真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「巫女の美肌」(2001/製作:小林プロダクション/提供:オーピー映画/監督:小林悟/脚本:五代暁子/撮影:小山田勝治/照明:ICE&T/編集:田中治/助監督:竹洞哲也/監督助手:米村剛太/撮影助手:大江泰介・赤池登志貴/出演:里見瑤子・ゆき・風間今日子・茂木晃・坂入正三・竹本泰志)。
 一郎(茂木)がギャンブルでサラ金に拵へた二百万の借金が払へずに、和代(里見)は二人で東京から逃げて来る。和代が滝に打たれてゐる間に、一郎は和代の荷物を不注意で川に流してしまふ。開巻いきなり、何故に里見瑤子が経を唱へながら滝に打たれてゐるのかは気にしないやうに。仕方なく、和代は一郎がそこら辺から調達して来た巫女の衣装に身を包む。当てもないままに歩き出した二人は、和代の巫女姿に目を留めた町の名士・冨永(坂入)の下に厄介になることに。冨永が連れて来た客を相手に、霊感のある和代は“霊裸”と称して占ひを始める、どうでもいいが霊裸はねえだろ(苦笑)。
 同年十一月次作の撮影中に、一切の誇張なく撮影中に死去した小林悟の、遺作ひとつ前の映画である。だからといつて何がどうだといふことも、感動的なくらゐに全くないのだが。比較的起承転結が判然としてはゐるだけのどうといふこともない物語が、今回は最後まで度を越した破綻ひとつ見せるでもないままに、どうといふこともなく流れ去つて行く。一応、東京から逃げて来ては一悶着の果てに、又何処へと流れて行く和代と一郎のロード・ムービーとしての体裁は整つてゐる。殊更に遺作ひとつ前といふことで過剰に重きを置いて見ることも勿論なければ、何故だか今にしては、悪し様に斬つて捨てることもない。昔は小林悟といふと、三本立ての中の睡眠時間と私的な相場は決まつてゐたものだが。
 jmdbのデータを鵜呑みにすると、今作は“横浜ゆき”から横浜抜きの“ゆき”に改名しての、最初のピンクといふことになるゆきは、冨永の養女にして現在は事実上内縁の妻のポジションにある紗織。冨永急死後、一郎相手に見せる蜘蛛女ぶりは、小林悟が意識してゐたものか否かは兎も角、この人の持ちキャラといへよう。風間今日子は、悩みを抱へ霊裸を訪れる奈津子。夫との不仲を見抜かれ、聖水に三日浸したとかいふ張形で霊裸に突かれる内に、我慢出来なくなり一郎を求める。腐れ縁の和代と一郎に、残りのキャストを絡めてのラブ・アフェアは、和代の霊感と並ぶメイン・プロットの一本として、何とはなしではありながらもひとまづまともに機能してゐないではない。竹本泰志は、リストラされ故郷に戻つて来た奈津子の兄・信幸、妹に伴はれ霊裸を訪れる。終幕間際に漸く登場して来た竹本泰志が、何しに出て来たのかがまるで判らない。紗織に一郎を奪はれた和代相手の濡れ場要員といふならば兎も角、ラストのひとつ前の件で唐突に描かれる、意外な正体には恐ろしいくらゐに意味がない。

 占はれる者役で、総勢四名ノン・クレジットで登場。少なくとも一人目は、城定秀夫か。残り三人の中に、竹洞哲也も含まれてゐるに相違ない。因みに明示はされないものの、今作は水上荘ロケである。


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 「性犯罪ファイル 闇で泣く女たち」(2001/製作:小林プロダクション/提供:オーピー映画/監督・脚本:小林悟/撮影:小山田勝治/照明:ICE&T/編集:田中治/助監督:竹洞哲也/監督助手:小松慎典/出演:小室優奈・藤崎レオナ・白井ゆかり・茂木智・岡田謙一郎)。
 心にもなく、刑法第百七十七条の条文を押さへて開巻。
 若夫婦がわざとらしく開いた窓の隙間で熱い接吻を交す。名残を惜しみながら、新妻(白井)は新幹線に遅れてしまふ、と夫(誰?)を送り出す。一呼吸置いて、呼び鈴が鳴る。新妻が夫が戻つて来たのかとドアを開けると、今作の主人公、強姦魔・昭島(茂木)登場。恋人に手酷く振られたばかりの昭島は女に対し激しい憎悪を燃やし、「お前みたいな女を見ると、無性に犯したくなるんだ」、「お前達だけが幸せなんて許せねえ、不公平だ」。と、出鱈目な言ひ分で延々朝まで新妻を犯す。警察に通報なんてすると旦那に離婚されるぜ、と非道な捨て台詞を残し昭島は去る。
 ところ変つて、史絵(藤崎)は上司の水城(岡田)と不倫関係にある。女房がなかなか離婚に応じて呉れない水城は、仕方なく一旦家に帰る。一呼吸置いて、呼び鈴が鳴る。史絵が水城が戻つて来て呉れたのかとドアを開けると、再び昭島参上。幼少期に父親が若い女を作つて家を出たとかいふ昭島は、自身の強姦は棚に上げ不倫の罪悪を説きながら延々朝まで史絵を犯す。無体な捨て台詞を残し立ち去るところに加へ、白井ゆかりと藤崎レオナがそれぞれ首から下は美しい体をしながらも、首から上が曲がつてしまつてゐるところまで含めて、全く同じプロットを踏襲する。大藪春彦の奇書、『餓狼の弾痕』にも似た複雑なトリップ感を味はへる。
 続けて昭島は、メル友の玲子(小室)とドライブ、いい雰囲気になる。「車の中もホテルもイヤ、何処か夢の国に連れてつて」といふ玲子を、昭島は何でだか電車セットが組んであつたりもする、ロケ・スタジオなのだか物置なのだか判然としないよく判らない部屋に連れて行く。ムードの欠片もない雑然とした部屋なのだが、玲子は唐突に置いてある街灯に目を留めると、「うわあ、街灯がある。夢の国みたい♪」。・・・・判つてゐる、ツッコんだら負けだといふことは。どれだけトラウマの種に事欠かないのか、父親が家を出て行つた後、母親には虐待されたといふ昭島は玲子をどうしやうもない不手際で不格好に縛り上げると、バイブで陵辱する。拘束したままの玲子を放置し、立ち去る昭島の背中に玲子が叫ぶ。「ケダモノ!変態!気違ひ!鬼、悪魔!」。さりげなくテレビ放映ではジャミングが入る件につき、誰がこんなもの地上波で放映するのだ、といふ話ではあるが。
 「こんなケダモノが、けふも都会の片隅に棲息してゐる。被害者は一人として、警察に届けた形跡がない」。だなどと、岡田謙一郎の取つてつけるが如く無味乾燥なナレーションが入り、まるで断裁でもするかのやうに、映画は色んなものを置いてきぼりにしたまま幕を閉ぢる。あらゆるエモーションに予め積極的に背を向けたかのやうな、徹頭徹尾ドライな一作。僅かな感情移入や慰撫の欠片すら、小林悟は観客に許さない。その徹底した姿勢は、矢張り小林悟は小川欽也や新田栄とは、明らかに異なつた地平で仕事をしてゐたのではないかと妙な誤解さへ生じさせかねない、偉大ではない怪作である。

 撮影は小山田勝治とあるが、冒頭の新妻パートにて、一箇所ガチョ~ンと思ひ切り派手にピンボケする。柳田“大先生”友貴の手によるものだといふならば、いつそのこと素直に肯けるのだが。監督の因果にカメラマンまで引き摺られてしまつたならば、これ程業の深い話もあるまい。意図的にぞんざいに撮つて呉れ、といふ注文に応じたものではなからうなとさへいふのは、いふまでもなく考へ過ぎに違ひまい。


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 「別れさせ屋 失禁する人妻」(2001/製作:小林プロダクション/配給:大蔵映画/監督・脚本:小林悟/撮影:中尾正人/照明:田宮健彦/編集:井上和夫/助監督:竹洞哲也/スチール:佐藤初太郎/タイトル:ハセガワタイトル/スタジオ:飛鷹スタジオ/録音:シネキャビン/現像:東映化学《株》/出演:吉沢綾・佐々木麻由子・高島杏・茂木晃・樹隼也・剣幸志・坂入正三)。出演者中、高峰杏がポスターには高島杏。
 開巻、食料品店を営む新村(坂入)と、新村が囲ふ若い愛人の美智子(高島)の絡み。美智子は新村に、今の女房とは別れ自分と一緒になつて呉れるやう望み、新村もそのつもりであつた。ただパチンコ狂ひの妻・とよ子(佐々木)には離婚に応じる気配は全くなく、そのため新村は、“別れさせ屋”に依頼してゐた。場面移り、何もない部屋に一脚の事務机と椅子が二脚。殺風景を通り越し何の作為も感じさせないセットに、別れさせ屋の二人・斉藤(茂木)と田中(樹)が登場。別れさせ屋とは、依頼人の妻に接近して心を奪ひ、自分と結婚するやう思ひ込ませておいて依頼人との離婚に応じさせる、とかいふ稼業である。斉藤と田中はともに元々はホストをやつてゐたが、ホストの暴飲暴食、おまけに荒淫の生活に将来への不安を感じ、この仕事を始めたものだつた。対とよ子に、斉藤が出撃。とよ子はパチンコに通ふ際、パチンコ屋の駐車場ではなく近所の空き地に車を停め、昼食はその車中でコンビニ弁当を摂つてゐた。とかいふ設定は、撮影ロケーション上の要請であらうかとも推測される。ここで、カメラ・ポジションは車体右側後方。ある日とよ子が画面左奥から、時計回りに正面を回り込んで車に乗り込まうとすると、右前輪がパンクしてゐる。因みに、予め田中が細工しておいたものである。とよ子がポップに途方に暮れるところに、とよ子と同じく画面左奥から斉藤が歩いて来る。体が車体に差しかゝる以前に、親切な青年を装ひ「パンクですか?」と声をかける。こんなら、その位置だと見えんぢやろ
 政府発注でパチンコ絡みのIT開発に携はる若手社長―だからその設定も何だそりや―と偽り、斉藤はとよ子に接近。見事篭絡し、結婚の約束を前提に新村との離婚届に判を押させる。その上で、開発に失敗してしまつたので樹海に消える、と姿を眩ます。途中とよ子は斉藤との情交に際し、感じ過ぎて失禁する、ある意味看板に偽りだけはない。
 とここまでで、尺はほぼちやうど半分の三十分。緩やかなオムニバス風の構成で、物語はビリングトップの吉澤綾篇に突入する。次なる別れさせ屋のターゲットは、限度を超えた買ひ物狂ひの沙恵(吉澤)、今度は田中の出番。ブランド物の紙袋を提げ街を歩く沙恵に、田中が声をかける「怪しい男につけられてゐますよ」。ハッとして沙恵が振り返ると、怪しい男役の斉藤が判り易く姿を一瞬見せておいた上で、隠す。僕が警護しますよ、と田中は沙恵に連れ立つて歩く。頼むから、出来なくとも構はないからもう少し観客をスマートに騙さうとする努力の欠片くらゐ見せて欲しい。
 沙恵と田中は、ひとまづ喫茶店に入る。画面の片隅に、クリープの瓶が見切れてゐたりするのは、さう撮ることの方が寧ろ難しいやうな気すらする。橋口卓明相手には硬質の画作りで孤立無援に気を吐く、中尾正人にしては凡そらしからぬ仕事ぶりは兎も角、距離は更に縮まり、沙恵と田中はバーに場所を移しグラスを交はす。グラスを傾け、見つめ合ふ二人のショット。カメラの恐ろしく直前を、何かが横切る。さういふカットの繋げ方もこの期にどうなのよ、といふ疑問はひとまづさて措き、ああ、このまま一息に濡れ場に突入するのかな、と観てゐると、カット変ると何故か田中が相変らずグラスを傾けてゐたりなんかする。同様にグラスを傾ける沙恵の画を挿んで、再びカメラの恐ろしく直前を何かが横切る。再度カットが明けると、今度は二人隣に並んで座つて飲んでゐる。たつたそれだけのカットの繋ぎに、何を一々大仰な真似をしてゐやがるのか。これが、あるいはこれで二十一世紀の映画であるといふ驚愕の事実が、容赦なく俺を完膚なきまでに打ちのめす。これこそが、比類ない“御大”小林悟の破壊力である。
 沙恵と田中の濡れ場、まんぐり返しの体勢での田中のバイブ責めに沙恵が失禁、したところで映画はブツッと終る、これ何てアート映画?

