ破壊的に狂ひ咲く松岡邦彦の暗黒面は、今作に於いては欠片すら窺へない。
 渡辺綾伽は、女の気持ちが判らないと、マリに詰られた四郎がそれならば女の気持ちを知らうと、セーラ服を着て犯されようと呼んだヘルス嬢・リカ。伝はつてゐないかも知れないので重ねて注釈すると、この際、セーラ服を着てゐるのは四郎である。一度きりの出番の濡れ場要員とはいへ、なかなかに手慣れた芝居で更に後のシーンに繋ぐ。伊藤猛は、みゆきの昔の男で、現在は倉持らのクライアントでもある中島。仕事と私情の別を説く一方で、内心みゆきを奪つた倉持に対し、忸怩たる思ひを抱く。小林節彦も確かに若いことは若いのだが、伊藤猛は更に、恐ろしく若い、今とは顔が違ふ。
 何れ菖蒲か杜若、原田ひかりと高木杏子は、どちらも首から上も下も抜群のズバ抜けた美しさを誇るのだが。その割に、村石直人のカメラは引いた画が多過ぎる。ロング・ショットでカッコいい画を押さへるのもいいとして、特に高木杏子の内に秘めたものの豊かさと強さとを感じさせる表情は、おとなしくアップで捉へた方が、順当な映画的エモーションへの確実な最短距離であつたらうにと思へる。美人女優は時に、優れた脚本にも必殺の演出にも勝る、映画のリーサル・ウェポンである筈だ。倉持に抱かれるみゆきを、マリが座して見詰めるシーンの、マリの穏やかでありつつも何とも形容のし難い内情を感じさせる表情などは超絶的に素晴らしく、この表情を、もつと全く別の形で活かせなかつたものかとも悔やまれる。

 最後に協力として、計八人の名前が挙がる。井川耕一郎、永井卓爾、広瀬寛巳、黒川幸則、瀬々敬久らの名前があつた。みゆき―源氏名はリンダ―の客や、中島の若い衆らであらうか。中島の若い衆に関しては、拉致したマリ相手に本格的な濡れ場も展開するのだが、素晴らしく祝福された役得ではある。よくよく調べてみると松岡邦彦と瀬々敬久とは、瀬々敬久昭和60年の監督デビュー作「ギャングよ 向うは晴れてゐるか」(16ミリ)の撮影を、松岡邦彦が務めたといふ縁にもある。


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 「春画夫婦の秘かな愉しみ」(2006/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:有馬千世/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影監督:創優和/撮影助手:柴田潤/照明助手:原伸也/助監督:竹洞哲也/監督助手:新居あゆみ/制作:羽生研司/出演:今野由愛・倖田李梨・瀬戸恵子・澤野あや・大木和菜・たんぽぽおさむ・坂入正三・柳之内たくま)。
 夜更けに美佐代(今野)が目を覚ますと、夫の慎之介(たんぽぽ)は未だ床に入つて来てはゐなかつた。美人画を得意とする浮世絵画家の桂木慎之介は、スポンサーで画商の太田黒修平(坂入)に翌日渡す絵を徹夜で仕上げてゐたのだ。美佐代はシャワーを浴びると、火照つた体を独り慰める。翌日現れた太田黒は、慎之介の絵を評価しながらも首を横に振る。今の時代、ただの美人画では売れない。もつと売れる絵をといふことで、太田黒は慎之介に春画を描いてみることを勧める。慎之介は太田黒に多額の借金を抱へてゐることもあり、渋々ながらに断ることが出来なかつた。
 といふ訳で、慎之介は春画に取り掛かることになる。基本プロットが手堅く纏まると後は一直線、めくるめく坂本太一流のエロ万華が縦横無尽に展開される。どういふ訳だか、脱ぎ役の女も通常66%増の五人も居るぞ♪有馬千世も坂本太も、共に余計な色気を出す程に愚かではなく、エロに徹した職人の手に掛かれば、最早怖いものなど何も無い。
 澤野あやと大木和菜は、弟子の樫山昇(柳之内)が連れて来たモデル。慎之介は脱がせた二人を絡ませ、とりあへず春画を描いてみる。その春画に目を通した太田黒いはく、悪くはないが、女同士といふよりは、矢張り男女がまぐはふ場面が見たい。と、いふ訳で太田黒の紹介でやつて来たのが、風俗嬢上がりの紅子(倖田)。後姿で登場のファースト・カット、いきなり四股でも踏むかのやうに腰を落とすと、腰をグリングリンと回転させながら派手に振る。直情的なエロに徹する、坂本太の自由自在ぶりが頼もしく、清々しい。
 樫山に紅子を抱かせ春画を描き上げた慎之介は、画家として以前に、人間として一線を越える。風俗嬢上がりで、捌け切つた女の痴態ではなく、清楚な女が恥らひながらも狂ふ痴態が描きたい、と今度は樫山に美佐代を無理矢理抱かせ、満足の出来る春画をモノにする。
 慎之介が妻をモデルに描いたことを見抜いた太田黒は、借金を形に、前々から狙つてゐた美佐代を絵のモデルと称して手篭めにする。ここで美佐代役の今野由愛、お人形さんのやうな小さな顔に、マンガのやうな、バランスを失つてさへ見える大きな瞳。細く、柔らかさうな体には下賎な男の嗜虐心がそそらせられずにはをれず、美佐代が下卑た太田黒の意のままに篭絡される様には、まるで官能小説をそのまま映像化したかのやうな必殺の決定力がある。港雄一も久須美欽一もフェイド・アウトしつつある中、坂入正三の持続は実は秘かに重要であるやうに思へる。
 瀬戸恵子は、美佐代の兄嫁の神部綾乃あるいは綾子(後注)。義弟の絵が売れず、生活の苦しい美佐代を見下してゐる。綾乃(か綾子)への反抗心から美佐代は慎之介の絵が売れるやうになるよう、激しい上昇志向を燃やす。その熱情から太田黒にも無理矢理ながら抱かれ、更には春画のモデルにと樫山に綾子(か綾乃)を犯させる。さうさう見てみると、一見単なるエロ映画のやうに見せかけておいて、ストーリーの中に縦糸を一本しつかり通しておく辺り、プロフェッショナルをさりげなく感じさせて呉れる。
 ところで、ラストの美佐代と慎之介の濡れ場。初めにキスを交はすところで、カメラがガクンと上下にブレるのは何々だ
 くどいやうだが、新日本映像(エクセス母体)公式サイトの作品紹介はへべれけである。瀬戸恵子の劇中での役名が綾乃なのか綾子なのか判別としないことに加へ、どうしてストーリーの方もああも180度まるで異なる結末を堂々と書いてしまへるのだらう。

