真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「巨乳看護師 白衣をもみもみ」(2006/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・水上晃太/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:水上晃太/撮影助手:浅倉茉里子/照明助手:桑原郁蔵/監督助手:渡辺翔太/選曲:梅沢身知子/効果:東京スクリーンサービス/出演:坂井あいり・片岡梨香子・華沢レモン・牧村耕次・千葉尚之・竹本泰志)。脚本に関しては、ポスターでは水上晃太の名前が先。
 判りにくい小ネタで日付を間違へつつ、慌てて初出勤に飛び出した新米準看護師の田村絵里(坂井)は、同じく朝を急ぐ大学生の小林武(千葉)と、出会ひ頭に衝突してしまふ。二昔は前の少年誌ラブコメを髣髴とさせる、オープニング・シークエンスをこの期に堂々と展開させる関根和美に、私は今後も何処までも追ひ駆けて行かうといふ意を殊更に強くした。勿論、一切賛同は求めない。
 思ひのほか見事なカメラ・ワークで派手に転んだ武は、歩行もままならぬ程に足を怪我する。担当医の石崎恵子(片岡)の制止も聞かず、前期試験があるといふ武は無理矢理病院を後に。責任を感じてといふ名目で、絵里は一人暮らしの武の部屋へ通ひ看護を始めるのであつた。
 林由美香亡き後、最強の五番打者の座に座つた華沢レモンは、絵里の先輩看護師・庄田萌、研修医の飯田純一(竹本)と結婚を前提に付き合つてゐる。とはいへ飯田は、大学病院勤務への推薦を出汁に、恵子に性奴隷として虐げられてもゐた。夜勤の夜、絵里は恵子に陵辱される飯田の痴態を目撃する。
 とかいふ次第で、序盤に女優陣三人の濡れ場をチャッチャと片付けたところで、今作の真の主役登場。絵里と二人いい雰囲気になりかけた武の部屋へ、息子嫁と喧嘩して家を飛び出して来た、と祖父の春樹(牧村)が転がり込んで来る。
 ボーイ・ミーツ・ガールの定番ラブコメに、三角関係の敵役として同世代の人間ではなく二世代離れた、しかも肉親の祖父を持つて来たところが今作の特色である。といふか、ここから先は、殆ど牧村耕次の一人舞台。絵里と武の恋物語は作劇上のいふなれば方便で、二作前の「四十路の奥さん ~痴漢に濡れて~」に於いても火を噴いた牧村耕次によるスチャラカ好色爺大暴れが、唸りを上げフル回転する。夢オチ妄想オチを臆面もなく多用する関根和美の大らかさに関してはひとまづさて措き、イマジンの中での絵里との絡みでは、股間に絵里に顔を埋められると「咥へて・・・、チョーダイ!」。“チョーダイ!”は、半ば声を裏返しながら。財津一郎の芸風の、21世紀版の進化形態を披露。絵里を巡つて孫の武と鞘当てしては、「かう見えても昔はダンディで、モーテモテよ!」。自由自在、且つ艶やかなコメディアンぶり。加へて牧村耕次には、前年の池島ゆたかの重厚なSM二部作で見せたサディズムの権化のやうな役までこなせることを、決して忘れてはならない。伊達ではない年季でなかみつせいじをも上回る、滋養すら感じさせる多彩な芝居には惚れ惚れさせられる。町田政則や上野太が出て来て、撮影は柳田友貴大先生である関根映画を最近観られないことには、ファンとしてはそれでも一抹の寂しさを感じずにはをれないが、近年の関根和美と牧村耕次との出会ひには、同時に実に豊かな幸福を感じる。後は、牧村耕次主演で観客の心を撃ち抜く、大人のメロドラマ必殺のマスターピースをモノにするだけであらう。
 要は「四十路の奥さん」の松作も今作の春樹も、キャラクター造型としては全く同一のものである。とはいへそれは、決して関根和美の怠惰にも、勿論牧村耕次の無芸にも因るものではない。今作は、さりげないスター・システムを採用してゐる。といふのは、武の部屋へ呼ばれもしないのに現れた春樹は、かう言ひ訳する、「智子さんと喧嘩して」。智子とは、「四十路の奥さん」で主演の三上夕希が演じた息子嫁の名前である。牧村耕次の名前が違つてゐる以前に、華沢レモンと竹本泰志は全くの別人になつてしまつてゐるが、本作が「四十路の奥さん」と、微妙に劇中世界を共有してもゐることを意味してゐるのではないか、考へ過ぎであることならば判つてゐる。

 ところで主演の坂井あいり、巨乳といふに明白な偽りではないが、より正確にいふならば巨体。とはいへ一回り小型の量産型森公美子、とでもいつた風情で、コメディの主演としては決して悪くはない。対照的な二人組の漫才師の、太つた方とでもいへばより伝はり易いか。演出上最低限、要求されるだけのお芝居もひとまづこなしてみせる。萌との更衣室でのショットでは、ポッチャリ体型の華沢レモンが痩せて見える、といふ映像マジックも可能ならしめる。
 絵里と武との交際を祝した夕餉の献立は、チラシ寿司、ポテトサラダ、に野菜の煮物、肉も魚も無い。ここから先は完全な邪推ではあるが、糖尿病を患ふといふ関根和美を慮つた、愛妻亜希いずみの関根家リアル晩御飯であるやも知れぬ。
 どうでもいいが、十一月封切りの映画で前期試験?封切りは十一月だが、劇中風景を見るに確かに撮影時期は初夏の頃合を窺はせる。グルッと回つて、上映時期が劇中季節に合致した。一方どうでもよかないのは、結局絵里をモノにも出来ず、春樹は自宅に戻る。その別れ際、絵里と握手を交はした刹那に、再び淫らな白日夢に囚はれる。その中で絵里を縛り上げさんざ責め立てるのだが、前作「欲望の尼寺 煩悩みだれ観音」と同様、非常に拘束感の緩い縛りでお茶を濁して済ませてゐる。短いショットとはいへ桃色的には極めて重要なところなので、ここぞといふ気合を示して頂きたかつた。


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 「欲望の尼寺 煩悩みだれ観音」(2006/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:水上晃太/録音:シネキャビン/編集:フィルムクラフト/スチール:小櫃亘弘/撮影助手:斎藤和弘・浅倉茉里子/照明助手:桑原郁蔵/効果:東京スクリーンサービス/監督助手:宮崎剛/現像:東映ラボ・テック/選曲:梅沢身知子/出演:三上夕希・遠峰江里子・華沢レモン・天川真澄・中川大輔・HIDE・津田篤・牧村耕次)。効果の東京スクリーンサービスが、ポスターには梅沢身知子。
 俗世を離れた尼寺、庵主の春光尼(三上)が、寺男の岩下耕平(牧村)を剃毛する。尤も尼寺とはいひながら、適宜挿み込んだ寺の外景で茶を濁しつつ、実際の撮影は、御馴染み水上荘で行はれてゐたりもする。耕平は重罪を犯し逃走してゐたところを、春光尼の僧院に逃げ込んで来たものだつた、額面通りのアジール感が清々しい。以来春光尼は耕平を、性奴として飼育してゐた。といつたその後の基本設定は、強引にも過ぎようが如何にもピンク映画。今回関根和美は、開巻かららしからぬ豪快なスイングを見せる。
 ある日耕平が、山中行き倒れてゐた藤崎舞子(華沢)を拾つて帰る。チンピラに薬漬けにされ沈められた泡風呂から何とか逃走、したものの終に力尽きた舞子を、春光尼は寺に置くことにする。ひとまづ穏やかな寺での修行生活を送る舞子ではあつたが、ある夜、春光尼が耕平を虐げる痴態を目撃し、衝撃を受ける。心を閉ざす舞子を、春光尼はレズボスの妙技で篭絡する。
 自ら溺れた不倫地獄に苦しむ人妻・森里美(遠峰)が、寺に逃げ込んで来る。とりあへず穏やかな寺での修行生活を送る里美ではあつたが、ある夜(以下略・・・。この辺の工夫といふ言葉を知らない辺りは、関根和美が何時もの関根和美たる所以。頼もしくはないが、ある意味安心する。
 台詞の端々で業の深さといつたものへの色気を見せながらも、詰まるところはオッパイの大きな女を三人揃へたエロ×エロ×エロ、純然たるハード気味のエロ映画である。全般的に太目とはいへ三上夕希には一本の映画を支へ得る堂々とした貫禄があり、オールラウンドな地力を誇る華沢レモン挟んで、新田栄の「痴女女医さん 男の壷飼育」(2006)以来ともなる、“昭和四十年代の美人”遠峰江里子。主演を飾らせるには少々心許なさが見受けられぬでもないが、かうして三番手として出てくる分には、それはそれとして手堅いものもある。
 配役残り登場順にHIDEと津田篤は、組員にして貰ふために家出少女であつた舞子を陵辱し、薬で泡風呂に沈めた田島圭吾と中村健。天川真澄は春光尼こと、当時は高校の英語教師・大島サヤカ―何故かエンド・クレジットに際しては智子とされる―が出家する以前に、肉体関係に溺れてゐた数学教師の宮島透、DVで春光尼を苦しめる。中川大輔は、里美のパート先の店長かつ不倫相手の島崎洋一。HIDEから中川大輔までは、殆ど単なる濡れ場要員でもある。
 今作最大の減点材料は、宮島がサヤカを緊縛した上で電マで責めるシークエンスと、春光尼と舞子の痴態を覗き見た里美を、耕平が後ろ手に吊る件。自分達だけでちやんとこなせないのならば、どうしてそこで縄師を連れて来ない。三上夕希などは、ガッチリ縛り上げれば縄も大変似合ひさうなものなのに。横着あるいは安普請を理由に釣り逃がした魚は、計り知れないほど大きい。