 配役残り、剣幸志は沙恵の亭主。


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 「欲しがる兄嫁」(2000/製作:小林プロダクション/配給:大蔵映画/監督・脚本:小林悟/撮影:小山田勝治/照明:ICE&T/編集:井上和夫/助監督:竹洞哲也/監督助手:城定秀夫/出演:佐々木麻由子・吉澤綾・滝川な子・ゆうきまなみ・茂木晃・坂入正三・港雄一・栗田幸枝・板倉ひろみ・本村慧介・剣幸志、他)。
 卒業式を翌日に控へた、高校生カップルの弥生(佐々木)と、明後日には北海道の大学に進学する為街を離れてしまふ誠(茂木)。それまではもどかしかつた二人ではあつたが、差し迫つた現実が二人を大胆にした。待ち合はせた部屋、二人は制服を脱ぎ、恋情を交す。ところが四年後、大学を卒業した誠は弥生の下に戻つては来ず、そのままインドに旅立つ。誠は兄・聖(坂入)から、他の男が出来た弥生は、もうお前―誠―の顔など見たくないといつてゐる、と嘘を吹き込まれてゐた。それ故の、傷心旅行であつた。一方弥生は、姿を消した誠に関して、弟の責任を兄である自分が取りたい、と聖から執拗な求婚を受ける。強引さに飲み込まれ、弥生は聖と結婚する。それから更に三年。年老い呆けてしまつた義父(港)を抱へ、聖との関係も冷えきり、弥生の生活は荒んでゐた。そんなところに、誠が帰つて来る。
 小林悟の自脚本による今作は、卑劣な姦計に切り裂かれた弟と兄嫁の兄との対決。それに奪はれてゐた真の愛の再生、をテーマとした正統メロドラマを、志向して、ゐたのではなからうか・・・・?といふくらゐは台詞の端々から辛うじて窺ひ知れぬでもないものの、詰まるところは何時もの御大仕事。ボーン・トゥ・ビー・ルーズに全てはブチ壊される、自ら壊してゐるのだが。
 誠はカトマンズ紀行が出版社に採用されることが決まり、お祝ひだといふことで悪友(不明)、馴染みの店の女(滝川な子とゆうきまなみ)らと温泉旅行に繰り出すになる。荒んだ生活を見かねた誠は、温泉に弥生も誘ふ。その向かつた温泉先に、都合のいいことに出張と偽つた淳子(吉澤)との浮気旅行で聖も滞在してゐたことから、弟と兄嫁の兄との対決が発生する次第。それはそれとしていいとしても、その兄弟と兄嫁の愛憎劇に交互に、露天温泉での呑気極まりない乱交三昧―悪友×店の女二人、あるいは悪友×店の女二人+更に淳子―が挿み込まれる、メロドラマもへつたくれもあつたものではない。どうやつたら、斯くも天真爛漫な構成を採れるのか。加へて、この露天湯煙カット、雲に陽でも遮られたのか、画面の光量があり得ない程度でコロコロ変る。更に、その以前に屋内浴場―見覚えあるが、水上荘かも?―にて、誠は悪友を交へ店の女二人と二対二のセックスを手放しに楽しむ。初めから弥生も連れて来てゐるのに、これではラストの誠と弥生の情交に心理が繋がらない。
 更にそもそも、実は開巻から清らかにちぐはぐ。待ち合はせた部屋に、誠は遅れて現れる。その際の抗弁が、“先輩が中々練習を止めない”。三日後には大学進学の為に北海道に発つ、と台詞にあるので、卒業式は翌日であらう。といふことは、卒業式の前日に部活してゐる三年生・・・?といふか重ねてそもそも、“先輩”とは何ぞや?高校の部活動と必ずしも限定されはしない、といつてしまへばそれまででもあらうが、御大仕事ここに極まれり。挙句に大体が、佐々木麻由子が女学生、といふキラーパスに関しては最早不問に付す、幾ら六年前とはいへ。

 他まで含め栗田幸枝以下四名は、誠の悪友、行きつけの店のマスターと、その他客要員。もう二名、男の名前を拾ひきれなかつた。一応二周まではして喰ひ下がりはしたのだが。力尽き断念した。最終的には、速記もマスターしなければならないのか。


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 2001年の逝去以降、小林悟の映画を観る機会は確実に失はれつつある。世の中一般としてはそれは至極当然、寧ろ然るべきですらあることなのかも知れないが、個人的には、極私的にはどうにも捨て切れぬ未練、のやうなものも残さざるを得ない。小林悟が、四百本だか五百本だかの映画を撮つた小林悟は、百本に一本の映画を四、五本はモノにしてゐるのかも知れない。といふ最も単純な確率論的な可能性を、私は未だ放棄してしまへずにゐるものである。

 「ミニスカ教師 そそる脚線美」(2000/製作:小林プロダクション/配給:大蔵映画/監督:小林悟/脚本:かねださとし/撮影:飯岡聖英/照明:ICE&T/編集:井上和夫/助監督:城定秀夫・竹洞哲也/出演:吉澤綾・佐々木基子・ゆうきまなみ・村井智丸・港雄一・幸野賀一・坂入正三・ささきまこと)。脚本のかねださとしは、金田敬の平仮名名義。
 私立H高校の教員養成所に新しく赴任して来た若葉(吉澤)はいきなり、校則違反のバイク通学―原チャリであるが―の問題児・修一(村井)に処女を見抜かれる。無理矢理若葉を乗せ二尻で走つて行く原チャリを、脇道に停められたワーゲンが見送る。車内では、先輩教師の涼子(佐々木)と、ガングロのミチル(ゆうき)が百合の花を咲かせてゐた。養成所では、校長の熊倉(港)が四人を待ち構へる。問題児の二人の更正を、新任の若葉と放任主義を信条とする涼子とに競はせ、勝つた方を新学期からのクラス担任に、負けた方を副担任にするといふのである。その夜、負けないぞ、とばかりに日記を綴りながら「ようし、体ごと生徒にぶつかつて行くぞ!」、と若葉が気合を入れるや、そこに修一が押し入つて来る。修一は体ごとぶつかつて来いよ、と処女の若葉を手篭めにする。最短距離の、更に内側を抉る作劇には最早感服するほかはない。最速である、フラグの立つ暇もない。主演の吉澤綾、首から上は十点満点でいふと五点以下なのだが、理想的に肉付きの良い健康的な肢体は、銀幕をメインで飾るに十分な魅力に溢れてゐる。
 次の日から、修一とミチルの矯正を賭けた、若葉と涼子の勝負がスタートする。若葉を陥れるべく策略を巡らせる涼子は、まづはレズ子飼ひのミチルを差し向ける。授業の最中に腹痛を訴へ若葉を自室に連れ出すと、何だかんだといひながら若葉に自慰をさせ、その模様をVTRに収めようとする。ところが修一の妨害に遭ひ失敗、堂々と処女を強姦しておいて盗人猛々しいにもほどがあるが、修一は情を若葉に移してゐた。涼子は懲りずに、次々と二の矢三の矢を放つ。矢継ぎ早に展開される涼子の悪巧みと若葉との攻防とが、今作の主眼である。攻防、といふか要は若葉が天然ですり抜けて行くか、間抜けな姦計が自滅するか、あるいは棚から牡丹餅が転がつて来るかの何れかではあるのだが。
 二の矢:体育教師・室伏ことニックネームは“山嵐”(幸野)。何故かレオタードを着せた―ピンク的には全く正しい―若葉とミチルを山道でのランニングに誘ひ、山中で若葉と強引に事に及ぶ。下半身は肌蹴たレオタード姿で、幸野賀一に跨つた吉澤綾が情熱的に腰を使ふシークエンスが、今作の桃色方面に於ける最強のギミックである。
 三の矢:学年主任・アカギことニックネームは“赤シャツ”(坂入)。涼子には、修学旅行費を使ひ込んだ退け目につけ込まれる。ミチルは兎も角、何故か若葉まで含めてスカート丈をチェック。ミチルには短過ぎる、若葉には長過ぎると難癖をつけ、これ又なし崩し的に若葉とセックス、あられもない嬌声をカセット・テープに収めようとする。“アカギ先生、アカギ先生!”と、若葉の嬌声を収めるつもりが、赤シャツが若葉の名を呼ぶ声しかテープには入つてゐない、といふオチは笑かせる。山嵐、赤シャツと、若葉攻略に無様に失敗すると頭にはパンティを被らされ、後ろ手に縛られた屈辱的な姿で、涼子先生にこつ酷くお仕置きされる。佐々木基子の持ちキャラがエクストリームに活きる、勿論、風間今日子でも大アリである。ところで愛染恭子だと、アリはアリなのだが、完全に映画が明後日に逝く、もとい行く。時に平気でそれもやりかねないのが、小林悟でもあるのだが。
 最終兵器の四の矢:熊倉の息子・ユキナリことニックネームは“うらなり”(ささき)。察しのいい諸賢に当たられてはとつくにお気付きであらうが、大胆不敵どころでは済まない「坊つちやん」の翻案である。無論、内容の方はガンダムと天婦羅うどんくらゐに全く関係ない。山嵐、赤シャツ、うらなりが教員養成所を訪れる毎に、熊倉は一々亡き妻に向かつて、「何々先生が休みにも関らず来て呉れたよう!」とわざとらしく号泣する。いふまでもなく全く必要なカットではないが、茶番も三度続けられると、何故だかそれもアリなやうに思へて来る。何だか、小林悟に負けたような気がする。それはそれで、構ひもしないか。
 校長の息子をオトしてクラス担任の座を得ようとするも、童貞であるうらなりは自らの最初の相手にも処女であることを望み、若葉、涼子ともあへなく撃沈。も、ミチルを伴ひうらなりの寝込みを襲ひ、強チンした涼子が校長の息子をまんまと射止める。やうに見せかけておいて、又明後日の方向から、それでゐて安定感としては妙にしつくりするどんでん返しで、映画は幕を閉ぢる、負けを認める涼子の捨て台詞はよく効いてゐる。中身がないことに関しては右に出るものがない―だからあつてもいいんだよ―が、起承転結で一応お話がキチンと収束してゐるだけ、小林悟にしては全然マシな仕事の部類である。特に二の矢三の矢四の矢の、奇優怪優珍優の迷演技合戦は、呆れ果ててしまふことなく観てゐられるだけの心の余裕、あるいは隙間があれば、十分に楽しんで観てゐられる。病膏肓に達するとはこのことか、といつてしまへば、それこそ正しく実も蓋もない。

