「兄嫁と義弟 近親恥態」(1997『一度はしたい兄貴の嫁さん』の2003年旧作改題版/製作:ネクストワン/提供:Xces Film/監督:久万真路/脚本:金田敦/企画:稲山悌二/撮影:鈴木一博/編集:冨田伸子/音楽:村山竜二/助監督:瀧島弘義/録音:福島音響/出演:彩乃まこと・水乃麻亜子・泉由紀子・臼井武史・高崎恒男・大久保了)。
穏やかであると同時に確かなエモーションを喚起するメイン・テーマの鳴る中、一台のママチャリが坂道を越えて走り来る。幽かな傑作の記憶が、一息で甦つた。これだ、このメロディだ。以降も音量を効果的に上下させながら、同時に時にはアコーディオンによる主旋律とギターでリズムを取るバック・トラックとを分離させつつ、主要シーンに於いて繰り返し使用される。どばとによる「土門とリカ、愛のテーマ」―勝手に命名―にも並ぶ、ピンク屈指の名楽曲である。
ママチャリの女・ちさと(彩乃)が帰宅すると、警備員で夜勤明けの夫(大久保)はまだ寝てゐた。起こしてしまつた夫と、ちさととの濡れ場。ちさとの乳首を口に含んだ夫は不意にいふ、「表はきつと、ポカポカ陽気だ」、「判るの?」。「オッパイがしよつぱい」といふ夫にちさとは笑ひながら、「バカ、人の体でお天気決めないでよ」。リアルに洩れ聞こえる屋外の生活音に時間を計るちさとを、今度は夫がたしなめる。文言だけ洗つてみると作為的にも思へる台詞が、さりげなくも綺麗に決まる。
ちさとは、高校時代の同窓会に出席することにする。同窓生の中には、夫の弟で、大学で映画を学ぶヒトシ(臼井)が居た。夫は知らなかつたが、高校時代、実はちさとはヒトシと付き合つてゐた。結局一線は越えられなかつた二人、後にちさとはヒトシの兄を知人から紹介され、結婚したものだつた。当時、二人で撮つたカプセル入りのプリクラ写真に、ちさとはヒトシも同窓会に出席することの願をかける。現在大学四年のヒトシは、先のことを真面目に考へるでもなく、過ぎ行く日々を無気力に過ごしてゐた。カノジョのヨシエ(水乃)は何かと構つて来るが、ヒトシは生返事を返すばかりで満足に取り合ひもしない。就職はおろか卒業制作のことも何も考へてはゐないヒトシは、ひとまづ友人の谷本(高崎)の企画を手伝ふことにする。何となく同窓会に出席した、ヒトシはちさとと再会する。同窓会の一次会の後、ちさととヒトシは皆の輪からは離れ、二人夜道を歩く。互ひに何か満たされない微妙な心の襞を感じつつ、ヒトシはそのまま珍しく兄の家に泊まる。ヒトシが居るにも関らず、強引な求めに応じ夫に抱かれたちさとが翌朝部屋を訪れると、ヒトシは勝手に帰つてしまつてゐた、ちさとの宝物の、プリクラのカプセルを持ち出して。ちさとは写真を返して貰ふといふ方便で、ヒトシの部屋を訪れる。
早くに結婚し、幸せながらも何処かに何かを忘れて来てしまつたかのやうな寂寥感を抱く若妻と、かつては若妻と交際関係にもあつた、若妻の義弟でもあるモラトリアム大学生との再会。特に大きなアクションを有するでもない、何といふこともない物語ではある。似たやうな話で、何となくの雰囲気が何ともなく生煮えするばかりの水準以下の映画を、我々は幾らも知つてゐる。とはいへ強力な脚本と撮影と音楽、分厚い支援体制とを得、久万真路は正しく一撃必殺の覚悟を以てして、今作を決定力のある傑作へと為さしめた。先にも触れたが、久万真路の覚悟は作為的にさへ思へる会話を名場面に仕立て上げた、開巻の夫婦生活に於いて既に明らかである。
