「暴行切り裂きジャック」(昭和51/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:長谷部安春/脚本:桂千穂/企画:奥村幸士/プロデューサー:伊藤亮爾/撮影:森勝/照明:高島正博/編集:西村豊治/音楽:月見里太一/美術:川崎軍二/助監督:山口友三/協力:目黒エンペラー/出演:桂たまき・山科ゆり・八城夏子・岡本麗・丘奈保美・潤ますみ・高村ルナ・梓ようこ・飯田紅子・森みどり・堺美紀子・林ゆたか・三川裕之・田端善彦、他)。配給に関しては事実上“提供:Xces Film”か。
まづ初めに情けなく言ひ訳お断りさせて頂く、放つておけば手をつける粋狂もほかには居らぬであらう御大やオガキンのピンク映画とは異なり、今回の敵はいはずと知れた、立派にクラシックたるロマンポルノの名作、既に語られるだけ語り尽くされてしまつた感も強いであらう。仕方がないといふか正直キリもないので、潔く開き直る。今回の初見に際して感じたまゝを、かつてとの重複に際しては素直に頭を垂れる覚悟でそのまゝに著すものである。
洋菓子店に勤める世の中を敵に回し気味の女給・ユリ(桂)と、丸眼鏡の奥に気の弱さうな瞳をオドオドさせる菓子職人のケン(林)。ある嵐の夜車でユリを送らされたケンは、てんで用を成さない拘束衣を着た女(山科)を拾ふ。女は狂女で、やがてケーキナイフで自らを傷つけ始めたゆゑ処置に困り、ケンは女を無理矢理車から降ろす。なほも車に引き縋る狂女を、ケンは轢き殺してしまふ。二人は激しく狼狽、ユリの手引きで、潰れたスクラップ屋の跡地に何とか女の死体を始末する。大きく傷つけられ、夥しい血を流す女の死体。ユリの部屋に這ふ這ふの体で逃げ戻つた二人は、何故だか激しく燃え上がり、狂つたやうに情を交す。付き合ひ始めたケンとユリは、だがどうしても、あの嵐の晩のやうには燃え上がれなかつた。悟つた二人は、燃え上がる快楽を得るべく次の獲物を求めるやうになる。
女を血祭りに上げては、狂つたやうに燃え上がり情交する殺人カップル、インモラルにもほどがある。非道の箍を勢ひよく蹴倒した物語は、やがてケンとユリ、それぞれの変化を機に巧みにシフトする。細い目に突き出た頬骨、唇の厚い林ゆたかは、見様によつては松田優作のレプリカに見えなくもない。繰り返す凶行の果てに、徐々にケンは押し殺された獣性を発露させて行く。一方クール・ビューティーからビューティー抜きのユリは、ケンを自らの部屋に転がり込ませスタートさせた同棲生活と殺人後の情交の果てに、何時しか女房然とケンに粘着する、当たり前の女に堕して行く。ケンは半ばユリを捨て、事後の情交を伴はない、殺しの為だけの殺しを一人繰り広げるやうになる。ユリはケンの後を、縋りつくかのやうに追ふ。
ゼロサム思考が爆裂するラストは、片方から見ればそれこそ全く一切、一欠片の救ひもない。が、同時にもう他方からは、純粋な快楽、全くの自由、清々しいまでの解放を意味する。あまりにもあんまりで吃驚すらさせられつつもロングの画が美しいラスト・ショットは、連続快楽殺人といふ無体なテーマが、気がつくとマスオさんの他愛もない妄想ネタにも似た世の既婚男性諸氏の呑気に着地してみせるといふ、驚くべき魔術を見せる。純粋無垢な解放の完全なる一点突破主義は、逆の側からは見事とでもいはないとやつてられないくらゐにまるで救ひがない。恐れを知らぬ潔さには、最早感服するほかはない。もしもこの世に神が居るならば、監督の長谷部安春と脚本の桂千穂とは、今作の咎で死後は地獄に堕ちるに決まつてゐる。
憐れな被害者は、殺害順に八城夏子が女子大生。岡本麗が、頻りにユリに色目を使ふ作家先生(三川)の令夫人。墓地で殺害された令夫人の死体は、墓穴の中に始末される。本当に、よくもこんな映画が撮れたものだ、フリーダムにもほどがある。丘奈保美は、ケンの暴走の端緒の生贄となるコールガール。潤ますみは半ば以上に無計画な凶行の犠牲となる巫女。巫女殺害後、映画はちよつとした脱出サスペンスを見せる。高村ルナはブティックの女主人、この人ハーフ?そこそこ以上に綺麗な女なのだが。裸になる女優の頭数だけならば徒に潤沢な今作、とはいへ出て来れば無残に切り刻まれて殺されるだけなので、桃色の実用性に関しては殆ど全くない。逆にこれがど真ん中でど真ん中で仕方がない、といふ御仁には、正直あまりお近付きになりたくはない。梓ようこ・飯田紅子・森みどりは、看護婦寮に忍び込んだケンに纏めて血祭りに上げられる白衣の天使の皆さん。劇中最後の凶行の刹那、あるいは突き放しぶりは、グルッと回つて最早キラキラと輝いてすら見える。堺美紀子は洋菓子店の女主人、田端善彦は先輩職人。
あくまで個人的な嗜好であるが、今作最大の難点はユリ役の桂たまき。演技力と少々緩いながら肉感的な首から下はまあ兎も角。ナンシー・アレン、あるいはあき竹城パーマと、丸々としたブタマン面には正直閉口した。ユリのファースト・ショットもこの女がヒロインであるといふのは勘弁して呉れ勘弁して呉れもと私は祈つた。が、その願ひは聞き届けられなかつた。
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