 小林悟は、百本に一本の映画を四、五本モノにしてゐるかも知れない、と先に述べた。が、既に故福岡オークラで数回観てゐた今作は、その“百本に一本の映画”ではないことなら、初めから判つてゐた。


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 「未亡人女将 握つて食べて」(2000/製作:小林プロダクション/配給:大蔵映画/監督:小林悟/脚本:三河琇介/撮影:柳田友貴/照明:ICE&T/編集:井上和夫/録音:シネキャビン/スチール:佐藤初太郎/助監督:竹洞哲也・城定秀夫/撮影助手:鶴崎直樹/照明助手:松島秀征/タイトル:ハセガワタイトル現/像:東映化学⦅株⦆/協力:寿し処 喜多楽 西日暮里03-3806-7565/出演:吉行由実・里見瑶子・森下美樹・幸野賀一・村井智丸・吉田祐健・坂入正三・港雄一)。
 亡夫(幸野)の三回忌を終へ、娘・美樹(里見)の見やる中、喪服姿のまゝ富士子(吉行)が眠りこける。夢の中で、富士子は久方振りに、再び亡夫に抱かれる。赤フィルター全速前進の扇情的かつ即物的な画面、モザイクもかけられてゐない張形に富士子はパイズリする。まるで官能小説の描写のやうに、張形は豊かな吉行由実のオッパイにスッポリと埋まる。今作のそれ以降が、どれだけ他作に劣るとも勝らない御大仕事であらうとも、いはんやカットが変つた瞬間にプリントが途絶え映画が終つてしまはうとも、今作は既に百点満点で十万億点。この際なのでハッキリ言明しておく、当サイトは、吉行由実のオッパイが大好きだ、筆を滑らせてのけるにもほどがある。
 話を戻す、勢ひ余り、オッパイに挟まれた状態で張形(≒ガイチモツ)は抜けてしまふ。すると富士子は、「抜けちやつた・・・・貴方御免なさい」。御免なさいも何もあつたものではない、一大事である、マジレスすると動脈断裂で普通に死ぬ。ところが張形はもう一本あつたらしく、「スペアがあるの?良かつた・・・」、なかなかにシュールな脚本ではある。
 夫の遺した寿司店「喜多楽」を切り盛りする富士子に、悩みの種は二つあつた。学校に行かうとしない美樹の教育問題と、店の板前が長続きしないこと。にしてはそこそこ繁盛する店内、板前のジロー(坂入)と常連客の寺島(吉田)は、富士子の霊感に夢中。ジローは富士子の霊感で競輪の大穴を当て、寺島は失くしてゐた車の鍵を見つける。大金を手にしたジローは気が大きくなり、マイ(森下)の部屋で遊び呆ける。仕事にも行かずダラダラしてゐるところに、マイの男がやつて来る。何とマイは、ジローも所属する調理師会の会長・コジマ(港)の情婦であつたのだ。「あの野郎、南千住の回転寿司屋に飛ばしてやる」、とコジマは港雄一一流のオッカナイ剣幕で激昂。身から出た錆とはいへ、俄かにジローは窮地に立たされる。一方何時の間にか左手をギブスで吊る―撮影中勝手に怪我したのか?―寺島は、富士子の霊感を商売にしようと思ひつく。霊感占ひは大繁盛しつつ、今度は美樹が、その金を持ち逃げした上で彼氏と家出する始末。富士子の霊感、ジローの窮地、美樹の教育問題。そして、コジマを敵に回した富士子とジローの、店の存亡も絡めた大人の“非”純愛物語。演出と撮影は何時もの御大仕事と“大先生”柳田友貴によるアバンギャルド撮影ながら、ひとまづ物語は案外手堅く纏まつて行く。三河琇介の孤軍奮闘、といへばそれまでなのかも知れないが。
 村井智丸は、変な一定のリズムで延々乳を揉む、美樹の彼氏・マサヒロ、コジマの息子でもある。美樹と家出した倅の粗相に関して、コジマは富士子へ怒鳴り込みの電話を入れる。携帯片手に、コジマはもう片方の手でマイのオッパイを弄ぶ。男の夢を、ある意味具現化したやうなショットではある。
 各々のプロットは特には全く盛り上がらないまゝに、万事はとりあへず丸く収まる。霊感にはすつかり懲りた富士子は、最後の最後にもう一度だけ、霊感に頼つてみる、その件が凄い。競輪新聞を敷き詰めた部屋、同じく新聞紙をドレスの如く身に纏ひ、富士子が横たはる。そこにジローが現れ、新聞ドレスをビリビリと破りながら富士子を犯し始める。結構突き抜けた、文字通り突破力のあるシークエンスである。公開当時にも、感心しながら観てゐたのを思ひ出した。尤もそこは御大、小林悟の名は伊達ではない。結局競輪のどの目を買ふのかといふと、絶頂に達した富士子が「イク、イクーッ!」。ジローはそれを聞いて、「1か、1と9か!?」。何だそりや、みこすり半劇場かよ。詰めが甘いといふか、あるいは初めから詰める気などさらさらなかつたのか。お、面白い映画なんか撮らないんだからね!小林悟はツンデレなのか?   >絶対違へよ
 ラスト・ショットは再び、喜多楽の繁盛する店内。カウンター席の一番手前に座つてゐるのが、そんな御大である。
 冒頭の店内風景、カットの変り際に、寺島がカメラの方を向きボケてみせる。となると、これは関根和美のお痛ではなくして、吉田祐健の持ち芸なのか?何をいつてゐるのか、全くお判り頂けぬやも知れないが。

 そんな御大小林悟ではあれ、今作を発表した翌年、遺作の撮影中に死去する。本当に現場で倒れ、その三日後に帰らぬ人となつたのである。戦つて死ぬ、口でさういふのは簡単。たゞ実際に、さういふ死に様を遂げてみせるのは並大抵ではない。小林悟は、正真正銘戦つて死んだ男である。勿論その最期と、御大仕事の出来栄えとは全く別個の問題であるが。


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 「美容師三姉妹 乱れ髪くねり腰」(1999/製作・配給:大蔵映画/監督:小林悟/脚本:三河琇介/撮影:柳田友貴/照明:ICE&T/助監督:竹洞哲也/出演:南けい子・江本友紀・風間今日子・前川勝典・田嶋謙一・港雄一・坂入正三)。とりあへず“乱れ髪くねり腰”、タイトルのクオリティだけは妙に高い。
 上から南けい子、江本友紀、風間今日子といふ順の、下町の理髪店を切り盛りするパイパン三姉妹―実年齢は江本友紀よりは風間今日子の方が上なのでは?―が主人公の人情艶笑譚。主人公がパイパン三姉妹、そんな映画の感想をどうしてかうして一々俺は書いてゐるのだらう、などといつた辺りにうつかり直面してしまふと、七分の五くらゐ死にたくなりかねないので、その点はこの際等閑視する。
 パイパンであることを悩む長女の為に、手先の器用さだけが取り柄の幼馴染(前川勝典)が、陰毛用の鬘を作らうとする。迸るどうでもよさにこれまでの、ユダがキリストを売つたところから最終的には何も変らなかつたこの二千年の一切合財が、全て押し流されてすらしまひさうだ。餃子屋の女たらし(田嶋謙一)に次女が孕まされてしまつた挙句、田嶋謙一は夜逃げ。更には親の代からの理髪店の入る雑居ビル―の、大家が港雄一。坂入正三は長女の別れた前夫―も、取り壊して建て直しに。等々と三姉妹をたて続けに襲ふ大きな展開を幾つか見せつつも、最終的にはそれもこれも一切回収されないまま、三人並んで前川勝典の作つた下用の鬘―大体あるのか、そんなもの?―を装着して御満悦、などといふどうでもいいことこの上ないショットで映画は終る。これが、これぞ小林悟の仕事である。起承転結の転、で平気で終つてしまふ映画。開いた口が塞がらないだとか腰が砕けるだとかいつた、表現では最早とても追ひつかない。こんな映画ばかり、といふ訳でも必ずしもなからうが、兎も角そんな映画を、小林悟は四百本以上も撮つてゐるのである。優れた映画を撮らうとする作家としての向上心とも、それを通して他から認められたい、といふ有体な虚栄心とも、全く完全に徹頭徹尾無縁ではあるまいか。そんな小林悟に、そんな小林悟の常人には未だ計り知れない姿勢に、敬意を表しない映画観になんぞ一欠片の値打ちもない。と個人的には思はぬでもないが、勿論それを声高に主張しようなどといふ蛮勇の持ち合はせも欠片たりとてない、ないない尽しである。