 ガッチガチのエロ映画はそれはそれで結構でもあるが、あくまでファンとしては関根和美には、何時もの面子で化石を通り越した何時もの石化コメディを撮つて貰ひたくもなるのは、なかなかに複雑な心境ではある。


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 (2006年)5月24日から始まつた故福岡オークラの最終番組は、観た順に「乱姦調教 牝犬たちの肉宴」(6月16日/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典)、「桃色仁義 姐御の白い肌」(6月23日/監督:荒木太郎/脚本:三上紗恵子・荒木太郎)、「四十路の奥さん ~痴漢に濡れて~」(6月2日/監督:関根和美/脚本:関根和美・水上晃太)の三本。頭につけた日付が何を意味するのかといふと、東京での公開、要は当初予定されてゐた封切日である。今回大蔵(現:オーピー)映画は、直営館の閉館に際し初日を繰り上げ、これら三作を福岡で全国初公開したものである。
 全国初公開といふことは、即ち観て直ぐに感想を書いた場合、それが全世界最速の感想ともならうといふことである。尤もそれがどうした、といはれてしまへば全く実も蓋も無いが、福岡オークラの死に水も取るべく、不肖ドロップアウトカウボーイズ、臆面も無く見当違ひの先陣を切らせて頂く。それはひとまづいいとして、さうしたところ、ひとつだけ困つたことがある。東京でも未だ封切られてゐないピンクの感想を書かうとした場合、PG誌公式サイトの新作ピンク映画紹介のページを頼れないのである。キャストは映画とポスターを観てゐれば大体のところは押さへられるが、スタッフと、最も困難なのは登場人物の劇中での名前を自力で何とか押さへて行かなければならない。
 スタッフに関しては、十全では全くないがポスターにある程度までは書いてあるのと、一生懸命観てゐなくてはならないがクレジットも流れる。も、たとへば荒木太郎のやうなバカは、例によつて紙切れに適当に手書きしたものを撮り流すだけでマトモなクレジットの流し方をしないし、あまつさへそれすらも概ね速過ぎて殆ど全く判読出来ない。ハッキリいふが、荒木太郎はスタッフの名前を観客に知らしめる気が―少なくとも今回―全く無い。役名に関しても、劇中でちやんと呼称されるとは必ずしも限らないし、たとへば“カズオ”の場合、“和夫”なのか“和男”なのかそれとも“一雄”なのか、そこまでは演者の発声を聞いてゐるだけでは勿論判らない。そこで、我等が―ま、単に俺が一番好きなだけだが―関根和美は、といふか関根プロダクション製作の映画は、クレジットを必ずエンドに、キャスト名だけでなく役柄の上での名前も併せてキチンと打つて呉れる。非常に有難い。

 「四十路の奥さん ~痴漢に濡れて~」(2006/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・水上晃太/撮影・下元哲/照明:代田橋男/助監督:水上晃太/撮影助手:中泉四十郎、他一名/監督助手:宮崎剛/選曲:梅沢身知子/効果:東京スクリーンサービス/協力:岡本真一・長谷部大輔/出演:三上夕希・華沢レモン・山口真理・天川真澄・竹本泰志・中川大輔・牧村耕次)。照明助手をロストする。
 福岡オークラの掉尾を飾る関根和美は、何かあつたのか珍しくヤル気を出して傑作をモノにする関根和美、ではなくして矢張り何時もの関根和美であつた。それはそれで、個人的には構はない。
 智子(三上)は夫と一人娘、それと同居する義父との四人家族。智子の悩みは、彼氏が出来たのか大学生の娘・由香(華沢)の帰りが最近遅い日が多いことと、義父・松作(牧村)のセクハラ。夫の伸也(天川)に相談を持ちかけるも、伸也は夫婦生活ならば毎晩盛んなものの、智子の相談には面倒臭がつて取り合つては呉れない。隣の部屋で眠る―寝てないのだが―松作の覗く視線に気付きながら、毎夜の如き熱いイッパツを交した次の朝、伸也は長期の出張に旅立つ。行つて来ますの伸也とのキスを冷やかされつつも、智子が由香も送り出したところへ松作登場。ズンチャカズンチャカ♪と安過ぎる劇伴が鳴り始めるとともに、松作爺さんのセクハラ・タイム・スタート!台所で階段で、躓いたよろめいたといつては智子に抱き付き、オッパイを、尻を触る。トイレを覗き風呂場を覗き、風呂上りの智子が自室に戻つてみると、松作がブラとパンティを身に着けてセクシー・ポーズを取つてゐたりなんかする。智子と、絶対大多数の観客は早くも呆れ顔かも知れないが、関根和美と、牧村耕次とはどうでもいいエロ・シークエンスを嬉々として紡いでゐるやうに見える。そして私も、これはこれでこれとして最早いいやうな気がする。どうでもいい映画を、どうでもよく楽しむ。さういふ映画の、観方味はひ方といふものもあるのではなからうか。
 業を煮やした智子は、松作を老人ホームに放り込むことを決意する。その費用の為にパートを探すことにし、電車に乗つて面接を受けに行く。その車中で、表題にもある痴漢に遭ふまではいいとして、その痴漢パートが、臨場感でも出してゐるつもりなのかビデオ撮影なのは頂けない。何となれば、実車輌でゲリラ撮影してゐるのであれば、百歩譲つてビデオ撮りでも仕方なく首を縦に振らない―実車に35mmを持ち込み撮影に挑む強者も時に居るが―こともないが、そもそもが今回の場合はセット撮影だからである。話を戻して、痴漢して来たのは、智子いはく“こんな若い子が?”といふ市川力(竹本)。堂々とオッパイも露出され揉みしだかれてゐる内にすつかり盛り上がつてしまつた智子は、バッグを落としたふりで市川の足下に跪くや、そのまま尺八を吹く。一心不乱に市川を咥へ込む智子の肩越しで、座席に座る他の乗客役の亜希いずみが目を丸くする。画面的には左から智子の横顔のアップ、真ん中に小さく座席に座る亜希いずみ、右に市川、のズボン。市川の股間に智子が顔を埋め、見えなくなつてしまふ直前に両手で顔を覆ふ亜希いずみのタイミングが抜群に素晴らしい。一見どうでもいいやうなカットにしか見えないかも知れないが、かういふどうでもいいところで、キチンとした仕事をこなせる役者を常備―亜希いずみは関根和美夫人―出来るといふことは、製作体制が兎に角制限されたピンク映画にあつて、実は掛け替へのない強みであるやうにも思はれる。市川の右側に、フェラチオされる市川を怪訝さうに見やる更に他の乗客役で山崎岳人も見切れる。亜希いずみと山崎岳人に、何れも出演者クレジットは無し。
 ところで市川は、国からの要請を受け研究を進めてゐる小石川大学の研究者であつた。どうでもいいことこの上ないやうにしか見えなくて、今作実は起承転結の構成は完璧。カッコばかりつけて結局何がいひたいのだかサッパリ判らない、ダラダラした物語がダラダラしたまま終つて行くあんな映画やこんな映画―どんな映画だ―よりは、商業作として余程良心的な仕事といへよう。話を戻して、市川の研究テーマは、“心理学的見地から四十代女性の性感覚のデータを収集し、EDや更年期障害の治療に役立てる”・・・・・バッカだなあ、でも好きだけどね、関根和美。とはいへ大体、四十代女性の性感覚の研究が、どう転べば勃起不全の治療に繋がるのだ?ともあれその後はお定まりの展開で、「人助けの為に研究材料になつて下さい!」、と三十年一日のハレンチ研究。何かのヘッドギアにゼムクリップでコードを適当に取り付けただけのものを脳波計と称して装着させては、「それでは服を脱いで裸になつて下さい」。何だか人類の芸術の歴史は、ここで実は完成してしまつてゐるやうな気がするのは、単なる私の病的な気の迷ひに違ひない。智子が恥らふと市川はゴーグルのやうな馬鹿デカいグラサンを、サーモグラフィーと称して取り出し、これを掛けると熱を帯びてゐる部分は赤くそれ以外は輪郭だけが青く映つて見えない、といふ。試しに智子に掛けさせると、汚いビデオ合成の画面で何故か腰に手を当て仁王立ちの市川―バカである―が他の部分は青く、チンコ周囲だけが沸き立つマグマのやうに真つ赤に、タンパク質が死ぬぞ。どうでもいいが、青くはなつてゐるものの輪郭以外も全然見えてるし、背景は普通の色。そもそも、サーモグラフィーを掛けただけでギュワンギュワンと鳴り始めるチープな反応音は一体何なのか、起動音?斯様に大らかな映画を前に、“下らない”だとか“しやうがない”だとか、さういふ正しくいはずもがなを一々いはうといふ御仁の神経の方が、最早小生には理解し難い。
 ひとまづ全世界最速につき、結末まで全ては勿論書かない。ここから先以降の映画は、実は始末の悪い女たらしであつた由香の彼氏や松作のいはゆる老人問題を、あまりにも下らなさ過ぎて却つてさういふところにまで目が至らないが、最終的には全てキチンと回収する。途中で寝るか観るのを止めてさへしなければ、実は最後まで観てゐればちやんとしたオチもついて映画はつつがなく着地するのである。初めに“何時もの関根和美”と書いたが、何時もの関根和美の中でも木端微塵の時の関根和美ではなく、一応はベテランとしての隠された地力も発揮する関根和美である。決して頂点に輝く映画ではないとしても、かういふ映画はかういふ映画で矢張り尊くもあるまいか。