 以下は再見時の付記< (そこそこ)大きなスクリーン、(それが当たり前の)フィルム上映で観る主演の今野由愛の、魅力を通り越した威力は極大。演出上の要請に応へちやんと感情を起伏させるだけのお芝居をこなせることもあり、仮に一本きりのエクセス主演で通り過ぎさせてしまふならば、中々に惜しい逸材ではある。


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 「恥母の御不浄 それを我慢できない」(2005/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:有田琉人/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影:橋本彩子/照明:アベランプチーム/助監督:竹洞哲也/撮影助手:鶴崎直樹/監督助手:伊藤裕司・伊藤祐太/撮影協力:カプリ/出演:環あかり・小川真実・倖田李梨・柳之内たくま・藤木誠人・たんぽぽおさむ)。
 義母、兼未亡人と義理の息子との相克、もしくは屈折した愛情モノ。随分と乱暴なカテゴライズではあるが、実際の映画は輪をかけて乱暴である。粗雑である、とすらいつてしまつてもいいくらゐに。
 冒頭―いきなり―和服をキメた三島美那子(環)が夫の墓に手を合はせるカットから始まるので、美那子が未亡人であるといふことは兎も角、美那子が和巳(柳之内)にとつては義理の母親に当たる、といふのは物語中盤、美那子が和巳のノートを盗み見たところで“義母さんとやりたい”―単刀直入にもほどがある―といふ衝撃の告白に愕然とする、といふカットまで終ぞ明確には語られない。どう見たつて年が合はないから義理の母子だと判るだらう、もしくは、お前ら何時もこんな映画ばかり観てつから一々説明しなくても構はねえよな、とでもいはんばかりの作り手側の横着が透けて見える。まあ確かに判らぬではないし、尺も初めから六十分に限られてゐるといふ事情も酌めぬではないが、それにしても基本プロットの説明を抜け抜けと割愛してみせる、全く素晴らしき世界ではある。
 美那子は若くして夫を喪つた独り寝の寂しさを、トイレでのオナニーで紛らはせる。一方、そんな美那子に婚約者すらありながらも屈折した愛情を抱く和巳は、トイレに隠しカメラを仕掛け、それをPCのモニターから覗き見る。
 倖田李梨は、和巳の婚約者・栗原佳奈。藤木誠人は、和巳の友人・松井孝史。美那子への愛情を持て余し、和巳はヤケ酒に荒れる。松井に助けられ何とか帰宅し、そのまま松井は泊まつて行くことに。美那子に対し、清楚で貞淑な未亡人像を見て憧れを抱く松井に対し、和巳は陰に隠れてコソコソこんなことをやつてゐるんだ、と美那子のトイレでのオナニー盗撮映像を見せる。つかさ、こんなの撮つてるお前も相当歪んでると思ふけどな、と松井、感動的なツッコミだ。ここまで観客の気持ちを見事に代弁してみせた台詞といふのも、さうさう滅多には無からう。
 小川真実は、美那子が和巳のことを相談する年長の友人・神谷尚子。たんぽぽおさむ―フザけた芸名だ―は、尚子がそんな美那子に紹介するエロ・カウンセラーの久我惣一。
 一にも二にも、今作は環あかりのトイレでのオナニーシーンのいやらしさに尽きる。後は基本設定の説明が等閑でも展開がいい加減でも、残りの全ては所詮は瑣末に過ぎない。最終的には結ばれる美那子と和巳―佳奈ともしつかり結婚する癖に―も、ベッドか布団の上でヤればいいものを、わざわざ便所の中でセックスする辺りが坂本太、流石である。エロ映画としての攻め処はガッチリ逃さない。

 どうでもいいのだが、エクセスが構へてゐる作品紹介ページは、ストーリーを一から十まで解説してあるのはいいとして相変らず嘘が多い。例へば尚子が美那子に久我を紹介するのが喫茶店で、となつてゐるが、実際には美那子の自宅。PG誌の作品紹介ページとで―東京での―封切り日までが喰ひ違つてゐるのは、一体正しいのはどつちなのだ?