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 藪から棒に強行開催の運びとなつた、「小倉名画座奇襲篇」。栄えある第一回目の番組は、小林悟と加藤義一の旧作改題である。栄えてるのか?それは。しかも主たるお目当ては、旧題時に観てゐる加藤義一ではなく、小林悟である。我ながら、どうかするにも程があるとでもしか言ひやうがない。

 のつけから、京町二丁目だといふのに、何故か魚町二丁目に矢印を立ててゝ呉れるGoogle地図に翻弄されつつ、要らぬ回り道を経て小倉名画座に。真つ直ぐ向かへば、小倉駅より徒歩二分とかゝらぬ。加へて小倉駅周辺は、小倉駅から一歩、とは流石にいはぬが、数歩も歩けば歓楽街の路地裏に一息に突入出来てしまふ素敵な一帯である。何もないところに―本当に何もない―不意に姿を現す前田有楽とは異なり、判り易く猥雑な一角に小倉名画座は立する。歓楽街のど真ん中である。一歩足を踏み入れるなり感じた、濡れ場が加速していやらしく見える小屋である。一発で小倉名画座といふ小屋に魅せられてしまつた。何はともあれ、ひとまづ足を運んでみて良かつた。何はともあれ。

 「村上麗奈 極上けいれん妻」(1997『村上麗奈 究極名器妻』の2003年旧作改題版/製作:レナ・フィルム/提供:Xces Film/監督:小林悟/脚本:伊藤清美/製作:村上麗奈/撮影:柳田友貴/照明:M&SIC/音楽:竹村次郎/助監督:堀禎一/協力:浅草ロック座/コーディネーター:ジョー・モリソン、ジョアイ・サンダース/出演:村上麗奈・久保田紅子・宝翔・雅麗華・緋咲静・白石千鶴・あいね・坂入正三・樹かず)。
 エクセス紫色のカンパニー・ロゴに続いていの一番に現れるクレジットは、「レナ・フィルム/《下段に》製作 村上麗奈」。80年代後半に一世を風靡した人気AV女優が、自らプロデュースした上で主演した看板映画である。御大監督に加へ、脚本は―何故か?―伊藤清美。そして何よりのヒットポイントは、全篇ラスベガス・ロケ!さあて何処から料理したものか。そんな風に呑気に構へてゐた私は、忽ち完膚なきまでに打ちのめされた。凄まじい破壊力の映画であつた。恐ろしい映画であつた。小林悟は、矢張り小林悟である。勿論それは、肯定的な意味では決してない。
 幻惑的な一作である。幻惑的とはいへ、例へば“最強”山邦紀のやうに意識的に、あるいはあくまで最終的には論理的に夢幻を描くといふ訳ではなく、常人の理解の及ばぬ地平に於いて、幻惑的な一作である。直截にいへば、一体何を考へてゐれば、こんなものが撮れるのかといふ一作である。わざわざラスベガスくんだりにまで出張つて、今作は、一切の論理的なアプローチを拒絶する。手短に粗筋を掻い摘んで、ストーリーを紹介したりテーマを纏めてみる、といふやうな営為は凡そ不可能である。潔く、支離滅裂あるいは木端微塵の逐一を順に完トレースする。それは即ち、たとへば「幻の湖」(昭和57/監督:橋本忍)に際して多くのレビュアーが辿らずを得なかつた道でもある。
 いきなり大胆にも、映画はラスベガス砂漠の空撮から始まる。ヘリから降り立つたのは、洋ピン配給会社社長・神崎(坂入)とその妻・麗奈(村上)。バカ長く白いリムジンに迎へられ、二人は神崎のラスベガスでの屋敷に向かふ。リムジンは屋敷に到着、したといふのに迎への者は誰も出て来てゐない。不平を漏らす神崎に対し、「皆んな忙しいのよ」、とか何とか麗奈が諫めつつ屋敷内に。屋敷に入ると、サプライズ・パーティーが二人を歓迎する。パーティーの主催は、神崎が日本に戻つてゐる間屋敷を管理してゐる、ジミー(樹)とバーバラ(久保田)・・・・に、日系人といふことなのか?別にジミーやバーバラでなくてもいいぢやん。早くも、濃密に御大臭が立籠める。二人を迎へたのはジミー、バーバラの他に、ラスベガスにダンスを学びに来てゐるといふ名もなき皆さん(雅麗華・緋咲静・白石千鶴・あいね)、要は浅草ロック座の踊り子さん達である。踊り子さん達がインド映画でもないのに大した前振りもなく踊り始め、早々に映画の底は抜ける。誠畏るべし、小林悟。
 パーティーが退け、とりあへず神崎と麗奈は寝室でセックス。一夜が明けると、神崎は眠る麗奈をベッドに残し、仕事に出てしまつてゐる。一人起きた麗奈が屋敷内をフラついてみると、ジミーとバーバラがセックスしてゐる。ここで何故か、見るからに欲求不満を連想させる演出で麗奈は二人の情事を覗き見る。自分も昨晩、旦那にしつぽり抱いて貰つてゐる筈なのに。麗奈が体の火照りを冷まさうとでもするかのやうに入浴してゐると、そこにバーバラが現れる。麗奈が覗いてゐたことを知つてゐたバーバラは、「マッサージしてあげる」だとか何とか言ひながら、麗奈と百合の花を咲かせる。とここまでに、外出してゐる筈なのに二階から麗奈を見下ろす神埼の姿と、居間でジミーと何事か良からぬ相談を交はす神埼のショットとが挿み込まれる。次の日、麗奈を伴ひ外出した神崎は、砂漠から帰つて来た女(宝)と会ふ。そのまま女―固有名詞で一度も呼称されないので、最早手も足も出ない―と三人で屋敷に戻る。屋敷に戻ると、女は麗奈と二人で踊る。ここでのダンス・シーン、階段を上がりながらボックスを踏む、二人の足元だけを暫くの間追ふ、といふ柳田友貴大先生は凡そ普通では考へられないやうなある意味画期的なカメラ・ワークを披露する。踊り疲れると、女は「ダンスをするとオナニーをしたくなるでせう?」だなどと目茶苦茶なことを言ひながら麗奈と百合の花を咲かせる。どうでもいいが、折角ラスベガスにまでやつて来たといふのに、ここまで屋敷の中での濡れ場ばかりである。矢継ぎ早に、今度はジミーが麗奈とセックスする。ここまでで既に十分あんまりであるが、小林悟の真髄、他を圧倒する破壊力が炸裂するのはここから。
 ちよつと強引に言ひ寄られたくらゐで、全然和姦にしか見えなかつたが、何故か麗奈はジミーに強姦されたと砂漠に逃げる。ジミーは車で追ふ、どうして走つて逃げる女を横着して、あるいは大仰にも男が車で追はなくてはならないのか、更にそれで何故追ひ着かぬのかがサッパリ判らない。そこに神崎が、この人は何とヘリで現れる。ドラマチックなつもりでもゐるのかも知れないが、既に観客は映画の崩壊に振り切られてしまひ、それどころではない。神崎が現れると、麗奈は「私は何の価値もない女よ!」と喚き散らし、何故か砂漠の真ん中で全裸になり、失神する。もう、どうしたらいいのか判らない。小生も、こんな映画を観てゐて卒倒するかと思つた。ヘリで麗奈を連れて帰る神埼は、揺さぶるやうなふりをして、延々乳を揉む。このカットには、それはそれとしてのプリミティブなエロスを感じたのは内緒だ。
 屋敷プールのロングショット。プールサイドには、左からジミー、神崎、バーバラ。プールの中では、麗奈が全裸で泳ぐ。水から上がつた麗奈は、肌を何で隠すでもなく、全裸で三人の前を悠然と横切つて歩く。そんな麗奈の姿を、神埼が目で追ふ。この件だけは、映画的な完成度が一寸だけ高い。ジミーとバーバラの会話、バーバラ「上手く行つたわね」、ジミー「全てOKさ」。神崎は再び日本に戻る。リムジンの車中、麗奈は「東京に戻るまで待てない」、と神崎を貪る。“おわり”と映画は終る。ざつと、これが映画の一部始終だと思つて頂いて概ね間違ひはない。どうやら、神埼が麗奈を淫乱女に仕込む為に、わざわざラスベガスにまで連れて行つたといふ物語らしい。さういつた背景は一欠片たりとて明示はされないが、さうだとくらゐしか理解のしようがない、繰り返す、

 畏るべし、小林悟。

 恐ろしい映画である。最早さうだとくらゐしか言ひやうもない。単に詰まらない映画、単なるルーチンワークとは明らかに一線を画してゐる。だからどうだといふ訳でも勿論ないが、一体何を考へれば、このやうな地平で映画が撮れるのか。それはそれでゐて、余人には到達し得ぬ地点であらう、辿り着く必要など恐らくないこともいふまでもないが。小林悟は、ひよつとしたら常人の与り知らぬ大天才なのかも知れない。あるいは、紙一重で素晴らしく惜しい人か。
 “80年代後半に一世を風靡した人気AV女優”と先に村上麗奈に関して紹介したが、少し調べてみたところ、村上麗奈はAV女優としての実働は僅か一年。その後は、ロック座専属のストリッパーとして人気を博してゐた、とのことである。浅草ロック座ダンサーのラスベガス慰安旅行、あるいは興行に帯同した小林悟が、映画も序に一本撮つて来た。さうとでも考へた方が、この際寧ろ肯けるやうな気がする。