 中川大輔は、女たらしの由香の彼氏・宏。中川大輔といふ人を判り易く譬へると、ルックス、芸風とおまけに声の近似まで含めて20kgくらゐ太らせた兵頭未来洋。判り易いのか、それは?兵頭未来洋ならばギリギリ諦めない―普通に納得するには佐藤幹雄から―こともないが、これで女にモテモテのモデルといふのは幾ら何でもあんまりである。実験の続きとして、智子は街に出て男をいはゆる逆ナンすることを強ひられる。逡巡しながらも意を決して智子が声をかけたのが偶々娘の彼氏でもある宏で、智子は宏のカッコ良さ―まるでカッコ良くは全くないのだが―に失神してしまふ。倒れた智子を宏は自室に連れ帰り、犯す。山口真理は、宏の由香以外の別カノ・萌。全くの濡れ場要員であることに疑ひはないが、実に綺麗に撮られてある。下元哲十八番のソフトフォーカス撮影も、萌と宏との濡れ場で最もスパークする。宏の前に、智子が声をかけかける若い男役がもう一人出演。定石から考へると、水上晃太といつたところであらうか。
 最後に与太をもう一吹き。オチ前の、出張から帰つて来た伸也と智子との絡み。オッ始める前に並んで寝ながらあれこれ話をするのだが、結局最終的にはセックスすることは映画設計上も当然するのだが、伸也が話の途中で智子のオッパイに手を伸ばしては撥ね退けられる、といふ動作を都合六度繰り返す。このシークエンスは、関根和美のジョン・カーペンターに対するオマージュである   >絶対違へよ

 途中で無くなるのだが、開巻付近、画面の右隅にかつて珠瑠美の旧作改題で一度観た、右から左に流れて行く傷が付いてゐる。全国初公開であるにも関らずである。ここから先は、この期には敢ていはぬ。


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 「不倫関係 微熱の肌ざはり」(2006/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・宮崎剛・水上晃太/撮影:岩崎智之/照明:原春男/助監督:宮崎剛/編集:《有》フィルムクラフト/音楽:ザ・リハビリテーションズ/録音:シネキャビン/撮影助手:竹島千春/スチール:小櫃亘弘/選曲:梅沢身知子/監督助手:水上晃太/現像:《株》東映ラボ・テック/出演:朝丘まりん・山口真里・瀬戸恵子・牧村耕次・竹本泰志・天川真澄)。ポスターでは、撮影のみならず何故か照明まで岩崎智之に。
 大胆な性愛描写が評判の、若手女流作家・水沢光(朝丘)。裏を明かせば、光は女子大生時代に出会ひ系で知り合つた編集者・有明直輝(牧村)との不倫関係を、小説のモデルにしてゐたものだつた。光は、毎日のやうに偏執的なファンレターを寄こして来る、黒田俊一(天川)といふ男に頭を悩ませる。直輝に相談してみても、人気商売だから、よくあることだから、と重くは受け止めなかつた。直輝がまともに取り合つて呉れないゆゑ、光は大学時代からの親友・油井瑞穂(山口)にも相談する。やがて、光の自宅に連日一日数十回の無言電話がかゝつて来るやうになる。光のブログには編集者との不倫関係に関する中傷が繰り返し書き込まれ、光は仕事も手につかなくなり、徐々に追ひ詰められて行く。終には書斎で執筆中の姿やトイレ内、直輝との情事までもが盗撮されたDVDが送りつけられて来るに至る。これは矢張り黒田の仕業なのか、それとも・・・・・?
 わざわざ脚本も三人がかりで、一応は全うにサスペンスを志向した、節だけは窺へはするのだが。土台が登場人物は六人で、尺も六十分ばかりのピンクである。観客があれこれ迷ふ、物理的余地がそもそも存在しない。加へて、親友の男を寝取つた瑞穂の、直輝との濡れ場への入り方の編集の大雑把さや、真相を伝へるべく光の元を訪れた黒田が、PCに向かつてゐた光が振り返るといきなり部屋の中に立つてゐたりするシークエンスの杜撰さが、ただでさへ浅い底をいや浅くしてしまふ。さういふ辺りが関根和美の関根和美たる所以である、といつてしまへば正しくそれまででもあるのだが。
 瀬戸恵子は、直輝の妻・芳美。直輝の不倫を疑ひながらも、切なく夫を求める。手短に濡れ場をこなすと、後にも先にも一切出て来ない。物語の本筋には、感動的に全く絡まない。その濡れ場要員としての潔さには、最早一種のストイシズムすら漂ふ。竹本泰志は、全く同様のポジションの、瑞穂の彼氏・柴田和彦。さうしてみると、元々六人しかゐない登場人物は更に削られ、残りは僅か四名となる、ミスリードもへつたくれもあつたものではない。
 主演の朝丘まりんは「どスケベ坊主 美姉妹いただきます」(2005)の時には特にさういふ認識は抱かなかつたが、この人ただの巨乳ちやんではなく、なかなかの芸達者。瑞穂に猜疑の目を向ける芝居を観てゐて、軽く目を見開かされた。


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 「未亡人女将 我慢できないの」(2005/制作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・水上晃太/撮影:下元哲/照明:代田橋男/音楽:ザ・リハビリテーションズ/助監督:宮崎剛/撮影助手:岩崎智之/監督助手:水上晃太/選曲:梅沢身知子/効果:東京スクリーンサービス/出演:瀬戸恵子・佐々木麻由子・三井かおり・天川真澄・牧村耕次・松浦祐也・野上正義)。
 亡き夫(遺影すら登場せず)から老舗旅館・渓山荘を引き継いだ富山富貴子(瀬戸)は板前の三田村正一(天川)、仲居の吉岡多美江(佐々木)と共に、肉弾過剰サービスを武器に傾きかけた旅館を盛り立てて行く。などといふと、新田栄の映画といはれても全く違和感のない一本ではある。
 脳内でシミュレートして頂きたい、山奥の温泉宿に、やつとの思ひで辿り着く。一風呂浴びて飯を食ふと、すつかりマッタリしてしまつてもう何もする気にもなれず、未だ夜も早いといふのにゴロゴロしてしまふ。要は、さういふ時の気分にも似た映画である。これで伝はるのかさうでないのか、顧みる気力は最早今の私の中には欠片も持ち合はせない。面白いのかどうなのかといふと、勿論面白い訳がない―我ながらあんまりだ―が、快不快でいふならば不思議と心地良い映画でもある。のんべんだらりの極にあるやうでゐて、流石に大ベテランならではの境地、にでも辿り着いてゐるのかも知れない。当方の映画の観方は、ジョージア・テイスティよりも甘い。
 牧村耕次と三井かおりは、大学教授の和田修と教へ子・飯田里佳の不倫カップル。里佳、といふか三井かおりは常に足の裏が地面から30cmは浮いてゐるやうな持ちキャラである一方、最終的には和田を巧みに手玉に取る件はよく出来てゐる。野上正義と松浦祐也は、零細企業社長の宮崎和夫と、社員の木村昌作。和夫は、会社の経営に行き詰まり保険金目当てで自殺するために旅立つたものであつたが、渓山荘の極楽サービス(笑)に思ひ直す。木村はゲイなのかバイなのかのんけなのか、例によつて脚本はグダグダに投げやりで最終的にはキチンと説明されない。“細かいことなんてどうでもいいぢやないか”、さういふメッセージだと受け取ればそれもそれでひとつの叡智のやうな気もするが、勿論単なる不作為に過ぎないであらう。
 終始のんべんだらりとしながらも、映画が発作的に弾けるのは、和夫と木村に対するスペシャル・サービスの一幕。「それではショウ・タイムの始まりです♪」、襖が左右に開くと、スパンコールバリバリの白のセクシー・ドレスに真つ赤なファーのマフラーと、安過ぎるマリリン・モンローのやうな富貴子と、引き立て役に回され丸つきりヤル気のない多美江の爛れたバニー。瀬戸恵子の安さは唸りを上げ、佐々木麻由子の煌く気だるさがスクリーンに爆裂する。出来ればそのまゝたつぷり尺も使つて一曲披露して欲しいところであつたが、出て来たかと思へば直ぐにカット変り、女体盛り(多美江が皿)のシークエンスに移行してしまつたのは残念でもある。
 仕方がないので、といふか殆ど実害もなからう。のうのうと書いてのけるが、ラストは攻撃的にルーズ。ある意味、それでこそ関根和美だ。正一の母も、かつて渓山荘で仲居をしてゐた。正一は実は、先々代が仲居に手を付け産ませた要は妾の子で、先代とは腹違ひの兄弟にあつた。正一は、旅館を乗つ取る目的で板前として入り込んでゐたのだ。正一は自らの計画に手を貸して呉れるよう多美江に打ち明け、多美江と寝る。かと思ふと、今度は棹も乾かぬ内に正一は富貴子とも一戦交へてゐたりなんかする。一方それを覗く家政婦、ではなくして仲居の多美江。事の済んだ後、富貴子からは結婚を迫られるが、正一はゴニャゴニャとはぐらかす。その様子を見て、多美江は「矢張り正一さんは私のモノだ♪」と小躍り、何でさうなるのか全く理解出来ない。カット変り、バタバタと慌ただしい様子の渓山荘と、山間を流れる川のロケーションを押さへたかと思ふとエンド・クレジット。正一の野望と、富貴子・多美江も交へたトライアングルは、一体何処の平行宇宙の狭間に消えたのか。ヤル気を出さない時の関根和美は、遂に小林悟の領域に達しつつある、とでもいふことなのか。とつくの昔から同罪である同列である、とする声もあらうが。