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 「裏の後家さん 張<バイブ>形に夢中」(2004/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:有田琉人/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影:鏡早智/照明:野田友行/編集:フィルム・クラフト/録音:シネキャビン/音楽:中目黒合唱団/助監督:竹洞哲也/撮影助手:平原昌樹・柴田潤/照明助手:吉田雄三/監督助手:山川たまこ/スチール:阿部直哉/撮影協力:カプリ/現像東映ラボ・テック/出演:結城綾音・林由美香・瀬戸恵子・たんぽぽおさむ・坂入正三・小林三四郎)。個人的には全くピンと来はしないのだが、商業ポルノグラフィーの領域に於いて、何でまた斯くも後家の需要は高いのであらうか。
 柏原利恵(結城)は小さな玩具会社を経営してゐた夫・正明(遺影すら出て来ない)を喪つて一年、友人・早見優花(林)の紹介で、優花の叔父・澤田研一(坂入)の公園管理会社にパート勤務、今は掃除婦に身をやつしてゐる。この、公園の掃除婦といふ設定にどうでもいいくらゐに必然性が別に見当たらない凄まじさは、何時もの例(ためし)であるゆゑ最早一々問はないが、そこに新開発のバイブの試作品が絡み、見事なくらゐに意味を排除した物語は展開して行く。後述するが、実はこれはこれで、ある意味真似しようにも真似出来ない地平での営為なのではあるまいか、それが高いのか低いのかは兎も角。
 例によつて、坂本太の映画であるので清々しく潔い、主眼はエロである。主眼といつたがその他のものは全くない、一切ない、鮮やかなほど微塵もない。主演の結城綾音も、安い髪型、十人並で華の欠片もないルックス、素人の余興程度の演技力。全部さて措け、乳のデカさは百難隠す   >アホか
 まあこの女の肢体の、いやらしいこといやらしいこと。彼我を諸共に蕩けさせさうな体をしてゐる。そんな結城綾音が張型を手に、エクストリームなオナニーを披露する。一にも二にも、今作はそれに尽きる。それがどうした、ほかに何が映画に必要だといふのか。
 瀬戸恵子は利恵の同僚・石川秀子、秀子もわざわざ後家といふ設定に、一応はなつてゐる。たんぽぽおさむは優花のビジネスパートナー・石川健介。下着の通販会社を経営してゐる優花が、何故か正明の会社を引き継いでゐる。小林三四郎は、正明の会社で玩具開発をしてゐた酒井正明。逡巡しながらも会社の危機を救ふために、子供のおもちやから大人のおもちやへ、とかいふ方便でバイブの試作品を自らの一物をモデルに製作する。その試作品の入つたアタッシュ・ケースを、利恵が働く公園のベンチに置き忘れる。
 坂本組座付き作家の有田琉人は、決して余計な主張の入り込まない、坂本太がエロを描くのに邪魔にならない物語をのみ書く。坂本太の映画にテーマなんて要らない、メッセージなんて邪魔だ。一応は一本の劇映画として最低限度成立するだけの、ギリギリ最小限のストーリーさへあればそれでいい。といふか、ある意味別にそれすら欠いたとて何とかなる。有田琉人は脚本家としての余計な野心なんぞ些かも感じさせることなく、さういふ要請に対して従順に応へる。それはある意味、ルーチンな裸映画とはいへどそれはそれとしてそれなりに、映画監督と脚本家との結びつきの、ひとつの理想形といへるのやも知れない、坂本太の変名かも知らんけどね。


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 「エロ義母と発情息子 -淫らな家族-」(2004/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:有田琉人/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影:鏡早智/照明:サブリナ/録音:シネキャビン/編集:酒井正治/助監督:小泉剛/監督助手:小川隆史/監督助手:福本明日香/撮影助手:赤池登志貴/照明助手:柳沢光一/スチール:阿部真也/スタジオ協力:カプリ/タイトル:高橋タイトル/現像:東映ラボテック/出演:小川英美・瀬戸恵子・林田ちなみ・柳之内たくま・藤木誠人・吉田祐健)。編集の正次でなく酒井正治は、本篇ママ、初めて見た。
 あれ?妙に白がトンでゐるからキネコのやうな、でもこれはキネコぢやないか・・・・?さうなつて来ると、俄かにこれまでのキネコ認定にも自信が持てなくなつて来た。間違へてあつたら済みません、先手を打つて素直に謝つておかう。色々疲れてゐる、全方位的に疲れ果ててゐる、ヤキの回りに加速がつく。
 高校教師であつた百合子(小川)は、かつて担任をしてゐた佐伯琢也(柳之内)の父で、会社社長の孝史(吉田)と結婚する。裕福な家庭で専業主婦、と一見幸せさうにも見え、業務拡張に奔走する孝史は月に数度しか家には帰つて来ず、本人いはく熟れきつた肉体を持て余す日々を送つてゐた。琢也は大学受験に浪人中で予備校にも通ひつつ、百合子も受験勉強の面倒を見てゐた。百合子は、琢也が自らに向ける視線に並々ならないサムシングを感じる。
 テンプレ感覚の粗筋は最早兎も角、配役残り林田ちなみは、孝史の事実上愛人でもある秘書の望月志乃。元教師で淑やかな百合子―小川英美が、あまりさういふタマにも見えないんだけど―に対し強烈なコンプレックスを抱き、奔放に孝史を求める、のは単なる繋ぎ。員数合はせと、百合子が必ずしも幸せな結婚生活を送つてゐる訳ではない旨示すためのギミックに過ぎない。
 作中主役すら押し退ける勢ひの豪快過ぎる大暴れぶりを見せるのは、百合子の御近所さんで、フラワーアレンジメントの教室を開く未亡人・倉田美那子、に扮する二番手の瀬戸恵子。百合子の元教師、と母といふ仮面の下にひた隠した琢也への道ならぬ劣情とを、観てゐて唐突としか思へない強引な明晰さで看過。その慧眼が何処から来るのかといふと、夫に先立たれた寂しさから、美那子自身が息子と関係を持つてゐたからである。それを方便と看做すのは容易いが、そのやうな生易しいものでは最早ないと思はせる、一種の合理の存在すら感じさせる。当サイトの脳髄は、桃色の癌細胞にすつかりヤラれてしまつたのであらうか。
 美那子は、背中を最終的な一押しするべく訪ねて来た百合子の眼前、実の息子・雅人(藤木)の肉体を貪る。

>百合子さんは琢也おちんちん―何だよそれwwwwww―が欲しくて欲しくて堪らないのに、それを我慢してゐるの
>ああつ!息子のおちんちんがグッチョングッチョン私の中に出たり入つたり
>息子のおちんちんではしたなくよがり狂ふあさましい私を見て !!!!!!!!