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 うらゝかに晴れた清々しい春の一日、第九次の「小倉名画座奇襲篇」に出撃した、季節も天気もまるで関係ない。
 今回の小倉名画座の番組は、“御大”小林悟の十二年ものの旧作改題と、新田栄の十三年ものの旧作改題。看板を偽るにもほどがある、何が名画だ。寧ろ、かういふ番組を堂々と組んでみせる蛮勇を、賞賛すらすべきなのであらうか。小屋も小屋でどうかしてゐるが、そんなものをわざわざ電車に揺られ博多から小倉にまで観に行かうといふ方が、余程どうかしてゐる。殆ど、正気の沙汰ではない。尤もそれも、何の考へもなく純然と血迷ふてゐる訳では、個人的にはあくまでない。重ね重ねの繰り返しにもなるが、当サイトは、監督名や―配給、あるいは製作―会社名で掻い摘むやうなピンク映画の観方を、一貫して最も斥けるものである。さういふ姿勢からは一定の文脈に乗つてゐれば加藤義一くらゐまでならばまだしも、例へば極稀に光芒を放つ関根和美の平素は終始秘められ放しの真価や、高打率で量産される坂本太の水準、プログラム・ピクチャーのプログラム・ピクチャーなりの良質な部分、といつたやうなサムシングが等閑視されてしまふのではないか。近年のエクセスの充実も、丸ごと抜け落ちかねない。映画の撮り方を覚えてゐた頃の瀬々敬久(兄)の、プログラム・ピクチャーの枠組みを完全に突き抜けた轟音大傑作群の素晴らしさに関しては、この期に言を俟つまい。ただ量産型娯楽映画のまゝでなほかつ賞賛に値するピンク、さういつた一作も当サイトとしては怠ることなく拾ひ上げて行きたい。さういふ方便で、スパルタンに選り好みを排すべく、今回かうして最も危険な遊戯に戯れた次第である。
 結果としては、まあ。一敗一引き分けといつた辺りで、まづは一分けから。

 「ワイセツ母娘 欲情まみれ」(1995『母と娘 女尻こすり合ひ』の2003年旧作改題版/製作:キク・フィルム/提供:Xces Film/監督:小林悟/脚本:如月吹雪/撮影:柳田友貴/照明:渡辺和成/編集:㈲フィルム・クラフト/助監督:佐藤吏/スチール:佐藤初太郎/タイトル:ハセガワプロ/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:大信田るい子《新宿TS.M》・桃井良子・杉原みさお・樹かず・港雄一・浅間ゆう子)。
 舞台はお馴染みミサトスタジオ、一人娘の唯(大信田)が、もう二週間も家にゐつく信行(樹)と、昼間から恣な情事に耽る。プールサイドにはそんな唯に気を揉む母親の園美(浅間)と、園美の百合相手(タチ)・光(桃井)。信行はこの家の財産目当てで唯に近づいたに違ひない、叩けばホコリが出る筈だ、と光は息巻く。一方唯は、男に騙され続けた挙句に、終に同性愛者となつてしまつた園美を嫌悪してゐた。大阪で働いた結婚詐欺の足がつき東京へと流れて来た信行は勿論、実は他人をどうかういへない光も目的は金。裕福なパパさん(港)が出来て気持ちが離れた、若いパートナーでバイ―セクシュアル―のナナ(杉原)の心を繋ぎ止めるために、光は園美に接近したのであつた。二人の魂胆を知つた唯と園美は、母娘手を取り二人への逆襲を画策する。
 色情を基底に登場人物が重層的に交錯する物語は、ピンク的に全く過不足なく纏まつてゐる。御大作にしては、破壊力の不足が不測に感じられさへする手堅い一作。ラストも実にいい加減なまゝに、そのいい加減さが絶妙にピンク映画らしい安定感を与へてゐる。大きな白字の“完”が、スカッと映画を締め括る。
 メイン・ウェポンも素直に主演の大信田るい子、現存するストリップ小屋・新宿TSミュージックの専属ストリッパー(ただし昨年十月に引退)で、御大作にしては珍しく踊つて見せる気に竹を接ぐ見せ場こそ設けられないものの、特に背中から尻にかけてなど、抜群に美しい体のラインをしてゐる。調べてみると、新宿TSミュージックの―歴代―専属ストリッパーの名前の中には、仁科夕希、不二子、青山和希等、ピンクで見覚えのある名前がそこかしこに並ぶ。サブ・ウェポンは光役の桃井良子、男勝りのタチ様と、離れて行くナナに見せるそれはそれとしての弱さとを、判り易く演じ分ける。男に触れられると吐きすらするガッチガチのビアンぶりも、珍しくかどうかは兎も角きちんと描かれる。
 カット変ると画面の色が劇的に変つてしまふ黒魔術は駆使しつつも、柳田友貴大先生も今回はファインダーで何処を覗いてゐるのだか観客を眩惑させるでなく、比較的以上に的確な画をそこそこに意欲的なカメラワークも織り交ぜ押さへる。ただ相変らずなのは、手つ取り早く財産を手に入れ山分けにしようと、光と信行は共同戦線を張る格好に。光は唯の、信行は園美の攻略を図る。その、信行が園美を手篭めにする件で、半開きのガラス障子越しに、露になつた園美の下半身、だけが延々とじたばたするカット。それ、障子開ければ全身見えるぢやろ

 ピンク映画の選り好みに関しもう一言筆を滑らせると、一体何時まで、かつての国映の幻影に囚はれ続けるつもりか。昨今の無様な体たらくは、とても真顔で首を縦に振れる筋合ではない。俺は関根和美の、「淫行タクシー ひわいな女たち」(2000)を観た時に悟つた。これは、真の名作は何処に転がつてゐるか決して判つたものではないと。


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 小林悟の映画を観に行つた。小林悟(1930~2001)、昭和34年「狂つた欲望」(松井稔と共同監督、共同脚本)でデビュー。昭和37年にはピンク映画第一号、と後にされる「肉体の市場」を監督。その生涯に、大体四百二十本から四百三十本くらゐの映画を監督した。正直調べれば調べるだけ色んな数字が出て来る、七百本とかいふ数字を目にしたこともあるが、それは流石に些か箍の外れた数字ではなからうかと思はれる。
 小林悟の映画監督としての特色は、底抜けに多い監督本数も兎も角として、その、明らかにひとつの偉業である筈の数字を覆ひ隠して余りある仕事ぶりにある。張つた伏線を回収しないといつた程度の豪快は朝飯前、起承転結の転、のところでも尺が満ちれば平気で映画を終へてみせるといつた、エクストリームなルーチンワークを平然とやつてのける。初めて観た時には吃驚したが、ピンクを観てゐて六十分経つと本当に全てを放たらかしにしたまゝ映画が終つてしまふのである。そのため、現場サイドからは兎も角、観客乃至マニア側からは悪し様に罵られる例(ためし)の多い、否、罵られてばかりの映画監督ではある。
 当サイトも初めは、勿論、小林悟を評価してゐなかつた。実際ピンクに首を突つ込んで貰へれば、ここでの“勿論”といふ粗雑な物言ひも容易に理解して頂けるにさうゐない。ピンク映画通例三本立ての番組の中で、小林悟が来ると就寝タイムに設定してゐた。ただ、その内思ふやうになつた。一体果たして、そもそもどうしてこのやうな映画を平然と撮れるのか。何を考へて、このやうな映画を四百本も撮つたのか。お断りしておくと、あくまで少なく鯖を読んでの四百本である。
 起承転結の転、のところで平然と終つてしまふやうな映画。凡そ平板に考へるところでは、その作品を少しでも神の営みの高みに近づけようとする、一作家としての純粋な志とも、その作品を通して映画監督として他から高く見られたい、といつた虚栄心とも全く以て最大限に無縁である。そのやうな態度で、如何に生涯に四百本の映画を撮り上げたのか。繰り返すが、少なく鯖を読んでの四百本である。最も単純な確率論からいふと、百本に一本の映画を四本は撮つてゐる格好になる。小林悟といふ人は、実は我々俗人の決して辿り着くことの叶はぬ、窺ひ知るすら能はぬ地平に於いて、映画を撮り続けてゐたのではなからうか、とその内思ふやうになつた。さうして、死後は流石に上映機会も減少傾向にはありつつ、小林悟の映画といふと努めて観るやうになつた。

 「湯けむり温泉芸者 極上の腰使ひ」(1995『好色温泉芸者 秘湯覗き』の2005年旧作改題版/製作・配給:大蔵映画/監督:小林悟/脚本:如月吹雪・小林悟/撮影:柳田友貴/照明:眞崎良人/編集:㈲フィルム・クラフト/助監督:国沢実/スチール:佐藤初太郎/音楽:藤本淳/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/フィルム:AGFA/協力:信州 ロック座・パブ・レストラン フラミンゴ・置屋 一力・東八千代・久保谷紅子・北岡綾・白石千鶴・丸奴・弥生・雅麗華/出演:北野まりも・佐久間良・西野奈々美・門倉達哉・白都翔一・いか八郎・樹かず・上山田三郎・〃四郎・港雄一・武藤樹一郎)。
 信州の温泉街を舞台に、一組のハネムーン・カップル(西野奈々美と門倉達哉)。同じ詐欺師(白都翔一)に騙される二人の芸者(北野まりもと佐久間良)に、出歯亀コンビ(いか八郎と樹かず)の珍道中。がそれぞれクロスオーバーされたり、別にされなかつたりしながら描かれる。
 亡くなつた祖母を思ひ出す新婦の姿に欲情した―思ひきりのいいシークエンスでもあれ、これが観てみると結構リアルであつたりもする―新郎は、事を致さうとするも喧嘩になり、二人それぞれ宿を飛び出す。新婦は出歯亀コンビに襲はれかけ、新郎は新郎で行きずりの女としつかり一発キメて宿に戻つて来た後、しつぽりと夫婦の愛を確かめ合ふ。ちやつかりしてゐることこの上ないが、まあピンク映画である、尻の穴の小さなあやをつけるものではない。これで濡れ場も計三回、実に素晴らしい。
 それぞれが手口を変へた同じ一人の詐欺師に騙され金を巻き上げられてゐたと知つた二人の女は、川面に向かつて叫ぶ。片方の女の前には、詐欺師は作家を偽り近づいてをり、反戦プロパガンダ小説『戦争と平和』―1995年にしてこのセンスである、最早シャッポを脱ぐほかない―の自主出版費用と称して女は金を巻き上げられてゐた。「戦争なんて、糞喰らへだ!」、ここで取つてつけたやうにとはいへ堂々と反戦メッセージか、と思へば、直ぐに続けてもう片方の女が、「平和なんて、糞喰らへだ!」。もう滅茶苦茶である(笑、何も考へずに物を作る手合が、結果的に最たるパンクを仕出かす。
 流れる川面を前に、全てを洗ひ流して川はまた元の姿に戻る。と男なんてもう懲り懲り、これからは金のためにのみ生きる、と女達は誓ふ。「金返せえつ!」、ポジティブなのだかネガティブなのだかサッパリ判らない割り切りやうで女達が踏ん切りをつけたところで、唐突にミュージック・スタート♪小林悟の人脈で協力の、信州ロック座所属ダンサーの皆さんによる華麗なステージ映像―ストリップ小屋実舞台の模様がそのまんま使用。想像し辛いやも知れないが、小林悟映画に於いてはよく見られる光景―を挿み、作家ver.の詐欺師に騙されてゐた方の芸者が、「えいや!!」、とジャンプする一応はポジティブなショットで映画は終る。流石にわざわざ新版公開するだけあつてか、物語がキチンと収束してゐるだけ御大作にしては全然マシな部類。

