「痴漢狂騒曲 過激タッチ合戦」(2003『痴漢電車 快感!桃尻タッチ』の2005年旧作改題版/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影:図書紀芳/照明:岩崎豊/編集:フィルムクラフト/助監督:竹洞哲也/録音:シネキャビン/監督助手:大滝由有子・山口大輔/撮影助手:吉田剛毅/照明助手:青木浩/スチール:佐藤初太郎/音楽:レインボーサウンド/現像:東映ラボ・テック/出演:佐倉麻美・林由美香・風間今日子・相沢知美・丘尚輝・城定夫・NYN・銀治軍団・森角劇団・色華昇子・なかみつせいじ・兵藤未来洋・平賀勘一)。出演者中、NYN・銀治軍団・森角劇団は本篇クレジットのみ。
安保紛争に日本が揺れてゐた祭りの時代、等々力虎彦(なかみつ)は本気で時代の変革を信じて、池田鶴二郎(平賀)はどさくさに紛れての痴漢三昧に興じるべく、ひとまづ共に闘つてゐた。時は巡り現在、痴漢の元祖といへば、西に裸で馬に跨るゴダイヴァ婦人を覗き見て失明した仕立て屋のトム、東に御存知出歯亀こと池田亀太郎。実は亀太郎の血を引く鶴二郎は、痴漢道の“触道”を提唱。日本のために働く職業婦人のストレスを痴漢で解消する、だなどといふ調子のいい題目の下に、日夜痴漢に勤しむ。官憲の道に進んだ虎彦は痴漢Gメンとして鶴二郎を執拗に追ひ狙ふが、未だ捕まへられずにゐた。けふもけふとて、混雑する電車の車内、鶴二郎が岩崎こずえ(風間)の秘裂に指を這はせる。“黄金の指”の異名を持つ妙技で鶴二郎はこずえを絶頂に後一歩のところまで導きつつも、虎彦の気配を察し姿を消す。現行犯逮捕しそびれた虎彦と、嘯く鶴二郎。虎彦とひとまづ別れたところで、鶴二郎はこずえに捕まる。是非とも先程の続きを、といふのである。民家にしか見えない建物を、ホテルと称して二人はしけこむ。一方鶴二郎の一人娘・さくら(佐倉)は、交際相手である大学講師の亘(兵藤)とは結婚を考へぬでもなかつたが、二人の間には重大な障壁が横たはつてゐた。亘の父親といふのが、誰あらう鶴二郎の宿敵たる虎彦であつたのだ。二人の父親はどちらも頑として交際を認めず、まるで現代のロミオとジュリエットだと、二人は駆け落ちを決意する。二人飛び乗つた電車の車中、さくらと亘の陰部をそれぞれ弄る手が。互ひに互ひが痴漢して来てゐるものかと思ひきや、さくらを痴漢してゐたのは留学生のマシュー(城)、亘を痴漢してゐたのは同じく留学生のアニータ(相沢)であつた。留学先の異国でのディスコミュニケーションに悩んだものの、日本固有のコミュニケーション・ツールである痴漢との出会ひによつて新しい扉が開けた、とかいふマシューとアニータの言葉に亘は深い感銘を受ける。一人ついて行けず首を傾げるばかりのさくらを余所に、亘は触道への弟子入りを志願する。
徒に拡げた大風呂敷に、鶴二郎と虎彦積年の因縁。加へてさくらの出生の秘密をも絡めた二世代間に亘る大河ドラマは、脚本だけ捕まへてみれば一体岡輝男は明日死んでしまふのかしらん、とすら思へてしまふくらゐに―未だ生きてるが―堂々とした出来ではある。とはいへ、残念ながら最終的な映画の出来栄えがどうなのかといふと、バジェット上不可避な部分を差し引いたとしても、なほ残る安つぽさが目立ちもする。物語の二本の背骨たる鶴二郎と虎彦に際して、なかみつせいじには些かの問題も遜色もないとして、平賀勘一が矢張り如何せん弱いか。下卑たいやらしさやコメディ演技はお手の物にせよ、場面によつては大真面目な芝居も求められる大娯楽映画の屋台骨としてはどうにも軽く、不足を感じさせる部分も多いと難じざるを得ない。なかみつせいじがモンタギューで、平賀勘一がキャピュレット。さういへば、何となくつり合ひが取れてゐない様子も汲み取つては頂けようか。鶴二郎と虎彦に関してはもう一点、移ろひ行く東京の街並みを眺めながら、祭りの時代を懐かしむ鶴二郎に対し、虎彦は「何をいつとる、祭りは終つてないぞ」。台詞としては非常にカッコいいのだが、これが全く単なるその場限りでの遣り取りでしかなく、依然引き続く祭り、乃至は闘争といふものが描かれてある訳ではない辺りは惜しい。それが触道即ち痴漢のことである、といふのであるならばピンク映画のテーマとしては兎も角、論理的には全く通らない。ほかでもない虎彦が、痴漢行為を肯定する訳がないからである。痴漢が日本固有のコミュニケーション・ツールである、などとする桃色の大風呂敷はさて措いて、亘に触道へ目を向けさせる契機となる留学生の二人が城定(秀)夫と相沢知美だといふのは、百歩譲つてもTV番組のコントにしかなりえまい。そもそもが、マシューだとかいひ出した時点で、その点に関してはとうに開き直つてゐるのかも知れないが。いづれにせよ、マシューとアニータとに触発された亘が、周囲も巻き込み痴漢の素晴らしさをヒップホップ風に高らかに謳ひ上げる件は、観てゐるこちらが恥づかしくて恥づかしくて仕方がなかつた。
配役残り、丘尚輝は少林寺拳法の達人で、少林拳を痴漢に応用したウンピョウ。ウンピョウについてもマシュー&アニータと同様の安さがバーストするのはいふまでもないが、それ以前の大きな疑問が残る。そもそも少林寺拳法の達人といふ設定で、どうして李連杰ではなく何故に元彪なのか。林由美香は、ウンピョウと運命的な出会ひをする、同じく少林寺拳法の達人・薄井真樹。二人の少林拳を駆使したSEXバトルも、グルッと回つていつそのこと思ひ切り大掛かりに撮つてこそ、然るべき一幕であつたやうにも思へる。
堂々としつつも同時に逃げ場なく薄つぺらくもある今作、勿論旧題時に故福岡オークラでも観てゐるが、今回改めて強く印象に残つたのは、佐倉麻美といふ人は実に濡れ場がいやらしい。特に即物的な色気に溢れてゐるといふタイプでもないのだが、濡れ場に入ると何ともいへない生々しいいやらしさを濃厚に漂はせる。短い実働期間を既に駆け抜けて行つた感も強い女優さんではあれ、また何時か何処かで過去の出演作を観る機会に恵まれた際には、注目して挑みたい。
色華昇子から森角劇団までは電車の乗客と、公園で亘・マシュー・アニータと共に踊り狂ふ皆さん。いはれてみると、銀治が乗客要員の中にゐたのは確認出来た。ウンピョウが女々の間を渡り歩くと、少林拳の秘儀で昇天し倒れた女の轍が出来る、といふシークエンスは大変面白いが、轍の最後で、色華昇子が見たくもない乳を放り出してゐる。近いのか遠いのだかはさて措き、将来遂に―最速で―六十有余年ぶりの憲法改正の折には、痴漢電車で色華昇子をギャグに使ふのは明文で禁止にしよう。
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