 二言目にはおちんちん、箸が転んでもおちんちん、風が吹くと桶屋がおちんちん。雨は夜更け過ぎに、おちんちんへと変るだらう。おちんちんおちんちんおちんちん、おちんちん連呼。嗚呼もう、今直ぐ世界が終つてしまへばいゝのに、心からさう思へた。
 結局、起承転結でいふと転部で瀬戸恵子が全部掻つ攫ひ、百合子が漸く琢也と致すに至るラストには、最早映画の中身も観客の余力も殆ど残されてはゐなかつた。構成的には問題があつたのかも知れないにせよ、それはそれとして見応へならば明後日の方向に底も抜けるほどあつたゆゑそれで良し、としよう、といふかするほかない。

 どうでもいゝけれどエロ義母、エロ義母つて・・・・。絶句、もしくは苦笑するばかりでもあれ、“エロギボ”とか片仮名で書くと、南欧系の演技派俳優の名前のやうにも思へて来る   >来ねえよ


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 「美姉妹スチュワーデス~名器くらべ~」(2000/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:有田琉人/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影:佐藤文男/照明:小野弘文/編集:金子尚樹/助監督:高田亮・荒川輝政/製作担当:真弓学/出演:麻宮淳子・時任歩・立花慶子・山内健嗣・岡田謙一郎・平賀勘一)。
 姉妹の美人スチュワーデスが、客席の最後尾で客とセックスしてゐたりなんかする、要はさういふ単なる純然たるエロ映画である。それはそれで、それも又よし、商業的要請はキチンと果たされてある。お話も、わざわざ取り立てて紹介する程のことも例によつて全くありはしないのだが、全篇スムーズに、特に問題も無く達者に纏め上げられてゐる。特筆事項としては、姉(麻宮)の名前が恭子。妹(時任)は美香、苗字は加納。・・・・さて、スルーするか
 山内健嗣は恭子の恋人・黒川亮一、何だかんだといひながら美香とも寝る。岡田謙一郎は姉妹が勤務する二流航空会社「コウワ・エアライン」の人事課長・平林久志。美香がおねだりで平林を誘惑するシーンの淫靡なこと淫靡なこと、坂本太の面目躍如といへよう。立花慶子は恭子の先輩スチュワーデス・典子、平賀勘一は典子の夫で不能の藤原洋介。
 典子と洋介も、機内で出会ひ、初めて結ばれたのは客席であつた。ええと、かういふところで一々ツッコミを入れるのは禁止だ。さういふ心にゆとりの欠いた御仁は、電話帳でも読んでて下さい。ところが、結婚後典子がスチュワーデスを引退すると洋介はインポに。医師の診断では、初めての機内セックスの強烈な体験が原因になつてゐるのではなからうか。なので再び同等なショックを与へれば治るかも知れない、といふ。だからツッコむなつてば。とかいふ訳で、典子はスチュワーデスの衣装に身を包み夫の眼の前で爆裂オナニーを披露する。又このオナニーシーンのいやらしいこといやらしいこと、ポール・ルーベンスならば、絶対に我慢し切れずにパクられてみせるに違ひあるまい。
 結局、そこまでしても洋介の男性機能は回復せず、最終的には恭子が再び飛行中の機内で洋介と一戦交へて剛直を取り戻させる。回復した洋介と典子との絡みが、締めの濡れ場である。桃色の大団円の、麗しさはこの上ない。


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 いきなりであるが、映画にとつて必要なものは何か?と問はれたならば、一映画ファンとして謹みもせずに私の提出する答へは三つ。それは、アクション・特撮・女の裸、である。数々のアクション映画の大名作の中でも、個人的に最も泣ける、最もカッコいい、最もエモーショナルな、要は世界一のアクション映画であると信ずるところの映画は、「ワイルドバンチ」(1968/監督・脚色:サム・ペキンパー)、である。平素歪みつ放しのドロップアウトにしては、在り来たりなセレクトであるやも知れぬが。

 勝手に姿を変へ、お構ひなしに移ろひ行く時代、あるいは世界。次第に行き場を失くした、殺すことと奪ふことと犯すことしか知らないやうなならず者の極悪人共が、虫ケラのやうに殺された仲間の復讐、を殆ど口実に最期にデカ過ぎる徒花をドーンと咲かせて、見事にボロクズのやうに死んで行く、「ワイルドバンチ」。
 場末の酒場のしがないピアノ弾き(ウォーレン・オーツ/『ワイルドバンチ』ではゴーチ兄弟弟、兄貴はベン・ジョンソン)が詰まらぬ欲を張つたばかりに、情婦は殺されてしまふ。殺された情婦の為に、ウォーレン・オーツがバックの組織を八つ当たり気味に壊滅させ、自ら進んで蜂の巣になる、「ガルシアの首」(1974)。ペキンパーはやさぐれた、どうしやうもないロクデナシ達の、決して誰からも顧みられることはないであらう哀しさ、優しさ、愛と憎悪を、壮絶なバイオレンスと容赦の無いエモーションとを通して描いた。
 ペキンパーの映画はしばしば、登場人物の誰もが一人も幸せにならない映画、と称される。否、といふよりは寧ろ、ペキンパーにとつてさういふエモーションは、即ち誰からも愛されぬクソッタレ共の剥き出しの憎悪とひた隠された愛、背に重く圧し掛かつた哀しさと腹の奥底に仕舞ひ込まれた優しさとは、さういふ形でしか描けなかつたものなのかも知れない。たとへば、新美南吉の『ごんぎつね』がさうであるやうに。