 小林悟の映画を努めて観るやうにしてゐる、と先にいつた。それにしても矢張り寝落ちる敗北も多く、流石に百本は観てゐないのもあり、百本に一本の映画に、未だ巡り会へてはゐない。


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 「女囚 檻」(昭和58/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:小沼勝/脚本:村上修/企画:奥村幸士・小松裕司/プロデューサー:桜井潤一/撮影:安藤庄平/照明:島田忠昭/編集:鍋島惇/録音:佐藤富士男/美術:後藤修孝/選曲:細井正次/助監督:村上修/出演:浅見美那・渡辺良子・松川ナミ・室井滋・由利ひとみ・相川圭子・森みどり・石井里花《新人》・和泉喜和子・仙波和之・田山涼成、他)。配給に関しては事実上“提供:Xces Film”か、因みに女優陣脱ぐのは由利ひとみまで。 ※名前に下線の女優が脱ぎ有り
 夏、うだるやうな夏。女囚刑務所の医務室のベッドの上で、女囚・芳恵(由利)が汗みどろになりながら激しい自慰に狂ふ。昼にはまだ少し早い筈なのに、急にサイレンがけたたましく鳴る。作業中の美和(室井)は、少し早い筈だと知りながら、飯だ飯だと繁子(相川)にけしかける。室井滋といふ人は、二十三年といへば凡そ二昔前の映画であるにも関らず、顔と台詞回しとが今と全く変りないゆゑ、秒殺でその人と判る。黙々としつつも騒然とした食堂、女囚達の間に、情報が駆け巡る。正代(浅見)が脱走した!一同は俄かにざわめき立つ。とそこに、騒ぎ始めた女囚を鞭で蹴散らし蹴散らし看守の岸子(渡辺)が登場。クールな美貌に抜群のプロポーション、ダイアン・ソーンばりの堂々とした看守ぶり、といふにはチト線が細いが、ともあれカッコいい悪役のファースト・カットとしては満点である。正代が脱走を図つたのは、娑婆に残した恋人に会ひに行く為であつた。だが然し恋人は不在で、正代は再び捕らへられてる。正代が刑務官に引き摺られ連れ戻されて来る、激しく打ちのめされながらも、その瞳はギラギラとした輝きを失ひはしなかつた。
 渦巻く女囚同士のグループ抗争、刑務所長・野枝(和泉)は、歪んだ愛を女囚達に押しつける。偽りの楽園の中、決して何物にも服従しない主人公が、世界を敵に回してでも戦ひ続ける女囚ハードボイルドである。
 岸子の策略で、美和が正代の身代りに男達に犯される。尊属殺で服役中の美和は、実は処女であつた。そのことを隠し誰にもいはないで呉れと美和は懇願、正代は、滾る怒りを黙つて胸の裡に押し殺す。自慰癖を告白すべく懺悔室に入つた芳恵が、神父の牛山(仙波)と岸子との背徳を目撃。弱みを握つた正代は、岸子の監視など何処吹く風、面会に来てた恋人・辰雄(田山)と堂々と面会室にてセックスする。初めは怯えて二の足を踏む辰雄に、正代は耳元で囁く「青春、終つちやふんだよ」。辰雄が果てると、更に心の中で「さよなら・・・・」。だがそれすらも、全ては野枝の書いた絵図であつた。所詮は野枝の掌の上で、正代は踊らされてゐたのだ。野枝の強要する歪んだ愛を拒み通した正代は、野枝の指を噛み千切る。正代は女囚刑務所といふ、偽りの楽園から終に追放される。一本のナイフを渡され、正代は束の間の解放と、色濃い破滅とが光と霧の向かうに霞む塀の外へと駆け出して行く。偽物の天国なんかよりは、地獄の荒野の方が上等だ。「明日に向かつて撃て!」にも似たラスト・シーンは、命ある限り、燃え尽きることのない正代のカウンターなエモーションに胸撃ち抜かれる。
 正代の怒りの導火線を表すメタファーに、当時流行の不幸の手紙を持つて来るセンスは今となつてはハチャメチャにも思へて来るが、ギラつく夏の空気がスクリーンの中に濃厚に漂ふ中、何物にも屈しない正代の頑強な反抗のドラマは、周到な脚本にも支へられ実に見応へがある。銀幕に力強く渦巻く情念の炎は、一般論としては何れの国の映画もが、何処かに置き忘れて来てしまつたもののやうにも思はれる。

 事前には一応覚悟もしておいたものだが、矢張り出て来てしまつた室井滋の濡れ場は、幸にも無害。体のラインは特に尻が美しく、心に深い傷を追ふやうなことはなかつた(火暴)。嗚呼、このオッパイを長谷川和彦が夜毎・・・・   >そんな腐つた映画の観方嫌だwwwwwwwwww!
 松川ナミは、正代達と反目し合ふ女囚グループのリーダー・美和。強引なレズボスの妙技で、芳恵を篭絡する。正代と大乱闘を繰り広げた後、正代共々野枝、岸子、牛山。そして何処から連れて来たのか判らない粗野な男達により陵辱の拷問を受け、真性のレズビアンである美和は絶叫する。森みどりと石井里花は美和のグループの豊子と伸子。美和のパートナーであつた伸子は、芳恵を抱く美和の姿に狂乱する。


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 「妻たちの絶頂 いきまくり」(2006/制作:セメントマッチ・光の帝国/配給:新東宝映画株式会社/監督・脚本:後藤大輔/原題:『野川』/企画:福俵満/プロデューサー:池島ゆたか/挿入曲:コスモス by ハッピーターン/撮影:飯岡聖英/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/助監督:伊藤一平/撮影助手:邊母木伸治・宇野寛之/演出助手:中川大資/スチール:山本千里/タイミング:安斎公一/現像所:東映ラボ・テック/協力:有限会社アシスト・有限会社ライトブレーン・報映産業株式会社/出演:吉岡睦雄、千川彩菜、柳東史、結衣、なかみつせいじ、佐々木基子、本多菊次朗、川瀬陽太、エル・カヒール・ヘンリー=プーイー)。出演者中本多菊次朗と川瀬陽太に、エル・カヒール・ヘンリー=プーイーは本篇クレジットのみ。
 早朝か、薄暗い画面。出刃を片手に、千川彩菜(ex.谷川彩)が全裸でドブ川に立つ。
 シナリオ執筆中の、吉岡睦雄がキーボードを叩く。飼ひ猫・プーイー(猫セルフ)が机の上に飛び乗り、その邪魔をする。ピンクらしからぬ細やかなカット割に、「これは!?」と、この時点では思はず期待させられた、外れるんだけど。
 映画監督の加藤伸輔(吉岡)と、一緒に暮らす時雨(千川)は数年前に妊娠したものの、同時に卵管の病気が発覚、二人はその時に結婚する。ただ伸輔は現在では時雨との生活に意義を失ひ、女優の皆川悦子(結衣)と浮気してゐた。九州の実家から、伸輔に父親が倒れたとの報せが入る。兄・誠治(なかみつせいじ/ほぼヒムセルフ)から罵られながらも、不孝ばかりしてゐる伸輔は帰らない。帰りたくても、帰れない。
 中盤そこいら辺りから、伸輔と時雨の現在、ではなく正確には当時時制。当時時制からの近未来、過去時制。更には制作中の加藤伸輔新作映画内世界とが、十全に調整されるでなく観てゐる側からすれば、あくまでランダムに差し挿まれる。後藤大輔一個人の内部にあつては、時制ないし位相の移動は決して無規則なものではなく、統一され明確な何某かもひよつとすると存在するのかも知れないが、それが観客にさはりだけでも提示されはしない。無秩序はあくまで無秩序のまゝ、未整理は単なる未整理のまゝ、物語は現実の地平で一応の無理矢理な着地を果たし、降つて湧いたやうな兄夫婦―妻は基子(佐々木基子/大体ハーセルフ)―の、主を喪つた弟の部屋での夫婦生活で幕を閉ぢる。ピンク映画としては論外、ピンク外したとて面白くも何ともない。何程か高次なコンセプトのひとつある訳でもあるまい、純然たる未完成に過ぎない未完成。後藤大輔といふ人は決して、確固たる物語を明確に描く体力に欠ける映画監督であるとは思へないのだが、これはどうしたことやら、甚だしく頂けない。プロデューサーとして名前を連ねる池島ゆたかも、このやうな商業映画未満、あるいは以前を臆面もなく世に送り出してしまつた結果に対して、少なくとも自らの名を汚した不明を恥ぢるべきではなからうか。
 伸輔宅に、加藤組の皆が集まつてのホン読み。この件に関しては、画面中どれが誰であるかを識別出来る程度のピンクスにとつては、リアルに雑多な感じだけは少なくとも楽しめようか。こゝで本多菊次朗はプロデューサー、川瀬陽太がカメラマン。柳東史は俳優のヒムセルフ、ほかに悦子。なかみつせいじと佐々木基子も、それぞれ俳優部役で姿を見せる。あと二人若い男がゐるのは、片方が中川大資につき残りは伊藤一平か。
 劇中挿み込まれる―加藤伸輔新作―映画の1シーン、悦子から混乱と御都合主義とを詰られた伸輔は返して、「俺は手を汚す!」。ちなみに『俺は手を汚す』(ダゲレオ出版)とは、若松孝二自伝のタイトルである、怒るよ。
 伸輔、時雨の飼ひ猫として登場のプーイーは、後藤大輔の愛猫。ちなみちなみにプーイーとは、“ラストエンペラー”愛新覚羅溥儀の英語読みである。