 以下は地元駅前で再見した上での付記<   開巻は表を掃く多美江のショットに続いて、富貴子と言ひ寄る正一の濡れ場で幕を開ける。その流れで和田&里佳篇がスタート、一段落つき、今度は和夫と木村を多美江が出迎へるまで、要は中盤まで佐々木麻由子が全く退場したまゝじまひ。無造作な展開が、改めて観てみると結構凄い。


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 「どスケベ坊主 美姉妹いただきます」(2005/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・宮崎剛/撮影:下元哲/照明:代田橋男/音楽:ザ・リハビリテーションズ/助監督:宮崎剛/撮影助手:中村拓/照明助手:高田宝重/監督助手:水上晃太/選曲:梅沢身知子/出演:朝丘まりん・持田さつき・三井かおり・綺羅一馬・松浦祐也・中川大輔・亜希いずみ・城春樹)。今作も、リハビリの名前がありながら梅沢身知子が選曲としてクレジットされてゐる。要はリハビリにしてもレインボーにしても、在り物の音源を使つてゐながら、それを選曲してゐるのが梅沢身知子、といふことなのか。出演者中、関根和美の愛妻・亜希いずみは本篇クレジットのみ。
 元々は公務員をしてゐたものの、婿入りして寺を継いだ自他共に認める生臭坊主の才門(城)が、僧籍の肌に合はぬ生活に耐へかね家出し放浪してゐたところ、フとした弾みでトラブルを抱へた美人姉妹の家に転がり込む。例によつて十本中八、九本の、関根和美の石化コメディである。関根和美には最早、といふかとうの昔から、夢オチは回避すべきだなどといふ羞恥心は欠片も持ち合はせない。一体城春樹―又は町田政則―の、夢オチがこれまで幾度繰り返されたことか。映画自体が古臭いと、下元哲の撮る画までが何故か古びて見えてしまふ。関根和美の放つ磁場に絡め取られたのか、そのフォースの暗黒面に引き摺り込まれてしまつたに違ひない。加へてどうでもいいのが、城春樹は三十年を優に越すキャリアも誇りながら、本当に何時まで経つても大根である。
 十本中八、九本の内では、これでもダレてゐない方といへるのかも知れない。タイトルにある美姉妹は、朝丘まりんが妹の美沙。持田さつきが姉のエリ。全く似てゐないが、美人は兎も角さりげなく巨乳姉妹でもある。ところで持田さつきは、本当に杉原みさおに声がソックリだ。
 綺羅一馬は姉妹のトラブルの元凶、悪徳リフォーム業者の岩本。岩本と才門とが、同じ弱味を抱へてゐるといふのは如何にも脚本の底の浅さかもしくは芸の無さが露呈してしまふが、そもそもそのやうなものを要求すること自体が、大人気なからうこともいふまでもない。三井かおりは、岩本がうつつを抜かす風俗嬢・美也子。次作「未亡人女将 我慢できないの」(2005)同様三番手の濡れ場要員ではあるが、重ねて同じく一見足が地に着いてゐないやうに見せて、絶妙に手堅い仕事を見せる。
 持田さつきと同級生には絶対的に見えない松浦祐也は、同窓会にて再会した設定のエリの不倫相手・巌。中川大輔は、美沙彼氏の平川。オーラスを締める亜希いずみは、逃げた夫を追ふ才門の妻・冴子。ひよつとすると、あるいはあはよくば、才門が別の何処かに再び姿を現す続篇を作る気があるのかも知れない。さう感じさせなくもない幕の引き方を見せる、別にそのことを望んでゐる訳では特にないが。


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 「うす濡れパンティー」(2001/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・林真由美/撮影:小山田勝治/照明:野口素胖/音楽:ザ・リハビリテーションズ/助監督:寺嶋亮/監督助手:林真由美/出演:里見瑤子・南星良・佐倉萌・中村拓・吉田祐健・町田政則・山崎岳人・若葉要/友情出演:岡田謙一郎)。
 花の大都会を夢見て上京したはいいものの、家賃を滞納した部屋を大家(若葉)に張り込まれ戻れなくなつてしまつた芳美(里見)は、当てもなく空きつ腹を抱へ職探しに歩く。一言で片付けてしまふと、同年の「痴漢電車 ぐつしより下唇」と同様の、限りなく透明に近いピンクの一本である。タイトルからして投げやりな辺りに、最早別種の哀愁すら漂ふ。
 登場順にわざわざ友情出演と別クレジットされる岡田謙一郎は、公園で腹を空かせた芳美が飯をたかる、スポーツ新聞を読んでゐた男。町田政則は、芳美がバイトの面接を受けに行くコンビニの店長。オーダーメイドの制服の採寸と称して、肉まんをダシに芳美にセクハラする。再登場シーンではdj hondaのキャップを着用、観客の滂沱の涙を絞り取らない。
 南星良は、行き倒れる寸前の芳美が再会する、鼻の下の大きな黒子と味噌つ歯が特徴、だつた同郷の幼馴染・裕香。黒子は整形、味噌つ歯は矯正、に続く三段オチとして、胸はシリコンとのこと、天然ものに見えるが。逆からいふと、ガチであつたならばとても繰り出せるネタではないのか。芳美を、如何はしい携帯電話を売り捌くビジネスに誘ひ込む。携帯電話の液晶は山羊の目の水晶から作られてゐる、だなどといふ与太を、関根和美―か林真由美―は一体どうやつたら思ひついたものか。吉田祐健は裕香のパトロンの、町工場元社長。この人は真面目な役柄はあまり似合はないが、のんべんだらりとしたコメディ映画の中で自由気儘に炸裂させるルーズなビートには、妙に癖にさせるものがなくもない。
 中村拓は芳美から携帯を買ふ、ホストクラブ「華」のサニー・中井こと五郎。何処までも、安さのギアだけは片時も緩めない辺りに、最早喰ひ付くほかはないのか。佐倉萌は、携帯を売つた代金を持ち逃げし裕香の下へも戻れなくなつてしまつた芳美に、サニーが紹介する香織、痩せ薬の訪問販売業を営む。訝し気に香織を見やる芳美に対して、「私は飲んでないわよ、薬なんかに頼る弱い人間ぢやないんだから!」。佐倉萌のデブネタは、この時既に解禁されてゐたのか。さう思へば、歴史的な意義も見出せなくはないのか。さうでも考へないと、とてもではないがやつてられない。山崎岳大は町金、別人のアテレコか?
 裕香の携帯電話と香織の痩せ薬・スリムボンバーとが共に山羊の目の水晶に重要に絡んでゐる点、サニーに泡風呂に沈められた芳美が、トルコの更衣室で裕香と思ひがけない二度目の再会を果たす件。サニーが全ての鍵を握る真の黒幕のやうでありながらも、済し崩されがちの始終が整理されることは、無論終に一欠片もない。一々こんな代物を、メモを片手に血眼で死力を尽くし観てゐる俺は一体何をしてゐるのだか。かんらかんら、この期には最早笑ふほかなく、“駅前ロマン地獄篇”の看板に偽りもない。

 個人的に寂寥に止めを刺されたのは、音楽クレジットは何時ものリハビリながらに冒頭と芳美がサニーと懇ろになる場面とに都合二回、どばとによる「土門とリカ、愛のテーマ」―勝手に命名―が使用されてゐるところである。どうでもいい映画を彩る必殺音源、それはそれとして、複雑な心境とでもしかいひやうがない。


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 「教師みさお 舐めてあげる」(2001/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:寺嶋亮・関根和美/撮影:小山田勝治/照明:野口素胖/音楽:ザ・リハビリテーションズ/助監督:寺嶋亮/監督助手:林真由美/出演:佐々木麻由子・手塚美紗・中村拓・岡田謙一郎・小林三三男、他)。
 能力はあるのに真面目に取り組まない問題児・真治(中村)の補習に操(佐々木)は向かふが、教室には誰も居ない。風に当たりながらタバコを吹かしてゐた真治を捕まへて無理矢理補習を始めるものの、操との教室内でのセクロスの妄想にうつゝを抜かす真治は、全く熱が入らない。操が帰宅すると、同居する労務者の父親・拓郎(岡田)が先に戻つてゐた。だが実は、拓郎は操の父親などではなかつた。刑事の拓郎が張り込みをしてゐるところに、「お父ちやん」と操から声をかけられ、そのまま強引に一緒に暮らしてゐたものだつた。
 メンヘルを遥か斜め上に通り越した謎の女教師と、連続猟奇殺人事件を捜査中の刑事との奇妙な同居生活。に、不良生徒が美しい年上の女教師に焦がす激しい熱情を絡めた物語は、実は案外完成度は高いのだが。プロットに凝り過ぎて六十分のピンクでは尺が些か不足してゐる上に、撮影:小山田勝治といふのが全くの嘘のやうな、柳田(友貴)大先生によるものを思はせる薄つぺらいあつけらかんとした画作りと、淫らに時制を混乱させる妄想と回想パートの無茶苦茶な挿入の比重とが、狙つたセンの成就を妨げてしまつてゐる残念な一作。
 手塚美紗は、操に夢中でちつとも自分の方を振り向いて呉れない真治に、強引な嫉妬の炎を燃やす愛。さうは見えないのだが噛み合はせが悪いかのやうな妙な台詞回しは気になるが、キュッと纏まつた勝気気味な容姿と、意外なトランジスタ・グラマぶりは大いに魅力的ではある。小林三三男は、ワン・シーンだけ登場して拓郎のことを何かと気にかける、後輩にしてキャリア組の上司・安西。
 徒な結末のスラッシャーは、その後中村拓に引き継がれ余計な結実を果たす。と、いふのは全くの放談である。     >なら書くな
 その他学内要員で、もう二名ばかりクレジットされる。