 誰もいはないといふのが本当に誰もいはないが、「ガルシアの首」と全く同じテーマを、更に最短距離で描いたピンク映画がある。「マル秘性犯罪 女銀行員集団レイプ」(1999/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:有馬仟世/撮影:創優和/照明:小野弘文/助監督:周富良/音楽:藤本淳/出演:平沙織・永森シーナ・桜居加奈《a.k.a.夢乃》・佐倉萌・竹本泰史・吉田祐健・久須美欽一・若山慎・平川ナオヒ・橋本嘉之・銀治、他)、である。タイトルの“マル秘”は、正確には○の中に秘。
 瑛子(平)が窓口に勤める銀行に、ある日幼い頃瑛子と同じ孤児施設で暮らしてゐたミチヲ(竹本)が、銀行強盗せんと訪れ、二人は驚きの再会を果たす。驚いたままに、バンク・ラブは未遂。瑛子は施設から支店長の久我(久須美)に引き取られ、今は銀行で働いてゐるものであつたが、久我からは性的虐待を受ける日々だつた。
 瑛子は地獄の日々から抜け出す為に、ミチヲを手引きし再び銀行強盗を企て、成功させる計画を立てる。大金を強奪し、その金で昔から憧れてゐた、絵ハガキにある“神の山”と称される山を目指すのだ。ところが計画実行当日、全く予期せぬアクシデントが起こる。瑛子が手引きしたミチヲ以外に、もう一人本物の銀行強盗が拳銃を片手に銀行を襲撃したのである。
 その本物の銀行強盗といふのが、役名は失念してしまつたが、潰れてしまつた町工場の社長(吉田)。ここでハッキリといふ。今作に於いて、吉田祐健は「ガルシアの首」のウォーレン・オーツになつた。直截にいふと、どうにも煮え切らず機能不全気味な、瑛子とミチヲのメイン・プロットなどは最早どうでもいい。
 ウォーレン吉田(仮名)は、久我に融資を断られ、資金繰りに困り街金から金を借りてしまつてゐた。金を返せなくなり、女房(佐倉)はヤクザに輪姦され、借金の形にとその様子をビデオに撮影される。女房は首を吊つて自殺する。プランとブラ下がつた妻の亡骸の傍らで、ウォーレン吉田は呆然と立ち尽くす。
 ウォーレン吉田は売人からチャカを手に入れる。代金も支払はずに、その場で売人は撃ち殺す。続けて女房を犯したヤクザ二人(内一名は平川ナオヒ)をも撃ち殺し、終に銀行に突入して来たものだつた。
 銃で脅し、女子行員を裸にヒン剥く。衆人環視の下放尿させ、男子行員や客の男に犯させる。やりたい放題に、暴虐の限りを尽くすウォーレン吉田に、ミチヲが尋ねる。あんた何でこんな酷いことするんだ。目的は、金か?と。するとウォーレン吉田はかう答へた。
 「地獄に堕ちる為さ」。「女房が待つてるんだよ。地獄で、俺を・・・!」。
 地獄に堕ちた女を追つて地獄に堕ちる。これこそが正に、ペキンパーが「ガルシアの首」で描いた愛であらう。憎しみと表裏一体の、暴力と混然とした愛であらう。本当に誰もいはないから敢へて重ねていふ。「マル秘性犯罪 女銀行員集団レイプ」で、吉田祐健は「ガルシアの首」のウォーレン・オーツになつた。


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 「犯恨《ヤリコン》レイプ 体育会系性犯罪」(1998/製作:TMC/監督:坂本太/脚本:佐々木乃武良/出演:椎名絵里香・椎名みお・河村のぞみ・小泉砂雪・鈴木史華・高山隆志・渡辺通隆・藤原孝哉)。
 カラオケBOXで繰り広げられる、いはゆるヤリコン。大勢の体育会系の学生が、瑛美(河村)と成美(小泉)とを犯してゐる。下級生の直人(高山)は、女の調達係だ。先輩の公太(渡辺)や洋平(藤原)からは、殴られ蹴られ奴隷のやうに扱はれる。
 童話作家の葉月(椎名絵里香)。童話だけでは食つて行けずに、葉月の童話の熱烈なファンでもある親友の翔子(鈴木)の紹介で、雑誌のライターの仕事をすることになるが、回つて来た仕事は、風俗誌のヤリコンのルポ記事だつた。
 尻の軽い女に飽きた公太や洋平の強要に従ひ、直人は高校時代の同級生・亜矢(椎名みお)を提供する。女子大の更衣室で公太と洋平に犯される亜矢。その際に奪つた学生証をチラつかせ、直人は亜矢を無理矢理ホテルに連れ込む。その場に偶々出くはした、渋々若者の性態を取材中の葉月と、直人は交錯する。
 かう言つちや何だが佐々木乃武良は、高々75分のVシネに少々詰め込みすぎである。取つて付けたかのやうな直人の人格障害。初めは意に染まぬ仕事であつたのに、段々と性の深淵に引き摺り込まれて行く葉月。徐々に変貌して行く葉月と、頑なに葉月の童話の応援者たらんとする翔子との相克。かういふいひ方をしてしまへば元も子も無くなつてしまふが、坂本太は、そもそもがドラマの中身を描いてナンボの監督ではない。エロい画を撮ること、女優をいやらしく撮ること、お話のテーマも展開もひとまづさて措き、そこだけはしつかり押さへた必殺のエロ・イメージをのみ観客の脳裏に刻み込めればそれでオッケー♪さういふ監督ではなからうか。ところが半端に意欲的な脚本に不必要に真面目に取り組んでしまつた挙句、濡れ場の描写もとてもらしからぬ、通り一辺倒に過ぎないものになつてしまつた。残念である、不発の一本。