 色々調べてゐて改めて思ひだしたが、映画監督の加藤伸輔と時雨夫妻が登場するのは、2004年の「夫婦交換《スワップ》前夜 ~私の妻とあなたの奥さん~」(伸輔と時雨は境賢一と夏目今日子)以来二度目。確か観た筈なのだが、殆ど全く印象に残つてゐない。


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 「兄嫁と義弟 近親恥態」(1997『一度はしたい兄貴の嫁さん』の2003年旧作改題版/製作:ネクストワン/提供:Xces Film/監督:久万真路/脚本:金田敦/企画:稲山悌二/撮影:鈴木一博/編集:冨田伸子/音楽:村山竜二/助監督:瀧島弘義/録音:福島音響/出演:彩乃まこと・水乃麻亜子・泉由紀子・臼井武史・高崎恒男・大久保了)。
 穏やかであると同時に確かなエモーションを喚起するメイン・テーマの鳴る中、一台のママチャリが坂道を越えて走り来る。幽かな傑作の記憶が、一息で甦つた。これだ、このメロディだ。以降も音量を効果的に上下させながら、同時に時にはアコーディオンによる主旋律とギターでリズムを取るバック・トラックとを分離させつつ、主要シーンに於いて繰り返し使用される。どばとによる「土門とリカ、愛のテーマ」―勝手に命名―にも並ぶ、ピンク屈指の名楽曲である。
 ママチャリの女・ちさと(彩乃)が帰宅すると、警備員で夜勤明けの夫(大久保)はまだ寝てゐた。起こしてしまつた夫と、ちさととの濡れ場。ちさとの乳首を口に含んだ夫は不意にいふ、「表はきつと、ポカポカ陽気だ」、「判るの?」。「オッパイがしよつぱい」といふ夫にちさとは笑ひながら、「バカ、人の体でお天気決めないでよ」。リアルに洩れ聞こえる屋外の生活音に時間を計るちさとを、今度は夫がたしなめる。文言だけ洗つてみると作為的にも思へる台詞が、さりげなくも綺麗に決まる。
 ちさとは、高校時代の同窓会に出席することにする。同窓生の中には、夫の弟で、大学で映画を学ぶヒトシ(臼井)が居た。夫は知らなかつたが、高校時代、実はちさとはヒトシと付き合つてゐた。結局一線は越えられなかつた二人、後にちさとはヒトシの兄を知人から紹介され、結婚したものだつた。当時、二人で撮つたカプセル入りのプリクラ写真に、ちさとはヒトシも同窓会に出席することの願をかける。現在大学四年のヒトシは、先のことを真面目に考へるでもなく、過ぎ行く日々を無気力に過ごしてゐた。カノジョのヨシエ(水乃)は何かと構つて来るが、ヒトシは生返事を返すばかりで満足に取り合ひもしない。就職はおろか卒業制作のことも何も考へてはゐないヒトシは、ひとまづ友人の谷本(高崎)の企画を手伝ふことにする。何となく同窓会に出席した、ヒトシはちさとと再会する。同窓会の一次会の後、ちさととヒトシは皆の輪からは離れ、二人夜道を歩く。互ひに何か満たされない微妙な心の襞を感じつつ、ヒトシはそのまま珍しく兄の家に泊まる。ヒトシが居るにも関らず、強引な求めに応じ夫に抱かれたちさとが翌朝部屋を訪れると、ヒトシは勝手に帰つてしまつてゐた、ちさとの宝物の、プリクラのカプセルを持ち出して。ちさとは写真を返して貰ふといふ方便で、ヒトシの部屋を訪れる。
 早くに結婚し、幸せながらも何処かに何かを忘れて来てしまつたかのやうな寂寥感を抱く若妻と、かつては若妻と交際関係にもあつた、若妻の義弟でもあるモラトリアム大学生との再会。特に大きなアクションを有するでもない、何といふこともない物語ではある。似たやうな話で、何となくの雰囲気が何ともなく生煮えするばかりの水準以下の映画を、我々は幾らも知つてゐる。とはいへ強力な脚本と撮影と音楽、分厚い支援体制とを得、久万真路は正しく一撃必殺の覚悟を以てして、今作を決定力のある傑作へと為さしめた。先にも触れたが、久万真路の覚悟は作為的にさへ思へる会話を名場面に仕立て上げた、開巻の夫婦生活に於いて既に明らかである。
 泉由紀子はヒトシや谷本ら、学生達に人気の喫茶店の女主人・マチコ。学生達は揃つてオムライスを注文し、届けられると食する前にスプーンで卵をめくつて中身を確認する。四、五、六月は新入生の中から、十、十一、十二月は卒業して行く学生の中から、一日に一人だけ卵をめくると中に、男根でも模したかの如く縦に入れられた海老が入つてゐる者が居る。海老は即ちその男がマチコから選ばれたといふ証で、その幸運な勝者は奥の部屋でマチコを抱くことが出来るのである。マチコはヒトシのオムライスに海老を入れるが、土壇場で谷本がオムライスをすり替へる。谷本に乞はれたマチコが主演女優として参加する、谷本卒業制作の企画「ギャングと姑娘」の撮影シーンといひ、学生達の呑気で楽しい日々が、柄にもなく微笑ましくすらなれてしまふくらゐに瑞々しく描かれる。端々の繋ぎのシーンひとつ疎かにしはしない、久万真路の高い緊張度は見事に全篇を通して持続する。
 着衣のまゝとはいへ二人布団に包まつてゐるところを、ちさととヒトシはヨシエに目撃される。その日友人の結婚式に出席してゐたヨシエは、二次会にヒトシが迎へにだけでも来て呉れるやう、事前に何度も頼んだにも関らず現れなかつたことへの小言を垂れに来たのだ。ヨシエが手にするウエディング・ブーケ、繰り返し登場するちさととヒトシが交際当時に撮影したカプセル入りのプリクラ写真。小道具のひとつひとつ、伏線のひとつひとつ。恐ろしいほどに、今作には僅かな隙さへ見当たらない。
 ヨシエはちさとの夫、即ちヒトシの兄貴に、二人のことを密告する。さういふ嫌な自分を罰して欲しいと、ヨシエは大久保了に暴力的に抱かれる。といふことはお互ひ様でもあるのだが、ちさとは夫に殴られる。一方ヒトシといへば、結局ヨシエのことすらどうすることも出来ない。エスカレーターを上下に行つたり来たりした挙句、戯れにプリクラを撮るばかりである。要はちさとと一線を越えられなかつたあの頃から、ヒトシは一歩も前に進んでゐないのだ。
 再び会つたちさととヒトシは、当てもなく外に出る。大阪芸大映研の部室で、二人は終に結ばれる。メイン・テーマが最大音量で、なほかつそれまでは使用されなかつたシンセによる後半部分が炸裂する濡れ場は、撮影が見事なこともあり史上空前の美しさ。小屋の暗がりの中、観客がその時眼前にするのは、紛ふことなき最高潮。思はず、フーセンガムを噛む口元も止まつた。息を呑むとは、かういふ瞬間のことを指すのであらう。旧版も新版も例によつてポスターは間違つても宜しくはないが、幼さと大人の色香とを同居させる彩乃まことは、確認出来るだけではほかにVシネへの出演が一本ありはするものの個人的に余所で見かけたこともとんとないが、実に美しい女優さんである。
 ラスト・ショットは、今度こそマチコのオムライスの海老を引き当てた、ヒトシの元気なガッツポーズのストップモーション。青春時代の忘れ物を取り返した主人公が新しい一歩を踏み出し、それまでは流されるまゝに過ごしてゐた日常の中に闊達に立ち戻つて来る、見事な映画の締め括りである。一体この完成度は何なのか、赤い彗星風にいふならば、「ええい、久万真路のデビュー作は化け物か!?」。悪いことはいはぬ、旧題で上映されることには最早殆ど期待可能性も見込めまいが、「兄嫁と義弟 近親恥態」。趣も潤ひの欠片もない新題ではあることはさて措き、このタイトルを最寄の小屋の番組表に発見された折には、迷ふことなくマストでゴーである。小屋で観るものが即ちピンク、映画であるのでかういふ考へ方は好きではないし個人的には採用するものではないが、DMMでのダウンロード販売にて、元題のまま視聴することも出来る。「一度はしたい兄貴の嫁さん」でグーグル先生に尋ねれば、直ぐに辿り着けよう。エクセスが既に十年前に通過した、語義矛盾であるやも知れぬがひとつの到達点。今作を前にしたならば、会社でピンクを篩にかける愚は自ずと明らかになるであらう。