泉由紀子はヒトシや谷本ら、学生達に人気の喫茶店の女主人・マチコ。学生達は揃つてオムライスを注文し、届けられると食する前にスプーンで卵をめくつて中身を確認する。四、五、六月は新入生の中から、十、十一、十二月は卒業して行く学生の中から、一日に一人だけ卵をめくると中に、男根でも模したかの如く縦に入れられた海老が入つてゐる者が居る。海老は即ちその男がマチコから選ばれたといふ証で、その幸運な勝者は奥の部屋でマチコを抱くことが出来るのである。マチコはヒトシのオムライスに海老を入れるが、土壇場で谷本がオムライスをすり替へる。谷本に乞はれたマチコが主演女優として参加する、谷本卒業制作の企画「ギャングと姑娘」の撮影シーンといひ、学生達の呑気で楽しい日々が、柄にもなく微笑ましくすらなれてしまふくらゐに瑞々しく描かれる。端々の繋ぎのシーンひとつ疎かにしはしない、久万真路の高い緊張度は見事に全篇を通して持続する。
着衣のまゝとはいへ二人布団に包まつてゐるところを、ちさととヒトシはヨシエに目撃される。その日友人の結婚式に出席してゐたヨシエは、二次会にヒトシが迎へにだけでも来て呉れるやう、事前に何度も頼んだにも関らず現れなかつたことへの小言を垂れに来たのだ。ヨシエが手にするウエディング・ブーケ、繰り返し登場するちさととヒトシが交際当時に撮影したカプセル入りのプリクラ写真。小道具のひとつひとつ、伏線のひとつひとつ。恐ろしいほどに、今作には僅かな隙さへ見当たらない。
ヨシエはちさとの夫、即ちヒトシの兄貴に、二人のことを密告する。さういふ嫌な自分を罰して欲しいと、ヨシエは大久保了に暴力的に抱かれる。といふことはお互ひ様でもあるのだが、ちさとは夫に殴られる。一方ヒトシといへば、結局ヨシエのことすらどうすることも出来ない。エスカレーターを上下に行つたり来たりした挙句、戯れにプリクラを撮るばかりである。要はちさとと一線を越えられなかつたあの頃から、ヒトシは一歩も前に進んでゐないのだ。
再び会つたちさととヒトシは、当てもなく外に出る。大阪芸大映研の部室で、二人は終に結ばれる。メイン・テーマが最大音量で、なほかつそれまでは使用されなかつたシンセによる後半部分が炸裂する濡れ場は、撮影が見事なこともあり史上空前の美しさ。小屋の暗がりの中、観客がその時眼前にするのは、紛ふことなき最高潮。思はず、フーセンガムを噛む口元も止まつた。息を呑むとは、かういふ瞬間のことを指すのであらう。旧版も新版も例によつてポスターは間違つても宜しくはないが、幼さと大人の色香とを同居させる彩乃まことは、確認出来るだけではほかにVシネへの出演が一本ありはするものの個人的に余所で見かけたこともとんとないが、実に美しい女優さんである。
ラスト・ショットは、今度こそマチコのオムライスの海老を引き当てた、ヒトシの元気なガッツポーズのストップモーション。青春時代の忘れ物を取り返した主人公が新しい一歩を踏み出し、それまでは流されるまゝに過ごしてゐた日常の中に闊達に立ち戻つて来る、見事な映画の締め括りである。一体この完成度は何なのか、赤い彗星風にいふならば、「ええい、久万真路のデビュー作は化け物か!?」。悪いことはいはぬ、旧題で上映されることには最早殆ど期待可能性も見込めまいが、「兄嫁と義弟 近親恥態」。趣も潤ひの欠片もない新題ではあることはさて措き、このタイトルを最寄の小屋の番組表に発見された折には、迷ふことなくマストでゴーである。小屋で観るものが即ちピンク、映画であるのでかういふ考へ方は好きではないし個人的には採用するものではないが、DMMでのダウンロード販売にて、元題のまま視聴することも出来る。「一度はしたい兄貴の嫁さん」でグーグル先生に尋ねれば、直ぐに辿り着けよう。エクセスが既に十年前に通過した、語義矛盾であるやも知れぬがひとつの到達点。今作を前にしたならば、会社でピンクを篩にかける愚は自ずと明らかになるであらう。
結局、ピンクからは離れてしまつたらしい久万真路は、最近ではシネカノン系映画の助監督として、時折名前をお見かけすることもある。
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