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 「のぞき!! 女トイレの露出狂」(1995『女性用公衆トイレ』の2005年旧作改題版/製作・企画:オフィス・コウワ/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:大門通/プロデューサー:高橋講和/撮影:創優和/照明:三浦方雄/編集:金子尚樹/助監督:佐々木乃武良/音楽:伊藤義行/出演:麻丘愛美・摩子・林由美香・杉本まこと・真央元・平賀勘一)。又画期的に古い映画の旧作改題である。旧作改題は旧作改題で、独特の趣がなくもないので決して嫌ひではない。駅前のみに博多のピンクの小屋が限られてしまへば、大蔵の新作のみならずかうした旧作改題も、なかなか見る機会は減つて来るのかも知れない。
 受験を間近に控へた高校三年生の岡田麻美(麻丘)は田舎から上京し、姉・美沙子(摩子)、義兄・高橋耕作(杉本)夫婦宅に居候する。美沙子の志望校は、助教授として耕作が勤める大学でもある。姉夫婦の寝室から洩れ聞こえる嬌声にヤル気を殺がれ、欲求不満気味の肉体も持て余す麻美の受験勉強は一向にはかどらない。美沙子がそんな悩みを家庭教師をして貰つてゐる女子大生の坂井裕子(林)に打ち明けたところ、裕子から「トイレの落書き」を勧められる。公衆トイレに自己紹介と好みのタイプに希望プレイの内容、加へてポケベルの番号を書いておき、連絡して来た相手と会ふといふのである。十年前ともなると、PC(インターネット)も携帯も今と比べてはさほど普及してゐなかつたのか、それにしてもそんなハチャメチャな交信方法はなからう、とすら思へて来る。プロット自体が根本から時代に遅れた今作を、堂々と新版公開してみせるエクセスも豪気ではある。
 麻美が恐る恐る教へられた公衆トイレを訪れてみると、成程したい、ヤリたいといつた破廉恥な落書きだらけである。あまつさへ、一番奥の個室では現に裕子が中年男・伊藤智明(平賀)とセックスの真最中ですらあつた。ようし、と明後日に発起した麻美は落書きを残して来る。
 真央元は、美沙子の落書きに喰ひついた工藤武志。“逆立ちして待て”といふ麻美のフザけた指定に忠実に、待ち合はせ場所にて愚直に逆立ちして待つ姿には滂沱の涙を禁じ得ない   >嘘だけど
 仕事の忙しい耕作に構つて貰へず、堂々と居間でバイブでオナニーしてしまつてゐたところを麻美に見咎められた、美沙子もトイレの落書きデビューする。伊藤と武志を、三人の女が使ひ回す世間の狭さは、出演人数が限られるピンク映画的制約につき、一々云々するのは大人気なからう。ところで麻美が裕子に茶店で家庭教師して貰ふシーンはお洒落ではあるが、店の方はそれはアリなのか?麻美が乗つてゐるMTBを店の中にまで持ち込むのは、ニューヨークでもあるまいし幾ら何でもそれはないだらう、東京ではそれで通るの?   >小生田舎者につき
 元来坂本太といふ監督は、ジャンルの要請に忠実なエロ映画を素直に撮る、といふほかに何物かを特に有する映画監督ではない。これは決して、腐してゐる訳ではない。で、あるからして全般的に単に古いといふだけなのかも知れないが映画が若いこと以外に、特筆すべき点も見当たらない。が、美沙子役の摩子は確かな収穫であつた。キリッとした王道を往く美人で、蕩けさうなイイ体に、芝居もそこそこキチンとこなすと来てゐる。キャリアの古い女優さんであらうので困難も予想されるが、この人の出演作は努めて観たい。

 煩はしくもなつて来たので、最早一々新日本映像(=エクセス母体)公式サイト内にある作品リストの誤りは指摘しない。また直ぐに、コロッと気が変るにせよ。


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 「母娘監禁・牝」(昭和62/製作:メリエス/配給:株式会社にっかつ/監督:斉藤水丸/脚本:荒井晴彦/製作:山田耕大/企画:沖野晴久/プロデューサー:半沢浩/原作:西村望『紡がれる』/撮影:鈴木耕一/音楽:篠崎耕平/助監督:北浦嗣巳/編集:J・K・S/美術:山崎美術/出演:前川麻子・石井きよみ・下井田育実・吉川遊土・九十九こずえ・梶谷直美・加藤善博・河原さぶ・本多菊次朗・田辺広太・上田耕一、他)。配給に関しては事実上“提供:Xces Film”か。
 スケコマシの毒牙に掛かつた家出娘を迎へに行つた母親が、母娘諸共輪姦される。何時だか何処かで実際に起こつたらしい事件を題材に扱つた、西村望の小説を原作とした一作である。家出娘がスケコマシのアパートに転がり込んでからは、まあ三面記事をそのまま映画にしたかのやうな、要はウィークエンダー(正月の復活版はどうだつたのだらう?)に於ける再現フィルムの劇場版、とでもいつた風情なのだが、導入部が非常に印象に残つた。
 何処かの心寂しい海岸、三人の女子高生、チヅル(前川)、ミサ(石井)、サチコ(下井田)がダラダラとたむろしてゐる。チヅルが、不意に何気なく三人で自殺してみることを提案する。ミサもサチコも、深く考へもせずに気軽に同意する。高校には通つてゐたが女子ではないのに何であるが、フラフラとした地に足の着かぬシークエンスであるのに、物凄くバージン・スーサイドにリアリティーを感じる。全く以て何がしたかつたのか、テトラポッドの上で少女達はダラダラと尺を使ひさして決まつてもゐない、不安定なポーズを取つてみせたりする。斉藤水丸が取らせてゐる、といつてしまへば実も蓋も無いが。
 水戸の街に、少女達は自殺する為に集まる。待ち合はせ場所は、デパート屋上の遊具コーナー。時間通りに来てゐたのはサチコだけ。ミサは、途中で若い男(多分田辺広太)にナンパされるとついて行つてしまひ、結局現れない。チヅルは、例によつて何となくダラダラしてゐて少し遅れる。デパートの屋上、サチコの前を風船を持つた幼児が歩き過ぎる。サチコが戯れに幼児の風船を指でつつくと、風船は飛んで行く。飛んで行つちやつた・・・、サチコのモノローグに続いて、子供も、飛んで行つちやつた・・・あ、落ちた!サチコが飛び降りたのだ。遅れてデパートにまで辿り着いたチヅルの眼前に、サチコが落ちて来る。降つて来るサチコと、チヅルは目が合ふ。サチコは笑つてゐた。チヅルはサチコを受け止めようと両手を差し上げるが、危ない!と周囲から制せられ、思ひ留まる。サチコはチヅルの足下で即死する。チヅルはサチコの後を追はうと、書置きを遺して家を出る。テレクラに電話する電話ボックスの中での、チヅル一人の長回し。電話の向かうの男に、有名人に喩へると誰に似てゐるのか尋ねる。遠くで見ると岩城滉一、近くで見ると・・・?チヅルが重ねて尋ねると、近くで見ると柳沢慎吾、チヅルは笑ふ。好きなタイプ?逆に訊かれたチヅルは、クシャクシャッと口ごもるやうに答へる、近くで見る岩城滉一(笑)。前川麻子の、さりげなく卓越した存在感が光る。不意にチヅルは遠くを見やるやうな目をして、話はサチコの話になる。友達が、眼の前で飛び降り自殺しちやつた・・・・。一呼吸―電話の向かう側からの発言を受けて―おいて、別に岡田有希子のファンだとかいふ訳ぢやないんだけど・・・。時代を感じさせる台詞ではある。因みに、初めに三人で自殺する為にチヅルが水戸市内に出掛ける折、チヅルの両親(上田耕一と吉川遊土)は、父親の職場である国鉄の民営化に関して話し合つてゐる。頑なに国労に在籍するチヅルの父親は、研修と称して塗り絵をさせられてゐた。
 加藤善博は、スケコマシの石川。序に因みに、岩城滉一にも柳沢慎吾にも全くリンクしてゐない。河原さぶは、特に仕事もしてゐない石川が女を宛がつては小遣ひ銭を貰つてゐる、スケコマシのリーダー格・上野さん。岡田智宏のやうに若い―何のこつちや―本多菊次朗は、も、スケコマシのタケシ。クライマックス、石川のアパートを舞台にチヅルの母・富子が男達に輪姦される件、お前マザコンだらう、と石川からタケシが最初に富子を抱くことを強要される。九十九こずえと梶谷直美は、石川がチヅルの他にオトして来るひろ子とミネコ。
 冒頭とラスト・シーンには、印象的に新井由実の「ひかうき雲」が流れる。テーマ曲といつてしまつてもよいのかも知れないが、クレジットにその旨は一切見当たらない。大らかにバッくれたのであらうか。