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 「痴漢電車 ぐつしより下唇」(2001/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・小松公典/撮影:柳田友貴/照明:野口素胖/音楽:ザ・リハビリテーションズ/助監督:寺嶋亮/出演:小泉未貴・岩崎りほ・佐倉萌・中村拓・山崎岳人・吉田祐健・岡田謙一郎・城春樹)。
 社内のOLからも大人気の、プレイボーイなエリートサラリーマン・章吾(中村)の趣味は痴漢で、今朝も今朝とて知佳(岩崎りほ@重戦車・・・・何処から連れて来たんだ、こんなタンク)をオトす。吉田祐健は章吾と知佳の対面に座る出歯亀、知佳のパンティを覗き込まうと大奮闘する。岡田謙一郎は、吉田祐健の隣りでプロレス雑誌―多分週プロ―を読み耽るプロレス者。二人とも出番は開巻の電車シーンのみ、一体何しに出て来たのか。
 章吾は行きつけの店の美咲(小泉)の気を惹かうと躍起になるが、ただ章吾がタイプではない美咲は、どうしてもなびかなかつた。ある日、章吾は店の前で郷里の幼馴染・聖二(山崎)と偶然再会する、聖二も美咲のことが好きであつた。非モテの聖二はリア充の章吾をラブ・キングと慕ひ、恋の指南役を乞ふ。すると良くいへば直情型、そのままいへばイタい聖二が美咲にどういふ訳でだか急接近。危機感を抱いた、章吾は姦計を巡らせる。章吾はまづ手始めに、お局の多恵(佐倉萌>岩崎りほと比べれば全然中型車両だ)をコロッと篭絡。多恵を練習台に、電車の中で聖二に痴漢をさせる。聖二の痴漢に多恵は安寧に悶えよがる。続いて、同じ要領で美咲にも痴漢させる。美咲も多恵同様すつかりメロメロになる筈だ、さう聖二には思ひ込ませておいて、実際には美咲が聖二に痴漢されてゐるところを章吾が助ける。感謝した美咲は章吾になびく、ざつとさういふプランである。章吾の悪巧みは一旦功を奏する、も、最終的には拡声器を手に突入を敢行した聖二が、何故か美咲をモノにする。ところが更に大オチでは、美咲はあらうことか聖二からもコロッと乗り換へ、何と章吾の上司でもあるダジャレ親爺(城)にくつ付いてしまふ。
 どこで止めたらよいのかが判らなかつたので、粗筋の紹介が最後まで辿り着いてしまつたが、まあ、要はざつと掻い摘んでみれば正にそれだけの映画である。関根和美の十本中八、九本の中でも、底の方に位置する一作。ただ、かういつた映画を九十九本通り抜けての、通り抜けてこその「淫行タクシー ひわいな女たち」であるならば、どんなにカスでアホでゴミのやうな映画であつたとて、決して意味のないものではなからう。小生も、謹んでその九十九本を通り抜ける。実際には関根和美は未だ百本は撮つてはをらず、そもそもが今作は、「淫行タクシー」よりも後の映画であつたりもするのだが。

 映画の神様は頗る付き合ひが悪い。百本に一本の映画を観ようと思ふならば、どうやら残りの九十九本も観ておかなければいけないやうである。残りの九十九本がどんなにカスでアホでゴミばかりであつたとしても、それを潜り抜けて来なければならないのである。配給会社や監督の名前で、ピンクに限らず映画を選つて摘むやうな映画の観方は断じて頂けない、私はさう思ふ。関根和美も残り七十数本の尊くもない犠牲―犠牲扱ひかよ―の果てに、「淫行タクシー」を撮り上げた。小林悟も、あの小林悟であつてすら、最も単純な確率論からは四度か五度は映画の神からの祝福を受けてゐる―かも知れない―ことを、私は信じてゐる。それが一向、論理的ではないことは承知してゐる、つもりだ。重ねて私は未だ、小林悟の四度―か五度―に一度も出会へてはゐない。


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 「現役女性記者 淫らな体験レポート」(2001/製作:関根プロダクション/配給:大蔵映画/監督:関根和美/脚本:小松公典/撮影:柳田友貴/照明:野口素胖/音楽:ザ・リハビリテーションズ/助監督:寺嶋亮/出演:里見瑤子・佐々木基子・結城杏奈・城春樹・吉田祐健・中村拓・町田政則・幸英二・上野太、他)。
 斎藤高順もかくや、とさへ思へてしまふほどエクストリームに長閑で美しい劇伴の流れる中、何処ぞやの河原土手―荒川?―を二人の工員が給料日の帰途に着く。壮年の工員が若い工員から呑みに行くことを誘はれるも、給料袋の薄さを痛感し、断る。画面奥に向かつて歩いて行く主人公を、若い工員がぼんやりと見送り、金だけ抜いた給料袋を風に捨てる。
 昔ながらの町工場勤めの善三、通称善さん(城)は不景気から工場は月の半分程度しか仕事はなく、アイデア商品で一山当ててからといふもの、完全に立場の逆転した妻・光子(佐々木)には、給料を渡してもまるで寸志だと小馬鹿にされる。家事をする気のない光子は、出前の鰻も、自分の一人前しか頼まない。不貞腐れた善さんは、後輩の一平(町田)のラーメン屋に向かふ。ラーメン屋には、すつかり臍を曲げえらい剣幕の一平と、出版社の新米編集員・昌実(里見)が居た。頑固親爺が語る下町風情、さういふテーマでラーメンではなく店主本人の取材に訪れた昌実が、一平を怒らせてしまつたのだ。善さんは一平を一喝すると、昌実を外に連れ出す。昌実は、取材の対象を一平から善さんに切り替へることにする。エディターなどといふ横文字は勿論、留守番電話のメッセージすら知らずにゐた善さんではあつたが、昌実は善さんに連れられる競艇場や角打といつた、これまで知らなかつた世界に美しい瞳を輝かせる。一方善さんは善さんで、ストレートに若い娘に鼻の下を伸ばすといふ、穏やかな人情喜劇である。
 結城杏奈は、善さん行きつけのスナックのホステス・由佳、マスターが幸英二。由佳はスケコマシの賢治(中村)にいいやうに弄ばれた挙句に捨てられ、店で荒れる。後日賢治が昌実の先輩兼恋人であることを知つた善さんは賢治に詰め寄るが、ワンパンでのされてしまふ。吉田祐健は善さんの元同僚で、工場をリストラされたマサト。今は光子の考案したアイデア商品を扱ふベンチャー企業に再就職し、羽振りもいい。上野太は、一平のラーメン店と後日善さんが昌実を連れて行く角打とでの、それぞれ全く別人設定の他の客役。台詞はないが、絶妙にいい仕事をする。その他は、角打の大将、幸英二のスナックのもう一人居るホステスと他の客役、それと昌実が勤める出版社・近実出版の皆さん。
 善さんは左団扇のマサトと再会する、ベンチャー企業に再就職したといふマサトに対し善さんは、「お前、弁当屋に就職したのか?」。全篇を通してさういふ脱力必至のコテコテおやじギャグ満載で、のんべんだらりと物語も右から左へ流れて行くやうに見せかけて、中盤、昌実の恋人が性質の悪いスケコマシであることと、終に光子が善さんに見切りをつけ他の男と家を出て行つてしまふ辺りから、始終は実はキチンとした起承転結を見せる。
 とはいへ、相変らず柳田友貴大先生の天才と紙一重の惜しい人ぶりは全開。善さんと光子を画面に納めた日常会話のカット、不意にカメラが左に動くので何事かと思ふと、カメラがパンした先に何程かの改めて見せたいものがある訳では特になく、ほどなく何事もなかつたかのやうにカメラは再び元の位置に戻る。一体どうしたら、斯様に自由奔放な画が撮れるのか。
 光子が去つた一人の家に、昌実が訪ねて来る。企画が流れてしまつたことを詫びに来たものだつた。ポップに落胆する昌実を、失敗を活かすのも無駄にするのも自分次第だぞ、と善さんは優しく抱く。一夜明け、眠りこける善さんのタオルケットを直し、穏やかに見詰める昌実。ここでの里見瑤子の表情が素晴らしい。と、ここまではよく出来てゐたのだが。
 自分の信じた道をしつかりと歩け、といふ善さんのメッセージを受け、それならばと昌実の取つた行動が、両親が薦めてゐた縁談に従ひ出版社を退職する。といふのは、強力に何か間違へてゐないか?テーマと実際の展開とがへべれけな齟齬を来たしてゐる。昌実と新生活を営むつもりだつた善さんが、当てが外れトボトボと帰宅してゐると、これ又男に金を持ち逃げされた光子が、ボンヤリと道端に座り込み善さんを待つてゐる。温かく善さんが光子を迎へ入れるラストは兎も角として。要は、このラストへの布石として、昌実を何処かに落ち着かせなくてはならない。さりとて、スケコマシの賢治では都合が悪い。といふ方便での、唐突な昌実の寿退社であるのかも知れないが。