 結局、ピンクからは離れてしまつたらしい久万真路は、最近ではシネカノン系映画の助監督として、時折名前をお見かけすることもある。


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 「母娘《秘》レシピ 抜かず喰ひ」(2006/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢☆実/脚本:樫原辰郎/撮影:石山稔《J.S.C》・松下茂/照明:鳥越正夫/撮影助手:越阪部珠生/助監督:中村祐紀・高橋亮/効果:梅沢身知子/音楽:因幡智明/フィルム:報映産業/挿入歌:『しあはせゴッコ』作詞・作曲:黒澤祐一郎/出演:姫乃あん・持田さつき・山口不二子・寺西徹・松浦祐也・本田唯一)。
 母子家庭の羽村美穂(持田)と智子(姫乃)、父親の聡一(一切登場せず)は十年前に家を出て以来、全く消息不明であつた。美穂・聡一共通の友人・深見啓介(寺西)は何かと母娘のことを気に掛け、受験生である智子の家庭教師をしても呉れてゐる。美穂と深見とは、智子の目からも見るからに仲が良かつた。一方、深見と妻・香苗(山口)との関係は冷え切つてゐた。香苗は酒と、出会ひ系サイトとに溺れる。不意に智子は、彼氏・青木拓也(松浦)の子を妊娠してしまふ。
 愛して欲しい、幸せになりたい、私はここに居ます、生まれて来て御免なさい・・・・・殆ど呪詛とすら化したかのやうな登場人物のドス黒い独白が全篇を通して充溢する、持田さつきの地黒よりも黒い暗黒映画。とはいへ、内省と何程かの絶対なるものへの信仰、乃至は志向を伴はぬ単なる徒な自閉と沈降とが、何れかの地平に道を通じてゐよう筈など初めからない。個別的具体性への関心に近い感情を以て、国沢実本人の非建設的な闇に何某(いくばく)かの共感と共に近付ける人間以外にとつて、全く商業映画として機能してゐない以前に、作品として何某(なにがし)かを産み出せてゐる訳でも一切ない。実も蓋も無くなつてもしまふが、現象論レベルでもいふへるのは、ラストの絡みが持田さつきといふのでは、余程のコアなマニアではない観客にとつては、首を縦に振れる筋合のものでも到底なからう。即ち、一言で片付けてしまふならば、「勘弁して呉れよ、国沢実・・・・・」。
 以前に書いた感想と全く同じ事を繰り返して恐縮でもあるが、全く同じやうな映画を撮つてゐるので仕方がない。正確にいふと、全く同ベクトルで更に始末に終へぬ映画が出来上がつてしまつてゐる。余計に仕方がない。初期の矢張りどうしやうもなかつた国沢実には、それでも、技術的な未熟による荒削りなままにプリミティブな凄み、のやうなものが残されてゐた。今となつては通り過ぎてしまつた第一期黄金時代―希望的呼称―を経て、半端に商業作家として成長してしまつた分、現在の国沢実にはどうしやうもない始末に終へなさばかりで何も残らなくなつてしまつた。そんなどうしやうもなさを眉根に皺を寄せつつも暖かく見守り続ける程には、生憎と当方も人付き合ひが宜しくはない。自分自身の為にでなければ、誰に向かつて映画を撮つてゐるのだかサッパリ判らない。仮に自分の為にだとして、このやうな映画を撮つてゐて楽しいか?
 この期に助監督からやり直せ、といふ訳にも行かないかも知れないので、ここは、劇薬を投与する他はない。毒を以て毒を制す、国沢実には、以後二、三作は岡輝男脚本で撮つて貰ふといふのは如何だらう?それでも出来上がつたのが矢張り斯様な暗黒映画であつたとするならば、いよいよつける薬も無い。私的にはならばわざわざ、北九方面にまで遠征を組んで観に行くこともない、といふだけのことである。プロジェク太上映ではあるが、地元駅前ロマンにボチボチ掛かる旧作を掻い摘んでゐれば、それで十分に事足りよう。正直、久し振りに観る松浦祐也は、もう少しマトモな映画で観たかつた。

 本田唯一は、香苗が出会ひ系で漁り、これ見よがしにわざわざ自宅に招き入れる松野。山口不二子は三人の中では―私的な好みでは―最も見てゐられる女ではあるが、自傷とすらいへる程に陰鬱とした、与へられた役は最も酷い。好みといふのは、姫乃あんと持田さつきとは、体脂肪率の近似が実に親子に見える、といへば酌んでも頂けようか。
 挿入歌、とクレジットされるが事実上はエンディング・テーマたる黒澤祐一郎の「しあはせゴッコ」(ヴォーカルは別の女)は、どういふつもりなのだか歌詞が殆どまるで聴こえない。これ、私が黒澤祐一郎だつたらキレてゐるだらう。

 とはいへ未練がましいやうでもあるが、本音としては。昨今のやうな暗黒映画は勿論買はないが、国沢実にはそれでも今でも望みを捨て切つてはゐない。あるいは、待つてゐたい。尤も、杉浦昭嘉が2005年初頭の一本以来ピンクから離れてゐることの評価のしやうによつては、あんまりさういふ安穏としたことばかりもいつてゐられないのかも知れないが。

 以下は再見時の付記< どうでもいいが(以下手放しにネタバレにつき伏字)<ヒロインの母親が、実はヒロインの実の父親でもある父母共通の友人と、父親が行方をくらませたきりであるのをいいことに、友人が離婚したのを期に再婚(事実婚含む)。ヒロインはヒロインで、彼氏はバックレたまま妊娠。といふ訳で三世代四人―ヒロイン、ヒロインの母親、ヒロインの母親の新しい夫と、ヒロインがこれから産む子―で新しい幸せを探して行かう。といふのでハッピー(志向の)エンドといふのは、幾ら何でもあんまりではあるまいか。ヒロインの母親の新しい夫の離婚原因といふのも、肉体関係さへ伴はないとはいへ、ヒロインの母親との深い関係を継続して来たことにより、前妻のことを蔑ろにしてしまつてゐたからである。挙句に満足に父親も居ない状況で、子供が生まれて来るとは目出度えや>、などといふのは正しく何をかいはんや。幾らピンク映画とはいへ娯楽映画とはいへ、超えてはならない線、あるいは然るべき落とし処といふものは当然あり得るべきである。予め全ての禁忌を蹴倒した、挑戦的な痛快作といふものも勿論ないではないが、今作はその手の類ではない。実撮影に際し脚本に大幅な改編も加へられてゐるやうなので、その責は国沢実に帰すべきであるのか樫原辰郎に問ふべきものなのかは判らぬ。さうはいつてもとりあへず、かういふラストに当たつて、国沢実が一応は目指したと思しき何だかんだとはいひながらも前を向いた気持ち、になんぞ到底なれぬものである。斯様な自堕落な相談が通るものか、どうでもよかなかつたな。


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 「痴態エステ 舐めて交はる」(2006/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢☆実/脚本:間宮“ハートマーク”結/撮影:石山稔/照明:鳥越正夫/助監督:根木裕介/監督助手:横江宏樹/撮影助手:清水康宏/照明助手:高橋一平/音楽:因幡智明/効果:梅沢身知子/協力:おもてとしひこ・いじりみちよ・中村研太郎、他/出演:さくら葵・池田こずえ・椿まや・松浦祐也・なかみつせいじ・伊藤利)。
 バイト先の飲み会、カラオケに行つてしまつた面々を尻目に、松村歩美(さくら)は殆ど酔ひ潰れた榊康介(松浦)を、どうにかかうにか送り届けてゐる。何とか康介の家にまで辿り着いたはいいものの、酔つた康介は、その場の勢ひで半ば強引に歩美を抱いてしまふ。一夜明け、傍らに眠る歩美を見た康介は猛烈な自責の念に駆られる。しかも歩美は、処女であつた。彼女が既に居るにも関らず、康介は責任を取る、と歩美と付き合ふことを宣言。実は康介のことが好きであつた歩美は、彼氏の為に、もつと綺麗にならうとエステサロンの門を潜る。
 何故か(?)間宮結の脚本による今作、殆ど無理矢理に破瓜を散らされてしまつた割には、相手が憧れの先輩でルンルン♪といつた辺りは、最早男が書いてゐたとしても今時そんなゴキゲンな展開はなからう、と首を傾げずにはをれない。とはいへまあ久々に―無闇に―陰々滅々としてゐる―だけの―国沢節ではなく、明るく前向きな女の子がキャピキャピと弾けるポップな娯楽映画が拝めるのか、と一安心出来たことも、この時点では事実である。ここまではさくら葵もメガネを掛けてゐたし。判つてないなあ、国沢実も。女の子が綺麗にならうとするとメガネを外す、いい加減にさういつた何の根拠も実効性も持ち得ない旧態依然とした紋切型は、人類の文化から速やかに放棄してしまふに如くはない。と、此処に声を大にして断じておきたい。
 話を戻すと、歩美が浅倉麻耶(池田)が店長を務めるエステサロン「サロン・ド・ボーテ」に通ひ始めるところまでは全く何の問題も無く順調であつたのだが。そのエステに以前から通ふ客・北原早紀(椿)が、康介の本来の彼女であるといふ世間の狭さはまあひとまづ兎も角として、麻耶が過去に早紀から苛められてゐた過去があり、そしてそのことが今でも心的外傷になつてゐる。といつた辺りから、物語が俄かに真の焦点を何処に定めてゐるのやら、途端に求心力を失つて来る。挙句歩美×康介×早紀の三角関係と麻耶と早紀との過去の因縁とが絡み合つた末の、何で又そこに着地してしまふのかがさつぱり判らない結末は到底説得力を持ち得るものとはいへまい。残念ながら、所詮は素人の書いた明後日に空中分解した脚本である、と斬つて捨ててしまはざるを得ない。

 なかみつせいじはエステのオーナー・奥山。月に一度、店の経営状況等を確認する為に麻耶と会ひ、抱く。麻耶の服を脱がせては、「流石、手入れの行き届いた体だ・・・」。こんな台詞が、一欠片の疑問も抱かせずにしつくり来てしまへるのも、なかみつせいじならではといへよう。ドラマの焦点を歩美に絞るとするならば、特には不要のポジションでもあるのだが。ポスターにはマイト和彦とされる伊藤利は、エステに通ふ金の為に、デリヘルを始めた歩美を部屋に呼ぶオタク客。ややこしいが国沢実の前作「人妻《裏》盗撮 背徳の情交」(2005)主演のマイト利彦と、更に森山茂雄第七作「痴漢電車 秘貝いたづら指技」(2006)に登場する爆弾兄貴役の、伊藤太郎と同一人物である。
 以前に、下元哲の「和服近親レズ 義母と襦袢娘」(2006)で観た椿まや。山間の田舎町を舞台にした、半分時代劇のやうな映画にあつては隆大介との妙な近似が目にもついたが、ガチガチの現代劇にあつてのギャル衣装を見るにつけ、この人、二代目工藤翔子といふセンでどうだらうか?あ、工藤ちやんファンの皆さん、石を投げないで下さい><
 最早当たり前のやうに国沢実も、歩美・康介がアルバイトする居酒屋の店長役で登場。この人の、画面の片隅をさりげなくも全く過不足無く埋める才能の半分でも監督業に注ぎ込めたならば、とつくの昔に大成してゐてもおかしくないやうな気がするのだが。協力の三者は順に、デリヘル店長・「サロン・ド・ボーテ」その他エステティシャン・居酒屋その他バイト生。力尽きた協力のもう一件は、劇中登場する居酒屋のロケ先物件。
 備忘録的付記< 結末は康介と早紀とは元鞘に戻つて、歩美はといふと麻耶と百合の花を咲かせる


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