 一応律儀に叩いておくが、goo映画のあらすじ紹介は相変らず出鱈目である。殊に結末がムチャクチャだ。


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 「黒い下着の女」(昭和57/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:斉藤信幸/脚本:いどあきお/プロデューサー:細越省吾《N・C・P》/企画:成田尚哉/撮影:山崎善弘/照明:田島武志/録音:伊藤晴康/美術:渡辺平八郎/編集:井上治/助監督:児玉高志/色彩計測:高瀬比呂志/選曲:佐藤富士男/現像:東洋現像所/製作進行:香西靖仁/挿入歌:『ストーリー』唄・石黒ケイ《キティ・レコード》/出演:倉吉朝子・山口千枝・佐竹一男・錆堂連・上野淳・草薙良一・高瀬将嗣・伊澤勉・斉藤淳一・横尾稔・三上勝司・小川亜佐美・吉川遊土/技斗:高瀬将嗣)。技斗の正確な位置は、三上勝司と小川亜佐美の間に入る。配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”か。
 瀬々の雷魚(1997/井土紀州と共同脚本/主演:佐倉萌)もいいけれど、カッコいゝ映画、本物のニューシネマの元祖斉藤信幸版を忘れて貰つちや困るんだぜ。現在でもなほ同趣向の映画が数撮られてはゐるものの、滅多に成功しない本物のニューシネマ。goo映画のページに紹介されてあるあらすじが、“ストーリーの結末が記載されてゐますのでご注意ください”―原文は珍かな―とわざわざ謳ひながら内容が出鱈目につき、こゝで例によつて活字再映を試みる。

 国鉄時代のさびれた駅表、女と男がぼんやり腰を下ろしてゐる。女の煙草―推定ショートピース。両切りでしんせいよりは細く、バットよりは太い―の灰が落ちさうになると、男はまるで押し戴くかのやうに両手で受ける。やつてしまはうたな、といふ男の言葉に、女が応へる。さうや、やつてしまはうたんや。何やつたかて、最後には死んだらえゝんや。
 女事務員の吉崎麻美(倉吉)は勤める組合の金五百万を横領し、恋人で予備校生の塩見マモル(上野)と東京に逃げる。二人はマモルの友人・安本肇(伊澤)のアパートに転がり込む、マモルは、安本に麻美を抱かせると約束する。腹を空かした麻美はマモルとラーメンを食べに行く、店員の宮尾トキ子(山口)とマモルがイチャつくのを見た、麻美はキレる。麻美は、女の扱ひもまゝならぬ安本と寝る。傍らで、マモルはヘッドホンをして膝を抱へ座つてゐる。事を終へ、麻美がマモルのヘッドホンを外してみると、ジャックが繋がつてはゐなかつた。麻美に誘はれ、三人でひとつの布団に包まる。
 麻美は出鱈目な履歴をあつらへ、スナックでホステスを始める。店に、市役所職員の蟹江浩三(錆堂)と姿を消した妻の公子(小川)を、百姓の合間に九州から探しに来た須藤勝次(佐竹)が現れる。麻美は常連客(草薙)と寝る。数日家を空けた麻美に業を煮やし、マモルは安本のアパートを出て行く。麻美とマモルの事件が新聞に載り、麻美は使はれた写真に腹を立てる。麻美は、再び抱かせるのと引き換へに、安本からマモルの居場所を聞き出す。麻美は、新聞を見たママ(吉川)からスナックを馘になる。麻美は嘯(うそぶ)く、いゝのよ、ママ。ウチ、子供の頃から捨てられることには慣れてんねや。
 カット変り、山の手の造成中の住宅地。ガードレールの外側に、ダラリと手足を投げ出し麻美が座り込んでゐる。流れる主題歌、波打ち際に打ち寄せられるストーリーを、ひとつひとつ拾ひ上げる人もなく。そんな歌詞のメロウな、ニューミュージックに片足を突つ込みかけた歌謡曲。カメラがグーッと引く、向かう側の車からズームで撮つてゐるのかと思ふと、続いて視点が、とんでもない高さにまで上昇して行く。空撮か!?出だしが制止してゐる点を見るにヘリコプターか、かういふ辺りはロマンポルノならではの普請である。このショット、残念ながらピンク映画には到底真似出来ない。
 マモルが転がり込んでゐたトキ子の下に麻美が乗り込み、最終的には三人で乱痴気騒ぎを繰り広げる。麻美は須藤と寝る、聞くと公子も、麻美と同じく後背位の好きな女だつた。麻美が荷物を取りに安本のアパートに戻ると、一人の女が外置きの洗濯機を回してゐた、女は公子だつた。麻美は、公子にカマをかける。麻美が街を歩いてゐると、写真片手に誰彼構はず公子のことを尋ねて回る須藤が。麻美は悪巧む、須藤と、麻美のためなら何でもするといふ安本とを、戯れに争はせる。麻美は又別の男とホテルで寝る。風呂から出ると、テレビで公子が蟹江と心中したニュースを伝へてゐた。アパートに乗り込み、第一発見者となつてしまつた須藤が、記者に囲まれ呆然と座り込む。麻美はアパートまで見に行く、マモルもトキ子と野次馬に混ざり来てゐた。トキ子はマモルの腕をしつかと抱き―こゝの山口千枝がもうどうしやうもなく可愛いんだ   >知らんがな―マモルは渡さない、と突つ撥ねる。泥棒、横領犯人、訴へてやる、死刑になればいゝ、トキ子は麻美を詰る。日本の刑法では、何兆円くすねたところで横領罪で死刑にはなりはしないのだが。麻美は上等だ、死んでやるよとドブ川に飛び込む。マモルも、麻美を追ひ飛び込む。