 脇の甘い脚本や肩の力の抜け過ぎた演出、それに“大先生”柳田友貴のスーパーフリー撮影のほかに、今作は一箇所決定的なミスを犯してゐる。昌実と善さんとの濡れ場、善さんが小洒落たボクサーパンツなんぞ履いてゐる。城春樹が普段ボクサーパンツを履いてゐても別に構はないが、善さんのキャラクター造形上はそこはどうしても、猿股でなくてはならないだらう。


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 「痴漢トラック 淫女乗りつぱなし」(2000/製作:関根プロダクション/配給:大蔵映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・小松公典/原題:『デコトラ漫遊記』/協力アートトラック:弘宝丸・M&M・一栄丸/アートトラック・コーディネート:グループ一番星 須賀良/撮影:柳田友貴/照明:野口素胖/助監督:寺嶋亮/音楽:どばと/編集:フィルムクラフト/録音:シネキャビン/撮影助手:松島秀征/監督助手:林真由美/スチール:大崎正浩/現像:東映化学/効果:東京スクリーンサービス/タイトル:ハセガワタイトル/出演:池谷早苗・永森シーナ・佐々木基子・町田政則・上野太・やまきよ・須賀良・幸英二・須藤為五郎・戸田新太郎・小林操/友情出演:川西弘文・川村誠・磯田晶和・川村昌之・竹野久裕・西村昭彦・小川貴洋・後藤康志・斎藤雅哉・中村拓・西澤誠司・若葉要)。同年関根和美必殺のマスターピース、「淫行タクシー ひわいな女たち」の微妙な姉妹作である。
 考へてみると、タイトルの類似。同時期に製作されてゐる以上当然の如く、スタッフ・キャストの一部重複。中でも佐々木基子のトルコ嬢と町田政則のドライバーが出て来る点は決定的かと思ひつつも、実際の物語は「淫行タクシー ひわいな女たち」とは全く何の関連もない上、今作は三年後に第二作が製作されるシリーズの第一作でもある。一応姉妹作とはいへど、微妙といふ所以である。
 一仕事終へ帰つて来たトラック運転手の団勝馬(町田)はその足で、五年通ひ詰めてゐるトルコ嬢・スミレ(佐々木)の下へと向かふ。競馬狂で常時金欠の勝馬は、スミレに借金の申し出を切り出す。それを、遂に勝馬が自分に求婚して呉れたものかとスミレは勘違ひする。二人の芸達者による掛け合ひだけに安定感は抜群だが、実際のシークエンスは、のんべんだらりする限りの化石コメディではある。そんなものを観てゐて、どうしてこんなにも穏やかな気持ちになれてしまふのだらう。最早己の映画の観方が、正しいのか間違つてゐるのだか我ながらよく判らない。間違つてゐたとて、元より構ひはしないが。さうかうしてゐるところに、舎弟の加茂利一(上野)から急な仕事の連絡が入る。夜はすつかり更けてはゐたが、手間賃は倍、とかいふ条件に勝馬は俄然ヤル気を起こす。途中、勝馬は通ひの定食屋に立ち寄る。何時の間にか、夜が明けてゐたりもする気軽な自堕落さは気にするな。偶々上京し店を手伝つてゐた、店のマスター(幸)の姪・陣内舞子(池谷)に勝馬はすつかり一目惚れする。御自慢のデコトラを伊豆へと走らせる勝馬の運転席に、荷台からコール・サインが入る。不審に思つた勝馬が車を止め荷台を開けてみると、中から尿意を催した派手派手しい女・安西麗子(永森)が飛び出して来た。正確に何とは聞かされてゐなかつた積荷とは、何と麗子であつた。慌てた勝馬は利一に連絡を入れる、さうしたところが、利一はヤバいことになつてゐた。麗子は黒龍会の組長・戸川(須賀)の情婦で、要は伊豆で利一の身柄を押さへた戸川が、勝馬に運ばせる麗子を待つてゐたのだ、勝馬は急いでデコトラを走らせる。
 かうしてみると、ピンク版「トラック野郎」といふよりは、今となつてはピンク版「トランスポーター」といつた感が強い。無論、関根和美だけでは兎も角脚本を小松公典も共同で書いてゐる分、最終的には「トランスポーター」よりも余程お話はしつかりしてゐる。といふか、ここから先は完全にして純然たる素人の邪推でしかないが、この映画思ふに勝馬が積荷を運ぶ本筋と勝馬とスミレとの絡みを小松公典が書いてゐて、舞子周りの切れるものなら切つたところで支障はさしてないコメディ部分は関根和美の仕業、とでもいつた寸法なのではなからうか。
 配役残りやまきよは、ヤクザが全国的に展開した麻薬の取引にトラック運転手が加担してゐるのではないかと踏み、勝馬を尋問する刑事の桜木譲司、中村拓が桜木部下。カメオ含めその他大勢は、定食屋のその客要員に、黒龍会の皆さん。更には舞子が食べた高価な食事の伝票を、勝馬に突きつける料理店店主。ところで戸川の決め台詞其の一:「携帯電話の長話は高くつく」、其の二が「知らねえ方が身のためだ」。
 実も蓋もない言ひ方をぬけぬけとしてみせると、丸々不要な舞子周りの枝葉と、唐突にもほどがある勝馬の妄想と白昼夢と実際に寝てゐる間の夢、の挿入の仕方が滅茶苦茶な辺りが全体の評価を数段落としてしまふが、メインのお話はしつかりしてゐる上、しんみりした人情ドラマと喜劇のバランスも実に良い。惜しいところで何時もの関根和美映画扱ひされるのも致し方ない、残念な一作であるやうにも思へる。
  因みに、三年後に製作された第二作とは、「馬を愛した牧場娘」(2003/監督:関根和美/脚本:関根和美・小松公典)。勝馬は出て来るが、利一もスミレも出て来ない。佐々木基子のポジションには、トルコではなく馴染みのホテトル嬢・花として酒井あずさが座つてゐる。

 永森シーナに関する補足< 麗子役の永森シーナ、恐らく現在ではもう、活動してはゐないものと思はれる。あんまり当てにはならないjmdbのデータにも、ちやうど「痴漢トラック」以降記載がない。体の方はピンク女優随一、といつても過言ではなからうと思へるくらゐに、本当に綺麗な体をしてゐる。体は本当に綺麗なのだが、残念ながら、首から上はこれまた見事なまでに三日月型に湾曲してゐる。そんな―どんなだ―永森シーナの、デコトラ運転席の勝馬と助手席の麗子が会話するのを、真正面から捉へたカット。本当にジャストな真正面中の真正面から撮つて、なほかつ少しうつむかせると、絶妙に顎部の歪みが―あくまで―画面上補正され、永森シーナが普通の美人に見える、といふ奇跡の映像革命を今回“大先生”柳田友貴がやつてのけてゐる。恐らく狙つて押さへた訳ではなく、偶然の産物であらうかとは思ふが。


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 「エッチな天使 ねつちやり白衣」(2000/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・小松公典/撮影監督:柳田友貴/助監督:片山圭太/音楽:どばと/出演:林由美香・篠原さゆり・彩香・町田政則・やまきよ・城春樹・上野太・亜希いずみ・永森シーナ)。
 ピンク版「ナースのお仕事」、である。行く先々でドジばかり踏む、ダメ看護婦の桃子(林)。ついた徒名が「白衣の渡し守」。そんな桃子が流れ着いた三流総合病院で、初日早々の夜勤の最中に襲はれたレイプ犯の正体を、不良中年揃ひの患者や意地悪な婦長に悩まされながらも突き止めて行く。といふ、関根の十本中八、九本の内では全然上手く纏まつた部類の、コテコテにも程がある脱力ギャグ・サスペンスである。今作を捕まへてサスペンスだなんて言葉を使ふと、ヒッチコックの祟りで雷にでも打たれて死にさうだ。
 老人ホームの余興でも二の足を踏みさうなレベルのズブズブにコテコテなギャグが、ほんの五年前の映画でしかないのに、一体どうやつたらこんな白つちやけたスカスカの画面が撮れるんだ?といふ、撮影監督(といふことは照明も兼務か?)の柳田マジック(無論、黒魔術である)に乗せて展開される。一言でいつてしまへば別にわざわざ観る必要は一欠片も無い映画なのであるが、実際観てゐると何故だか全く判らないが、何度観ても愛ほしい気持ちになつて来てしまふ不思議な映画ではある。
 やまきよは院長の本宮。篠原さゆりは意地悪な婦長の良美。町田政則、城春樹、上野太が桃子が担当することになる病室の問題中年。城春樹はリーダー格の忠治。町田政則は偽装入院で、且つ本宮の盗撮の師匠でもある時雄。上野太は、駄目ホストの愛$(アイドル・・・駄目だ)。亜希いずみは物語の鍵を握る(そんな大袈裟なものではない)掃除婦と、忠治が病院を抜け出して飲みに行くスナックのママを兼務。パンチラ有り。別に要りませんが。永森シーナはカメオで忠治の退院シーンに登場する、忠治の新しいヨメ。
 結局レイプ犯の正体は(以下ネタバレにつき伏字、そんな配慮が別に必要だとも思はないが)<役名は失念してしまつたが綾乃。包茎手術を受けるつもりが、桃子の伝達ミスによつてサオを全部取られてしまつたニューハーフだつた。>酷え、いい加減な脚本にも程がある。真相が明らかになるシーンでの、時雄の「非道え、非道過ぎるよ・・・」、とわざとらしく泣いてみせるサル芝居が笑かせる。
 ひとつだけ苦言を呈しておくと、篠原さゆり(ピンク女優の中で一番キレイだと思ふ)の背中が吹き出物で荒れてゐることは見れば初めから判つてゐたことなので、それならば多少構図が単調になつたとしても、後背位なんぞ撮らなければいい。
 製作順に公開されてゐるのならば、今作は実は関根和美の「淫行タクシー ひわいな女たち」のちやうど次の映画に当たる。関根和美も兎も角、“大先生”柳田友貴の仕事の落差は、とても同一人物の手によるものだとは思へない位に甚だしい。


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 「淫行タクシー ひわいな女たち」(2000/製作:関根プロダクション/配給:大蔵映画/監督:関根和美/脚本:金泥駒/撮影監督:柳田友貴/音楽:どばと/監督補:片山圭太/編集:フィルム・クラフト/録音:シネ・キャビン/出演:佐々木基子・町田政則・中村杏里・山内健嗣・やまきよ・吉原夕子・亜希いずみ・岡田謙一郎・上野太/特別出演:城春樹)。特別出演との城春樹であるが、何度観ても何処に出てゐるのか全く判らない。
 性懲りもない繰り返しになり恐縮であるが、ピンク映画中、ではない、私選日本映画の中で最も美しい映画である。日本映画、といふ縛りを外したとして、この星の上には「淫行タクシー~」よりも更に美しい映画といふのは、ブライアン・デ・パルマの「キャリー」(1976/米/主演:シシー・スペイセク)を措いて他にはあるまい。とはいへ、正直なところ五年前に数度観たきりの映画でもある。ピンク映画といふのは、三本立ての中に通例一本か二本は旧作が含まれてゐる―極稀に三本とも旧作といふこともある―ものなので、再見のチャンスに恵まれてゐても全くおかしくはなかつたのだが、これまでどうしてもその機会は訪れなかつた。私は五年の間ひたすら待つた、五年ぶりに漸く、再び巡り会へた。再見、きのふからの映画であるので、勿論きのふの内に早速観に行つてゐる。けふも仕事終りで観に行つて、今しがた帰つて来たところである。無論、明日も観に行く。五年の時を経て再見し、改めて断言出来る。美しい映画である、何よりも美しい映画である。その美しさについて、拙筆を憚らず微力も通り越した無力を振り絞る。

 タクシードライバーの土門誠二(町田)は、以前は妻の麗子(亜希)と小料理屋を営んでゐた。ある夜、店を閉める段になり「先に上がつてろ」と、土門は麗子を一足先に帰宅させる。ところが麗子は、それまで全く何の前触れもない上に、当日も一言も残して行かぬままに、店を後にしたきり蒸発してしまふ。以来土門は、タクシーを転がしながら、かつて店のあつた商店街付近に車を停めては、妻の姿を探してゐるのだつた。何時ものやうに土門が車を停めてゐると、好子(中村)と譲次(山内)のカップルが乗り込んで来る。二人はカーセックスを楽しむ為にわざわざタクシーを使ふ、性質(たち)の悪い客であつた。一通り楽しんだ好子と譲次を降ろし、「やれやれ」と土門が車を出すと、今度は誰かに追はれてゐる風の、綾乃(佐々木)が息を切らせ乗り込んで来た。綾乃はトルコ嬢で、出勤するのに家を出たところを、矢張り性質の悪いストーカー客に待ち伏せられ走つて逃げて来たのだつた。「どんな業種にもおかしな客つてのは居るもんですね」、土門と綾乃は、そんな会話で盛り上がる。次の日、今度は全くの偶然に、土門は普通に出勤しようとしてゐた綾乃を再び拾ふ。土門は綾乃の申し出で、綾乃の送迎専属となることに、ざつとさういふ出だしのストーリーである。
 テーマを一言でいへば、ダメ人間・ミーツ・ダメ人間。アーネスト・ボーグナインとベッツィー・ブレアの永久不滅の名作、「マーティー」(1955/米/監督:デルバート・マン)よりももどかしく、その後に「バットマン・リターンズ」で栄華を、もとい映画を極めたティム・バートンが、正に登り詰める途中で、登り詰める寸前で放つた必殺の大名作、「シザーハンズ」(1990/米/主演:ウィノナ・ライダー、ジョニー・デップ)よりも切ない、そして何にも増して美しい映画である。何がもどかしく、何処が切ないのか。そして如何に全てを超えて美しいのか、それが今稿の主題である。
 土門が、綾乃の送迎専属となつて初めての夜。何とはなしに、お互ひに、といふかタクシードライバーもトルコ嬢も訳アリの人間が多い、といふ会話になる。「タクシーの運ちやんにはどんな訳アリの人が居るの?」、綾乃が訪ねる。土門は姿を消した妻の姿を求めタクシーを走らせる奴が居る、と自分のことをまるで他人事かのやうに、嘘をついて話す。そんな話をしてゐる内に、車は綾乃の家を通り過ぎてしまつた。慌てて降りようとする綾乃に対し、土門は今夜の分の料金は要らない、と断る。「どうして?」、綾乃は途端に表情を強張らせる。
 「代りに、教へて貰へないスか?」
 「何を?」
 「《源氏名ではない本当の》名前・・・」
 「え《何で》?」、と綾乃に突つぱねられると、土門はしどろもどろになつてしまふ。車を降り、ドアの閉まり際に、捨て台詞のやうに綾乃は告げる「リカよ」。
 もどかしい、もどかしいことこの上ない、もどかしいつたらありやしない。姿を消した妻の姿を探し求めタクシーに乗る土門だけではない、好き好んで泡の中に沈んだ訳ではない、リカも勿論訳アリである。お互ひに、決してこの世界から祝福などされてはゐない、日陰を生きる者同士である。寂しく、疲れた者同士である、そのことは二人とも判つてゐる。基本フォーマットを、もしくはバックボーンを共有する者同士である。殆ど判り合へてゐるも同然なのに、そこはダメ人間、上手く通じ合へない。似た者同士なのに、相手がフと近付いて来ようとすると、ついつい過剰に反応し同極の磁石でもあるかのやうに反発してしまふ。タクシーの乗務員席と後部客席との間に、一昔前の流行り言葉を用ゐるならば、A.T.フィールドが展開されてゐる。
 リカは普通の仕事をしてゐてはとても返せない借金から、泡風呂に沈む。借りた金は、暴利からいつの間にか倍以上に膨らんでゐた。「自分の女になるなら借金を帳消しにしてやる」、と言ひ寄る街金の年男(岡田)を突つ跳ねた、リカはこつ酷く犯される。その夜、「聞き流すつもりで話を聞いて呉れる?」とリカは、自らの身の上を土門に話す。リカの借金は、実は自分の借金ですらなかつた。うつかり友人の保証人になつてしまつたばかりに、背負ひ込んだものだつた。「“訳アリ”でも“バカ”が付くでせう」、リカは自嘲する。「こんなバカだから、私に言ひ寄る男もみんなバカばつかり」、「何かヤになつて来ちやつたな」、リカは嘯く。
 「こんなバカだから、私に言ひ寄る男も皆んなバカばつかり」。「俺勲」の中野を気取つていふならば、「切ない台詞だぜ」。他に殆ど仕事をしてゐない、金泥駒といふ脚本家―誰かの変名かも知れないが―の素性は殆ど全く判らないが、子供には書けない台詞であらう。酸いも甘いも噛み分けた、大人にしか撮れないシークエンスである、大人にしか演れないシークエンスである。
 嘯くリカに土門はいふ、「らしくないですよ」。「え?」、リカは再び表情を強張らせる。
 「今のリカさんがらしくないことぐらゐ、俺にだつて判りますよ」
 「何で判るのよ?そんなこと」
 「何だか同じものを、背負つてゐるやうな気がするから・・・」
 「同じもの・・・?」、二匹のハリネズミが、遂に寄り添つた瞬間である。リカは、次の日のデートに土門を誘ふ。
 明くる日、リカがランチを作り、二人で公園にピクニックに行く。この件にどばと―残念ながら解散してしまつてゐるやうだ―がつけた劇伴が、猛烈に素晴らしい。土門が自分のエピソードをまるで他人事かのやうに、リカに嘘をついて話す際にも使用される。ピアノ一本での穏やかな旋律を、音を上げたり下げたりしながら繰り返す―だけの―劇伴は、長閑で慎ましやかな幸せに彩られたピクニックの風景とも相俟つて、もうこのまま小屋で死んでしまはうか、とすら思へて来るくらゐの決定的な美しさである。「土門とリカ、愛のテーマ」と、勝手に命名するものである。普段は平気でピントが呆けたり、役者の顔がフレームから切れてしまつたりする画を高打率で撮る柳田友貴大先生も、今回―だけ?―は全ての隅々にまで心が配られた、完璧なちやんとした仕事をして下さる。ランチを摂りながら、リカは土門をデートに誘つた訳を話す。リカは、土門が自分の“訳アリ”を他人事かのやうに話した嘘に気付いてゐた。男が嘘をつく時は普通下心がある筈なのに、土門は少しも自分を口説いて来ようとはしない、だから自分から誘つてみたのだつた。リカにリードされるままに、土門はリカにキスをする。公園を後に、土門はリカを家に招く。奮発し高級なワインを用意しておいた、までは良かつたが、キマらない土門は中々封が開けられず手古摺つてしまふ。じだばたする土門の手に、リカは優しく手を添へる。「やつぱり、私に言ひ寄る男はみんなバカばつかり」、「バカ」。そして土門とリカとは結ばれる、美しいシークエンスである。嘘でも、どんなに嘘でもなほのこと美しいシークエンスである。
 