 オンボロのライトバンが高速道路を走る、運転するのはマモル、助手席には麻美、車は盗んだ物だつた。ダッシュボードの中には、片方レンズの外れたサングラスとモデルガン。車は北へ、二人は雪化粧に彩られた遊園地で遊ぶ。コーヒーを飲んでゐると、男児の宮前一郎(斉藤)が近づいて来る。親元に戻るのを拒む一郎を、麻美とマモルは連れて行つてみる。麻美は一郎を誘拐した体で、身代金をせしめることを思ひつく。一方マモルは、麻美を追ひドブ川に飛び込んだ際に、悪い風邪を引いてしまつてゐた。マモルの状態は殊のほか悪く、一旦ホテルにしけ込む。麻美は一郎の親に脅迫電話を入れる。麻美とマモルと一郎で、三人で裸になり回転ベットで寝る。三人で再び出発する、麻美は身代金を手に入れると、マモルと二人で一郎を育てようと提案する。公衆電話から、麻美は二度目の脅迫電話を入れる。マモルの具合はますます悪くなる、川の中に突き立つたコンクリート杭の上に、風呂敷に包まれた身代金は置かれてゐた。麻美は風呂敷包みを手に入れる、マモルは車も運転出来ないくらゐに弱つてゐた、麻美は運転を代る。
 バイパスを抜け、誘導の矢印に従ひバンは走る。矢印に沿つて行くと、何故かバンは埋め立て中の造成地へ、行き止まりだ。バンは桟橋の突き当たりに追ひ詰められる、先は海、もう何処にも進めない。矢印は、バンを行き止まりに追ひ込むべく、官憲の配置したものであつた。スローモーションで警察官が矢印を外し、パトカーが走り込んで来る。バンの車中、三人でビン牛乳と、菓子パンを食べる。麻美はアンパン。一郎はチョココロネ。マモルにはクリームコロネだつたが、最早それを口にすることすら出来なかつた。麻美が咥へた煙草(多分セブンスター)の、灰が落ちさうになる。条件反射のやうに、牛乳瓶を手から落とし灰を右手で受けたマモルは、そのまゝ絶命する。麻美は金を持つて家に帰るやういふが、一郎は拒む。麻美は無理矢理一郎と車を降り、桟橋を岸に向かつて歩く。目を閉ぢなくてもいゝの?一郎が訊ねる。マモルは片方レンズの外れたサングラスをかけ、目を開けたまゝ息絶えてゐた。麻美が慌ててバンに走り戻らうとすると、そこに銃声。警官隊に撃ち抜かれ、麻美の細身の体が翻る。麻美も死ぬ、桟橋を警官が一郎を保護しようと走り寄るロングがラスト・ショット。

 行きつ逸れたダメ人間クズ人間ゴミ人間が、フラフラと徒に生き急ぎ、モタモタと戯れに求め合ひ、そしてゴミクズのやうに呆気なく死んで行く。正しく、正しきニューシネマ。さういふ物語に一体何の意味があるのか、と問はれるならば俄には回答に窮するが、かういふ映画は一部の人間にとつては堪らなくエモーショナルなものであるのも、又動かし難い事実であらう。考へてみれば、それでも一昔前には、この手の映画が何故か競ふやうに数撮られてゐたやうに思へる。現在でも、同じエモーションを志向か嗜好した映画にしばしば出会ふ。も、中々どうして、それに成功してゐる例に出会ふのは稀である。成功の要因も、失敗の元凶もそれぞれに固有の理由があらうから、中々一言でそれぞれの正否に一般論の線を引けはしないが、ともあれ、今作は中々に容易くはない、エモーションの前髪を捕まへることに見事成功したカッコいゝ映画である、紛ふことなき傑作である。

 jmdb先生に改めて訊いてみたところ、「黒い下着の女」はロマンポルノと雷魚との間に、更に北沢幸雄のピンク映画(昭和60)があるやうだ。これも激越に観ておきたいが、ミリオンか、ネガすら残つてゐないかも知れないな。


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