 ユダがキリストを売つたところから始まつた近代化の過程が、1979年から1980年になつた時点で完了し、要は凡そ二千年、何も変らないままにひとつの全てが終つてしまつて以来、ダメなものはただダメなままである。それまではそれでも最後に世界の中にも文脈、のやうなものが微かにではあつたとしても残されてゐた。ダメなものはダメなままで、何某かの意味、乃至はせめてもの立つ瀬、があつたのである。ダメなものにはダメなものなりの意味があつた、ダメなものにはダメなものなりの美しさがあつた。ブルーハーツの「リンダリンダ」―は80年代であるが―とはさういふことを歌つた曲であると、私はリアルタイム当時には理解出来なかつたが、今では万感の全力を以つて強弁出来る。ダメなものにも、ダメなものにしか辿り着き得ない真実といふものがあつたのである。私は、本質論レベルではそれらのことは今でも何ら変りはしない、と固く信ずるものであるが、1980年以降、現象論レベルでは世界は完全に変つてしまつた、もしくは完成されてしまつた。ダメなものは、ただ単にダメなだけである。ワインの栓を開けるのに手古摺つてゐたからといつて、ヤらせて呉れる女など居る訳がない、居よう筈がない。否、居る。といふのならば俺の前に連れて来て呉れ、手古摺るから、開けても呑めないけど。
 ここで誤解しないで頂きたいのは、私は何も泣き言を垂れてゐる訳ではない、垂れるつもりはない。ダメなものにもダメなものなりの意味や美しさや真実があらうとも、私はそれらを認めて下さいとは一言もいはない。口に出さないだけではない、全く思はない、認めて頂かなくて結構である。何処のどちら様だとかは角が立つからいはないが、彼等やあれらのやうに、声高に自らの市民権を主張しようなどとは思はぬ。日向があつて日陰がある、よしんば時に残酷であらうとも、それがある意味健全な社会の姿であらう。日向は日向、日陰は日陰、身の程は知るべきである。私は何もいはぬ、このまま誰からも愛されぬままに一瞥も省みられぬままに、その内に消えてしまふことに些かの悔いも恐れもない。ワインの栓を開けるのに手古摺つてゐたからといつて、ヤらせて呉れる女など居る訳がない、それは嘘である。今やダメなものは、ただダメなだけである。ただ、だからこそ、私は物語といふものには嘘でも美しくあつて呉れることを欲する。土門とリカが結ばれるシークエンス、現実には、そのやうな恋愛がある訳がない。それがどうした、現し世に何の美しさがあるといふのか。現し世が美しくないからこそ、夜の夢の投影たる物語は美しくあるべきではないのか。徒に悲惨であつたり露悪的であつたりするばかりの物語を、私は一切認めない。物語は美しくあるべきである、映画は美しくあるべきである。美しくないものなんぞ、今既にある、ありのままのこの世界だけで十分だ、私はさう思ふ。その美しさが時に嘘であつたとしても、だからどうした。嘘であるからイカン、だなどといふのは、真実と事実との区別の弁へを欠いた妄説に過ぎまい、真実と事実とを混同する虚言に過ぎまい。

 土門は麗子のことをひとまづ諦め、リカと暮らし始める。ラスト・シーンは、土門とリカが買ひ物をする。ロング・ショットで、奥から手前に角を曲がり二人がフレーム・インすると、角の八百屋の店先には一人の女が。女の姿に目を留めた、土門はスローモーションで振り返る、振り返つたところでストップモーション、女は麗子であつた。「どうしたの?」、怪訝さうな顔でリカがあ訊ねる。「いや、何でもない」、土門は取り出したキャップを目深に被る。選んでゐた野菜を買ふ麗子と、再び寄り添ひ歩いて行く土門とリカ。土門が振り返るショットは映画史に残り得よう、スローモーションとストップモーションの名ショットである。
 「淫行タクシー ひわいな女たち」、十本中八本か九本は、十年一日を通り越し二十年一日、三十年一日のプログラム・ピクチャー、あるいはルーチンワーク魂全開のピンク映画を撮り続け、ピンクスの中からも軽視、時には敵視されることすら多い関根和美の、何かの間違ひで撮り上げた渾身のマスターピースである。
 ここまで触れなかつたその他出演者は、a.k.a.山本清彦のやまきよが、土門の同僚ドライバー・信吾。吉原夕子は信吾が乗客として乗せてしまひ、最終的には乗つてしまふことにもなる女幽霊の水上岬。上野太は説教ヤクザに扮し土門のタクシーを乗り逃げする、人騒がせな変装マニア。
 音楽は基本的にはどばとであるが、何時ものリハビリ音源も、幾つかは使用されてゐる。序に、土門のタクシーのナンバーは、品川 55 う 28-54。それがどうした、なんて後生だから仰らないでゐて欲しい。

 話を極私的に逸らす。初めは綾乃、と源氏名で名乗つた佐々木基子の、(劇中)本名はリカである。正確には利佳、苗字は残念ながら小野寺。リカ、香山リカと同じ名前である。リカ、即ち、この世界の中で最も美しい女と同じ名前である。リカ、素晴らしい、隅から隅まで100%の脚本である。惜しむらくは、エンド・クレジット―関根プロの映画は、クレジットを役者の名前だけではなく役名も打つ―が「リカ 佐々木基子」、ではなく「綾乃 佐々木基子」、となつてゐた点。リカ、リカ、リカ。何と尊き御名、何と麗しき御名。ここに高らかに宣言する、私は、リカといふ女の為になら死ねる、多分。リカ、リカ、リカ。何と尊き御名、何と麗しき御名。このまま何度貼つてゐたとて個人的には一向飽きもしないところであるのだが、ここいらで強制終了する。

 以下は後日解明した補足等< 幾度となく相変らず繰り返すが、私にとつてのピンク映画最高傑作、兼日本映画史上最も美しい映画とは、関根和美の「淫行タクシー ひわいな女たち」(2000/監督:関根和美/脚本:金泥駒/主演:佐々木基子・町田政則/特別出演:城春樹)である。前年から凡そ半年程の間に、全四作の脚本を手掛けた金泥駒といふ脚本家は、誰かの変名かしらん、とは思ひながらもそれ以上は全く手も足も出ず、それ以前に、一体何と読む名前なのかさへ正確には判らなかつた。
 紹介して入れて貰つたばかりのSNSでブラブラしてゐたところ、脚本家の小松公典氏のページを発見。さうしたところ、何と金泥駒とは小松氏の変名であることが判つた。興奮冷めやらぬままに足跡帳で御挨拶させて頂き、金泥駒とは“こんで こまん”と読むといふこと、名前の由来は、無類のプロレス・格闘技好きとの小松氏が、前田光世―誰?―から取つた、とのこと等々を教へて頂いた。
 さうかうしてゐたところ、プチ自慢じみてしまひ恐縮ではあるが、不意に小松氏よりメールを頂き、「淫行タクシー」ならびに「痴漢トラック 淫女乗りつぱなし」(2000/監督:関根和美/脚本:小松公典/主演:佐々木基子・町田政則)に関して、これまで私がずつと判らなかつた点、及び間違つて捉へてゐた点について御教示頂いた。
 「淫行タクシー」に関して、昨年夏、やつとこさ訪れた再見の機会。一週間に六日通つて十数回観たにも関らずまるで判らなかつたのが、特別出演としてクレジットされてゐた、城春樹が一体何処に出てゐたのかといふこと。何でも、土門(町田)の妻・麗子(亜希いずみ)が不意に姿を消した最後の夜の土門回想中に、土門が麗子と切り盛りしてゐた小料理屋の客役として出演、してゐた筈とのこと。「大将、なんぼ?」といつた台詞も一応与へられる、誰が一番近いかとあへていふならば坂入正三似のキャップを被つた男と、その連れが居たことならば覚えがある。勿論、どちらも城春樹ではない。もう一人、終始背中しか見せない男が居たやうな気もするが。何れにせよ、よしんば実際に撮影時現場に城春樹が居合はせたとしても、完成した画面には、「肌の隙間」(2004/監督:瀬々敬久)の佐々木ユメカほども見切れてゐなかつたことだけは、爽やかな笑顔で断言出来る。
 「痴漢トラック」に関して、黒龍会組長・戸川役が誰なのかが気になつてゐたものだが、戸川役がデコトラチーム・グループ一番星リーダーでもある、須賀良その人といふことである。今更注、敬称略にてお送りしてゐるが、思ひのほか芸達者である。グループ一番星を軽くグーグル検索してみたところ、グループ一番星が当時本家の「トラック野郎」シリーズに出演してゐたことや、返す刀で、レコードを出してゐたりもしてゐたことならば判つてゐたのだが。
 加へて全く抜け落ちてゐたのは、勝馬(町田)が一目惚れしてしまふ舞子(池谷早苗)の叔父で、勝馬行きつけの定食屋のマスターは幸英二(役名は矢張り不明)。普段のオネエキャラと、本性を表した時の凄みとのギャップが、こちらも絶品である。


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